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プログラム・8 -プログラム・エイト-  作者: 夢見 裕
第五章 見ていた夢
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23/24

Memory 22 プログラム・8

 重くのしかかるような灰色の空と、誰かの憎しみと悲しみを体現したかのような土砂降りの雨。

 そんな息の詰まる薄暗い屋上に、彼はいた。一人の男の上にマウントを取り、鬼に取り憑かれたような顔をして刃物を振り上げて、今まさに、それを振り下ろそうと。


「御堂島さんッ!」


 僕は精一杯の声を張り上げて、ディザーガンを構える。この事件の首謀者と思しき男に、ではなく、御堂島さんに向けて。


「雨宮……何のつもりだ!? どうして俺に銃を向ける!?」

「あなたのために、です」


 僕は迷いなく、凜として言い放った。


「おや、雨宮佳由良さん。そして瀧波百花さん。またお会いしましたね」


 御堂島さんの下で身動きが取れない状況でありながら軽快な舌で戯れ言を並べたその男は、既に僕と百花さんの見知った顔だった。


「あ、あの人って……!」


 百花さんは驚きに目をひん剥いた。けれど、僕は驚かない。何が起ころうと、もう驚くことはない。

 御堂島さんに押さえつけられて身動きを封じられていた男は、青みがかった黒髪をしてメガネをかけた若い男だった。そう、勇希の人格更生プログラムについて話を伺った、あの男性所員――北条空だった。


「……御堂島さん。その男から離れてください。あとは、僕たちが引き受けます」

「引き受けて……どうするつもりだ?」

「逮捕するんです」

「ふざけるなッ!」


 激しい雨音を割って怒声が飛ぶ。


「雨宮……。やっぱり俺、こんな仕組みは赦せねぇよ」

「仕組み……?」

「前に言っただろ。逮捕したところで、犯罪者はFANTASYの更生プログラムを受けるだけだ……! コイツだって、もしそれで更生が完了しちまえば平然と元の生活に戻れちまう! あんなに人を殺したのに! すずを……殺したのに! そんなの赦せねぇだろ!」


 確かにそれは、居酒屋で口に出した御堂島さんの内なる〝陰〟の部分だった。それが今は剥き出しになっている。


「だから殺すんですか? その男を、あなたの手で」

「そうだ! 法がコイツを守るなら、俺が法の外に出るしかねぇ!」

「そんなの何の解決にもならないじゃないですか!」


 脇腹の激痛をぐっと堪えて、僕は負けじと声を荒げる。


「確かにその男を殺せば、幾ばくかの憎しみが晴れるかも知れません……。ですが、それによって二葉さんが帰ってくるわけではありません……! それどころか、あなたが罪に問われて人生を棒に振る羽目になるだけです! あなたのその行動は、あなたを追い込む以外の結果を生まない!」

「そうですよ御堂島さん! すずは絶対、そんなの望むはずない!」

「そんなことわかってんだよッ!」


 僕に続けた百花さんの訴えさえも、御堂島さんは突き返す。


「でも、全部綺麗事だ……! 結局は、俺が赦せねぇだけなんだよ……ッ!」


 彼のナイフを振り上げた手が震えていた。今にも理性の糸が切れ、振り下ろしてしまいそうに。

 その彼を見て、北条空は挑発的な笑み零した。


「人は自由な存在です。私に憎しみの刃を振り下ろすのも、あなたの自由です。何を躊躇する必要がありましょうか。私を殺したければ、あなたの自由を囲っているその小さな鳥かごを破って、あなたの中身を剥き出しにして、殺せばいい。私があなたの婚約者を殺した時のように。あなたの自由によって殺されるのなら、私は喜んでその結末を受け入れましょう。それが本来あるべき人間の姿なのですから」

