EP.19水の国─シルベーヌ─
静かな馬車の揺れと共に、あなたは知らない土地へと運ばれていく――。
夕陽に染まる石壁の城門、その向こうに広がる「水の国」シルベーヌ。
しかし、その美しい呼び名の裏に隠された真実は、あなたの想像を超えているかもしれない。
ここはただの冒険譚ではない。命の重み、信頼の絆、そして未知の現実と直面する物語だ。
光が遮られ、風の匂いが変わるとき、あなたもまた彼らと共に息を呑み、胸の高鳴りを感じるだろう。
さあ、一歩踏み出そう。まだ見ぬ世界の扉は、今、静かに開かれる。
森を駆け抜ける少し前、乗客は徐々に減っていった。
残ったのは、リリアーナとダルク、オルバース――そして、先ほど声をかけてくれた少年とその母親だけだった。
御者がこちらに声をかけてくる。
「もうすぐ、シルベーヌ国に到着しますよ。」
その言葉に、胸が高鳴る。
――ああ、本当に冒険しているんだ。
遠くに、城壁が見え始めていた。
その輪郭は、もう肉眼ではっきりと確認できるほどだ。
夕陽を受けて石の壁がほんのりと赤く染まり、風に乗って街の匂いが届いてくるような気がした。
「お姉ちゃんたちも、一緒に行くの?」
少年が、にこにこと無邪気な笑顔で私たちに尋ねてきた。
それに優しく応えたのは、オルじぃだった。
「そうですね。我々は、少しの間お世話になるつもりですよ。」
その返事を聞いた少年は、嬉しそうに椅子の上で足をぷらぷらと揺らしながら、隣にいた母親に声をかけた。
「お母さん、聞いた? 僕たちの宿屋に案内しよーよ!」
母親もその提案に「そうね」と微笑み、私たちに確認するように声をかけてきた。
「もしよろしければ、助けていただいたお礼に──
私たちが営んでいる《アクアリス亭》へ、ご招待させていただきます。」
その申し出に、オルじぃは少し控えめに尋ねた。
「おや……よろしいのですか?」
少年は元気よく「もちろん」と返事をする。
リリアーナはそのやり取りをどこか微笑ましく見つめながら、ふと馬車の窓の外に視線を移す。
気づけば、城門まで辿り着いていた。
石壁の門には見張りの傭兵が複数立っており、ただの街ではないことを物語っている。
城門の傭兵たちは長槍をバツの形に掲げ、馬車を停めた。
「止まれ!」
鋭い声が、天を突くように響いた。
傭兵たちは私たちを警戒するように睨みつけながら、ゆっくりと馬車へと近づいてくる。
その足音が、まるで重く響くように感じられた。
その瞬間、少年が怯えたように母親の袖をぎゅっとつかむ。
彼女は無言でその頭をそっと抱き寄せ、目線を外させた。
リリアーナが小声でつぶやいた。
「……ただ事じゃないわね」
ダルクは、剣の柄にそっと手を添えた。
鋭い視線が、周囲の気配を余さず捉えている。
かすかな緊張感が車内を満たすが、どこか冷静さをも感じさせる。
「落ち着きなさい、ダルク殿。状況を見極めるのも、剣のうちです」
オルバースは傭兵たちに穏やかな視線を向けながら、柔らかくも凛とした口調で諭した。
傭兵たちは警戒しつつ、馬車の扉を開いた。
その中に横たわる、ふたつの静かな影。布を掛けられ、既に動く気配はない。
小さな血痕が、布越しにかすかに染みていた。
少年はその光景に目を見開き、何かを言いかけたが、母親がそっとその顔を胸に抱き寄せる。
「見なくていいの」と、口に出さずとも伝えるように。
「……まさか、あれがレッドホークの……」
傭兵の一人が低くつぶやく。
「首領と、その腹心。確かギルドの討伐依頼では……リーダーが1万メリル(10メリル=1000円)、サブリーダーが5000メリルの賞金首だったな」
隊長が視線を鋭くしながら確認するも、どこか驚きと尊敬が混じっていた。
その背後で、部下の一人が腰のポーチから小さな金属製の封筒を取り出し、指笛を吹く。
それに応じるように、門の上から一羽の灰色の鳥が滑空してきた。
翼にかすかな光沢を宿したその鳥は、獣魔――ホーローだ。
足にはギルド印の入った魔石付きの小さなタグが輝いている。
封筒を丁寧に括りつけると、ホーローは軽く鳴き、風に乗って空高く飛び立っていった。
その姿は、空に溶けるように小さくなっていく。
オルバースが一歩前に出て、静かに頭を下げる。
「ご安心ください。彼らは、我々が正式に討伐した者たちです。
ギルドへの報告も、然るべき手順で行います。」
ダルクも剣から手を離し、静かに傭兵たちを見据える。
威圧ではなく、信頼に足る確かなまなざし。
その様子に、リリアーナはふと目を伏せる。
これが“冒険”の現実なのだと、肌で感じるように。
しばらくの沈黙の後、隊長が息を吐いた。
「……それなら、納得だ。これだけの手練なら、国の門を通すに値する」
手を挙げると、傭兵たちは馬車の進路を開いた。
「通れ。」
その声が、静かに石の城壁に反響した。
城門をくぐると、内部までは少し距離があり、暗いトンネルが続いていた。
やがてトンネルの先に光が見え始め、ゆっくりと抜けていく。
短い時間でも、その光は眩しく感じられ、私は思わず目を閉じた。
「眩しい……。」
額に手を当てながら、今度はゆっくり目を開ける。
───すると、その光景にリリアーナたちは息を呑んだ。
目に映るのは、噂に聞いていた「水の豊かな国」とはまるで違う、変わり果てた姿だった──。




