第二の覗き見と決意
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
諦められない恋心のために努力をしなければ!
と意気込んだはいいものの、具体的に何をしたらいいのか正直なところよくわからなかった。
幼少期から父と兄たちに過保護に育てられた上に、母の実家で騎士見習いとしての訓練を受けている間も本人の知らぬところで母方の祖父である現伯爵と、次期伯爵である叔父の手の者に、騎士や騎士見習いの男性との接触を必要以上に持たないように工作されていたので、男性とどのように仲良くなったらいいのか という知識など皆無に等しかった。
最近仕入れた恋愛の知識の元は例の恋愛小説だが、
(この小説の中の”ヒロイン”は王子様に一目惚れされているのよね…。)
小説では、男爵家のヒロインが町で見知らぬ男性たちに絡まれたところを王子様に助けてもらい、可憐なヒロインの様子に王子様が一目惚れをする という”素敵で運命的な出会い”を果たし、お礼にヒロインが王子様と知らずに町を案内し、その最中に互いに惹かれ、恋に落ちていく という内容だった。
(出会い、ということであれば先ほど果たしてしまったのだけど…。)
覗き魔認定されてしまう可能性のある状況での出会いが”素敵で運命的な出会い”とは言い難いことは経験値の低いライラでもわかった。
(わたしに必要なのは”自分に一目ぼれした相手とどう仲を深めるか”ではなくて、”自分に興味のない方にどのように好意を持っていただくか”なので、この本はあまり役に立ちそうにはないわね。)
現実は本のように上手くはいかなさそうな事に少し落胆し、物思いに耽りながら教室までの道のりを遠回りしながら実験棟の廊下を歩いていると
男子生徒と女子生徒が何やら揉めている声が聞こえてきた。
廊下を曲がり切らず覗いてみると、いかにも貴族らしい、といった風貌の男子生徒が女子生徒に詰め寄っているようだった。
何もわからないまま手や口を出すわけにいかないので、何が起こっているのか一旦は入隅から現状把握することにした。
(なんだか今日のわたしは覗き見ばかりしていないかしら..?このままだと覗き見令嬢などという不名誉なあだ名がついてしまうかもしれないわ…。)
などと真剣に悩んでいると
「ほら、観念したら?こんな時間にところに人なんて来るわけないし、素直に僕の言うことに従った方がいいと思うけど。」
捉えようや関係性によっては口説き文句と受け取れないこともないセリフではあったが、
「あの、困ります。何度もお断りしてるではないですか…!」
涙目になりながらも気丈に声を上げている女子生徒は、鞄を両手で抱えて肩を少し震わせていた。
「僕の家が伯爵家なのはわかっているよね?その僕のお願いを平民の君が断る というのかい?」
笑顔だが、明らかに脅しているような口調で女子生徒との距離を詰めようとする。
「し、しかし、学園の規律では学園内では学外での身分や権力の行使を禁止する。とあります!なので私があなたに従わなければいけない道理はありません!」
身分の差を持ち出されても引き下がらず懸命に反抗している女子生徒を見て
明らかに痴話げんかでもなく、一方的に理不尽を押し付けているようだったので、ライラは介入しようと考え始めた。
(伯爵家ともなると私が出て行ったからといって素直に引き下がってくれるかわわからないわね。さすがに貴族家間のもめごとには発展させたくないだろうからあまり面倒な展開にならないとは思うのだけど…。どちらの伯爵家かわかれば、もう少し対策を考えられる…?)
そう思って相手の伯爵令息を注意深く見てみようとすると、
「学園では ね。確かに学園ではそうだろうけど、君のご実家はどうかな?僕の家との取引がなくなったら困るのではないかな?」
その言葉で、女子生徒は瞳に動揺と絶望の色を映し、うつむいた。
伯爵令息はその女子生徒が観念したと思ったのか、胸の前で鞄を抱えていた両手のうち片方の腕を乱暴に握った。
女子生徒はビクッと肩を震わせたが抵抗はできなさそうだった。
(このままではいけないわ!)
