4 いつもの私は嫌われるはず
仮面舞踏会から一週間が経過した。
カールの提案から、テオが屋敷に滞在するということになったのだが、テオも仕事がある。そのため、仕事を余分に済ませて、その余分に済ませた分の日数は滞在するということになった。大体二週間仕事、一週間滞在という具合でしょうか、とテオは言っていた。
クラウディアも仕事を毎日しているが、それでもテオよりは融通が効くため、「いつでもどうぞ」と言ってあった。
そして本日から、テオと護衛のリヒト卿が泊まりに来るというこのヴァルトブルグ邸では使用人全員が浮き足立っていた。この前にもまして部屋を磨き上げ、チリひとつない状態を保とうとしている。その使用人たちに反して、クラウディアの心は晴れぬままであった。
クラウディアは隣国で王位継承問題が発生しているという記事の新聞を読んでいたが、今日テオが来ることが気がかりで、全く内容が入ってこない。新聞を読むのをやめて、ベッドメイクをしていた侍女長のハンナに話しかける。
「みんなはどうしてテオ様との婚約に反対しないのかしら?テオ様が美しいから?」
ハンナはクラウディアを優しい目で見ると、小さく息を吐いた。
「確かにルグラン様は美しいお方ですが、おそらくその理由ではありませんよ。あなたが王子殿下にご執心の時よりも安心できるお方だからです」
「ああ、王子殿下、ね……」
クラウディアは遠い目をした。クラウディアにとっては王子殿下のことはもう過去のことに感じられる。
「王子殿下にご執心だったときは、我々も気が気ではありませんでしたから。いつ不敬罪を訴えられるのかと……」
「私も今ならそう思うわ。どんなに愚かだったのか……」
あの仮面舞踏会で見た夢での失態は、今でも忘れられない恐ろしい出来事だった。
クラウディアの暗い声を聞いて、ハンナは穏やかな笑みを浮かべた。ようやくわかってくれたのかという安堵の意味がこもっているのかもしれない。
「クラウディア様がどういうおつもりであの日婚約してきたかは存じませんが、この前ルグラン様を見たとき、なんだか安心できました。とてもお優しい方にお見受けできたので」
「優しい方よ」
よく知らないけど、と心の中でクラウディアは付け足した。
「ルグランという貴族はいないから、平民よね。それでもハンナたちは気にしないの?」
貴族と平民が婚約するということは、下位の爵位の貴族ならば珍しいことではなかった。もちろんこの場合の平民とは、裕福な家の平民を指す。
それでも、侯爵ともなる貴族との結婚となると、珍しい部類になるだろう。
クラウディアはこの前テオの家のことについては一切聞くことはなかった。どうせすぐに破談になるのだからと興味もなかったし、クラウディアにとっては恩人となるテオに「あなたの家はどんな家ですか」なんて聞けるはずもない。
「旦那様なら、気にしませんよ」
ハンナの言う旦那様とは、クラウディアの父を意味している。クラウディアの家族はクラウディアが10歳の時に馬車の事故で命を落としていた。家族は全員クラウディアにとって優しい人たちだった。
もし父が今も存命だったのなら、クラウディアはこの前のことを全て打ち明けていただろう。それを聞いた父は呆れたかもしれないが、きっと理解してくれる、そんな父だった。
「とても、緊張してきたわ。ハンナ」
「部屋も別なんですから、ご友人を招いたようなものとお考えになれば?」
クラウディアはあれから一週間以上過ぎた現在でも、誰にも仮面舞踏会での顛末を話すことはなかった。いや、できなかった。
使用人たちは、クラウディアが婚約したことで歓喜しているようだった。そんな使用人たちに「婚約破棄を目指すので協力してほしい」なんてことは言えるはずもない。
「殿方の友人はいませんから、勝手がよくわかりません」
「まあ、そうでしょうが……なるようになりますよ。クラウディア様を知れば知るほど、もっと好意的になってくれることでしょう」
テオの部屋は、カールにより、クラウディアの部屋の隣にさせられてしまった。勿体無いほど広い部屋なので、うるさくしてしまうのではないかという不安はないものの、それでも隣に男性がいるということはクラウディアにとって意識せざるを得ないことだった。
「私なんか、知れば知るほどうんざりする、の間違いでは?」
「クラウディア様はとても可愛らしいお方ですよ。たまに失敗もしますが」
乳母を務めていたハンナは、きついことを言うこともあるがクラウディアにとても優しいし、いつも励ましてくれる。お世辞を言うのも得意だ、とクラウディアは思っていた。だからハンナの褒め言葉は話半分で聞くことにしていた。
とにかく、婚約破棄したいと思われるように、いつもの私を見せるのよ。クラウディアは心に誓う。
「殿方って、どういう女性を嫌だって思うのかしら?」
