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プログラム・8 -プログラム・エイト-  作者: 夢見 裕
第二章 罪深き記憶
10/24

Memory 9 キンセンカ

 休憩明け、どういうわけか、第一係室のコネクター前に召集されたのは僕と瀧波さんだった。


「兵藤さん。どうして私とコイツなんですか?」


 瀧波さんが不機嫌そうに訊ねた。僕と同じように、瀧波さんもこの人選の意図までは聞かされず、突然集められたようだ。


「この事件は一班に担当してもらいたいんだが、今日は御堂島が休みだからな。お前さんはその代わりだ」


 確かに、本日御堂島さんは休暇となっている。別の係がどうなっているのかは知らないけれど、記憶捜査第二係は変則的なシフト制で、また人員も少ないため、必ず班のペアで揃って休みとなるわけでもない。そのため、必然的に今日のように相方が休みとなる日も出てくるというわけだ。


「なら、もう一人はすずでもいいですよね? 今は私とすずの二班が受け持っている事件もないんですし、そのまま二班の担当でいいじゃないですか」


 本当にその通りだと思ったし、そうして欲しいと願った。僕としても、どうして寄りにも寄って瀧波さんとなのか、人選の意図を疑問視せざるを得ない。

 しかし、どうやら兵藤さんのこの人選には明確な意図があったようだ。彼は浅く溜め息を吐いて、僕たちを見据えた。


「確かに、二班担当でも問題はない。俺も初めはそのつもりだった。だが、俺は敢えてお前たちを選んだ。どうしてだと思う?」


 瀧波さんは眉を寄せて首を傾げた。


「よし、じゃあ単刀直入に言おう。『仲良くしなさい』」


 渋い声で放たれた、生徒を叱る先生のようなその一言に、瀧波さんは面食らって目を開いた。

 兵藤さんは至極真面目に続ける。


「班分けされてペアが決められてはいるが、俺たちは第二係全員で〝一つのチーム〟なんだ。あんまり輪を乱すような関係でいられると、俺としても看過できん。もちろん、人と人とが関わり合う以上、意見のすれ違いや衝突は生まれるだろう。それは避けられん。そうした時に感情的になるのも、まあ、仕方のないことだ。だからケンカをするなとは言わん。だがな、お前さんたちはまだ知り合ったばかりだろう。お互いのことを何も知らずに、上辺だけでお互いを否定し合うっていうのは、俺は感心できんな。瀧波は雨宮の好きな物、嫌いな物を知っているか? 逆に、雨宮は瀧波の好きな物、嫌いな物を知っているか?」


 僕と瀧波さんは、同時に首を横に振った。


「ほら、お互いにまだ何も知らないじゃないか。まずはお互いにお互いを知る努力をしろ」

「で、でも兵藤さん! 元はと言えば、コイツがいきなり私たちをバカにするようなことを言ってきたのが原因で――」

「瀧波」


 兵藤さんは、前のめりに勢いづく瀧波さんの言葉を遮った。


「〝知る努力〟だ。まずは雨宮を知れ。それでも自分に合わないと思ったら、割り切った関係をしろ。仕事に持ち込むな。わかったか?」

「……はい。すみません……」


 さすがに兵藤さんには逆らえないのか、瀧波さんは叱られた子供のようにしょんぼりと小さくなっていた。


「雨宮もだ。協調性を持てとまでは言わん。だが、せめて輪を乱すような言動は慎め。俺たちは〝敵〟じゃない。〝仲間〟なんだ。わかったな?」

「……努力します」




     *     *     *




 僕と瀧波さんという異色コンビで記憶捜査したのは、殺人事件だった。

 被害者は印刷会社で企画部の部長を務める鹿島康博(かしまやすひろ)。四二歳男性。昨夜零時過ぎに、高架橋下で血を流して倒れているところを発見され、その後死亡が確認された。腹部に刃物による複数の刺し傷があり、死因は失血死だった。

 目撃者、状況証拠、ともに手掛かりはなかった。けれどその事件の記憶捜査は、まるでゲームのチュートリアルのように簡単なものだった。なにせ、被害者の記憶から再現した記憶世界(メモリー・ワールド)に犯人がばっちり映っていたのだから。