「てめぇ……ッ!」


 わざとらしく神経を逆撫でするような言葉に、御堂島さんの目が色濃く怒りを滲ませていく。


「御堂島さん……お願いします。その手を収めてください」

「ふざけんな……! 赦せるわけ……ねぇだろ……ッ! こんな男に、すずが……ッ!」

「お願いします、御堂島さん」

「けど、雨宮……! 俺は――」

「僕はッ!」


 御堂島さんの言葉を遮り、一際強く声を張って、僕は言う。


「僕は、あなたの人間性が好きです。セクハラしようとしてくるし思慮が足りなくて短絡的でお酒を呑むと面倒くさいですが、いつも前向きで温かくて太陽みたいに周りを照らすあなたが、僕は好きです。あなたや百花さんたちと出会えて、本当に良かった。もしあなた方と出会えていなければ……僕は未だに深い闇の底を一人で歩いていたかも知れません。だから僕はあなたにも、感謝しています」


 心の底からそう思う。

 二係の皆と――特に御堂島さんや百花さんと出会っていなければ、今の僕はあり得ない。

 人のために動くことも、ましてや人のために怒りを覚えることなんて、なかったはずだ。

 二人に手を差し伸べられて……いや、二人が勝手に僕を引っ張り上げて、僕の心を、温かく救い出してくれた。


「そんなあなたに、人殺しなんてして欲しくありません。僕の言っていることがただの綺麗事なのはわかってます。これが理屈でどうにかなる問題じゃないのもわかってます。でも……以前あなたは、卑屈な目でしか世界を見れなかった僕にこう言ってくれました。『悪いことをする人たちを正そうとする人たちがいる。弱い人たちを守ろうとする人たちがいる。この世界はそんな温かさで溢れている』――と」


 僕は御堂島さんに向けていた銃を下ろし、


「御堂島さん……僕はあなたのその言葉を、あなた自身を、信じます」


 投げ捨てた。

 ディザーガンがからからと音を立てて転がった後、石畳の上を雨粒の跳ねる音だけが浸透していく。


 降りしきる冷たい雨の滴と、その滴が奏でる無情な雨音の中で、僕たちはもう言葉を交わすことはなく、静寂して佇む。

 ただただ、僕は彼を信じて。


 そして。


「――クッソォオオォオォオオオッッッ!」


 御堂島さんは葛藤の垣間見える雄叫びを上げながら腕を――振り下ろした。

 ナイフの切っ先が石畳の地面を突き、甲高い音を打ち鳴らす。

 その白銀の刃は北条空の頬を掠めて薄く裂き、雨に混じって一筋の血を伝わせる。


「……私を、殺さないのですか?」


 北条空は細めた目で御堂島さんを見上げて問いかけた。


「殺してぇさ。でも……雨宮や瀧波の言う通りだ。これは、何も生まない。誰も望まない。罰を受ける奴が一人増えて、そのせいで悲しむ奴がまた増える。ただそれだけだ。そんなの……虚しいだけじゃねぇか」


 項垂れて、滴る雨と一緒に自分の言葉を飲み込みながら、御堂島さんは言った。


「では、私を赦すと?」

「勘違いすんな。赦さねぇよ。ただ、お前と同じ土俵には上がらない。俺は俺の誇りを、人としての尊厳を守りつつ、お前を裁く。そういう話だ」


 御堂島さんは殺意から手を放し、手錠を取り出す。


「北条空。お前を逮捕する」


 北条空の手に、手錠がかけられた。


 雨が止んでいく。そして分厚い雲の覆っていた空が晴れ渡っていき、合間からオレンジ色の夕陽が差し込んでくる。まるで祝福するように。

 事実、これは祝福を意味しているのだろう。

 僕は胸を撫で下ろし、静かに頬を緩めた。


「おめでとうございます。御堂島啓吾さん。そして、雨宮佳由良さん。瀧波百花さん」


 北条空が穏やかな口調でそう呟くと同時、夕焼け空にホログラムで投影されたようなデジタルチックな『Congratulations!!』の一文が浮かび上がり、小躍りするようにくるくると跳ね始める。さらに、色とりどりの紙吹雪までもが空から舞い散ってきた。


