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Memory 18 ゲームスタート

「状況は……!?」


 本庁に帰還して第一係室の扉を荒々しく開けると、御堂島さんはすぐに報告を求めた。


「お帰りなさい、啓吾くん。残念だけれど、相変わらずよ……」

「そうか……良かった……!」

「良かった……?」


 北見さんは御堂島さんの反応を訝しむように眉間に皺を寄せた。

 でも最悪の状況を知っている僕と御堂島さんにとっては、変わりがないのなら一先ず『良かった』と安堵できる。


「それで……一体どういう状況なんだ?」

「見ての通りだ。突然、記憶世界(メモリー・ワールド)が真っ白になって操作不能に陥り、二葉と瀧波が取り残された」


 兵藤さんの説明通り、モニターに映し出された二人の視点からの映像はほぼ白で埋め尽くされていた。二人で身を寄せ合って座っているのか、二人の膝と手元しか見えない。


「すず、瀧波。無事か?」

「啓吾くん……。ええ、なんともないわ。ただちょっと……怖い」


 優しく寄り添うような御堂島さんの声に、二葉さんの不安げな声が返ってきた。


「御堂島さぁん……。早くここから出して下さいよー……。早く帰りたいよー……」


 瀧波さんは今にも泣き出しそうな声だった。


「ああ、待ってろ。俺たちがすぐになんとかしてやる。……北見さん。二人をFANTASYから出す方法はないのか?」

「ダメね……。色々試してみたんだけれど、こっちからは何の操作も受け付けないのよ」

「じゃあ電源を落とせばどうだ?」

「それは危険よ」


 北見さんは首を横に振る。


「脳には微弱な電流が流れていて、その電流によって脳が活動していることは知っているわよね。一般に『脳波』と呼ばれるものよ。FANTASYには、このコネクターでその脳波を増幅・同調させることで意識を繋げることができるの。普通なら電源が落ちたりFANTASYとの接続が遮断されたりすると、安全装置が働いて脳波を増幅していた出力をゆっくりと落としてくれるんだけれど、今はその安全装置が正常に作動するかどうかもわからないわ……。もしその安全装置が作動しなかったら、最悪、出力が一時的に跳ね上がって脳に深刻なダメージを負うかも……」

「クソ……ッ! どうすれば……!」


 御堂島さんは苛立たしげに頭を掻いた。そんな御堂島さんを見て、兵藤さんが口を開いた。


「聞いたぜ。今、あちこちの更生診療所で受刑者たちが突然目を覚まして暴れ回ってるそうだな。それとこのアクシデントは、もしかして何か関係があるのか?」

「ええ。間違いなく、関係はあると思います」


 御堂島さんに代わって僕が答えた。


「まず大前提として、少なくとも一週間以上前からFANTASYは何者かにハッキングされていたと考えられます」

「なんだって……!?」


 兵藤さんを始め、ござるさんも北見さんも面食らっていた。


「FANTASYの操作が不能になったのも、その犯人によって今日この日、完全に乗っ取られてしまったからでしょう。手口はわかりませんし、証拠があるわけでもありません。ですが、そう考えるとこの状況の辻褄が合うんです」

「どういうことだ?」

「今、更生診療所で暴れている受刑者たちは、萩原重明や自爆テロを起こした男たちと全く同じような様子です。まるで操られたロボットのようで、明らかに正常ではありません。僕の推測ですが、彼らはFANTASYをハッキングした犯人によって精神を乗っ取られているのでは、と考えています」

「精神を乗っ取るだと?」

「はい。犯人はFANTASYの『人格を更生させる』という機能を応用し、あるいは逆手に取り、FANTASYに繋がれた人の脳に何らかの働きを掛け、精神支配しているのではないかと。そしてその精神支配の結果、萩原重明のような自分の意思とは関係なく殺人を犯す操り人形が出来上がる。萩原重明の事件は、もしかしたら今日のための試運転のような意味があったのかも知れません」

「操り人形って……いくら何でも馬鹿げてるでござるよ雨宮殿……」


 メガネを持ち上げながらござるさんが異議を唱えた。


「確かに莫迦げています。僕もあり得ないと思っていました。ですが先ほども言ったように、そう考えるとこの状況の説明がつくんです。FANTASYから出てきた人たちが一様に異常行動を起こし始めたこの事態と、FANTASYの突然の操作不能。FANTASYの故障にしては事態が大袈裟過ぎるし、偶然と呼ぶには出来過ぎています。何者かの仕業としか思えません」

