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プログラム・8 -プログラム・エイト-  作者: 夢見 裕
第二章 罪深き記憶
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Memory 12 罪

 その日のうちに現在の勇希の素性は暴かれた。彼は今、都内にある大学の理工学部・情報工学科で脳科学を専攻して学ぶ大学院生だった。北見さんは「まさか学生だったとはね」と驚きを口にすると同時、納得も示していた。というのも、なんでも勇希の所属している研究室の教授は、神澤春樹(かんざわはるき)という数々の功績を残している著名な脳科学者らしい。その研究資料や機材を使える環境にいるのなら学生でも充分に犯行は可能、というのが北見さんの見解だった。


 僕は御堂島さんの運転する車に揺られ、二人でその大学に向かっていた。外は既に日が暮れ始めていた。

 車はガラス張りの巨大な建物の構える敷地へと入っていく。どうやらこの建物が勇希の在籍する大学のようだ。鏡のような一面ガラス張りの壁がそうさせているのかも知れないけれど、歴史を感じさせるというよりも、技術を感じさせるような近代的な学び舎だった。

 まずは事務局に話を通し、勇希の所属する研究室へと向かった。その頃にはすっかり日も暮れていて、キャンパス内にはあまり人がいなかった。


「ここだな」


 何度か階段を上って廊下を歩き、一つの扉の前で立ち止まって御堂島さんは呟く。扉のプレートには『神澤研究室』と書かれていた。

 僕たちには礼儀正しくノックして入る義理などなく、静かにドアを開けた。室内は薄暗かった。照明が点けられていない。しかし、何台も並ぶパソコンやそのディスプレイの蒼白い明かりだけが漏れ出し、薄暗い部屋を不気味に照らしていた。


 人の手足を模した機械の骨組み。第一係室にあるコネクターに似た寝台。機械に繋がれたヘッドマウントディスプレイのような機材――そこは見たこともないような様々な機材で溢れかえっていた。

 その中でキーボードを叩く音だけが跳ねている。一台のパソコンの前で、一人の男が取り憑かれたように食い入ってパソコンに向かっていた。メガネを掛けた白髪の男だった。一心不乱にパソコンを見つめるメガネにはディスプレイの光が反射している。僕たちの存在にもまるで気がついていない。


「あなたが薬師川勇希さんですか?」


 御堂島さんの呼びかけに彼の動きが止まった。


「警視庁捜査一課の御堂島といいます。突然お邪魔してすみませんが、あなたに幇助犯及び教唆犯の容疑が掛けられています。少々お時間を頂いても?」


 彼は椅子を回転させ、ゆっくりとこちらに振り返る。そして御堂島さんの掲げる警察手帳を見て――笑みを零した。


「まさかこんなに早いとは思いませんでした。優秀なんですね、警察って」


 彼は見苦しい言い逃れを口にすることもなく、全てを認めるかのように清々しく優雅な姿勢で答えた。

 白いシャツの上に紺色のセーターを重ね着した、控えめで大人びた服装。透き通るように美しい白銀の髪。薄い唇に小さな鼻。さらに夜空に輝く一番星のように力強い眼光を放つ瞳を持った、中性的な美青年。昔はメガネをしていなかったし、もっと優しく温かな目元をしていた気がするけれど、あの頃の面影は今も残っている。間違いなく、勇希だった。


「これほど早くあなたを追い詰めることが出来たのは、たまたま僕が捜査に携わっていたからです。どうしてこんなことをしているんですか……勇希」


 そこで初めて、彼は僕を僕だと認識したのだろう。彼の目が大きく見開かれて、笑みが消えた。


「お前……佳由良、なのか……?」


 ガラスの奏でる音色のような儚い声だった。


「はは……驚いた。大きくなったな。それに美人にもなった。さらに警察官だって? 偉いじゃないか。本当、誇らしい限りだ。惜しむらくは、数年ぶりの再会がこんなカタチになってしまったことくらいか。まったく、運命を呪いたくなる」


 彼は瞳を細めて嘆いた。その目は、遠い過去を振り返っているようにも見える。


「僕も、あなたとこんな再会の仕方をしたくはありませんでした。けれど、あなたを逮捕するのが僕で良かったとも思っています」


 逮捕するのなら、せめて僕の手で――そんな気持ちが僕の中には芽生えていた。そして、願わくば、どうして彼がこんな結末を歩むことになってしまったのかを彼自身の口から聞きたかった。

 しかし、そんな僕の思いとは裏腹に、彼は悩ましげに呟きを零した。


「逮捕か……。佳由良、本当にそれでいいのかな」

「……どういう意味ですか?」

「誰がどんな罪を犯して捕まろうが、結局その行き着く先は変わらない。ただFANTASYの人格更生プログラムを受けるだけなんだろう? そして、それが終わればまた普通の生活に戻れてしまう。なんて簡単な罪の償い方だろう。俺はね、たかがそんなことで俺の心が洗われるというのなら、是非お願いしたいくらいなんだよ。つまり俺にとってこの場で逮捕されることは、罰にはならない。救われることと同義になってしまうんだ」


 僕は耳を疑いたくなった。開き直ったような、あるいは世の中を見下して馬鹿にしているようなその言葉が、彼の口から飛び出したなんて信じられなかった。


「あなたは優しくて、頭も良くて、面倒見も良くて……とても犯罪に手を染めるような人ではありませんでした。少なくとも、そんな歪んだ思想を口にするような人ではなかったはずです。なのに、どうして……」

