EP.21ギルド《アクアクラウン》
私たちは閑散とした街中を静かに進んでいた。
ひび割れた石畳の隙間には、雨水の名残がまだ残っている。
朽ちかけた木製の扉、剥げた看板。人通りはまばらで、まるで時間が止まったかのような通りだった。
先へ進むと、水色の魔法石が埋め込まれた街灯が、かすかに淡い光を灯していた。
その魔法灯の角を右へ曲がった瞬間──
眼前に現れたのは、想像を遥かに超える規模の建物だった。
街の荒廃した景観の中で、そこだけが異質なほどに堂々と、確かな存在感を放っている。
──これが、ギルド《アクアクラウン》。
“水の国”シルベーヌが誇った最後の牙城。
その威容は今もなお、誇り高く空を睨んでいた。
「どうよ、これが俺様の根城ってやつだ!!」
ジルは腕を組み、胸を張って大声で言い放つ。
どうだ、と言わんばかりのその顔は、どこか子どもじみていて、憎めない笑顔だった。
その横で、オルじぃ──オルバースがぽつりと呟いた。
「……あの頃の粗末な詰所が、ここまでになるとはな。」
その声には、驚きと、そして懐かしさのようなものが滲んでいた。
普段は敬語を崩すことなどないオルじぃが、ふと漏らした素の言葉。
私は気づいたけれど、誰もそれを指摘せず、ただ静かにギルドを見つめる。
どこか遠い目をした彼の横顔に、私は言葉をかけることができず、ただその場に立ち尽くしていた。
──その時。
「……すげぇ。」
隣のダルクが、小さく息を吐くように呟いた。
彼のその囁きが、心の底からの感嘆であることが伝わってくる。
私も思わず頷いていた。
「へへっ、まぁ色々頑張ったからな!」
ジルは少し照れくさそうに鼻をかきながら笑った。
その様子を見て、オルじぃは軽くため息をつき、落ち着いた声で言った。
「自慢したい気持ちは分かるが、まずは受付へ案内してくれ。」
「おっと、いっけね!」
ジルはそう言うと、慌てた様子で私たちを連れて歩き出す。──だが、受付とは逆の方向へ。
それに気づいたダルクが、不思議そうに声をかけた。
「……あの、ジルさん。受付って、そっちじゃないっすよね?」
普段のふざけた調子は消え、素直な疑問がその声に滲んでいた。
ジルは足を止め、肩をすくめて振り返る。
「はは、そうだったな!ついクセで裏の酒場に案内するところだったわ!」
──まったくこの人は、と呆れながらも、私は自然と笑っていた。
重厚な扉をくぐると、ギルドの空気がふわりと変わる。
柔らかな光が差し込む広い受付ロビーに、一人の女性が私たちを迎えるように立っていた。
「ようこそ、ギルド《アクアクラウン》へ。」
にっこりと微笑んだ受付のお姉さんは、落ち着いた声でそう告げる。
彼女が身にまとっている制服を見ると、その透き通るような色合いは、まるでこの国の澄んだ水をそのまま織り込んだかのようで──
まさしく“水の国”を象徴する装いだった。
気づけば、オルじぃは静かに受付に向かい、手慣れた動きで書類に目を通していた。
こういう場面になると、本当に頼りになる──そんな後ろ姿だった。
「さぁ、二人とも。ギルドカードを作りますよ」
こちらを振り返ったオルじぃが、穏やかに手招く。
その声には、どこか師としての温かさがにじんでいた。
こちらを振り返ったオルじぃが、穏やかに手招く。
その声には、どこか師としての温かさがにじんでいた。
──すると、すかさずジルさんが吹き出す。
「ぷっ……ははっ、おまえ、敬語似合わねぇって!」
私とダルクはオルじぃの敬語が当たり前だったため、きょとんとしながら2人で顔を見合わせる。
だがオルじぃは、眉ひとつ動かさず淡々と返す。
「口を慎め─。私は今、執事の公務中だ。」
「ハッ!……執事ねぇ? そりゃまた、随分出世したもんだな、バース!」
ジルは肩を揺らしながらも、どこか楽しそうにオルじぃを見ていた。
そのやりとりは、長い時を共に過ごしてきた者同士にしか生まれない、独特の空気だった。
オルじぃもまた、わずかに口角を上げるだけで返す──
それは、無言のまま続くふたりの、昔からのやり取りなのかもしれない。
