Memory 2 愚者と賢者
時間になり、僕は御堂島さんに連れられて地下三階へと上がって『記憶捜査第二係』とプレートに書かれた部屋へと入った。
「ねぇ秋元ー。お茶ちょうだーい」
「御意にござる! この腕を付け終えたらすぐに用意するでござるから、もう少しだけお待ちくだされ!」
「腕を付けたらって……またそんなオモチャ作ってるの? それで何体目よ?」
「何を言うでござるか! これはオモチャではござらん! 『ガウス零式』と言って――」
早々に聞こえてきた喧騒。なんだか濃いキャラの気配。警察というともっと緊張感のある場所を想像していたため、この砕けた空気感には面食らってしまった。
何かの間違いで小学校の教室にでもワープしてきてしまったのだろうか。もしかしたらさっきの扉はどこでもドアだったのかも知れない。そんな疑惑が割と本気で湧いて出た。
「まずは皆に自己紹介でもしてもらうから、取り敢えずデスクに腰掛けててくれ。あ、お前のデスクは俺の隣のあそこな」
しかしおかしなことに、どうやらここは記憶捜査第二係の部屋で間違いないらしい。御堂島さんは室内の騒がしさなどまるで意に介さず、平然とした様子で自分のデスクへと向かっていった。
「じゃあ秋元、お茶はいいからそれ終わったら肩揉んでよ。なんだか最近、肩凝っちゃってー」
「な、何を言ってるでござるか! 女性の体は男が気安く触れていいものではござらん! 拙者は硬派な男でござる!」
「とか言って、女慣れしてないヘタレなだけじゃない」
「拙者は硬派なだけでござる! だいたい、百花殿は大して重い物がついているわけでもないのでござるから、肩もそんなに凝るわけが――」
「ああそうだよ胸が小さくて軽いからありがたいことに他の女子より凝らねぇんだよ悪かったなぁ、ああ!?」
百花と呼ばれた女性は男の首を掴んだかと思うと、口調を豹変させ、そのままプロレス技のフェイスロックのような首締めに持って行った。
「はぅっ! も、百花殿の控えめなお胸が、顔に……っ!」
「はあ!? 誰の胸が小せぇって!?」
「はぅああ……っ! し、至福……ッ!」
「こらこら、百花ちゃん。秋元さんが死んじゃうわよ? その辺にしなさい?」
逆上してさらにキツく首締めをする女性と、締められて悦ぶ変態と、それを叱りつける女性。いつもの光景と言わんばかりに気にも留めない様子の御堂島さん。まさに混沌。僕から言わせれば、動物園だった。
……ここは本当に警視庁なのだろうか。早くも再びそんな疑惑を抱いてしまう僕がいた。
「――というわけで、今日から俺たちの仲間に加わった雨宮巡査だ」
「雨宮佳由良です。よろしくお願いします」
場を仕切り直して御堂島さんが全員を各デスクに座らせた後、御堂島さんから紹介を預かって僕はぺこりと頭を下げた。
「二葉すずです。よろしくお願いします」
艶やかなロングストレートの黒髪に、垂れ目で物腰の柔らかそうな和風顔の大人びた女性。おっとりとした口調が特徴的で、さらにまるで日本人形を現代風に美化して具現化したみたいに整った容姿をしている。年齢は二十代後半ほどに見える。第一印象は『とてもまともそう』といったところだ。
「瀧波百花です。よろしく」
二葉さんとは対照的にちょっとツンとした空気を纏う女性。セミロングの赤髪をアップポニーで纏めた、少し子供らしさが残る雰囲気。精神的にも年齢的にも二葉さんより若そうだ。可憐という言葉がとても似合う、そんな容姿。この見た目からあのヤンキーのような口調と華麗な首締めが飛び出すのだから、そのギャップには正直驚きを隠せない。
「秋元智紀でござる。拙者は百花殿の忠実な犬でござる」
黒縁眼鏡に、手入れしていない盆栽みたいなもじゃもじゃ頭。見た目は三十代前半くらい。オタクっぽい空気が惜しみなく放たれている。
瀧波さんから「使えないダメ犬だけどね」と鼻で笑われ冷めた目で蔑まれていたが、秋元さんは逆に嬉しそうに頬を綻ばせていた。どうやらM気質な紳士のようだ。
「本当はもう一人、二係の担当係長がいるんだが、今日はお休みだ。また今度紹介する」