「しかし、だとしたら犯人の目的はなんだ? 今のところ犯行声明も何もないんだぞ? 犯人は何のためにこんなことをしてんだ?」


 兵藤さんの疑問に僕はしばし思考を巡らせながら、中央のガラス床に歩み寄り、下を覗き込む。巨大な球体の機械がいつもと変わりなく、宙を浮いて惑星のように回転していた。


「……もしかして、この電脳犯罪はまだ始まってすらいないんじゃ……」


 そんな憶測にも満たない呟きを零した時だった。


「ダイセイカーイ」


 突然、アニメチックな声が鼓膜を撫でた。けれどそれは、一係や二係の誰の声でもない。

 そして戸惑いつつ周囲を見渡す僕たちの前に、それは現われた。正確には、僕が覗き込んでいたFANTASYの見える丸いガラス張りの床の中央に、ホログラムによってそれは造り出された。左右の目がバラバラの方向を向いて、だらしなく開かれた口から長い舌を垂らした、ウサギのキャラクターが。


「皆様初めまして。私、マスコットキャラクターの『ラリうさぎ』と申します」


 ふざけたウサギのキャラクターは、コミカルな動きのお辞儀と共に言った。


「な、何これ……?」

「誰かホログラムいじってんのか……?」


 誰もが突如現われたその理解不能な光景に固まっていた。が、すぐに僕はハッと思い至る。


「……まさか、あなたがFANTASYをハッキングした犯人ですか……?」

「いかにも」


 揺るぎないウサギの返答に全員が目を見開いた。

 やはり……。第一係室のホログラム投影機とスピーカーがハッキングされているんだ。FANTASYがハッキングされているのなら、警視庁のシステム全てが既にハッキングされていても何らおかしい話ではない。


「なかなか苦労しました。さすがは警察庁直轄のネットワークシステムといったところでしょうか。セキュリティが固いのなんの。それより、どうです? このキャラクター。私が考えてデザインしたんです。可愛いでしょう?」

「なんだコイツ……。ふざけてんのか?」


 妙な余裕を見せるウサギに、御堂島さんは苛立ちを露わにした。そんな御堂島さんに兵藤さんが軽く手を挙げて牽制し、一歩踏み出る。


「単刀直入に訊こう。お前の目的はなんだ?」

「私の目的ですか。何でしょうねぇ。冒涜者の断罪か、単なる自己顕示か、あるいは――神にでもなりたいのかも知れない」

「神だと……?」

「しかし神に近づき過ぎた者は蝋で固めた翼を溶かされ、地に落とされると言う。ならばいつか私も裁かれる日が来るのでしょうか」

「まるで既に自分が神に近い存在だとでも言いたげだな」

「当然です。今現在この地球(ほし)を支配している人間という種族を、私は支配しているのですから」

「……すまんが、俺たちはおふざけに付き合っていられるほど暇じゃないんだ。まずは俺たちの仲間を返しちゃくれないか?」

「これは面白い。返せと言われて人質を返す愚か者がどこにいるのでしょうか」

「人質だと……?」


 御堂島さんの眉間に皺が寄った。

 ウサギは大袈裟に呆れたような素振りを見せ、


「どうやら、あなたたちは事の重大さを理解していないようですね。いいでしょう、お見せして差し上げます」


 上を指さす。するとその先にホログラムによって投影された巨大なスクリーンが現われた。

 そこには白いカプセルが整然と並べられた部屋が映し出されていた。そのカプセル一つひとつの中では、老若男女様々な人が眠っている。隣には心電図などのその人をモニターしている機材が置かれていた。


「さて、ここはどこでしょう?」

「……更生診療所ですね」


 今日見た診療室にそっくりだ。どこかの更生診療所の診療室を映す監視カメラの映像であることは明らかだった。


「ダイセイカーイ。では、私はこれから何をするでしょう?」

「何を……?」


 またあの更生診療所での出来事のように操り人形を作り出すということだろうか、と思った。でも、次にウサギが明かした答えは、そんな生やさしいものではなかった。


「正解は……こうするのです」


 蓋を切ったようなその言葉の直後、


「「――ぐぁああぁあぁぁあぁあああああああああッッッ!」」


 スクリーンの向こう側から幾重にも重なる断末魔の叫び声が飛び出してきた。

 カプセルの中の受刑者たちが電流に打たれたように体を跳ねさせ、口からヨダレを垂らし、耳と鼻からは血を流し始めた。やがて叫び声が消え、受刑者たちの動きが止まったかと思うと――響き渡るいくつもの『ピー』という連続的な電子音。心電図が知らせる心肺停止の音だった。