それ様子を見たライラは、相手伯爵令息の情報はわからないままだったが飛び出そうとした。
その時
「あら?」
ライラが覗いていた入隅とは反対側から、その一言だけで高貴さが伝わってくるような、透き通った芯のある声の主が姿を現した。
「わたくしがお使いをお願いしたのにまだ返ってこないと思って探しにきてみれば、こんなところにいたのね。」
(エカテリーナ様…!)
同じ制服を着ていて、立っているだけのはずなのに、その姿からは気品が溢れている。
ただ下ろしていた右手を頬にあてるだけの動作のはずなのに、腕や指先の動きは滑らかで、彼女から目線が離せない。困ったように小首をかしげてほんのりとした薔薇色の頬に手を当てて微笑をする様は、すべてが計算し尽くされているかのような完璧さだった。
突然介入された伯爵令息も、うつむいたまま腕をつかまれていた女子生徒も、飛び出していくはずだったライラでさえも、視線や思考、全ての意識を持っていかれてしまっている。
一番先に我を取り戻したのは伯爵令息だった。腐っても伯爵家。高貴さに圧倒されるだけではない、といったところか。
何事もなかったかのように、手を女子生徒の腕から離し、そのまま自分の胸の前に持っていきエカテリーナに対し笑顔で礼をとる。
「こ、これはこれは、エカテリーナ様。このようなところにどのような御用で?」
それに対し、全てに興味がない といった様子で礼に返すこともなくエカテリーナが答える。
「聞こえなかったかしら?わたくし、そちらの方にお使いをお願いしたのだけれど、待っていても来ないものだから、わざわざ探しにきたのですわ。」
伯爵令息も簡単には引き下がらない。
「おや、エカテリーナ様がこの娘と交流がお有りとは存じ上げませんでしたな。人違いではないでしょうか。」
公爵家の令嬢だから礼をとるが、伯爵家の令息である自分が言いなりになる理由はない といったところか。
身分制は持ち出さないのが学園の規律であるし、いくら親の爵位に上下があるとはいえ、実際に実家を継いでいるわけでもいない令嬢・令息のやり取りで高位貴族家間の関係性が簡単に影響されるわけがない。
と踏んでいるこの伯爵令息は平民の女子生徒との問題にエカテリーナの介入を許さないつもりなのだろう。
「あなたは何をおっしゃっているのかしら?」
エカテリーナはそう言って伯爵令息を一瞥した後、女子生徒の目を見る。
「タバサ・シュトルム、まったく、この様なところで油を売っているだなんて、どういうつもりかしら?このわたくしに、授業に教科書を忘れていくような恥をかけというの?」
高貴さや気品だけではない。有無を言わさぬ、否定することなどできない、そんな魔力でも込められているのではないかと思えるような燃えるようなルビー色の瞳で見られた女子生徒は、自分の名前を呼ばれたことに驚いたのか目を丸くさせていたが、自由になった腕で再び鞄を抱きしめ、すこし震えたまま口を開いた。
「は、はい!申し訳ございません。」
声は少し震えているが、先ほどの絶望の色は瞳から抜けているようだった。
「わかったなら早くその教科書の入った重たそうな鞄を持って、先にわたくしの教室に向かって準備をすることね。」
言われてはっとした女子生徒、タバサ・シュトルムは、頭をばっとエカテリーナに下げ、小走りで彼女の横を通り階段を降りて行った。
残された伯爵令息は、学園で王族を除けば最も高貴な身分と言っても過言ではないエカテリーナが、平民の一般生徒の名前を憶えているなどと予想していなかったのであろう。笑顔のままでいるが自分の思惑通りにいかなかったことに不満そうであった。
「と、いうことなの。わたくしが先約だったのだから当然譲っていただけますわよね?イエール伯爵家のモリス様?」
自分の名前どころか家名と爵位まで把握されていると思わなかったのか、少し驚いた様子で目を見開いた。