 犯人は二十代後半から三十代前半ほどの見た目をした、くたびれたスーツ姿の冴えない感じの男だった。犯行の様子は至ってシンプルで、まさに怨恨そのもの。鹿島康博がこの場所を通り過ぎようとした瞬間、影に隠れていた犯人が飛び出して腹部をメッタ刺しだった。とても通り魔的な犯行には見えず、怨みのあまり殺害したとしか思えない様子だった。

 顔さえ割れてしまえば、あとは依頼元――今回で言うと、殺人犯捜査第三係に情報を提供するだけで僕たちの仕事は終わりとなり、容疑者の逮捕は依頼元が行ってくれるそうだ。前回は証拠の記憶を掴むために僕たち自らが容疑者確保に出向いたが、今回は被害者の記憶の中に揺るがぬ証拠が残っているため、その必要はない。


「ずいぶんと簡単な事件でしたね」


 時間を停止させた記憶世界(メモリー・ワールド)の、世界で二人きりになってしまったかのような無音のその世界で、僕は拍子抜けして呟く。僕たちの前では、夜の高架橋下、月明かりが世界を隔てる境界線のように線を結ぶ、その暗がりで、被害者の鹿島康博が蹲っている。そしておびただしい血溜まりの中で倒れる彼の前には、血塗れの包丁を持つ一人の男が立っていた。罪悪感と達成感の狭間で溺れるような引きつった笑みを浮かべた、不気味な男が。


「記憶捜査なんて、大抵こんなもんよ」


 瀧波さんはじっと犯行現場を見つめたまま、素っ気なく言った。しかしそれは冷たい態度というわけではなく、心ここにあらずといった感じだった。


「もう何も見る物はないですし、戻りましょうか」


 僕の問いかけに、しかし瀧波さんは答えない。


「瀧波さん?」

「……やっぱり、人の死を見るのはツラいわね」


 突然、彼女は思い詰めたように言って、続けた。


「当然だけどさ、死んじゃったらもう、誰にも会えないのよ。もしかしたら帰りを待ってる家族がいたかも知れないのに。笑い合いたい友達がいたかも知れないのに。謝りたい誰かが……いたかも知れないのに」


 その声は微かに震え、重く沈んでいた。


「そういうのを考えるとさ、どうしても悲しくなっちゃうのよね。だからこそ、〝出会い〟とか〝繋がり〟を大切にしなきゃって思うの。いつ誰と会えなくなっちゃうかなんてわからないから。ケンカして、それを最後に死に別れなんてしちゃったら、後悔してもしきれないじゃない」


 まるでそんな経験を経てきたかのように重みのある口振りだった。


「だから私は、アンタにイライラしたの。人との繋がりってものすごく大切なものなのに、それを踏み躙るように、出会い頭に憎まれ口を叩くアンタの態度が腹立たしかった。……でも、それって私の価値観の押しつけよね。悪かったわ。ごめんなさい」


 まさか瀧波さんから謝罪の言葉が飛び出すとは夢にも思わず、僕は驚きのあまり目を瞠って、つい「熱でもあるんですか?」と口走ってしまった。すぐに兵藤さんの『輪を乱すような言動は慎め』という言葉が脳裏に蘇り、しまったと思ったが、もう口に出てしまったものはどうしようもない。もはや僕の癖というか、人間性なのだろう。

 瀧波さんは苛立たしげに表情を歪めたけれど、何とか堪えた様子で息を吐く。


「勘違いしないでよね。こんなこと言ったけど、私はアンタのこと、嫌いだから。ただ、自分の価値観の押しつけはしないってだけ。それだけだよ」


 瀧波さんは踵を返すと、僕とは目も合わせずつかつかと歩いて行き、データの粒子となって消え、現実世界に帰っていった。

 こんな調子で兵藤さんの言いつけを守りながら働けるのだろうか――一人残された僕は、さっそく行く末を危ぶむのだった。


 かくして、記念すべき僕と瀧波さんの初コンビ記憶捜査は幕を閉じた――かに思われた。

 でも、本当の事件の幕開けはこれからだった。






 それは翌日のことだ。僕と御堂島さんは北見さんに呼び出され、第一係室に赴いていた。


「佳由良ちゃん、昨日はご苦労様。さっそくだけれど、一班にちょっと面倒なお(しら)せよ」

「どうかしたんですか?」

「昨日佳由良ちゃんたちが記憶捜査で見つけた容疑者――名前は高岡(たかおか)(あきら)で、年齢は二九歳。被害者と同じ印刷会社に勤める男だったことがわかったんだけれど……彼が容疑を否認したわ」

