Memory 15 追憶の炎
僕たちは別室へと案内された。数台のコネクターの並べられた個室だった。
説明によると、僕も勇希と同じ仮想世界に潜れば彼に会うことができるということだった。まあ、それは当然と言えば当然だろう。問題はその間の更生プログラムがどうなってしまうのかという話なのだが、これも当然ながら中断されることにはなってしまうのだとか。しかし、僕がログアウトしてまた更生プログラムを再開させれば、彼は僕と仮想世界の中で会ったことを忘れ、再び続きから更生プログラムが始められるらしい。
「ではそのコネクターで横になって下さい」
言われた通りコネクターに入ろうとした僕は、けれどその前に、
「すみません、瀧波さん。終わるまで持っていて頂けませんか?」
瀧波さんへと手に持っていた物を渡した。あの手帳型のパズルとそのピースケースだ。僕の記憶を取り戻すための何かの手掛かりになるかも知れないと思い、一式持ってきていた。
「何なの、これ?」
「わかりません。ですが、僕は遠い昔にそれを見た記憶があるんです。きっと、僕の過去に繋がる物だと思います」
彼女は「ふーん」と無関心そうな声を零しながらも、興味津々に一ページずつ、じっくりと手帳のページをめくっていた。
僕はコネクターに身を寝かせる。記憶捜査の時と同様、目元へと機械が被さってきて、視界が闇に覆われた。そしてすぐ、魂の吸われるような微睡みに襲われ、僕の意識は遠退いていった。
そして次に気がついた時。僕は孤児院の前に立っていた。僕の育った、あの孤児院だ。もちろん焼け落ちてなどおらず、のどかな山林の中で温かな昼の日差しをたっぷりと浴びて佇んでいた。
長年の四季の雨風に晒され黒く変色した壁や柱。くすんだ窓。古くからある修道院の運営する孤児院ということもあり、歴史ある木造のその建物はひどく老朽化が進んでいた。
その佇まいが愛おしい。欠片程度にしかない記憶の中に懐かしさを感じ取って、僕はその木の板を重ね合わせたような壁を優しく撫でた。庭先には鉄棒やブランコなどの遊具の他、砂場などもある。そして、孤児院の玄関口を挟むようにして設けられた花壇には、オレンジ色をした太陽のような花――キンセンカが咲き誇っていた。
「やあ、佳由良」
突然聞こえた陽だまりのような声に、僕は振り返る。風に揺れる銀髪、メガネの奥の慈愛に満ちた瞳――朗らかな笑顔を浮かべた勇希が立っていた。
「懐かしい場所だな。何も変わらない、あの頃のままだ。……でも、そんなことはあり得ない。ここは七年前のあの日、焼けて跡形も無くなったんだから。つまりここは、FANTASYによって生み出された仮想世界の中なんだろう?」
「ええ、その通りです。僕は人格更生プログラムを受療中だったあなたと同じ仮想世界に潜って、あなたに会いにきました」
「それはそれは、わざわざご足労なことじゃないか。それで、そうまでしてどうしてまた俺に会いに来たんだ? まさか説教をしに来たわけじゃないだろう?」
彼は冗談めかした調子で言いながらも、核心に迫った。
思い出話に花を咲かせるような空気でもない。いや、そもそも僕にはそのための記憶がない。
僕は瞼を閉じ、決心を固めて、開く。力強く彼を見据えて。
「お願いです、勇希。僕に、僕の過去を教えて下さい」
「……そんなことだろうと思ったよ」
彼の笑顔が悲しげにこぼれた。
「いいのか? せっかく忘れられたのに。忘れたなら忘れたでいいじゃないか。逃げることは恥じゃない。無理して過去に縛られる必要もない。明日だけを見上げて、新しい人生を歩めばいいじゃないか」
「……きっと、人間という生き物はそんなに単純ではないのだと思います。たとえ記憶を忘れても、僕は過去に捕われている……そんな気がするんです」
僕が今の僕となった理由。人を避け、憎まれるような生き方をする理由。それがいつからなのか、どうしてなのか、僕はわかっていなかった。それはつまり、その原因となった過去を忘れているからなのではないだろうか。記憶を忘れてもなお、僕はどこかで過去という鎖に縛られているのではないだろうか。