「もちろんです。まさか僕の名前まで憶えいていただけていたとは、光栄ですね。」
そう言ってモリス・イエールは貴族らしい笑みを浮かべた。
「もちろんですわ。イエール伯爵には王宮にて以前ご挨拶をさせていただいたことがございますし、とても優秀なご子息がいると伺っていたものですから。」
エカテリーナは先ほどの不遜にも見えた態度とは打って変わって、高位の貴族令嬢に相応しい、甘くやわらかでありつつも決して媚びを感じさせることのない笑顔を向けた。
「ですので、このような所で偶然にもお会いできて嬉しいですわ。」
そう言って微笑む様は、大輪のバラのように艶やかでありつつも、淑女らしく慎ましやかにも見えた。そうして二言三言談笑をしたかと思えば、
「レディ、せっかくですので教室までエスコートさせていただいても?」
エカテリーナの言動に気をよくしたのか、先ほどまでとは別人のように丁寧で貴公子のような態度で左腕を胸に、右手を差し出してエスコートを申し出た。
「えぇ。よろしくってよ?ただ、教室の近くで側仕えを待たせてあるの。だからそちらまでで結構ですわ。」
エカテリーナは差し出された手にしなやかに手を乗せて応じた。
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(エカテリーナ様、素晴らしすぎるわ!わたしの出る幕はなかったわね…。)
エカテリーナの納め方はライラには真似のできない、高位貴族ならではのやり方だった。
実家の爵位を把握してるだけでなく、父親の伯爵とも面識があることを引き合いに出し圧力をかけるのかと思えば、モリスを持ち上げ、立場を失わせずに自尊心を満たす。
モリスは当初の目的こそ果たせなかったが、この学園で正真正銘の最高位の令嬢と接点を持てただけでなく人目のある教室の近くまでエスコートできるのだ。
お近づきになれた、と家に報告しても過言ではないであろう。
あの様子を見るにかなりまんざらでもない様子だったし、あの女子生徒、タバサに憂さ晴らしや八つ当たりに行く ということなどなさそうだ。
(あの尊大で周りに有無を言わさぬ態度に、女性らしい曲線を描くお身体に決して下品ではなく高貴さがにじみ出る一つ一つの仕草。殿方を一瞬で虜にしてしまう艶やかな表情。まさにあの恋愛小説の悪役令嬢”だったわ…。)
間近で見ていたわけでもないのに、反芻しては、ほぅ とため息がでてしまうようなエカテリーナの振舞に感嘆していた。
(あのような魅力を、色気や艶、女性らしさ、というのかしら…。)
エミリオの好みの女性を思い返してふと、考えてみる。
確かにエカテリーナの様子は、たまたま見ていただけのライラですら虜にしてしまうのだ。男性が正面から受ければ、その効果・破壊力は計り知れないであろう。
そこでライラはある事実に気づいてしまう。
(エミリオ様のお好みは、ヒロインではなく、まさに悪役令嬢のようなのでは?)
本の中の悪役令嬢の様に実際に誰かをいじめたり、学園から追いやろうとしたりする必要はないが、所作や女性らしさという点では、学ぶところが多いように思えた。
(わたしが参考にするべきはヒロインではなく、悪役令嬢だったんだわ!)
新たな着眼点に気づき、興奮冷めやらぬ様子で決意を新たにした。
(そうだわ!素敵な悪役令嬢になるために、エカテリーナ様に弟子入りをして、まずは悪役令嬢見習いになりましょう!)
ライラの中の常識である、騎士になるためには騎士団に入団し、騎士見習いになる という規則をそのまま悪役令嬢に置き換えた結果の発想であった。
読んでいただきありがとうございます!
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次回もどうぞよろしくお願いいたします。