Memory 20 仕組まれた絶望
「――クソッ! どこだ!? すず! 瀧波!」
焦燥に駆られた御堂島さんの声が薄暗い施設内に響き渡った。施設内の明かりは足下を照らす程度の非常灯しか点いていない。まるで夜の病院のようだった。
僕と御堂島さんにとってここは、所員全員をメモリーエクストラクションするためについ先ほどまで練り歩いていた場所だ。だから大体の見取り図は頭に入っているし、多少暗くても迷うようなことはなかった。それでも五分ほど走り回って探してみたけれど、人の気配すら見つけられていない。
残り時間は、あと十分弱。
時間がない。焦りがさらなる焦りを連れてくる。
「今のところ敵に遭遇していませんし、もしかしたらこの建物内には敵がいないのかも知れません。それなら手分けして探しませんか?」
「そう言えば確かに……。よし、なら俺は一階から探していく。雨宮は二階から頼む」
「了解しました」
そして御堂島さんと二手に分かれ、僕は二階の捜索を始めた。それから約五分程度走った頃のことだ。明かりを見つけた。一つの部屋だけ明かりが点いていて、光が漏れ出していた。通路からも室内が滞りなく見渡せるほど大きな窓の設けられたその部屋は、いくつものコネクターが並べられた診療室だ。
あのウサギの罠かも知れない――そんな一抹の懸念と、しかしここに瀧波さんがいるのではないかという期待を胸に抱いて、僕は駆け込んだ。
素早くカプセル型のコネクターを一つひとつ覗き込んでいく。そして――見つけた。瀧波さんがカプセルの中で横たわっていた。
「瀧波さん!」
蓋を引き剥がすように開けて瀧波さんを揺すり起こす。ただ眠らされていただけのようで、彼女はこちらの緊迫した心境など知らずに眠たそうな目を開けた。
「……あれ……? ここは……」
「すみませんが、まだ仮想世界の中です。あなたはFANTASYの中で人質として捕らわれていたんです。とにかく、早くここから出ないと」
僕は手を貸し、瀧波さんをコネクターから引っ張り出した。
「……ありがとう、佳由良。助けに来てくれたんだね」
「仲間ですから。当然じゃないですか、百花さん」
僕たちは自然と笑みを零して、自然と名前で呼んでいた。人の関係というものは不思議だ。その呼び方一つで、なんだかとても親密な間柄になったような、そんな気がした。
「いやはや、驚かされました」
どこからともなく響いてきたその声に、僕は反射的にディザーガンを引き抜いて構えた。
部屋の入り口に、いつの間にかあのウサギが立っていた。
「まさか本当にここまで時間内にたどり着いてしまうとは。素直に賞賛致しましょう」
「……理解に苦しみます。一体このゲームに、何の意味があったんですか?」
「人間は自由の刑に処せられている」
僕の問いに、ウサギは短い足で歩き回りながら全く答えになっていないような脈絡もない言葉を紡いだ。
「フランスの哲学者、ジャン=ポール・サルトルの残した言葉です。つまり人とは本来、生きるレールなど存在せず、何者にでもなれる自由な存在であり、故に全てが自己責任である――と。この言葉、雨宮さんはどう思いますか?」
「……的外れな言葉ではない、と思いますが、それが何だと言うんですか?」
「この言葉を思い浮かべた後、今の社会を今一度見つめ直してみて下さい。ほら、疑問が生まれませんか?」
「疑問……?」
「人とは自由な存在のはずです。であれば、様々な個性が認められて然るべきではないのでしょうか。なのに、機械によって定められた人間の『平均』あるいは『基準』と呼べるものを逸脱した者は、更生という名のもとに『個性』を奪われる。これは我々人間の享受すべき権利である『自由』を奪っていることと同義ではないでしょうか」
「……なるほど、それがあなたの動機ですか」
やはりこの犯人には目的があったのだ。