「だから僕は、全てを思い出したい。受け止めたい」
彼もまた、真っ直ぐに僕の目を見据えた。僕の心までも見透かしてくるような真剣な眼差しだった。
やがて、その眼差しに観念したような儚い笑みが浮かんだ。
「わかったよ。ただし、思い出すからには乗り越えろよ。俺にみたいにはなるな」
「……努力します」
僕は頷くことができず、濁す。正直、不安だった。既に心臓が暴れている。手にはじっとりとした汗が滲んでいる。とても恐ろしい何かが迫っていることを僕の体が予兆している気がした。
また、彼はやれやれといったように笑った。
「じゃあ、せっかく仮想世界の中に居るんだ。俺の頭に浮かべた記憶をそのまま再現してもらおうか。できるだろう、この世界の支配者さん?」
すると、耳元で「かしこまりました」と声が返ってきた。北条さんの声だ。
「よし、じゃあさっそく始めようか。まずは、事の発端となった四月一四日から――」
彼が瞳を閉じた途端、景色が波打つように歪み、濁流に呑まれた。そして流され行き着いた先は、孤児院の食堂の風景だった。たくさんの子供たちがトレイを持って配膳台に並び給食を順番に受け取っている。どうやら給食は子供の大好物のカレーらしい。テンションの上がった無邪気な子供たちで食堂は大賑わいだった。
等間隔に並べられた長テーブルには、既に食事を始めている子供たちもいた。そんな中に、僕は見つける。幼い頃の僕と、高校生の頃の勇希と、もう一人――僕の記憶世界で僕に語りかけてきたあの少女が、三人で仲睦まじく食事をしているところを。
「あの子のことは覚えているか?」
「……いいえ」
勇希は残念そうに「そうか」と息を漏らした。
「あの子は『琴浦心ノ』だ」
「琴浦……心ノ……」
僕は復唱する。その瞬間、とても馴染み深い名前のように、頭の中でその漢字までもが鮮明に形を帯びた。同時に、頭の片隅で弦を弾いたような頭痛が掠める。
『勇希くんが卒業しちゃってからつまんないよー』
カレーを一口頬張って、心ノは唇を尖らせた。
『だから休日はこうして遊びに来てやってるじゃないか。それとも、もう寂しくなっちゃったのか?』
『寂しくなんてないもん! 心ノはもうオトナだからね!』
『おっ、じゃあもうお兄ちゃんはいらないってことか? 遊びに来なくなっちゃうぞ?』
『なんでそういうこと言うのー!? 勇希くんのバカぁー!』
『ごめんごめん! 冗談だって!』
本気で泣き出してしまった心ノを勇希は慌てて宥め始めた。
この光景……なんとなく覚えている気がした。いや、色が滲んで浮かんでくるように、思い出されてくる。確か中学卒業と同時に孤児院も卒業となり、高校生となった勇希は巣立っていったのだ。でも、勇希は休日になると毎週のように顔を見せに来てくれた。僕たちの優しい兄として。
『私、おかわりもらってくるー!』
ぺろりとカレーを平らげた心ノは、飛び跳ねるように配膳台に走っていった。その隙を見計らったように、黙々とカレーを食べていた僕へと勇希が耳打ちをしていた。
『来月の心ノの誕生日、サプライズで盛大に祝ってあげようと思うんだ。手伝ってくれるか?』
僕の目が星の煌めきにも負けないくらい輝いた。僕はカレーを口一杯に頬張ったまま、全力で頷く。勇希は満足そうに笑った。
心ノの誕生日――僕はそのワードを頭に入れた途端、激しい頭痛が押し寄せた。酷い動悸がする。呼吸が落ち着かない。嫌な気配がする。
『決まりだな。じゃあ俺がいろいろと準備しとくから――』
『ちょっとー! なにコソコソ話してるの!? 私も混ぜてよー!』
『はっはっは! 心ノにはナイショだ!』
仲間はずれにされたと思った心ノは、また泣いて喚いて騒いでいた。僕たちはおちょくりながらそれを宥めていた。とても、幸せそうな光景だった。
「そして時間は流れ……心ノの誕生日の夜。幸せなひとときとなるはずだったその日に、悲劇は起きた」