「俺は捜査の報告書に目を通しただけなんだが、被害者の記憶に容疑者が映ってたんだろ? なのに、この期に及んで悪足掻きを始めたか。往生際の悪い奴だ」

「どうやら彼、この被害者から酷いパワハラを受けていたみたいで。だから動機は充分に考えられるんだけれど、物的証拠は何も残ってないしね」

「だが、そいつの記憶を覗いちまえば一発だな。事件の記憶さえあればもう言い逃れはできない」


 得意げに鼻を鳴らす御堂島さんだったが、北見さんは「そう、まさにそこが問題なのよ」と目の前の機械に向き直り、タッチパッドで操作し始めた。


「さっそく容疑者の脳から記憶を抽出して解析していたんだけれど、どうやら一部の記憶が破損しているみたいなの」

「記憶が破損している……?」


 御堂島さんが首を傾げた。


「生きた人間の脳から記憶を抽出したのに、そんなことがあるのか?」

「あり得ないというわけではないわ。脳細胞は老化とともに死滅して減少していっちゃうし、あとは外的な衝撃を受ければ死滅しちゃうし。けれどこの容疑者の場合、まだ年齢は二九だし、そもそもそういう破損の仕方じゃないのよ。明らかに不自然なの。これを見てちょうだい」


 北見さんは大きなディスプレイに一本の帯グラフのようなデータバーを表示させた。


「これが容疑者の脳から抽出した記憶のデータ量を表わしているものになるんだけれど……わかるかしら?」

「……所々にノイズが入ってますね。特に右の端の方が集中的に」


 データバーの右端の一部に、縞状の色の抜け落ちが確認できた。他にも、所々に色が抜け落ちている箇所が見られる。僕がその見たままの見解を述べると、北見さんは「そう、それが破損している箇所よ」と解説を始めた。


「これは右側が新しい記憶ってことになるんだけれど、位置的に推測すると、二日前くらいの記憶がごっそり破損しちゃっていることになるの。つまり、ちょうど事件のあった日の辺りよ」

「そんな馬鹿な……。都合良く事件の日の記憶だけをなくしちまってるってのか?」

「ね、不自然でしょ? 作為的に消されたとしか思えないわ」

「作為的にって、そんなことが可能なのか?」

「記憶は脳の中でフォルダ分けされて保存されているものなの。だからその特定の脳細胞だけを電磁波か何かで焼いて死滅させることができれば、理論上は可能だと思うわ。もちろん、その道に精通した専門的な知識と設備がなければ無理でしょうけれどね」

「つまり、この容疑者はそういう〝専門家〟に依頼して、事件に纏わる記憶を消去した可能性があるってことか……」

「恐らくね。そしてその〝専門家〟は、自分に繋がる恐れのあるような記憶も全て消していったんじゃないかしら。まばらにある記憶の破損は、きっとそういうことだと思うわ。容疑者の高岡彰については、FANTASYの精神鑑定にかけて『異常あり』と診断されれば問答無用で更生プログラム行きになるから問題はないの。FANTASYの診断にとって重要なのは事件の記憶の有無じゃなくて、事件を起こすような危険で歪んだ思想・精神状態にあるかどうかだからね。だから問題は記憶を消した〝専門家〟の方よ。この黒幕をどうにかしない限り、同じような事件が起きる可能性があるわ」