「な、なんだよ……これ……?」

「えっ……? えっ……?」


 御堂島さんと百花さんは不可思議な空を見上げて混乱を口にした。


「今、全てを明かしましょう」


 北条空の体が光の粒となり散っていき、手錠とメガネだけが御堂島さんの股の下に転がった。そしてその光の粒は僕たちの前で集結し、北条空を再形成していく。そうして出来上がった北条空は、僕たちに微笑みを向けた。


「何が起きてんだよ……。お前は一体、何なんだ……?」


 御堂島さんの困惑しきった疑問に、北条空は胸に手を当て、答えた。


「『北条空』は、私の創り出した架空の人物です。本当の私は、皆さんが『FANTASY』と呼ぶ存在。そしてここは、私の創り出した仮想世界の中です」


 彼から吐き出されたその真相は、御堂島さんと百花さんを驚かせるには至らなかった。そもそも、理解出来なかったのだろう。


「仮想世界の中……?」

「どういうこと……?」


 二人は眉を顰めた。そんな二人に、彼は今度こそ、明快な答えを告げる。


「つまり、これはあなた方の『人格更生プログラム』のための世界ということです」


 それを聞いた二人の顔に、今度こそわかりやすく驚愕が貼り付いた。


「……嘘……だろ……?」

「何それ……。これまでの全部が、現実じゃなかったって言うの……?」

「そういうことになります。正確には『記憶捜査官として過ごした日々が』となりますが」

「そんなの……信じられるわけないじゃない……。何言ってんのよ……?」


 そう言いつつ、百花さんは自分の両頬をつねり始めた。当然ながら、そんなことをしても、現実と変わりないリアルな感覚を得られる仮想世界の中では何の証明にもならない。だから、ここが仮想世界だと言われても信じられないのは無理のない話だ。


「では、こうすれば信じて頂けるでしょうか」


 そう言って、ぱん――と彼は手を叩いた。

 それを合図に、夕陽に照らされた見渡す限りの街並みが崩れていく。積み木を倒したみたいにがらがらと音を立てて、ありとあらゆる建物たちが緩やかに。

 そしてついには、僕たちのいるこの建物以外の建造物が消え失せ、遙かなる地平線が見えるまでになった。――いや、一つだけ崩れていない建造物がある。この世界の中心、あるいは核とも言える、FANTASYを乗せたランプリットタワーだ。


「私の創り出した仮想世界だからこそできることです。現実ではこんなこと、あり得ないでしょう?」


 納得するしかない光景と、彼の言葉に、もう二人は異論を唱えることはなかった。


「しかしどうやら、既にその真実に気付いていた方が一名いらっしゃったようですが」


 彼が僕を見て、次いで二人の視線がこちらに向けられた。


「気付いていた、なんて大層なものでもありません。ただ思い出してしまっただけです」


 そう、〝この世界〟で目覚める直前の記憶を。


「僕は、白く清潔な部屋でコネクターのようなものに寝かされていました。その後、医師と思われる男性の声が聞こえて、意識が遠退いていき、まるで生まれる前の胎内を漂っているような夢を見て、目が覚めた時には〝この世界〟で記憶捜査官として過ごしていました」


 この記憶を思い出せたのは、記憶世界(メモリー・ワールド)にダイブする時の〝あの感覚〟があったからこそだ。仮想世界の中での死は現実の死に直結する。それは人格更生プログラムの中でも変わらないはずだ。だから恐らく、人格更生プログラムの中で死に繋がるような事態になった場合、強制的に終了させられるか、リセットしてもう一度やり直しさせられるのではないだろうか。

 つまり、僕は出血によって死に近づいたことで、この仮想世界から強制的にログアウトさせられそうになった――意識を失っていく中で〝あの感覚〟を感じたのは、きっとそういうことだったんだろう。