ということで御堂島さんが締めくくって、記憶捜査第二係の記憶捜査官自己紹介タイムが終了した。その人員の少なさに僕は少し驚く。新しく配属されたのも僕だけのようだ。
それに若い人が多い。警察というともっと熟練の年配者が多いイメージを持っていただけに意外だった。
「ちなみに雨宮は一班だ。俺とペアを組んでもらう」
「あ、はい」
御堂島さんに言われ、何のことかわからずにとりあえず返事をした。その後すぐ、班については彼から説明がなされた。
記憶捜査官は二人一組で記憶世界に潜るのが基本らしい。僕と御堂島さんが第一班。二葉さんと瀧波さんが第二班。秋元さんと今日お休みの誰かさんが第三班――という班分けになっているそうだ。
「最近は刑事部も人手不足らしくてな。さらに記憶捜査官になれるのは適性検査をクリアした者に限られちまうから、記憶捜査係に回される人員は極めて貴重だ。期待してるぜ、雨宮」
爽やかな笑顔でナチュラルにプレッシャーをかけてくる御堂島さんに辟易とした。僕はどちらかと言えば真面目な方であるため与えられた仕事は責任を持って処理する所存ではあるけれど、しかしかといって勤勉というわけでも、野心に溢れているわけでも、報酬や昇任に貪欲なわけでもない。期待は重荷だ。
僕が適性検査をクリアできたのも、そういった『ほどよい適当さ』があったからではないだろうか。記憶捜査官の適性検査とは、人工知能による精神分析の結果で決まるものになっている。とても大雑把に言えば、狂わない精神を持っているか否か、だ。
殺人事件を担当する刑事は現場で遺体を目にすることが多いのだろうけれど、記憶捜査官の現場とも言える記憶世界では様々な事件の〝瞬間〟が再現されるため、言ってしまえば、記憶捜査官は遺体どころか人が殺される瞬間を目の当たりにさせられることになるのだ。それも、必要に迫られれば何度も。専門家でもない僕でも、それが精神に及ぼす影響や、その危険性は想像できる。いくらバーチャルな世界での再現映像に過ぎないとはいえ、人によっては心が蝕まれ、狂ってしまうこともあるだろう。そのため、記憶捜査官になるには特別な適性検査を突破する必要があるのだ。
検査の方法は至って簡単で、物々しい機械に繋がれたヘルメットを被って診察台のようなところに寝そべるだけだ。あとは機械が勝手に脳を読み取って精神分析を開始する。今思えば、その適性検査を行っていた人工知能というのもFANTASYだったのだろう。
「どうだ? 皆に向けて何か一言でも」
「一言ですか……」
いきなりそんなことを言われても難しい。一体何を言えばいいのか、少し頭を捻らせる。
「……正直驚きました。警視庁ってとても堅苦しいところだと思っていましたが、まさかこんな騒がしいところだったなんて。まるで動物園かと思いました。こんな僕が馴染めるか不安ですが、よろしくお願いします」
結局、僕の口から出てきたのはそんな悪態だった。思ったことを素直に言ってしまう。勝手に口が悪さを働いてしまう。それは僕の悪い癖だった。
「ちょっと、なにそれどういう意味よ?」
やはり反感を買った。食いついてきたのは瀧波さんだった。キッと鋭く目を細めて直情的な怒りを露わにしていた。その様に先ほど入り口で遭遇した鬼のマネキン警官を思い出し、僕は握った両拳を頭上に持ち上げて人差し指をピンと立てた。瀧波さんは、まるで未知の生命体と遭遇したみたいに口を開けて怪訝な顔を浮かべた。
「……何それ?」
「あなたも〝コレ〟なんだなぁと思いまして」
「バカにしてんの……?」
「いえ、べつに」
僕はそのままひょこひょこと人差し指を動かしてみる。それが彼女の堪忍袋にトドメを刺したらしい。彼女はデスクを叩いて立ち上がった。
「さっきからなんなのその態度!? 人を動物園の猿みたいに言ったり、明らかにバカにしてるじゃない!」
耳がキーンとなるほどに張り上げられた声で、僕の眉間に思わず皺が寄る。
「僕は猿だなんて一言も言っていませんよ。自覚があるからそう聞こえたんじゃないんですか?」