「どうして、だって……?」


 白銀の髪の隙間から、ガラス細工のように繊細な瞳が戸惑いながらこちらを覗いた。


「なんだよそれ……。なんだよそのとぼけた口振り……。そんなの決まっているだろう。〝あの日〟だよ。あの日犯した取り返しのつかない罪の、その重圧に、俺は耐えられなかったんだ。だから人間の記憶の仕組みについて学んだ。消そうと思ったんだ、あの日の記憶を。馬鹿だろう? あろうことか、俺は逃げようとしたんだよ。自分の罪から。そして、本当にその(すべ)を手に入れてしまった。それが〝これ〟さ」


 彼は自嘲気味に笑い、すぐ横に置いてあった目元まで覆うヘルメットのような装置を手に取って乱雑に投げた。重々しい音を立てて床に落ちたそれは、僕たちの足下まで転がってきた。


「それを頭につけてパソコンを操作すれば、記憶の読み取りが始まる。あとはその中から消したい記憶を選ぶだけで、その記憶が保存された脳細胞へとピンポイントで電磁波が照射され、記憶を破壊してくれる。簡単だろ?」


 雄弁に語っていた彼は、しかし笑みを暗く落し、でも、と続ける。


「俺はできなかった。直前になって気付いたんだ。俺が逃げていいはずがない。そんなこと赦されるはずがない。この記憶は、俺が一生背負い続けるべきものなんだ、って。――しかしだ」


 彼は立ち上がった。饒舌な口は衰える様子を見せない。まるでこれまで独りで抱え込んでいたものを一気に放出しているような調子だった。


「もしかしたら俺と同じように、過去の記憶に苦しんでいる人たちがいるかも知れない。俺なら、そんな彼らの記憶を消すことで救うことができる――そう思って、インターネットを通じて触れ回ってみた。そしたらわんさといたよ。過去に苦しむ羊の子らが。だから俺は一人ひとりに手を差し伸べた。その中には人殺しを働いた奴や、これから人を殺そうとする奴もいた。それだけの話さ。そしてそんな彼らにはもれなく、一輪のキンセンカをプレゼントしてやった。そうだよ、佳由良。俺たちの育ったあの孤児院を象徴する花だ。その花言葉を、お前は知っているか?」

「……いいえ、知りません」

「『悲嘆』『寂しさ』『失望』そして――『別れの悲しみ』。ぴったりじゃないか。忌まわしき記憶とは言え、過去の自分に別れを告げた彼らに。何より、〝家族〟を殺して別れた俺たちに」


 彼は、右腕の袖を捲り上げた。そこには、その腕には――生々しい大きな火傷痕が刻まれていた。それを目に入れた途端、僕は何故か酷い動悸がした。恐怖に似た黒くて冷たい感情が押し寄せて呼吸が落ち着かなくなり、頭の割れるような頭痛に襲われる。


「僕たちが……殺した……?」


 少年の右腕の火傷痕。燃えた孤児院――それは、忘れてはいけない大切な何かな気がした。その何かを思い出そうと、吐き出そうと、脳が暴れている。でも引っかかって、出てこない。


「……なんだよその反応……。まさかお前、本当に忘れたって言うのか……?」


 頭を抱える僕を見て、彼は一瞬、瞳に絶望を映した。


「僕は……一部の記憶だけがぽっかりと抜け落ちてしまっているみたいなんです。孤児院で過ごした日々の記憶を、何一つ思い出せません」

「……ははははは!」


 彼の狂ったような笑い声が無機質な室内に吸い込まれていく。


「そうか、佳由良……お前は逃げたんだな。それを間違っていると非難はしないよ。それも一つの生き方だ。俺には出来なかった生き方だ。俺はお前が羨ましい。けれど……ごめんな。俺はそんなお前に、また辛い記憶を植え付けることになる」


 悲しげな声で言って、彼はデスクに転がっていたカッターナイフを掴み取った。しかしその刃の向かった先は、僕ではなかった。彼は、自らの喉元へとそれを突きつけた。


「何をして……」

「言っただろう? 俺にとって、ここで捕まることは償いにならない。俺は、ちゃんと罪を償いたいんだ。救われたくなんてないんだよ。救われていいはずがないんだ」


 刃が、彼の首筋に食い込む。


「最期に出会えて良かった。お前は幸せに生きろよ。――さよならだ、佳由良」

「待っ――」


 彼の首に一筋の血が伝った時、僕の声よりも早く、一発の銃声がしんとした空気を震わせた。刃は一瞬動きを止めると彼の手からこぼれ落ち、床へと転がる。次いで、彼もその場に力なく倒れ込んだ。彼の首には、カッターの刃の代わりに麻酔弾の針が食い込んでいた。


「……ありがとうございます、御堂島さん」

「よせ。こんなことで礼を言われても喜べねーよ」


 御堂島さんは銃口から真新しい硝煙の立ち上らせるディザーガンを下ろすと、やるせない様子で息を吐いた。


「そうですね、すみません」


 だから僕はそれを謝罪に変えて、今一度、勇希に目を落とす。彼をこれほどにまで追い込んだ僕たちの過去を、僕は思い出さなければならない――そんな使命感を抱きながら。


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