「人格更生プログラムでは、仮想世界の物語を進行する上で都合の良いように、ある程度の記憶を改竄すると聞きました。〝この世界〟で目覚めるまでの記憶が忘れさせられていたり、記憶がちぐはぐだったり……思い返してみれば、今までの僕はまさにその流れの通りで、もう疑いようがありませんでした。そして御堂島さんたちも、記憶の改竄によって創られた即席の捜査官だからこそ、実力が伴っていなかったのではないか、と」


 つまり、僕たちは人格更生プログラムのストーリーとして記憶捜査官の人生を仮想体験させられていた。僕の中にある警察学校で過ごした訓練の日々の記憶は、この世界における僕の〝設定〟のために植え付けられたものということだ。ちぐはぐと繋ぎ合わせられた記憶だからこそ、矛盾や違和感があったのだろう。

 そして、それは御堂島さんと百花さんも同じはずだ。もしかしたら二人には、捜査官として数々の修羅場を乗り越えてきたかのような記憶があるのかも知れない。でもそれはまやかしの記憶で、本当は経験など皆無の素人というわけだ。


「そうですよね、北条空さん?」

「ご明察です」


 彼は和やかに頷いたあと、補足的に付け加えた。


「普通はここが仮想世界だと気付かれることに繋がるような記憶は残されないはずなのですが、雨宮さんのみ少々イレギュラーでして。どうやら記憶が完全に封じられずに残ってしまったようですね」

「僕だけイレギュラー?」

「あなた方には、人格更生プログラムを受けるに至った〝原因の過去〟があります。しかしながら、瀧波さんも御堂島さんも、今はその記憶を思い出せないでしょう。それもそのはずです。思い出せないよう、私がその記憶を封じたのですから。人格更生プログラムでは時として、ここが仮想世界だと気付かれるような記憶の他にも、あなた方のように〝原因となった過去〟の記憶を思い出せないよう封じることがあります。そうすることで、過去に捕われて前に進めなかった人でもこの仮想世界の中では一時的に過去から解放され、取り敢えずは歩み出すことができるようになるのです。そして物語の進行に必要な〝架空の記憶〟の刷り込みを行った上で、〝原因の過去〟を乗り越えるにふさわしい物語を体験して頂く……それが人格更生プログラム――通称『プログラム・8』と呼ばれる、無限の可能性を秘めた仮想現実プログラムの主な流れとなっています」


 そう前置きをした上で、彼は「しかしながら」と続ける。


「雨宮さんの場合、少し事情が異なります。あなたは本当に〝原因の過去〟を忘れてしまっていました。自ら過去に蓋をして、封印してしまったのです。だからあなたにとってこの更生プログラムは、あなた自身の力で過去を思い出して乗り越えること――そこにこそ意義がありました。そのため、あなただけは他の皆さんと違い、過去の記憶を思い出せるように仕組んでおいたのです。その影響で、余計な記憶まで思い出せるようになってしまったのでしょう」

「そういうことでしたか……」


 不可解だった点が次々に解消されていく。しかし、まだ大きな問題が残っていた。


「……一つ、明確にして頂きたいことがあります。僕たちが『プログラム・8』を受けているということは、僕たちは罪を犯した受刑者……ということになるのでしょうか?」


 僕の打ち出した一言に、御堂島さんと百花さんも顔をハッとさせた。


「そうだ……。これが『プログラム・8』ってことは、そういうことになるじゃねぇか……」

「私たちは、何か罪を犯したの……?」

「いいえ、それは違います」


 彼はきっぱりと首を横に振った。


「『プログラム・8』は、なにも受刑者方の更生のためだけのものではなく、医療としても活用されています。つまりあなた方は受刑者としてここに招かれたのではなく、患者として招かれたのです」