「そうですね、やかましいとか不潔とか……そういうのでしょうけど、クラウディア様は嫌われるような方ではありませんから」
いや、現に私は貴族の間では嫌われていると思うけど……と言ってやりたくなるが、ハンナはそのことを知らなかった。
家令であり他の貴族との連絡を取ることもあるカールはおそらくこのことを知っているのだろうが、クラウディアにその話題を持ち出すことはない。
「私、嫌われるタイプだと思うから……」
「王子殿下のことで自信を無くしていらっしゃるのですね。大丈夫です。私が保証しますよ」
もう18歳にもなるのに、ハンナは椅子に腰掛けているクラウディアの頭を撫でた。きっとハンナの中ではクラウディアはまだまだ小さい娘なのだろう。
「いつもの貴女でいいんですよ。クラウディア様」
ハンナはいつもこうやってクラウディアを励ます。このたった1人のヴァルトブルグ家のクラウディアにとって、優しい使用人達の存在は心の支えでもあった。
テオ達が訪問すると、屋敷は大盛り上がりだ。声には決して出さないものの、瞳が騒がしい。
テオはクラウディアに薔薇の花束をプレゼントとして手渡してくれたのを見て、侍女たちが思わず声をあげそうになるのも、わかりやすいほどだった。
婚約者であるクラウディア自身が屋敷の案内をした方がいいと、カールから勧められ、屋敷全体を回る。すれ違う使用人達は立ち止まり会釈をしていくが、皆瞳を輝かせている。
最後にテオの部屋へ案内し終える頃には、もう精神的にクラウディアはくたくただった。
「この前も思いましたが、ここの使用人達は、皆好意的に接してくれますね」
「テオ様が素敵だからですよ」
こんな生きる彫刻のような殿方がいれば、皆喜ぶのは当然だ、とクラウディアは思っていた。しかしテオはそれを否定する。
「貴女が大切だからですよ。こんな爵位もない男であっても、貴女の婚約をみんなが祝っている」
爵位がない、という言葉にクラウディアは改めて考える。ルグランという姓の貴族はいない。つまりテオは貴族ではないということだ。
しかしあの仮面舞踏会は、貴族、もしくは貴族に身分を保証された者でないと参加できない決まりになっている。つまりテオは貴族でなくても、貴族に保証された人間であったから、不審なところがないとも言える。だからクラウディアは平民であることを気に留めていなかった。
さらに言ってしまえば、婚約できさえすればあの時はよかったので、あの場にいる誰でもよかったのだ。
「貴族でないことに抵抗はないのですか?」
テオが聞くと、
「ありません。あの場にいれば、身分は保証されていますから」
と答えた。クラウディアの即答にテオは嬉しそうに笑うと、「お茶でもどうですか」と勧めた。きっとそれをカール達は予期していたのだろう。テオの部屋には2人分のティーセットが置かれている。
「喜んで」
クラウディアはテオの申し出を素直に受けた。クラウディアもテオという人物がどんなことを考えているのか知っておきたいとは思っていた。今のままでも十分嫌われる要素はあるだろうが、嫌われるためには、相手のことをよく知っておく必要がある。
お互いを知るために一つずつ質問をするルールにして、ティータイムが始まった。
護衛のリヒトはヴァルトブルグ家の騎士の訓練所へ行きたいということで、出ていき、2人きりになってしまった。
婚約していなければ、未婚の男女が2人きりで部屋にいることはありえないことであったが、2人は一応婚約しているから、問題はない。
クラウディアは、少し緊張するものの、友達だと思えばいいというハンナの言葉に従うことにする。
「年齢はおいくつですか?」
まずクラウディアが質問をした。
「22です。クラウディア嬢は?」
「18です」
それぞれ結婚適齢期と呼ばれる年齢だ。
この容姿を持つテオはさぞかし女性から人気であっただろう、とクラウディアは考える。クラウディアも女性の結婚適齢期であったが、残念ながら王子に夢中であり悪名高かったせいで、浮いた話は一度もなかった。
「テオ様のお仕事は?」
「今は、平民向けの税務と法務関係の仕事です。以前は騎士を目指していたこともあり、リヒト卿とはその頃からの仲です」
爵位を持っている人間であれば、護衛のための騎士が存在するのは当たり前のことだった。クラウディアも基本外出する時にはヴァルトブルグ家の騎士がつく。しかし、テオのように貴族でなくても護衛がつくということは、余程資産の大きな家ということなのだろう、と推察できた。
「騎士を目指していたのですか!すばらしいです。私は乗馬でさえろくにできなくって。あ、でも税務のことについては、よく私も事務所の方に相談に乗ってもらっていて……」
あ、やってしまった。
クラウディアは一瞬口を止めた。
