2 侯爵代理は絶望するしかない。
この仮面舞踏会は仮面舞踏会の名の通り、全員が仮面を被っており、誰が誰なのかさっぱりわからない。`独身であることは保証されているが、相手がどんな顔かはわからないし、家柄も把握できない。30分しか時間が許されていないので、クラウディアには人柄さえ知ることができない。
「顔はどうでもいいわ。気にしない。身長とかそういうのもどうでもいい。ああ、女関係は嫌ね。いくらこの後すぐ破棄するとはいえ、女に人気がありすぎる人だと、後で敵を作りそうだわ」
30分で婚約するためにクラウディアの出した条件は2つだった。
その1、今の時点で女を侍らせていないこと。
これは比較的簡単な条件で、女性と一緒にいない男性に話しかければいい。
その2、クラウディアを知らない人間であること。
現在のこの国でのクラウディアの女性としての評判は最低ラインだ。侯爵代理という地位で嫉妬されているというのもあるが、この全く嬉しくない二つ名『金狂いのクラウディア』のせいでだいぶ誤解されている。そのため、告白した時に素顔を見せた時点で断られるのが目に見えているからだ。
クラウディアは急いで休憩室を出て、廊下を出来うる限りの早足で歩いていく。
再び戦場であるダンスホールへ戻ったクラウディアは、文字通り男を物色し始めた。
1人でいる男を見つけては、「ご機嫌よう、殿方。あなた、『金狂いのクラウディア』という方をご存知かしら」と話しかけていく。「知っている」と答えれば、礼を言って過ぎ去っていく。10人には話しかけただろうか。クラウディアから話しかけたので、続けてダンスに誘われることもあったがそれを固辞し、ひたすら、話しかけていく。
「こんなに殿方と話したのは初めてだわ……」
そして後10分を切っているというのに、未だに『金狂いのクラウディア』を知らないという男には出会えない。どれだけ悪名高いのだ、と流石のクラウディアも精神をやられそうだ。
もう舞踏会も終わりに近いせいか、男女で話していることが多く、1人でいる男はほとんど残っていない。
未だにあのワインが体に残っているのか、うまい具合に体は言うことを聞いてくれないのもうまくいかない一因だった。
クラウディアは、壁に手をつき、頭痛のする頭に酸素を送るべく、深く息を吸い込んだ。
「誰か、あと誰か、いないかしら」
クラウディアが、顔を上げた時だった。
ふ、と顔を上げた先に立っていた濃紺色の髪の長身の男と目が合う。男の仮面越しの金色の瞳が、きらりと輝いている。向こうがにこりと笑いかけてきた、ような気がした。
向こうも目があったことに気づいたのだろうか。クラウディアの方へ近づいてくる。
「良い夜ですね」
男がクラウディアに話しかけてきた。周りに女はいないようだ。
条件その1はクリアしたわ。クラウディアは心の中でガッツポーズをする。
「ご機嫌よう」
クラウディアは仮面の下では平静を保とうと努力しながら返事をする。
「あなたは、『金狂いのクラウディア』という方をご存知ですか?」
すぐに男は答えず、クラウディアの方をじっと見ていた。これは『知っている』と言う意味なのだろうか、とクラウディアは焦りながら考える。やけにその沈黙は長く感じられた。
「……いいえ。存じ上げません。どなたのことですか?」
男は口元で笑顔を作りながら言った。
クラウディアは逃すものか、と男の手を左手で握った。初対面の相手に対して、貴族の女性としてはしてはいけないことだが、なりふり構っていられない。後、そう、後5分もないのだ。
「本当に、ご存知ない?」
確認するためにもう一度聞く。
「ええ、存じ上げません」
男ははっきりと答えた。
捕まえたわ。後は、あなたが『はい』と言ってくれるのを祈るだけ……!勝率はきっとほとんどない、でも多分これを逃したら、私の財産は全部なくなってしまう……!