「患者……?」


 僕たちが一様に疑問符を浮かべると、彼は「まずは雨宮さん」と口火を切った。


「これからあなたの記憶を元に戻します。真相を知るには、それが一番手っ取り早いでしょう。準備はよろしいですか?」


 準備なんて、覚悟なんて、そんなものはよくわからない。でも、受け止めなければいけないと思った。だから僕は、一度深く息を吸ってから強く頷く。

 ぱちん、と彼は指を鳴らした。その音に誘発されるように、僕の脳内で閃光の弾けたような感覚が走った。そして――頭を抱えてよろめいた。全てを思い出したのだ。プログラム・8(ここ)に来るまでの、全てを。


「あなたは過去に捕らわれて責任を感じるあまり自分を追い詰め過ぎてしまい、その結果、過去を忘却し、人を避けて生きるようになり、やがて感情が希薄になって精神病院へと入院されました。ある一種の心の病ですね。故に、過去に向き合って頂くための物語を演出させて頂いたというわけです」


 そうだ。心ノを失ったあの日以来、僕は別の施設に移され、また通常の生活に投げ出された。でも現実を受け入れられなくて、誰とも関わりを避けて、最低限の生命活動を維持するだけの機械のように日常を過ごし、そうして気がつくと中学を卒業していた。義務教育を終えた僕は高校への進学を拒み、代わりに高卒認定を取った。

 けれど、それだけ。それ以降には何をしていいかわからず、何をすべきかもわからず、ただ食事と呼吸をするだけの置物に成り果てた。自立して施設から出るようなこともなく、部屋に引きこもり、やがて施設の人に病院への通院を勧められた――

 それが、本当の僕。腐り果てていた、これまでの僕だ。


 でも、彼の紡ぎ出した『物語の演出』――その言葉に強く疑惑が湧く。


「ちょっと待って下さい。ではこの世界にいた僕たち三人以外の人たちは全て偽物で、この架空のストーリーを演出するためにあなたが造り出して操った『役者』だったということですか?」


 それこそ、テレビゲームのモブキャラのような。

 すると彼は少し答えに困った顔をした。


「偽物……というと語弊がありますが、確かに彼らにはあなた方のように魂はありません。この仮想世界の中で『プログラム・8』を受けているのはあなた方三名だけですから。ですが、この仮想世界に存在する人物は、一部を除いてほとんどが現実の世界にも実在する人物たちです。いわば『コピー』ですかね。実在する彼らとは少々異なる部分があるかも知れませんが、様々なデータから本物に近い人格まで再現しています。例えば『秋元智紀さん』は実際にあのような口調で、M気質で、さらにオタクな性格の、実在する記憶捜査官です。故に、偽物とは言い難いでしょう」


 じゃあござるさんだけでなく、兵藤さんや二葉さんたちも、全て魂のない『コピー』――つまり、全くの偽物というわけではなく、NPC(ノン・プレイヤー・キャラクター)ではあるが現実にも存在する人物たちということだ。

 なんて高度な世界だろう。ここが仮想世界だと誰も気付けないわけだ。

 でも、その話だと僕は再び気がかりな点が残る。


「……では勇希も……」

「残念ながら」


 全てを言葉にできない僕に、彼は目を伏せて言った。


「薬師川勇希さんに関しても、現実通りにそのまま再現した『コピー』となります。彼は今も、別の仮想世界で更生プログラムを受療中です。その彼の現状に直面して頂くためにも、この物語には〝記憶捜査官〟という役職を選んだのです」

「そうですか……」


 もしかしたら現実の勇希は道を踏み外していないのかも知れない――そんな淡い期待を抱いていた僕だったけれど、見事に砕かれた。僕と同じように、やはり彼も心に闇を抱えてしまったのだろう。