「そんな……!」


 その場にいた全員が言葉を失った。その光景を信じられず、揺れた瞳でただ釘付けされたようにスクリーンを見るしかなかった。


「おわかり頂けましたでしょうか? 今、私の手にはFANTASYに繋がれた四万の命が握られています。彼らの脳を焼き切って殺すことも、あるいは精神を破壊し廃人にすることも、あるいは完全なる洗脳をかけ暴徒を生み出すこともできる。それら全ては、私の気分次第ということです」


 陽気なウサギから語られたそれは、あまりにも最悪な状況だった。

 だって、つまりそれは――


「まさか、二葉さんや瀧波さんも……」

「ダイセイカーイ」


 僕の懸念に、ウサギは軽弾みな調子で答えを告げた。


「その通り、あなた方のお仲間である『二葉すずさん』と『瀧波百花さん』の命も、私の手中にあるということです。このようにね」


 直後、二葉さんと百花さんの短い悲鳴が響き、二人の視界を映し出していたモニターが暗転した。


「な……ッ! 二人に何をした!?」

「まだ何も。ご安心ください。大事な人質ですから丁重に扱いますよ」

「ふざけやがって……!」


 御堂島さんの声が怒りに震えた。


「もう一度訊く! お前の目的はなんだ!?」

「ではお答えしましょう。私に〝目的〟と呼べるものはありません。私は何も求めてなどいない。これはただのゲームです」

「ゲームだと……!?」

「ルールは簡単!」


 ウサギは軽快に踊りながら勝手にゲーム説明を始めた。


「私はこれからFANTASYの中に創り出した仮想世界のどこかに、人質のお二人を隠します。今から一時間以内にその人質を見つけ出し、救出できればあなた方の勝ちです。人質の解放をお約束しましょう。しかし、制限時間内に人質を救出できなければあなた方の負けです。その場合、人質二人の命が裁きの鉄槌により砕かれるものとお考えください」

「つまり、俺たちに操作不能な今のFANTASYへダイブしろってのか……? そしたら俺たちもFANTASYから出られなくなって人質の数が増えるだけじゃねぇか!」

「その点はご安心下さい。これからこの部屋にある空いているコネクターを、そちらでも自由に操作できるよう解放致します。そして、あなた方には私から直接危害を加えないこともお約束します。これならフェアでしょう?」


 フェアなはずなどない。犯人側が圧倒的に有利なように仮想世界が創られている可能性だってある。しかし、それが犯人の提示した条件なら、二葉さんと瀧波さんを助け出すために僕たちは従うしかない。犯人を、信じるしかない。


「さて、他に質問はありますか? なければ早速始めさせて頂きますが」


 誰も何も答えなかった。突飛な状況に置いていかれている、というのが正直なところなのかも知れない。


「よろしい。それでは私は一足先にFANTASYで待っています。さあ、記憶捜査官の皆さん。ゲームの始まりです。楽しく遊びましょう」


 ふっ、とウサギが消えたのと同時、二葉さんと瀧波さんの寝る二つ以外のコネクターが復旧を知らせるように明かりが灯る。そしてウサギが立っていた場所には新たにデジタルタイマーのようなホログラムが浮かび上がり、カウントダウンを始めた。刻々と、六十分から時間が減っていく。


 御堂島さんが何を言うこともなく、一つのコネクターに向かった。


「おい、御堂島……」

「迷っている時間なんてありません。俺は行きます」


 戸惑う兵藤さんに、御堂島さんは強い意志のこもった声で言った。


「僕も行きます」


 御堂島さんに続き、僕も空いているコネクターに足を進めた。御堂島さんの言う通り、手をこまねいている暇はない。早くしなければ、二人の命が危ない。


「拙者も行くでござる。百花殿を助けるためなら躊躇う必要など皆無でござる」


 続けてコネクターへと足を進めるござるさんを見て、兵藤さんは一つ盛大な溜め息を吐き、困ったように頭を掻いた。


「わかった。正直気は進まんが、お前たちに任せるしかなさそうだ」


 僕たち三人はコネクターに入り込んで身を寝かせる。


「それじゃあ、FANTASYへ繋げるわよ」


 北見さんの声がしてすぐ、機械が降りてきて目元を覆い、視界が暗くなった。


「二葉と瀧波を……頼んだ」


 最後にすがるような兵藤さんの声が聞こえてきて、意識がまどろんでいった。


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