クラウディアは握りしめすぎて萎れそうな可哀想な薔薇を右手にもった。一度きりしかできない勝負に今挑む。
クラウディアは仮面を外す。
「私、クラウディア・ヴァルトブルグと申します。殿方。私と…………私と、結婚してください」
薔薇を差し出すと、男は呆気に取られているように見える。それはそうだ。おそらく初対面なのに、この女はプロポーズしているのだから。金のためにプロポーズしたクラウディアもあまりにその沈黙が怖くて、顔を上げられない。
クラウディアが仮面を外しプロポーズしたことで、周りにいる貴族たちから一気に注目を浴びているのがわかる。
あまりの沈黙の長さに、だめか、と諦めた時だった。
「はい」
肯定。
「え?……今、なんて……」
クラウディアは聞き間違いかと思い、顔を上げた。
「はい、と言いました」
男はクラウディアの差し出した萎れかけている薔薇を受け取った。
「う、嘘……」
クラウディアは信じられない、と口元を押さえる。
「嘘を言ったのですか?」
男が首を傾げて言った。
「い、言ってません!本気です!とても、とても本気です!」
そう、お金のために、私は本気なんです、とまでは言ってはいないが、まさか承諾してもらえるとは思ってもいなかったクラウディアにとっては、奇跡に近い。
しかし、これで終わりではない。もう一つクラウディアにはやらねばならないことが残っていた。
「すみません、殿方。ついてきてもらえませんか」
「え?あ、はい」
クラウディアは周りから注目を浴びているのを気に留めずに、男の腕を引き会場内を闊歩する。そう、目指すのはあの2人のいる場所。もしかしたら先程のプロポーズよりももっと恥をかくことになるかもしれないが、金のため。クラウディアにとっては全てが金のためだった。
「で、殿下!アイリス様!」
人をかき分け、見つけた!とクラウディアは2人の前に立つ。2人はもう婚約が成立したようで、仮面をお互い外していた。
「クラウディア・ヴァルトブルグ……」
エドワードは忌々しそうにクラウディアを見てくるが、そんなことに気は回らない。
「今までの無礼、たいっへん!申し訳ございませんでしたっ!!!」
クラウディアは今できる最大限の詫びを入れるため、両膝両手をダンスホールの床につけた。あまりのその声の大きさに、楽団の指揮の手が止まり、音楽が止む。
両膝両手をつくことは、相手に対する最大限の謝罪に使われる。もちろん貴族は滅多に行うことはない。ましてやこのような場所で、貴族の女性が行うなんてことは、きっとこの会場にいる誰もが見たことはなかっただろう。
ストロベリーブロンドの髪をもつ伯爵令嬢のアイリスは、両膝両手をついているクラウディアに、かなり驚いているようだった。
「アイリス様。本当に、本当に申し訳ございませんでした。アイリス様の美しさ、殿下の一心の愛情を受ける姿に、私、勝手に嫉妬をしていました。なんて愚かなことを……」
「クラウディア様……」
「私、気づいてしまったのです。今日私の婚約が成立した時、私はお二人になんて酷いことをしてしまったのかと……取り返しのつかないことだとわかっております。それでも、今日謝らなければ、私の気がすみませんでした……」
半分は事実だ。もし全財産が没収されたのなら、取り返しがつかないことなのだから。
クラウディアは顔を上げ、アイリスに目を合わせる。
「いかなる罰でも受けます。アイリス様」
あえてクラウディアはアイリスを名指しした。エドワードに話しかけたら、無慈悲なエドワードのことだ、爵位返上、国外追放、そして全財産没収の3コンボは避けられなさそうだからだ。
アイリスは、女神とも思える微笑みをクラウディアに向ける。
「クラウディア様。私、気にしておりません」
「え?」
「クラウディア様がいつも私に忠告していただいたおかげで、殿下の隣に立つのに相応しいよう努力することができました。自信をつけることができたのです」
立ってください、クラウディア様。素敵なお召し物が汚れてしまいますわ。とアイリスは優しい声で言った。
「アイリス様……」
なんて優しい人に意地悪をしてしまっていたのだろう、とクラウディアは心苦しくなる。
「アイリスに感謝するんだな。クラウディア・ヴァルトブルグ。お前が今日この場でまたいつもの迷惑行為をしたならば、爵位返上くらいはさせてやろうと思っていたところだ」
エドワードははあとため息をついて、愛しの婚約者を引き寄せる。
やはり、それは考えていたのね、とクラウディアは心の中で笑うしかない。この婚約という選択は大きくは間違ってはいなかったようだった。
「それで、クラウディア・ヴァルトブルグ。お前の婚約者とやらはどこだ?その風変わりな奴を見てみたい」
なんたる嫌味だ、と思いながらクラウディアは立ち上がろうとした時だった。スッと目の前に手が現れた。
「我が婚約者様。急に歩き出すのでびっくりしました。もう用事はお済みですか?」
手の主はあの濃紺色の髪色の男だった。クラウディアはありがたくその手をとって立ち上がる。
「私の婚約者様。婚約を受けた方も仮面を外す決まりとなっているのです」と小さい声で囁いた。
「そうなんですね」