「はあ!? はあ!? もう……はあ!?」
彼女は感情が爆発して言葉を見失ってしまったらしく、オーバーリアクションな海外の芸人の如く手を振り回して喚いていた。あるいは、まるで気功法の使い手が「はあっ!」と気を高めている最中のように見えなくもない。
何がともあれ、感情的になった人間ほど容易いものはない。攻略方法は、ただこちらが冷静に対処するだけだ。
「そもそも、僕はただうるさいと思ったからそれを率直に言っただけです。僕、思ったことをそのまま正直に言ってしまう性格なので」
「そもそもそういう問題じゃないじゃない! 私はその態度のことを言っているのよ! 新人のくせに……いや、そもそも初対面の人に対しての礼儀ってもんがあるでしょ! いくらなんでも生意気過ぎじゃない!?」
「ほら、またそうやって声を張る。人間拡声器ですかあなた」
「~~~~ッ!」
瀧波さんは顔を真っ赤にして怒りに震え始めた。すると〝主人〟を攻撃された秋元さんは勇猛に立ち上がった。
「女子だからと甘くみて黙って聞いておったが……ええい、拙者、堪忍袋の緒が切れそうでござる! いや、今まさに切れたでござる! 先輩に向かって何でござるかその態度! 人として神経を疑うでござる!」
「犬の分際で人を語らないでください」
「ござるぅ……っ! そうでござる拙者は惨めな犬野郎でござるぅ!」
ござるさんは興奮に打ち震えて身悶え始めた。しまった、失敗した。どうやら彼にとって僕の棘はご褒美にしかならない。
僕を咎めるはずが逆に調教されてしまっているござるさんの尻の割れ目に、「何悦んでんのよ」と瀧波さんの蹴り上げたつま先が食い込んで彼は喘ぎ声のような悲鳴を上げた。
一瞬にして嵐に巻き込まれたかのような有様へと変わった第二係室。二葉さんはおろおろしている。御堂島さんは頭を抱えていた。
「サイアク。せっかく入った新人がこんな性格のねじ曲がった奴だなんて。あーヤダヤダ」
再び瀧波さんの反撃。その余計な口数に、僕はムッとしてまた口を開く。
「賢者は話すべきことがあるから口を開く。愚者は話さずにはいられないから口を開く」
「……なによそれ? どういう意味?」
「いえ、べつに。ふと頭にプラトンのこの言葉が思い出されただけです」
「今のは明らかに私のこと愚か者って言ったようなもんじゃない!」
「そう思うのであればご自由に」
この場合、あるいは愚か者は、僕かも知れない。
「ほんっとサイアク。なにこのクソガキ。こういう奴に限って口先だけの役立たずなのよね」
「ガキ……?」
その一言に、僕は瀧波さんの控えめな胸と僕の胸を見比べ、勝ち誇った嘲笑を浮かべて鼻で笑ってやった。服の上からのため正確なところはわからないけれど、見た限りではまだ僕の方が大きい。
瀧波さんの表情が固まり、額に青筋が浮かんだのがわかった。やはり、重度のコンプレックスを持っているらしい。この人に胸の話題はタブーのようだ。
しかしさすがと言うべきか、そこですかさずござるさんがフォローに入った。
「わかっとらんでござるなぁ。小さな胸は百花殿の魅力でござる。この小ぶりで控えめで有るか無いかわからない程度の胸が可愛いのでござ――」
「さっきから何回小さいって言うつもり?」
「ったはああん!」
瀧波さんがござるさんの首を締め上げ、彼は喘ぎ声のような奇声を上げた。彼のそれはフォローではなく、まさしく死体蹴りさながらの追い打ちだった。
僕はその茶番を気にせず、「それに」と続ける。
「僕は少なくともあなたよりは役に立つと思いますよ。猿に負けるような頭脳は持ち合わせていないので」
「へぇ~言ってくれるじゃない……! じゃあ証明してみせなさいよ!」
「お、おい瀧波……」
「百花ちゃん……」
御堂島さんと二葉さんが瀧波さんを宥めようと間に入ってくれたが、沸騰中の彼女の怒りは収まらなかったらしい。瀧波さんは二人を無視して、
「今私たち二班が抱えてる捜査、アンタがやってみなさい!」
さらにキツくござるさんの首を締め上げ、挑戦状を叩きつけてきた。ござるさんは至福の顔を浮かべて泡を吹いた。