この犯行に及ぶに至った確固たる信念と、主張が。
「つまりあなたは、『はみ出し者の人格を更生させる』という今の社会の在り方を疑問に思い、異議を唱えたいがためにこのテロを起こした……と」
「まあ、半分正解といったところです」
ウサギは曖昧ながらも頷いた。
「だってそうでしょう? 人が自由な存在であるならば、『はみ出し者』などという存在はあり得ません。はみ出し者という定義を創り出すための基準や平均、あるいは規範といった『檻』が存在するはずがないのですから。ですがどうでしょう。今のこの社会は平均であることを強要する『檻』に囲まれている。協調性という呪いにより我々から自由という刑を取り上げ、代わりに小さな物差しを投げ渡してくる。おかしいとは思いませんか?」
「確かに、押しつけがましい協調性というものは僕も嫌いです。が、だからと言ってあなたが正しいとも思えません。あなたのその主張が、あなたの犯行の正当性を示すものにはなり得ません」
どんな理念があろうと、、どんな主張があろうと、命を奪っていい理由になるはずがない。
「そもそも少し気がかりなんですが、僕たちがあなたの犯行の目的を訊ねた時、どうしてあなたは『目的はない』と嘘をついたんですか? 高らかにその思想を語れば良かったのでは?」
「あなた方の理解や同情など、侮辱に等しいからです」
愉快に歩き回っていたウサギの足が止まった。
「私はね、今の社会の中でも特に、あなた方が嫌いなのですよ」
「僕たちが?」
「『自分の名誉を傷つけられるのは、自分だけだ』。アンドリュー・カーネギーのこの言葉の意味を、あなたはご存じでしょうか?」
「『自分が折れたとき、初めて名誉は傷がつく。周りがなんと言おうと、自分の信念を貫き通せ』といったような意味だった気がしますが」
「素晴らしい。ですが、私は逆説的にこう捉えました。『誰であろうと、人の名誉を傷つけることは許されない』と。ですが、どうでしょう。人の記憶を土足で覗き込み引っ掻き回すあなた方の〝記憶捜査〟。人の名誉を外から傷つけて荒らす冒涜行為に他ならないのではないでしょうか。そう、だから私はあなた方を嫌悪する。そして――罰を与えることにしました」
「罰……?」
「希望と絶望は表裏一体。最も強い希望とは、絶望の中にこそ生まれるものです。では最も強い絶望とは、どのような時に生まれるのでしょうか。……簡単なことです。絶望の中に見出した希望がまやかしだったと知った時、人は再び絶望の底に落とされるのです」
「……一体、何を……」
「すぐにわかります」
ウサギは口元を不気味に歪ませると、瞬きした次の瞬間には姿を消していた。その直後、建物全体がぐわりと揺れた。揺れは収まる気配を見せず、天井が崩れ始め、壁が剥がれ落ち、建物を崩落へと導いていく。咄嗟に左腕のデバイスを見ると、残り時間は二分を切っていた。もしかしたら、あのウサギはタイムリミットと同時にこの建物を破壊する気なのかも知れない。そんな崩落に巻き込まれれば、死は免れないだろう。
「百花さん! 走って!」
「え? え?」
戸惑う百花さんの手を強引に引いて僕は駆け出した。
僕たちが部屋を飛び出るとほぼ同時、天井が崩れ落ちて部屋が崩壊を始めた。それだけでなく、僕たちの走る通路も次々と崩れていく。
無事に一階に降り、その崩壊の波から逃げるように出口を目指してひたすら走っていた僕たちは、運良くその進行方向に御堂島さんを見つけた。
しかし様子がおかしい。この崩落の中、彼は明かりのついた部屋の前で抜け殻のようにへたり込み、呆然と室内を見つめていた。二葉さんの姿も見当たらない。
「御堂島さん! 二葉さんは――」
と、彼に追いついて状況を確認しようとした僕は、彼の見つめる部屋の中を見て戦慄した。