男が仮面を外した。
周囲が一斉にざわめいた。婚約者になったクラウディアも目を見開くしかない。もちろんクラウディアは彼の顔を知らずに告白をしたからだ。
こんなにも、美しい顔をもつ男だったとは。
濃紺色の髪を後ろに撫でつけたその整った顔立ちは、まるで有名な彫刻家が作り上げた一級品のようだった。金色の切長の目は、男なのに色気さえ感じさせる。通った鼻筋に触れてみたくなるようだった。
「お前は……」
エドワードが何かを言おうとした時だった。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。初めまして。エドワード王太子殿下。そして婚約者となられましたアイリス令嬢。私、テオ・ルグランと申します。クラウディア嬢の婚約者です」
クラウディアも初めて会ったばかりの男がここまでのことをやってくれるとは思わず、唖然とするほかない。
「クラウディア様、ルグラン様。おめでとうございます」
おっとりとしているアイリスは、嬉しそうに笑う。アイリスにとってはあまり男の容姿は意味がないらしい。
「いえ、殿下たちへのお祝いの言葉が遅れたこと、申し訳なく思います」
男がにこやかに言う。
ぎゅ、と男から強く握られた手に、クラウディアは我に返った。
「あ、改めておめでとうございます。殿下。アイリス令嬢。温情をいただき、本当にありがとうございます。お二人のお幸せを心から願っております」
エドワードはため息をついて、アイリスの肩を優しく抱き寄せ、クラウディアとは反対の方向へと歩き出す。もうクラウディアとは会話もしたくないらしい。アイリスはクラウディアと少し話したい素振りを見せていたが、それは叶うことなくペコリと小さく会釈をして共に歩いていく。
それはそうよね。だって嫌われていたものね、どうして私、ずっと気づかなかったのかしら。
振られたに近いクラウディアだが、やけにスッキリしている。多分それは、全財産没収を防げたからだろう。
さあ、次に「さっきの話はなかったことに」と男に言おう、とクラウディアが男を見たその時だった。
「感動しましたぞ!ヴァルトブルグ侯爵代理!」
「ふぇ?」
クラウディアに話しかけてきたのは、父の知り合いでもあったという伯爵だった。彼は既婚者であるゆえ、仮面をつけていない。その彼は、グスンと涙ぐみながらクラウディアへ近づいてくる。
「えっと、モール伯爵。お久しぶりです」
クラウディアはドレスを持ち上げ、礼をする。
「ああ、あなたの父上にもお見せしたかった。天国でさぞ安心されたことだろう」
「えっと、なんのことでしょう?」
こんな娘が膝をついて大勢の前で謝る姿を見て、どこが安心できるというのだ、嫌味か。とクラウディアは思っていたが、どうやらモール伯爵は本心から言っているらしい。
「私は本日の仮面舞踏会の公証人の役目につかせていただいていたのですぞ。なんと名誉なことでしょう。王太子殿下の婚約証明書にサインしたのが私だなんて」
「それはおめでとうございます」
仮面舞踏会での婚約成立は、たとえ両家に認められなくても成立するという異例のルールである。そのため、この会場内では公証人が常に待機しており、告白が成功したカップルの名を婚約証明書に記していくのだ。公証人にとって、王子の婚約証明書を見届けたことは栄誉であることに違いない。
「さらに、クラウディア・ヴァルトブルグ侯爵代理。あなたの婚約まで見届けられるとは……なんと素晴らしい夜だったのでしょう」
「モール伯爵、つまり、私の婚約も……」
モール伯爵は感涙しながらも、クラウディアにやけに立派な紙を手渡した。
「もちろん、即座に婚約証明書に、あなたとテオ・ルグラン氏の名前を刻ませていただきました。はい、こちらは婚約証明書です。2枚目は貴族院の方へ提出しておきますので、ご安心あれ」
「ま、待ってください。モール伯爵。わ、私は」
一年に一度のみ行われる仮面舞踏会での婚約成立は、一件あるかないかである。しかし、今年自分が公証人のときには二件もあった、と浮かれ気分のモール伯爵の耳には、クラウディアの声は届いていないようだった。
「では、良い夜を」
「ありがとうございます」
モール伯爵の別れの挨拶に代わりに返事をしたのは、クラウディアの婚約者となったテオ・ルグランだった。
クラウディアは急いでその婚約証明書を開き、中身を確認する。もちろん読まなくてはならない箇所は、クラウディアが一番確認しなくてはならないところだ。
「……一方的な婚約破棄の場合、その相手に財産の半額を支払うことにする…………って、そんなああああ」
先程は、全財産没収、次は財産の半額!?もう婚約が成立している?!
クラウディアの持つ婚約証明書に書かれた一文は、もう今からではどうしようもできるはずがない。
あの一気飲みをしたワインのせいだろうか、それともこのたった30分の逆転劇の心労が祟ったせいなのだろうか。
「あ、れ?目の前が、暗……」
クラウディアの仮面舞踏会の記憶はここで途切れているのであった。
ストックがあるので、毎日夜に投稿できたらと思っています。
初めてなので、色々ミスがあると思いますが、よろしくお願いします。