また景色が波に呑まれ、移り変わる。次に僕たちが立っていたそこは、食堂のキッチン側だった。過去の僕と勇希は二人でキッチンを占領し、不慣れな手つきで料理に励んでいた。
窓から見える外の景色は暗く、日が落ちていた。時計を見ると夜八時を回っている。夕飯時というわけでもない。
僕はこの時既に、全てを思い出しかけていた。喉の一歩手前ほどまで、出てきていた。
『ちゃんとプレゼントは用意したか?』
『うん!』
僕は元気よく頷いて料理を中断すると、赤いラッピング包みの箱を掲げて見せた。
『よし、じゃあ下ごしらえは終わったし、揚げ物は俺がやるから、佳由良はスープを頼んだぞ』
僕たちが作っていたのは、唐揚げとポテトフライ、そして付け合わせのコンソメスープだった。つまり、パーティーのおつまみ程度の料理だ。
危ない揚げ物は勇希が担当し、お湯を沸かしてコンソメを入れるだけの簡単なスープは僕が担当する。ちゃんと安全面も考慮した、簡単な料理だった。
そう、簡単な料理――のはずだった。
けれど、それは起きた。
僕は鍋に水を入れ、コンロで火にかけようとそれを運ぶ。当時背の小さかった僕は、コンロに鍋を置くためには踏み台に上る必要があった。
その時だ。
隣で揚げ物をしていた勇希がちょうど振り返ってしまい、僕たちは肩をぶつけた。その拍子に僕はバランスを崩し――鍋の水を盛大にこぼしてしまった。
その水は、隣のコンロで揚げ物をしていた油の鍋にも降りかかった。
熱した油に多量の水分が降りかかるとどうなるか。それは、火炎を巻き上げて爆発するのだ。
爆炎と共に飛散した油は、勇希へと襲いかかり、彼は右腕に大火傷を負った。でも、悲劇はそれだけに留まらなかった。
声も出せず腰を抜かす僕たちの前で、炎は瞬く間に燃え広がり、キッチンを火の海に変えた。警報が鳴り響いている。でもこの時の僕には、その音が遠い別世界のもののように聞こえていた。
『何をやっているんだお前たち! 早くこっちへ!』
騒ぎに駆けつけた大人の怒号により僕たちはハッと我に返り、一目散に外へと逃げ出した。無我夢中だった僕は、いつの間にか心ノへのプレゼントを胸に抱いて走っていた。
外に出ると、既に避難して出てきた子供たちがいた。でも、すぐに気がつく。
『心ノは……?』
心ノの姿が見当たらない。いや、心ノだけではなかった。二階に居室を置く心ノと同室の子供ら数名が見当たらない。
『まさか……!』
勇希は孤児院へと振り返る。木造の歴史ある孤児院だったこともあり、炎の広がり方はまさに一瞬だった。この時にはもう、炎は孤児院を丸ごと飲み込んでいた。
『そんな……待ってくれ……!』
『勇希! ダメだよ、危ないよ!』
『でも、まだ心ノが……! 心ノたちが中に……!』
今にも炎の中へと飛び込んでしまいそうな勇希の腕を、僕は必死に引っ張って引き留めた。
『ああ……そんな……! 嘘だ……こんなの嘘だ……!』
どうしようも出来ない現実に打ちのめされた勇希は、膝から崩れ落ち、燃えさかる孤児院を絶望の眼差しで見上げていた――
「――そして、心ノたちは帰らぬ人となった。俺たちが、そうさせた。俺たちが……殺してしまったんだ」
そうだ。そして気がついた時には、僕はその腕に心ノへのプレゼントを――あの手帳型のジグソーパズルを抱いて、病室のベッドに寝ていた。それからひたすらに絶望した。後悔なんて言葉では言い表せないほど悔やみ、自分を呪った。そうして、僕は心を閉ざしていった――
ああ、そうだ。全てを思い出した。僕の過去を。僕の罪を。
溢れ出る涙が止まらなかった。依然として燃え続ける孤児院の情景を前に、僕はただ立ち尽くして、嗚咽を上げて泣いていた。
胸が張り裂けそうに痛い。こんなに大切な記憶を忘れていた自分が愚かしくて、憎くて……何よりも、心ノたちに申し訳なくて、消えたくなった。