この国の貴族の男性は、貴族の女性が経営などの分野に関わることを嫌う。事業開拓なんて女性がやることではない、と思われているのだ。クラウディアは現在侯爵代理として、領地経営をしているため、貴族男性からさらに疎まれてしまう要因だった。
「それなら、私も相談に乗れますね。領地経営は大変でしょう」
それなのに、テオは嫌がる顔一つしない。クラウディアにとっては新鮮な感覚だった。
クラウディアの仕事のことを素直に認めてくれるのは、使用人達や親戚である公爵や公爵の長男くらいだったため、テオの発言は意外でしかない。
「親戚の公爵様にまだまだ頼ることが多いので、私なんかひよっこです」
「領地をうまく回していくことは、並大抵のことではないと思っていますよ。クラウディア嬢がまだ18歳でそこまで頑張っていらっしゃるとは」
「ありがとうございます。ぜひ今度ご案内したいのです。ここの領はとても素敵な場所なんです。父達が残してくれたものを、私も残し続けたくて……」
話し過ぎたかな、とテオの顔色を伺うものの、テオは依然としてニコニコとクラウディアの話を聞いてくれている。
本当に優しい人なんだな、テオ様は。
クラウディアは素晴らしいのは容姿だけではないのだと改めて思う。
「クラウディア嬢は、どんなことが好きですか?」
「好き……領地経営以外でですか?」
「仕事以外にしましょうか」
クラウディアは考えてみたのだが、好きなことが真っ先に好きなことが思い浮かばない。クラウディアは10歳の頃から、公爵に教わりながら領地のことを学んできていたため、貴族の女性がする教育をほとんど受けていなかった。だから刺繍も音楽もきっと子供よりもできないだろう。
「お、お花とかですかね。お花を見るのが好きです」
ノートン家の別邸には見事な庭園がある。クラウディアは幼い頃から兄とそこで遊ぶことが多かったことを思い出す。
「花ですか。それならプレゼントは花束がお好みで?」
「花束……今までもらったことがなかったので、嬉しいです」
「じゃあ、私が初めてクラウディア嬢に花束を渡す人になったのですね」
クラウディアは意識していないはずなのに、顔が赤くなるのを感じ、目線を逸らす。なんと話の上手い人なのだろう。やはりテオは平民貴族問わずかなりモテたに違いない。クラウディアは自分の照れを勘付かせないように、質問を続ける。
「……テオ様の、好きではない女性はどんな女性ですか?」
「好きではない?」
「えっと、苦手な女性のタイプ、と言いますか……」
婚約破棄してもらいたいので、そういう女の人になろうと思っていますとは言えないが、参考にしようとクラウディアは聞いてみる。
テオは質問の意味がわからなそうにしていたが、「貴女と正反対の女性、ですかね」と悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「あんまり答えになっていませんけど……」
「ではクラウディア嬢の好きではない男性はどのような男性で?」
クラウディアは考えてみる。好きということを意識したことは、王子以外なかった。とはいえ王子のどこがいいのか今聞かれても、なぜか答えられない。顔で好きになったわけではないし、クラウディアにとっては性格も良いとはいえないだろう。クラウディアに優しくしてくれた記憶もない。
あれ?なぜ王子を好きになっていたんだっけ?
テオの問いから発展して、クラウディアの疑問が大きくなる。しかし、ずっとそればかり考えていてはテオの問いに答えが出ない。
「……えっと、えっと……好きではない、だと、自分のことを嫌だと思っている人、でしょうか」
結局出てきた答えは、当たり前すぎる答えだった。
「それなら、私はクラウディア嬢の好きではない男性ではない、ということがわかりますね」
「……そうなんですか?」
「はい、そうです」
テオはさらりと恥ずかしいことを言ってのける人だ、とクラウディアは考える。貴族に負けないくらい話が上手い。
そのことに感心しながらも、クラウディアはどうしたら破談できるのかばかりを考え、その後もテオに苦手なこと、嫌いなことばかりを聞き続けていったのだった。
テオとのティータイムが終わり、執務室へ行くと、その机の上には薔薇の入った花瓶が置かれていていることに気がついた。おそらく気の利いた侍女が持ってきてくれたのだろう。
「薄紅の薔薇、綺麗ですね」
書類をクラウディアに渡すためにやってきたカールが言った。クラウディアは頷く。
テオが優しい人であるということはよくわかった。その分、こんな自分とは全く釣り合わない。容姿も、性格も、テオに勝る部分はひとつもない。だからこそこんな女よりも相応しい人のところと結婚すべきなのだ。
クラウディアは薔薇の花を見つめながら、しばらくそのことを考えていた。
「そんなことよりもまずは仕事仕事!」
切り替えをすべく、クラウディアは自分に言い聞かせ、書類に目を通していくのだった。