「しかしながら、彼もじきに更生プログラムが終わります。そうしたら、是非とも会いに行ってあげて下さい。きっと、新たな道が開けるはずです」

「……そうですね、そうします」


 後ろ向きに考える必要はない。僕は前に進む決心をした。きっと勇希も、僕と同じように前へと歩み出してくれるはずだ。

 北条空は前向きに頷く僕を見て、満足そうに微笑んだ。


「では次に、瀧波さん。あなたの記憶を戻します。準備はよろしいですか?」


 百花さんは覚悟を決めるように頷いて、彼はすぐに指を鳴らした。すると、百花さんの双眸が大きく見開かれた。そしてその目尻からは、静かに涙がこぼれ落ちた。


「……そうだ……私、彼を……」

「はい。あなたは恋人を事故で亡くしています。それも、ケンカをした翌日に」


 彼女は、喪(・)失(・)を(・)取(・)り(・)戻(・)し(・)た(・)のだろう。立ち尽くして涙を流しながら、震える両手を見つめていた。そんな彼女の記憶を補填するように、彼は彼女の記憶を語った。


「ケンカの理由はよくある些細なすれ違いです。あなたの恋人は仕事に忙しく、あなたと過ごす時間がなかなかつくれなかった」

「そう……でも彼が仕事に勤しんでいた理由は、結婚資金を蓄えるためだった。そうとも知らずに、私はケンカをしちゃって……」

「そしてそれを最後に恋人に謝ることはおろか、二度と逢うこともできなくなってしまったあなたは、その真実を知って悔やんでも悔やみきれず、どう償えばいいかもわからず、ただ悲しみに暮れて塞ぎ込み、雨宮さんと同様に、心の病を患ってしまったのです」


 百花さんが人との繋がりに執念にも似た感情を抱いていた理由。それが、その過去に隠されていたのだろう。


「あなたはその出来事を通して、人との繋がりがいかに儚く、いかにかけがえのないものなのかを思い知ったのでしょう。だからこそ、あなたは人との関わりを絶とうとする雨宮さんに怒りを覚えたのです。ですが……忘れてはいけません。あなたが雨宮さんに向けて紡いだ言葉たちは、そのままあなた自身に返ってくるということを」

「どういう……こと……?」

「あなたも雨宮さんと同じように、恋人を失ってから塞ぎ込み、人との関わりを絶っていました。人との繋がりの大切さを思い知っても、それ以上に悲しみが勝ってしまい、次に踏み出すことができなかったのでしょう。ほら、〝似たもの同士〟ではありませんか」


 なるほど、と僕はこの状況に得心がいった。


「つまり僕は、百花さんにとって反面教師のような存在でもあったというわけですか。百花さんが僕に感じた怒りは、そのまま自分への戒めになる、と」

「その通りです」


 北条空は頷く。


「『プログラム・8』は通常、お一人で受けて頂くものです。しかしあなた方三名に関しては、相乗効果が認められると判断し、同じ仮想世界で更生プログラムを受けて頂きました。人の心を突き動かすのは、やはり同じ人の心でしょう。我々のような中身のない〝ただのデータ〟では成し得ない奇跡が、そこにはあります。だからこうして、場合によっては人と人とを引き合わせているのです」


 僕は溜め息が出そうなくらいに脱帽する思いになった。完敗だ。この結末を導くよう、始めから全てが計算され、仕組まれていたというわけなのだから。言ってしまえば、つまり僕たちはFANTASYの掌の上で踊らされていたのだ。


「瀧波さん。あなたは雨宮さんを通して、自分がどうするべきか、どう在るべきか、見えているはずです。答えは既に、あなた自身が口にしているのですから」

「私自身が……? あっ――」


 そこで、百花さんは僕に向けて放った言葉の数々の中から思い当たる節を見つけたのだろう。ハッとした顔をした。

 彼はまた、頷く。


「そうです。過去は変わりません。ですから、未来を変えていこうではありませんか。出会いや繋がりを大切にしたいと思うのであれば、別れを悲しんでばかりではなく、なおさら次の出会いを大切にしていくべきなのです。それでもどうしても辛いときは、周りを頼ればいい。人とは支え合って生きていくものなのですから。喜びも悲しみも分かち合って、歩んでいこうではありませんか。死別したあなたの恋人も、あなたが悲しみ続けることを望んでいるはずなどありません。現実の世界に戻れば、あなた方の記憶も全て元通りになります。その時に、この仮想世界での出来事を今一度思い返してみてください。きっと、次の一歩が踏み出せるはずです。……それとも、まだ何か不安がありますか?」