「……勇希の言う通りでした。僕は、逃げていたようです。自分の罪から。命を奪った重圧から。変えられない過去から。そんなこと、赦されるはずがないのに……!」
「逃げることが悪いとは言わないよ。ただ……そうだな。それでもやっぱり、償うべきなんだろう。だから俺は人格更生プログラムなんて受けたくはなかった。救われたくなかった。俺は、幸せに生きたくなんてない。いいや、幸せに生きていいはずがないんだ」
「……そうですね。僕も、無意識の内にそう思っていたのかも知れません」
僕が孤独を望んだ理由――つまりは、そういうことだったのだろう。今の僕の全ては、その過去に繋がっていた。脳が記憶を忘れても、僕の心は断ち切ることなんてできなかったのだ。
「僕は、幸せに生きることが怖かった。そんな自分の存在は赦されないと、過去を忘れてもなお、心のどこかで思っていたのかも知れません。だから人と関わらず、孤独に、憎まれるような生き方をしてきた。そうすることが……僕への罰だった」
心ノたちの命を奪った僕が、人並みの人生を謳歌していいはずがない。だから生きることの喜びを感じないよう、人との関わりを避け、感情を動かさず、死んだように生きてきた。それが、僕にとっての償いだったのだ。自分への罰だったのだ。
死んでしまいたいと思ったことさえあった。でも情けないことに、それでも死ぬのは怖くて、できなかった。だから消去法で、僕は罰を受けながら生きる道を歩いた。
ふと前を見ると、心ノが立っていた。あの頃の純真無垢な笑顔を僕に向けて。
きっと、これは幻覚だ。あるいは、僕のイメージがこの仮想世界に影響を及ぼしているのかも知れない。
「熱い……熱いよ、佳由良ちゃん……」
突然、彼女は全身から炎を上げて苦しみ呻き始めた。
「助けて……佳由良ちゃん……たすけて……たすけて……」
心ノの悲痛な声が頭の中で反響する。
「佳由良ちゃん……。熱いよ、たすけて……。ねぇ、佳由良ちゃん……」
助けを求めるか細い声が僕の胸を抉る。心ノを二度殺しているような、そんな気にさせた。そしてそうさせているのは、他でもない僕だ。
「……ごめんなさい、心ノ……ごめんなさい……ごめんなさい……!」
現実から目を逸らすように俯いて、僕はひたすら、涙をこぼして謝り続けた。
わかっている。目の前の心ノは偽物だ。ただの幻覚だ。仮想世界のデータによって構築された存在に過ぎない。いくら謝ったって、本物の彼女には届かない。そんなことは頭ではわかりきっていた。けれど、僕は謝り続けた。
「バッカみたい」
ばっさり切り込むように割って入ったその声に、僕は驚き目を瞬かせる。振り返れば、そこには仏頂面をした瀧波さんが立っていた。
「瀧波さん……どうして――」
「大馬鹿者のアンタに一言言ってやりたくなったからよ」
彼女は僕の声を遮って、言う。
「兵藤さんにアンタのことをもっと知れって言われてから、考えるようになったの。アンタはただ性格が悪いんじゃなくて、何か事情があるんじゃないか……って。そしたらこの前のアンタのメモリーエクストラクションで本当に重そうな過去が出てきちゃって……兵藤さんの言う通り、私、アンタのこと何も知らずに偉そうに文句言っちゃってた。だから、謝りたかったの。そして、今度こそちゃんとアンタのこと知りたいって思った。お陰でわかったわ。アンタ……バカ真面目だったのね」
「真面目……?」
「だってアンタは、自分の過去に真摯に向き合おうとしてるじゃない。一度は逃げちゃったかも知れないけれど、そのまま逃げることもできたのに、また振り出しに戻ってまで罪に向き合おうとしてるじゃない」
瀧波さんは仏頂面を崩して、気の緩んだような笑みを浮かべた。そして彼女がこちらに近づいてきたかと思うと、僕は突然、甘い香りと温かな温もりに包まれた。抱きしめられたのだ。
「ずっと一人で抱え込んでたんだね。辛かったんだね。苦しかったんだね」
