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プログラム・8 -プログラム・エイト-  作者: 夢見 裕
第二章 罪深き記憶
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Memory 7 定まらない焦点

 周囲には薄暗い闇が蔓延していた。夜だ。

 僕は今、閑静な住宅街のど真ん中に立っている。隣には兵藤さんもいる。ここは既に記憶世界(メモリー・ワールド)の中だ。


 兵藤さん曰く、この記憶世界(メモリー・ワールド)の事件は『かなり妙な事件』らしく、前回同様に僕たちの記憶捜査の様子を二係全員(気絶しているござるさんを除く)が第一係室に集合してモニターで観察している。

 ちなみに、瀧波さんは僕が兵藤さんに認められていたのが気にくわなかったのか、べーっと舌を出す憎たらしい顔で僕を記憶世界(メモリー・ワールド)へとお見送りしてくれた。子供みたいな人だ。

 僕は周囲を見渡す。夜空に輝く明るい月明かりのお陰か、はたまた都会特有の人工的な光の漏洩か、不自由なく辺りを視認できるくらいには明るい夜だった。


「それで、何が妙なんですか?」


 僕の問いかけに兵藤さんは「ああ……実はな」と切り出した。


「これから見てもらう事件は解決済みの事件なんだ」

「解決済み?」


 眩しそうに月光を見上げながら言う兵藤さんに僕は疑問を唱える。話が見えてこないどころか、迷走しているように思えた。


「つい先日、俺と秋元で解決した事件でな。簡単なもんだった。なんせ、衛星カメラから出力した記憶世界(メモリー・ワールド)に犯人がばっちり映ってたからな」

「じゃあ僕たちはこれから何をするんですか?」

「原因究明さ」


 不明瞭な物言いをして兵藤さんは肩を落とす。


「一週間ほど前、都内の大学に通う男子学生『奥村誠(おくむらまこと)』が行方不明になったと通報が入った。そこで衛星カメラから出力した記憶世界(メモリー・ワールド)で奥村誠の足取りを追跡したところ、彼が帰宅途中、ある男に攫われるところが映っていた。その男は同じく都内に住む『萩原重明(はぎわらしげあき)』という人物だと判明し、その男の自宅を捜査したところ、浴室で奥村誠の惨殺体を発見。逮捕に至った」

「……もう何もやることがないように思えますが」

「ところがどっこい。容疑者『萩原重彰』のFANTASYによる精神分析結果は『異常なし』だったのさ」

「異常なし? じゃあ萩原重彰は……」

「既に釈放されている」

「莫迦げていますね」


 けれど仕方がない。今の刑事法体系がそう創られているのだから。

 一昔前までは容疑者を裁判にかけ、証拠などから罪状を暴き、見合った刑罰を下していたらしいけれど、でも今は違う。FANTASYが全てであり、FANTASYが法律だ。

 今回、FANTASYは精神分析の結果、萩原重明に対し『人格更生プログラム受療の必要なし』を意味する『異常なし』と診断した。それはつまり、今の日本の法律では『無罪』と同等ということになる。

 言い逃れできない状況証拠がありながら、だ。兵藤さんの話を聞く限り、どう考えても萩原重明が犯人か、あるいは少なくとも、事件に何かしらの関わりがあることは明白。莫迦げているとしか言いようがなかった。


「この事件の不可解なところはそれだけじゃない」


 兵藤さんはさらに付け加えて言う。


「実は容疑者の『萩原重明』という男、犯行の数日前に『プログラム・8』の受療を終えて出所したばかりの元受刑者だったんだ」

「そうなるともう、FANTASYに何か不具合でも生じていると考えるべきでは?」

「それがFANTASY自体は至って正常で問題ないらしい。現に、他の受刑者にはちゃんと見合った精神鑑定結果が診断されている」

「ということは、萩原重明という人物にのみ何かしらのイレギュラーが生じているか、あるいはこの事件に何かカラクリがあるのか、といったところですか」

「だから再捜査ってわけさ。この記憶世界(メモリー・ワールド)は萩原重明の記憶から再現した世界だ。より詳しく事件当時の状況を知ることができるはずだ。どんな些細なことでも構わない。お前さんにはこの記憶捜査で異変や違和感を見つけて欲しい。状況は理解できたか?」

「ええ。十二分に」


 僕としては既にFANTASYの故障を疑っているけれど。まあ見るだけ見てみよう。


「よし、じゃあ北見。さっそく再生を頼む」

「はいはーい」


 北見さんの陽気で妖艶な声が耳元で聞こえ、次の瞬間に無音だった世界が音に溢れた。世界が動き出したんだ。

 すぐに、こちらへ向かって歩いてくる男の姿が現われた。茶髪でやんちゃな髪型をした若者だった。頭にはヘッドホンをはめ、ケータイをいじりながら歩いている。


「あの危険な歩き方をした馬鹿そうな男が被害者の『奥村誠』ですか?」


 兵藤さんは「はっはっは! 噂に違わぬ口の悪さだな」と豪快に笑ってから、


「そうだ。確かに危険な歩き方だが、まあ悪く言ってやるな。彼はただの被害者なんだからよ」


 しばらく彼を追跡して見守っていると、兵藤さんが「ここだ」と注意を促した。すると突然、物陰から男が飛び出して奥村誠に背後から襲いかかった。

 その男は素早く奥村誠の首を絞めた。背後から腕を回して首を絞めるプロレスの絞め技『バックチョーク』のような首締めだった。


「~~~~ッ!? ~~~~が……ッ! ……ぐ……ぅ……っ!」


 奥村誠は強烈な首の締め付けに声も出せず、それどころか呼吸すらもできず、ただ懸命に藻掻いて抵抗していた。だが男のバックチョークがよほどキツく()まっているのか、外れることも緩まることもない。

