EP.1 婚約破棄される予定です
王子の婚約者として順風満帆だったはずの私、リリアーナ。
けれど今、舞踏会で隣に立つべき彼は来ない。
全ての始まりは、2年前の学園で王子が出会った“平民の少女”。
彼女との関係が深まるにつれ、私は悪女に仕立て上げられ、婚約は崩れていった。
これは、婚約破棄を覚悟した令嬢が迎える、新たな物語の始まり。
──王城で開かれる卒業舞踏会の夜──
本来なら、私の隣には婚約者である第一王子が立っているはずだった。
けれど現実は、空っぽの隣席と、私ひとりの孤独な立ち姿。
深いため息が一つ、胸からこぼれ落ちる。
「──まぁ、そんなことだろうとは思ったけどね」
自嘲気味に呟いた独り言は、騒がしい会場に溶けて消える。
フローレン公爵家の長女、リリアーナ・フローレン、十八歳。
これが、私の“婚約破棄される予定の日”の始まりだった。
──時を遡ること二年前──
ここは「ヴィルレーベ学園」。
魔力と才能がものを言う、由緒ある貴族学園。
貴族だけでなく、力さえあれば平民の入学も許される、特異な学び舎だ。
入学初日、私は婚約者の第一王子アルディス・クアラート、そして幼なじみで近衛騎士候補のダルク・ギルバルトと連れ立って、校門をくぐっていた。
「三人とも同じクラスで良かったぁ〜!」
そう言って笑った私に、アルディスは穏やかな微笑みで応えた。
「そうだな。また賑やかになる」
ダルクも笑いながら、
「お前は勉強がんばれよ、リリア」
と、からかうように言った、その瞬間だった。
曲がり角の先から、一人の少女が勢いよく飛び出してきた。
「──あっ!」
少女はアルディスにぶつかりそうになり──そのまま、彼の胸に倒れ込むようにして一緒に地面へ。
「ご、ごめんなさいっ!急いでいて、人がいるなんて思わなくて……!」
潤んだ瞳に、プラチナブロンドの髪。
愛らしい容姿に、お姫様のような雰囲気。
一方、アルディスは彼女を抱きとめ、落ち着いた口調で訊ねる。
「怪我は?無理しないで、医務室へ行くといい」
その優しい声音と表情──まるで童話に出てくる王子と姫の出会いのような光景だった。
少女は頬を染めて笑い、元気よく胸の前でガッツポーズを取る。
「だ、大丈夫ですっ!頑丈なのが取り柄なので!」
その瞬間、彼の視線は彼女に釘付けになっていた。
魂でも抜かれたの?ってほどに。
「おーい!入学式、始まっちゃうよー!」
私の呼びかけにハッとし、少女は深々とお辞儀をして立ち去った。
───そして、物語が転がり始める。
王子と平民の恋。
おとぎ話のような噂話が、あっという間に学園に広がった。
その相手──あの少女の名は、シャルロッテ。
平民ながら、珍しい「聖属性」の魔力を持つという。
そしていつしか、アルディスと彼女は“恋人”と呼ばれる関係になっていた。
だが、それと同時に始まったのは、私を貶める虚偽の告発だった。
「リリアーナ様が酷いんです!ルディ様と付き合ってるからって、教科書を破いたり、他の令嬢を使って脅したりして……っ!」
大粒の涙をこぼしながら震える声で訴えるシャルロッテ。
──まったく、何の話?
困惑している私に、アルディスは冷たく言い放った。
「……見損なった。お前がそんな女だったとはな。
危うく騙されるところだった。やはり、妃に相応しいのはシャルだ」
(……この男、本気で言ってるの?)
呆れた。あまりにも一方的で、理不尽な決めつけ。
「私は、何もしていません。
ただ、貴族としての礼儀を彼女に教えただけです。
婚約者のいる相手に近づくべきではない、と」
──それが、悪だったの?
私は彼らとの距離を置いた。
アルディスとは口をきかなくなり、代わりにダルクと過ごす時間が増えた。
そして、彼の助言を受けて、私は“婚約破棄”に向けて淡々と準備を始めた。
そう──今日という日が来ることを、最初から覚悟していたから。
──現在──
「……まぁ、そんなことだろうとは思った」
再びつぶやくと、部屋の扉がコンコンと叩かれる。
「はぁーい……」
返事をして振り返ると、立っていたのは──メイドではなかった。
「よっ!ひとりじゃつまんないだろ?
だから、俺がお前のエスコート役、もぎ取ってきたぜ!」
にかっと笑うダルク。
その笑顔に、ついふっと吹き出す。
「ふふっ……では、“素敵な騎士様”?
私を会場まで案内してくれるかしら?」
完璧な淑女になりきってみせる私に、彼は嬉しそうに膝をついた。
「可憐で愛らしい姫君よ。今宵のエスコート、私にお任せを」
唇が手の甲にふれる、軽やかな音。
ふざけてるのに──胸が、なぜかドキンと跳ねた。
彼がいるだけで、心のどこかが温かくなる。
それだけは、偽りじゃない。
──舞踏会の夜。
婚約破棄の序章は、優しい嘘と本当の出会いの中で、静かに幕を開ける──。