彼女の言葉一つひとつが僕の胸に染みていく。唐突な抱擁に戸惑いながらも、心の解かされるようなその温かさに、僕はまた涙腺が緩む。ダムが決壊したみたいに、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
「でも……アンタは根本から間違ってる」
瀧波さんはそっと僕を離す。曲がらない意思の宿る力強い彼女の眼差しが、僕の目を見据えていた。
「アンタが罰を受けたって何も変わらない。そんなの、ただの自己満足でしかないじゃない」
「……その通りです。ただの自己満足です。でも、そうでもしないと、僕は僕を赦せない……! 僕は、罪を償って生きていかなきゃ……!」
「だから、どうしてその矛盾に気が付けないのよ……!」
僕の気持ちに全力でぶつかってくるような声だった。
「アンタは罪を償うだとか言って、過去のせいにして殻に閉じこもって、結局周りを傷つけて回ってるだけじゃない……! つまりアンタは人を傷つけたことの言い訳に、その『心ノ』って子たちを使っていることになるのよ! それのどこが償いになるって言うの!? むしろ泥を塗ってるようなもんじゃない!」
ハッとさせられた。
見落としていた。考えてみれば、まったくもってその通りだった。僕は孤独を手に入れたくて、僕に歩み寄ろうとした人の心を斬りつけて、傷を負わせていた。つまり僕の孤独には、周囲の人を巻き込んだ〝対価〟が存在していたということだ。なのに僕は、自分のことしか考えていなかった。
そうだ。こんなもの、僕はただ、償いという名目で人を傷つけていただけじゃないか。それはつまり、僕は人を傷つける理由に、僕の持つ過去を――心ノたちを使っていたことになってしまう。
なんて愚かなんだろう。心ノたちを理由にして誰かを傷つけるなんて、そんなことがあっていいはずがない。そんなことこそ、絶対に赦されないのに。そんなことが償いになるはずがないのに。
でも、でも――
「でも、どう足掻いても、僕が心ノたちの命を奪った事実は変わらないじゃないですか。じゃあ僕は、どうすれば……!」
自分自身を罰していなければ、僕は僕の存在を赦せない。心ノたちの命を奪っておいて、自分だけが幸せに生きるなんて、そんなことは、できない。
「『この世に事実は存在しない。あるのは解釈だけ』なんでしょ?」
その一言に、頭の中で水滴が弾けたような衝撃を受けた。
「過去は変わらないんだから、変えられないんだから、だから、解釈を変えようよ。未来を変えようよ。人との別れの悲しみを知っているなら、人との繋がりがいかに大切で儚いものか、アンタもわかってるはずでしょう? それなら、もっと出会いを大切にしなさいよ。繋がりを大切にしなさいよ。罪の償い方が一つしかないはずない。自分が不幸になることで償おうなんて、そんな後ろ向きな償い方はやめなよ。そんなアンタを心配する人たちの気持ちを踏みにじっておいて、どうして〝償い〟だなんて言えるのよ。本当に償いたいなら、その分、周りを幸せにするくらいの気概を見せなさいよ。アンタのお得意の偉い人たちの言葉の中にも、どこかに絶対あるはずよ。人は幸せに生きるべきだ、って」
それは、重力に従ってりんごが落ちるような、当たり前で自然の摂理のように思えた。すとんと、胸の中に答えが落ちてくる。
その通りだ。僕は、思い上がっていたのかも知れない。僕一人が苦しめば罪が償われるなんて、そんなわけがないのに。
だったら解釈を変えて、罪を償えるだけの幸せを他の誰かに与えられるように生きればいい――そんな単純明快な答えがあったなんて。
僕には一生をかけても思いつきもしないような前向きな生き方だった。そんな生き方こそが人として本来あるべき姿なんだろうと、そう思う。
そうだ、人は幸せに生きるべきだ。人は、人に幸せをもたらすべきだ。僕の周りにいてくれた人が、僕に温かさをくれたように。
「人は支え合って生きていくものなんだから、辛かったら周りを頼りなよ。幸せを分け合えるように、痛みだって分け合える。一緒に泣いてくれる人が必ず居るはずだから。独りで抱え込むなんてこと、もうやめよう」
