雲
夏が終わり、過ごしやすい気候になった。
俺はそれにあわせ、休憩場所をラウンジから木陰のベンチに変えることにした。
そのベンチは、春と秋の短い間だけ、適度に日が当たり風通しの良い、心地よい場所になる。
缶コーヒー片手にベンチに向かうと、先客がいた。
俺と同じくこの季節になるとベンチの常連になる用務員のじいさんだった。
「やあ、久し振り」
「どうも、お久しぶりです」
俺が挨拶を返すと、じいさんは、おや、という顔をした。
何かと思ったが、じいさんがそれ以上何も言わないので、俺は人一人分くらいのスペースをあけて隣に座った。
そして缶コーヒーを開けたとき、はたと気づいた。
このじいさんは半年前に亡くなったはずだ。
あまりにも自然にそこにいたから、全く気づかなかった。
「ああ気がついたか。すまないね、驚かせて」
じいさんは、「見えるとは思わなかった」と、すまなそうに言った。
俺が気づかないままだったら、さり気なくベンチから去るつもりだったらしい。
「どうしたんすか、こんな所で」
今更知らぬふりをするのもおかしいので、何となく聞いてみる。
「いやぁ、じっとしてると落ち着かなくてねぇ」
つい生きていた頃の習慣を繰り返してしまうのだと、じいさんは言った。
「……早く昇った方がいいっすよ」
余計なお世話と分かっていたが、言わずにいられなかった。
今まで見てきた経験から言うと、長くこっちに留まるのは、やはり良くないらしい。
だがそんなことは、じいさんだって分かっているだろう。
それでも離れられない何かがあるから、こうしているのだ。
「なかなか踏ん切りがつかなくてねぇ…」
遠くを見つめるように空を見上げるじいさんは、成仏できないほどの何かを抱えているようには見えなかった。
それ以来、ベンチに行くと時々じいさんに出会った。
世間話をする事もあれば、お互い黙って座っている事もある。
じいさんが生きていた頃のままだった。
このまま昇れなくなってしまうのではないか。
密かに心配し始めた頃、じいさんはぱたりと姿を見せなくなった。
じいさんの未練が何だったのか俺は知らない。
それが解消されたのかどうか分からないが、間に合わなくなる前に踏ん切りをつけたのだろう。
H30年9月28日 一部改稿