ライトアップされたように明るいその部屋の中に、二葉さんは居た。いや、〝居た〟という表現は適切ではない。彼女は、飾られていた。壁へと磔刑のごとく手足を縛られて吊され、胸にはナイフが深く突き刺された彼女が、まるでオブジェのように。
「そんな……嘘でしょ……?」
百花さんはよろめいて壁に手を預けた。あまりに惨たらしい光景に、僕も言葉を失う。二葉さんの口や胸からは、今も新鮮な血が滴っていた。
やがて部屋が崩落に巻き込まれたことによって、その姿さえも見えなくなる。僕はぎゅっと目を瞑ってから開き、今やるべきことに気持ちを切り替える。
「御堂島さん! 立ってください! とにかく外へ!」
人形のようになってしまった御堂島さんを強引に引きずって立ち上がらせ、再び走り出す。もう出口はすぐそこで、僕たちはなんとか建物が崩落しきってしまう前に外へと脱出することに成功した。
でも、胸の中に喜びは湧かない。脳裏には二葉さんの無残な姿が焼き付いていて、僕は瓦礫の山と化した更生診療所を振り返る。もう、彼女はこの瓦礫の下だ。どう足掻いても……どうしようもできない。
御堂島さんは膝から崩れ落ちた。
「嘘……だろ……? こんなのただの、幻、だよな……? だってここは、仮想世界だもんな……? 元の世界に戻れば、ちゃんと……」
「クククク……ハッハハハハ!」
忌々しい高笑いが鼓膜を撫でる。僕らの前に再びウサギが姿を現わした。
「期待通りの顔をしてくれますねぇ。愉快なことこの上ない。初めに申し上げたように、この世界で死ねば現実世界でも死にます。彼女の命は既にこの世を旅立ちました。これは夢ではありません。〝現実〟なのです」
「どういうことですか……。まだタイムリミットまで時間はあったのに、どうしてこんなことを……」
「言ったでしょう? これは〝罰〟だと。それに、私は『人質を生かして返す』とは一言も言っておりません」
ウサギは悪びれもなく言って退けた。僕は全てを理解すると同時、そのあまりにも醜悪な悪意に、虫唾が走って思わず歯を食いしばる。
「つまり、あなたは初めからこうするつもりで……!」
「その通りです。蜘蛛の糸を頼りに踊るあなた方の姿、実に愉快でした。とても愉しませて頂きましたよ」
ウサギの言っていた『絶望の中に見出した希望がまやかしだったと知った時、人は再び絶望の底に落とされる』という言葉の真意がようやくわかった。このゲームは、ただのワンマンゲームだった。初めからこの結末が決まっていた。しかしわざと希望をちらつかせ、僕たちを弄んでいたのだ。
「……ふざ……けんなよ……」
怒りに声を震わせたのは、御堂島さんだった。
「また……奪うのか……? 俺から、大切な人を……ッ!」
「御堂島さん……?」
また――まるで過去にも大切な人を亡くしたことがあるかのようなその言葉に、僕は疑問を抱いた。
「――ッてめぇえええええ!」
激情をまき散らすように叫び、御堂島さんはディザーガンを構えウサギを狙う。
荒れ狂う怒りが彼の呼吸を荒くし、肩を大きく揺らしていた。
「おやおや、そんなもので私をどうするおつもりで? 言っておきますが、この仮想世界の中で私には麻酔弾なんて無駄ですよ? そもそも、あなたの銃は弾切れでしょう」
「こうすんだよ!」
御堂島さんは麻酔弾を放つ上のトリガーではなく、下のトリガーを強く引き絞った。ディザーガンは変形を遂げ、モーターを回転させる。メモリーエクストラクションだ。
アバターのような存在であるこのウサギにメモリーエクストラクションが通用するのか、そもそも仮想世界でそれが可能なのか、僕にはわからなかったが、どうやらそれはウサギにとって不覚だったらしい。
「なるほど……これは一本取られました」
そのウサギの言葉を最後に、電源を落とすように視界が暗くなり、僕たちの意識は唐突に途絶えた。