温かい。気持ちが軽い。視界がクリアに澄み渡っていく。
「……ありがとうございます、瀧波さん。目が覚めました。確かに僕は、バカだったみたいです」
僕は心ノへと向き直る。心ノは炎の中、呆然とした顔で僕を見上げていた。
僕の中で、いつも心ノは苦しんでいた。僕は僕の中で過ちの過去を繰り返し、こうして幾度となく彼女を炎に焼き、苦しめていたのだろう。
そしてやがて耐えられなくなった僕は、その記憶さえも忘れるという愚かな逃避に走った。僕は心ノを、過去に置き去りにしてしまったのだ。
でももう、そんなことは終わりにしよう。もう二度と、心ノを独りにはしない。もう二度と、心ノを苦しめたりはしない。
僕は膝をついて立ち、目線を合わせる。そして心ノを、抱きしめた。
幻の炎の熱が、罪の痛みが、僕を飲み込んでいく。それでも僕は、きつく彼女を抱きしめる。
「ごめんなさい、心ノ。僕はもう、逃げません。一生この罪を背負って、真っ正面から向き合って、生きていきます。もう二度と、あなたを忘れません」
僕の頬に、静かに、懺悔の涙が伝った。
「今まで……ありがとう」
ふっ、と風が吹いて、熱が遠退いた。目を開けると、心ノからも、孤児院からも、炎が消えていた。
心ノを離すと、彼女は毒が抜けたように朗らかな顔をして、僕に微笑みかけた。
「ありがとう、佳由良ちゃん。もう大丈夫だね。……バイバイ」
舞い上がる紙吹雪のように、心ノの体が光の粒となって散っていく。そして彼女は太陽のように明るい笑顔を浮かべたまま、消えていなくなった。
これはただのデータだ。今の心ノは本物の心ノじゃない。最後に微笑みかけてくれたあの姿もきっと、赦して欲しいという僕の願望が形となったものに過ぎないのだろう。けれど、そうはわかっていても、心にすきま風が吹くような寂しさに襲われた。
「良い仲間を持ったな、佳由良」
温かく見守るような勇希の声が聞こえた。彼はメガネの奥で寂しそうに目を細めて笑うと、天に向かって何かを話しかけた。恐らく「帰してくれ」というようなことを言ったのだろう。彼がデータの粒子となって姿を消したかと思うと、直後に僕の意識もそこで途絶えて暗転した。
ログアウトして現実世界に戻り体を起こすと、先に目を覚ましていた瀧波さんが、
「悪いとは思ったんだけど、気になって勝手にやっちゃった。ごめんね」
と舌を出して謝りながら、預けていた手帳を返してくれた。見ると、まだ所々が抜けていて未完成だったはずのパズルが、一つの欠けもなく完成されていた。
僕は丁寧に一ページずつ捲っていく。それは、二人の少年と少女がよくわからないモンスターやドラゴンと戦ったりしながら冒険し、最後に魔王みたいな相手を倒して一人のお姫様を救い出すという童話のような物語になっていた。お世辞にも上手いとは言えない下手くそな絵だった。そう、紛れもなく、絵心のない僕が懸命に描いた絵だ。少年が勇希、少女が僕、そしてお姫様は心ノだった。
そして、最後の一ページ。そこには絵が描かれていない。代わりに、一文が添えられていた。
『心ノへ おたんじょうびおめでとう』
その瞬間、僕は込み上げてくるものを抑えきれず、手帳を強く抱きしめながら声を上げて泣いた。瀧波さんの温かな手が頭を撫でてくれて、僕はその優しさに甘えて泣き続けた。
「意外と泣き虫なんだね、アンタって」
「……瀧波さんだって、不器用なくせに」
涙でぐしゃぐしゃになりながら笑い合って――そんな時だ。水を差すように僕のデバイスが電子的なコール音を鳴らした。必死に鼻を啜って涙を拭き、左腕を確認する。御堂島さんからの着信だった。
「はい、雨宮です」
「ずいぶんと鼻声だな。大丈夫か?」
「……問題ありません」
僕はもう一度赤くなった鼻をズッと啜って、
「それより、どうかしたんですか?」
すると御堂島さんは「ああ」と重たげに声を返した。
「事件だ。悪いが、二人とも至急戻ってくれ」