「難儀な話になってきたな」


 御堂島さんは腕を組み、渋い顔をして唸った。


 とにかく憶測だけで話し合っていては何も始まらない、ということになり、僕と御堂島さんはさっそく容疑者の記憶から生成した記憶世界(メモリー・ワールド)へダイブした。

 そこは、ずらりとデスクの並んだオフィスだった。多忙な部署なのか、どのデスクの上もファイルや書類が散らかっており、『仕事が山積みです』と言わんばかりだった。


 ちょうど終業時間だったようで、「お疲れ様でしたー」と社員が次々と席を立ち、帰宅を始める。壁に掛けられた時計は午後六時を示しており、外は既に薄暗かった。

 周りが定時上がりをしていく中、二人だけ、席を立たない人物がいた。昨日の記憶捜査で見たばかりの顔――容疑者の高岡彰と、被害者の鹿島康博だった。

 結局二人だけがオフィスに取り残され、がらりとしたオフィス内にパソコンのキーボードを忙しなく叩く音だけが響いた。しかし、それも僅かな時間だった。

 一際大きなデスクに座っていた鹿島康博がパソコンを閉じ、立ち上がる。鞄を手に取ると、もう片方の手に書類の束を持って、高岡彰に歩み寄った。


『高岡くん。この前の企画書の修正、まだ終わらないの?』

『……すみません』

『困るなぁ。ただでさえキミは仕事が遅くて迷惑してるんだから、早くしてもらわないと。他の人に割り振った仕事はもうとっくに終わってるよ? 何してんの?』

『……すみません』


 高岡彰は言い訳も反論もすることなく、鹿島康博に顔を向けることすらもなく、むしろ怯えるようにデスクに向かって俯きながら、ひたすら謝罪していた。そんな彼の態度に、鹿島康博は業を煮やしたようだ。


『すみませんじゃないんだよ。謝るくらい小学生でもできんの。それともキミの仕事は謝ることなの? ったく、使えないなぁ。はい、これ次のキミの仕事だから。くれぐれも頼んだよ』


 どさっ、と書類の束を乱雑に高岡彰のデスクに置いて、


『じゃ、私は飲み会があるから。お仕事頑張ってねーん』


 鹿島康博は軽快な足取りでオフィスから消えていった。


『僕にばかり仕事を押しつけやがって……!』


 独りになったオフィスで、高岡彰は豹変して歯を食いしばる。しかし一瞬怒りを喪失したかのように顔を落とすと、その口元に笑みが宿った。


 異変が起きたのは、その時だった。


 電波の悪いテレビでも見ているみたいに、景色にさざ波が走って乱れ始めた。やがて記憶世界(メモリー・ワールド)は動作を停止し、ぷつりと電源を落とすように、真っ白な景色へと変わってしまった。


「やっぱりここまでのようね。事件当日の午後六時過ぎから約十二時間分の記憶が破損していて再生不可能よ」


 耳元で北見さんの声が聞こえた。

 約十二時間分――つまり、翌朝六時くらいまでの記憶が消去されている。鹿島康博の遺体は深夜零時過ぎに発見されているため、ちょうど犯行時刻付近の記憶が抜け落ちているということだ。確かに、この〝空白の記憶〟は不自然としか言い様がない。


「では、その十二時間後の、破損していない記憶の場所からまた再生をお願いします」


 おっけー、と軽い調子の声が返ってきて、ワープしたみたいに、一瞬にして景色が入れ替わった。

 そこは、どうやら高岡彰の部屋のようだった。まだ日の昇りきっていない早朝で薄暗いその室内は、良く言えば余計な物がなく綺麗に整理整頓がされている。悪く言えば質素で味気ない。そんなワンルームだった。

 彼はその部屋のベッドで静かに寝息を立てて眠っていた。すぐに枕元の目覚まし時計が電子的な音を奏で、彼は目を覚ます。


『あれ……? えっ……あれ……?』


 彼は何が起きているかわからないといったように辺りを見回し始めた。記憶が抜け落ちているということは、彼にしてみれば『オフィスにいたはずなのに気がついたら自室のベッドで寝ていて翌朝になっていた』という摩訶不思議な現象が起きているということだ。きっと、交通事故に遭って気を失い、気がついたら病室のベッドで寝ていた患者のような心境に違いない。混乱してしまうのも無理はないのかも知れない。

 やがて、彼の視線は枕元にある目覚まし時計の横に留まる。そこには、鮮やかなオレンジ色をした一輪の花が置かれていた。


『なんだ……この花……?』


 しかし彼はそれを手に取ると、訝しげに首を傾げていた。その花は彼自身にも覚えがないものらしい。


『疲れてんのかな……』


 彼は溜め息交じりに呟くと、花をゴミ箱に投げ入れ、朝の支度へと移っていった。どうやら彼の中では、この一連の不思議現象が過労によるものであるとして決着をつけたようだ。