「気を取り直しましょう、こちらの紙に名前をお書きください。」
スっと渡してきたのは、名前と年齢と性別を書くだけの紙だった。
それでも、その記入欄の小ささが、これまでの旅路の重みを物語っているように感じられた。
あまりにも記入項目が少なかったので、ついオルじぃに確認を向けた。
「……これだけでいいの?」
オルじぃは落ち着いた声で丁寧に応えた。
「はい、リリア様。お二人は先日、ギルドから依頼されていた討伐対象を見事に討ち取られました。
その功績により、すでに“実力者”としてギルドに認定されております。
……ですので、今回は形式上の記入だけで大丈夫とのことでした。」
驚きと共に、胸の奥にほんの少しの誇らしさが広がる。
私とダルクは受付の横にある記入台へと歩み、ペンを手に取った。
名前、年齢、性別──たったそれだけ。
簡潔すぎる項目が、逆に今までの旅路の評価の厚さを物語っているように感じられた。
書き終えた私は用紙を手に、改めてオルじぃのもとへと戻った。
私たちが書いた書類を、オルじぃは慣れた手つきで受付へ運んだ。
───これで本当に冒険者になったんだ!!
あの時の闘いを忘れたわけじゃない。
だけど胸の奥で、ドキドキとワクワクが静かに私を突き動かしている。
ソワソワしていると、オルじぃが受付を終えたのか、再び私たちの元へ歩み寄った。
「さぁ、手続きは終わりました。こちらが、お2人のギルドカードになります。」
オルじぃの手には、銀色に輝くカードが2枚あった。
その重みと光沢が、不思議と心に確かな実感をもたらした。
「わぁ、綺麗……。」
手渡されたカードを見て、思わず零れたリリアーナの言葉。
カードの銀色の輝きが、淡く光を反射している。
それを受け取ったダルクも驚きの表情を隠せず、戸惑いを浮かべていた。
「えっ、これ……何かの間違いじゃないのか?!」
ダルクは手元のカードを見つめたまま、慌ててジルさんに視線を向ける。
確認を求めるように、戸惑いを隠せずに問いかけた。
「いや、間違っちゃねぇよ。これは正当な判断だ。」
2人の真剣なやり取りに、事情を知らない私は思わず頬をぷくっと膨らませる。
「ねぇ!何が間違いじゃないの?」
少し拗ねたように言うと、オルじぃが説明してくれた。
「そのカードの色は、ギルドにおける冒険者のランクを示しております。
ランクは全部で六段階──ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナ、ダイヤモンド、そして国家規模の依頼も請け負う最上位のブラックです。
……今回、お二人には“シルバー”ランクのカードが発行されました。」
私は疑問になり、再びオルじぃに確認する。
「シルバーって、そんなにすごいの?」
オルじぃは穏やかに頷きながら答える。
「はい、リリア様。シルバーは基礎をしっかり抑えた冒険者の証でございます。決して低いランクではなく、これからの活躍次第でさらなる高みを目指せる段階です。」
ダルクも横から声を弾ませる。
「俺らはまだまだこれからってことか。わくわくするな!」
ジルはにやりと笑って言った。
「まっ、焦らずにな!俺たちだって最初はシルバーだったんだからよ。」
その言葉を聞いて、私はこれからの冒険がますます楽しみになった。
「さて、楽しい話はここまでだ。ジル、この国で一体何が起きているんだ?」
オルじぃが声の調子を落とし、空気を切り替えるように静かに問いかける。
するとジルも、さっきまでの陽気な様子とは打って変わり──
ふっと笑みを引っ込め、険しい眼差しをオルじぃへと向けた。
「それは……ここじゃ話せねぇな。酒場に案内してやるよ。」
短く、だが重みのあるその一言。
私たちも自然と表情を引き締める。
空気が、ぴんと張り詰めた。
背筋に、ひやりとした緊張感が走る。
“酒場”という単語を耳にした瞬間──
オルじぃは、何かを察したようだった。
わずかに眉をひそめ、そして──呆れたような表情を浮かべた。
それはまるで、「やはり、そう来たか」とでも言いたげな顔だった。