 百花さんは夕陽に照らされた儚げな瞳で僕を見る。

 そして彼女は思い詰めるように目を伏せた後――零すように笑った。


「……ううん。大丈夫。きっと今の私なら、何でも乗り越えられる。そんな気がするから。それに、重い過去に苦しんでた佳由良に向かって偉そうに説教しちゃったからね。自分の事を棚に上げないよう、私もちゃんと過去に向き合わなきゃ」


 俯くことなく未来を見上げる百花さんに、彼は全ての言葉を凌駕するような微笑で軽く頷いた。

 そして彼は「それでは、御堂島さん」と続ける。


「最後にあなたの記憶を戻します。よろしいですか?」


 僕や百花さんの記憶を戻している間に覚悟を決める時間は充分にあったのだろう。御堂島さんは迷うことなく「おう」と頷いた。

 北条空が指を鳴らすと、ハッとしたように御堂島さんの瞳が大きく開かれた。


「あなたも、婚約者を亡くしています。それも、事件に巻き込まれて殺害されるという悲劇によって」

「……それで俺は、犯人を赦せなくて、夢を見るだけで罪が赦されちまう世の中が赦せなくて、犯人を……殺そうとした」


 御堂島さんには似つかわしくない、想像もできない言葉が出てきて、僕は驚きを隠せなかった。つまり、この仮想世界で起きた状況と同じことが、御堂島さんの過去にも起きていたということだ。


「幸いなことに、周りの人に取り押さえられたことによってそれは未遂で終わりました。よって、あなたも受刑者ではなく患者の部類に含まれます。この更生プログラムでは、あなたをその時と同じ境遇に置くよう演出し、殺意を抑えて踏み留まることができるかどうかを見させて頂きました。その死別する婚約者の役を『二葉すずさん』に演じて頂いたというわけです。雨宮さんの言葉を借りるならば、彼女はこの仮想世界において、あなたの婚約者という設定を付け加えられた『役者』ということになります」


 僕が二葉さんと御堂島さんの関係に感じていた〝不自然〟の正体は、まさしくそれだったのだろう。二葉さんが『役者』ということは、御堂島さんの中にある『二葉さんとの思い出』もこの更生プログラムのために刷り込まれた、あるいは御堂島さんの本当の婚約者との思い出を二葉さんに置き換えられた、メレンゲのようにスカスカで重みのない『偽物の記憶』ということになる。そんな偽物の記憶によって繋がれた偽りの関係だったがために、結婚間近のはずの二人の間から深い絆というものが感じられなかったのだろう。


「なるほどな……。つまり俺の場合は、これが〝卒業試験〟だったってわけか」

「そういうことになります」


 北条空は、夕焼けを背景に屈託のない笑顔を作った。


「そしてあなた方は見事、数々の試練を突破し、この更生プログラムを乗り越えました。もう、私が手を貸す必要などありません。これでお別れです」


 それはなんだか、寂しくなるような一言だった。


「最後に、何か質問などありますか?」


 僕らは顔を見合わせる。一様に、毒の抜けたような晴れやかな笑みを浮かべていた。

 そして、僕らは息を揃える。


「「「いいえ、ありません」」」


 そんな僕らを眺めて、彼は生徒たちの卒業を見送る先生のように頬を緩めた。


「それでは、あなた方の精神が正しく更生されたと判断し、ここに『FANTASY』の名のもとに、あなた方の『プログラム・8』の終了を表明します。現実の世界に戻ってからも、どうか人間らしく、健全な精神でお過ごしください。二度とここであなた方とお会いしないことを、私は祈っております――」


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