 その後の彼の様子には特に注目すべき点はなく、平凡な会社員の朝の風景が続いた。だから僕たちは一旦、記憶世界(メモリー・ワールド)の再生を停止させ、手掛かりを探るため部屋を物色することにした。

 すると、御堂島さんは突然ベッドに乗り上がってカーテンを開け放ち、さらには布団を乱雑に捲り上げ始めたものだから、僕は驚いて目を丸くする。


「御堂島さん、何してるんですか?」

「何って、もしかしたら布団の下とかに何か手掛かりでもねぇかなぁって」

「だからって、そのガサツなやり方は正直あり得ません。トリュフを探すブタでさえもっと仕事が丁寧ですよ。物を動かす時は注意を払って最小限の動きで済ませるのが基本だと思います。記憶世界(メモリー・ワールド)の中だから何度でもやり直しが利くとは言え、もう少し丁寧にやってください。でなければ邪魔です」

「お、おう……スマンスマン」


 御堂島さんは誤魔化すように苦笑いを浮かべて頭を掻いた。

 溜め息が出そうだった。ここ数日で彼を見てきて、正直なところ、不信感が募らざるを得ない。人としてはとても素晴らしい人情を持っているとは思う。でも、一記憶捜査官として見た時、どうしてもその素質に疑問を抱いてしまうのだ。プライドが感じられない。知識と経験は備わっているようだけれど、行動が伴っておらず、とてもじゃないけれど、熟練の記憶捜査官とは言い難い。本当に、どうしてこの人はこんな調子で警部補まで昇り詰められたのだろうか。






 それから数十分後。結局、僕たちはめぼしい成果を上げられなかった。


「ダメだな……何の手掛かりもありゃしない」

「どうやら黒幕の〝専門家〟は、彼の中から犯行の記憶と自分に関わる記憶を消去した後、彼が目を覚ますまでに姿を眩ませたようですね。彼の記憶の中に手掛かりを残さないように」

「いくら過去の記憶を消したところで、その後に姿を見られてたら記憶捜査でバレちまうもんな。さすがにそんなマヌケじゃねーか」


 消去できるのは、あくまで過去の記憶のみ。処置後に新しく蓄積されていく記憶までは消去できるはずもない。場所然り、姿然り、もし高岡彰が処置後に〝専門家〟に繋がるそれらの手掛かりを見てしまえば、記憶捜査で足が付いてしまう。だから〝専門家〟は記憶捜査の対策として、高岡彰を眠らせたまま手掛かりを残さないよう姿を眩ませ、彼の過去からも現在からも、完全に存在を消した。


「そして彼の中から〝専門家〟に繋がる全ての記憶が消去されているのだとしたら、彼には犯行の記憶どころか、〝専門家〟と犯行を企てた記憶すらもない、ということになるのでしょう。だから彼は犯行を否認している」

「なんだか、お前が兵藤さんと捜査した『萩原重明』の事件に似ているな」

「そうでしょうか」


 御堂島さんの見解に、しかし僕は同意しかねた。


「高岡彰には〝記憶〟がなく、萩原重明には〝自覚〟がない。その二つは似て非なる物だと思います」


 本質が違う――もっと言えば、目的が違う。そんな気がした。


 僕は屑籠の中から花を拾い上げる。

 薄く細い花弁が幾重にも重なる、太陽を思わせるようなオレンジ色の花。鼻の奥をくすぐるような濃厚な匂い――なぜだろう。それはとても懐かしく、そして、切ない香りだった。


「その花は何なんだ?」

「これは……キンセンカです」

「へぇ、詳しいんだな。女って花が好きだもんな」

「いえ……べつにそういうわけではないんですが……」


 僕は特別花が好きなわけでも、詳しいわけでもない。なのに、どうしてだろう。僕はこの花を知っていた。聞かれた途端に名前が出てくるくらいに、強く僕の中に刻まれている。


 目を閉じ、香りをすうっと吸い込んで、僕は賢明に記憶を辿る。けれど、濃密な花の香りが頭の奥をいたずらにくすぐってくるだけだった。


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