 やがて奥村誠の顔が熟したりんごのように真っ赤に染まり、声もなく泡を吹いて気絶。動かなくなった。いや、もしかしたらこの時既に彼は絶命していたのかも知れない。


「言うまでもないが、この男が容疑者の『萩原重明』だ」


 兵藤さんが補足するように言った。

 萩原重明。見た目は三十代後半くらいで、これといって特徴のない、ただのやつれた男だ。けれど……僕は妙な違和感を覚えた。目が死んでいる。焦点が定まっていない。


 萩原重明は奥村誠を物陰に引きずり込み、用意してあったのであろう大きなバッグに彼を詰め込んだ。そしてそのバッグを担ぎ上げ、彼は堂々とした足取りで歩いて行く。向かった先は徒歩圏内にある彼の自宅、四階建て集合住宅の一階にある一室だった。


「ここから先は俺も初見だ。衛星カメラや防犯カメラのデータから再現した記憶世界(メモリー・ワールド)じゃ、家の中の様子まではわからねぇからな」


 兵藤さんの声を聞き流しながら萩原重明の後を追って家に入る。そこから先は……形容し難い地獄だった。

 彼は奥村誠を浴室に運ぶと、キッチンから持ってきた包丁でデタラメな解体を始めたのだ。

 無意味に包丁を突き刺したり、乱暴に腕を切り落としたり、肉を削ぎ落としたり――子供が残酷に虫を殺す時のような、そんな何の意味も持たない解体。それも、彼はただ無心に、表情一つ変えることのない無表情でそれを遂行していた。その様は狂気染みているとしか言い様がなかった。


「こいつは……とんでもねぇな……」


 血に染まった浴室を眺めながら、兵藤さんは目を細めて苦々しい声を漏らした。


「ええ……とても異様です」


 とても心を持つ人間の仕業とは思えない。こんな人間の精神が正常であるはずがない。正常であっていいはずがない。なのに、FANTASYは彼を『異常なし』と診断した。それこそ異常だ。


「この三日後に事件が発覚し、萩原重明は逮捕された。どう思う、雨宮?」

「どう思うも何も、正気じゃないとしか言えませんね。ちなみにですが、彼が逮捕されたのが三日後ということは、丸二日以上は遺体がこのままの状態で浴室に放置されていたってことですか?」

「そうなるな」

「では、ここから逮捕までの三日間の間、彼がこの浴室を使ったかどうかってわかりますか?」

「それなら早送りしてみればいい。――北見」

「はいはーい」


 耳元でまた陽気な北見さんの声。この状況にその声は酷く浮いていた。


「じゃあ早送りして、萩原重明が浴室を使う場面があったら通常再生に戻すわね」


 すると音がさざ波のように荒くなり、コマ送りで景色が飛ばされていく。まるで僕と兵藤さんだけ時間に置いて行かれたような、そんな感覚に陥った。

 辺りが明るくなり朝を迎え、萩原重明は何事もなかったかのように起床して歯を磨き、スーツを着て仕事へと出かけていった。そしてまた暗くなった頃、彼が帰宅してきて普通の生活を送る。とても人を殺した後の人間とは思えない生活振りだった。


 そして――時刻にして夜中の十一時。ついに彼が浴室に向かい、通常通りの再生速度に戻される。


 僕はただただ驚くしかなかった。

 彼は惨殺体の詰め込まれた浴槽の横で鼻歌を歌いながらシャワーを浴び始めたのだ。血の張られた浴槽になど目もくれない。いや……まるで見えていないかのように。ここまで来ると不気味を通り越して不可解だった。

 その翌日も彼は浴室を利用していたが、全く同じような光景の繰り返しだった。むせ返るような血臭と腐敗臭の中で、彼は動じることなくシャワーを浴びていた。


「おいおい……こいつはおふざけが過ぎるぜ。こんな男に異常がねぇって言うのかよ、FANTASYさんは」

「……兵藤さん。萩原重明は逮捕当時、どんな証言をしていたかわかりますか?」

「ああ、わかるぞ。『俺はやっていない。俺は真人間に生まれ変わったんだ。誰かが俺を貶めようとして遺体を運んで来たに違いない』とさ」

「彼と被害者に何か関係は?」

「何も。なぜこの男が奥村誠を狙ったのか、動機は謎だ」

「そうですか」


 明らかに妙だ。何もかもが異様すぎる。常軌を逸している。

 もし本当に萩原重明の精神に異常がないのだとすれば、考えられるのは……。


「どうだ、何かわかったか?」

「……いえ、現時点ではなんとも」


 僕は頭に浮かんだ仮説を振り払った。それはあまりに莫迦げている空想だったからだ。


「そうか……期待の新人でもわからねぇか……」


 困ったようにがしがしと頭を掻く兵藤さんの横で、僕は萩原重明を見据えた。じっと、ただその目だけを。


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