EP.16 戦場に残されたもの
──初めての勝利、その代償は「命の重み」だった。
荒野に響いた剣戟の余韻が消え、闇がすべてを包む夜。
盗賊団との死闘を制したリリアーナたちは、ただ勝利に酔いしれることなく、その場に“残されたもの”と向き合うことになる。
仲間として、冒険者として、そして一人の人間として──。
これはただの戦闘ではない。
命を奪い、命を背負う。
その重さに、リリアーナの胸が初めて震えた夜の物語──。
灼けた風が吹き抜ける荒野。
盗賊団との激しい戦いを終えたリリアーナたちの周囲には、ようやく静寂が訪れていた。
「……ちっ。役立たずどもが……」
荒野の闇の奥から微かに響く、誰にも届かぬ呟き。
一筋の黒い影が揺らめきながら地を這い、やがて闇へと身を沈めていった。
──だが、その存在に気づく者はいなかった。
その頃──
馬車は動きを止め、木陰の奥で固く息を潜めていた乗客たちと御者は、緊張した面持ちでリリアーナたちを見守っていた。
オルバースの背後から、一人の乗客が恐る恐る顔を覗かせる。
震える声で、しかし勝利を確信したように呟いた。
「た、助かった……本当に……!」
それをきっかけに、他の乗客も次々と木陰から姿を現し、感謝の言葉を口にした。
「あなた方がいなければ、私たちは……!」
リリアーナは一瞬きょとんとしたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべて剣を静かに納める。
「ふふ……ご無事で何より。もう大丈夫ですよ。」
ダルクも剣を鞘に収め、誇らしげに胸を張った。
「へっ、まぁな! 俺たち、ちゃんとやっただろ?」
老騎士オルバースも穏やかに頷く。
「まさしく、お二人の“初勝利”でございますな。」
戦いの余韻がゆっくりと遠のき、荒野に穏やかな空気が戻る。
夕日はすでに地平線の向こうへと沈み、頭上には無数の星々が瞬き始めていた。
その時、御者が控えめに告げる。
「今日はもう日が暮れてしまいました。この先へ進むのは危険です……。今夜はこの場で野宿としましょう。」
その言葉に、乗客たちの間に小さなどよめきが広がる。
不安げな視線が交錯し、ざわつきが少しだけ場を包む。
だが、オルバースの一言がその空気を断ち切った。
「皆様の安全は、我々が責任をもってお守りいたします。」
落ち着きと確信に満ちた声が、たちまち乗客たちの胸に安堵をもたらした。
風が夜の帳を運び始める。
新たな国へ続く道、その一夜が静かに幕を下ろそうとしていた。
倒れた盗賊団の亡骸は、皆で布に包んだ。
リーダーとサブリーダーの遺体は御者の指示で馬車の荷台へ運ばれ、
その他は乗客の一人が持っていたスコップで、少し離れた小高い場所に穴を掘り、土に還していく。
「……悪党とはいえ、同じ命だ。葬るくらいの情けは持とうじゃねぇか。」
そう呟いたのはダルクだった。
いつもの軽口は影を潜め、静かに土をかぶせていくその背中を、リリアーナもオルバースも黙って見守っていた。
誰も言葉を交わさず、ただそれぞれの手を動かし続ける。
リリアーナは布を丁寧に結び、オルバースは穴を何度か確かめてから静かに目を伏せた。
その所作からは、戦いを終えた者たちの静かな責任感と祈りが滲み出ていた。
夜空の下、火を囲む小さな輪がぽつんとできている。
風は少し冷たくなり、星々は先ほどよりもいっそう明るく輝きを増していた。
誰もが思い思いに胸に秘めたものを抱きながら、その夜を過ごしていた──
戦場に残されたものと共に。
やがて、皆が薄い布を広げ、静かに眠りの準備を始める。
ダルクとリリアーナは、オルバースの使う水と風を融合させた魔法の力で、泥や汚れを洗い流していた。
「ありがとう、オルじぃ。おかげで、すっきりしたわ。」
リリアーナが礼を言うと、オルバースは優しく微笑み、
「何の。」
とだけ答えた。
「流石、オルさんだな……」
ダルクが感心すると、リリアーナはふふっと笑みをこぼす。
「それはそうよ! なんてったって、フローレン家の筆頭執事なんだもの!」
得意げなリリアーナに、ダルクは一瞬きょとんとしたが、すぐに無邪気な笑顔を返した。
「ふはっ……確かにそうだな!」
すかさずオルバースが口を挟む。
「リリア様、今はもう老いぼれの冒険者ですよ?」
その照れくさい口調に、火を囲む輪の中に温かな笑いが広がった。
──夜も更け、フクロウの鳴き声が静寂を切り裂く。
オルバースはすでに横になり眠りについている。
リリアーナとダルクは寄り添うようにして、メラメラと揺れる焚き火をじっと見つめていた。
しばらくの沈黙の後、リリアーナが口を開く。
「ねぇ、ダルク……私、今日──はじめて人を斬ったの。」
火の音だけが静かに響く中、彼女はぽつりと語り始めた。
「すごく……怖かった。今でも、彼の最後の顔が思い浮かんで、手が震えてしまうの。」
ダルクはじっとその言葉に耳を傾けていた。
続けてリリアーナは言う。
「でも、闘わなきゃ、やられてしまうんだって思って──。」
声が少し震えていた。
ダルクは落ち着いた声で優しく、しかし真剣に答える。
「そうだな……。でも、リリアも分かってたはずだぜ?」
その言葉に、リリアーナは少し戸惑いながらも、心がふっと軽くなるのを感じた。
「……うん、そうだね。これが“冒険者になる”ってこと──やっと、身に染みた。」
ダルクは短く「そうか」とだけ呟き、優しく微笑んだ。
リリアーナは焚き火の揺らめく炎を見つめながら、隣に伸びるダルクとの影にそっと目をやる。
並んだ影に、胸の奥がトクンと脈打つ──けれど、彼女はまだその鼓動の意味に気づいていなかった。




