迷い
俺がまだ小学校にあがったばかりの頃、夏休みにお袋の田舎に行ったときの話だ。
庭でセミを捕っていると、いつの間にか知らない兄ちゃんがそばに立っていた。
子どもの見立てだから正確ではないかもしれないが、高校生くらいに見えた。
「セミを捕ってるの?」
「うん」
それきり、その兄ちゃんは黙ってしまったので、俺はかまわずセミ捕りを続けた。
田舎では近所の人が勝手に庭に入ってくることなど珍しくなかったから、知らない兄ちゃんがいても気にならなかった。
兄ちゃんはしばらく黙って俺を見ていたが、また口を開いた。
「ねぇ、いま何時?」
「知らない」
庭に出たときに時計を見たが、それからどのくらい経ったのか分からない。
「見てこようか?」
俺がそう言うと、兄ちゃんは「いや、いいよ」と言って、また黙った。
俺はなにか変だと思いながら、セミ捕りを続けた。
セミは一匹も捕れなかった。
虫取などしたことのない子ども一人で捕れるわけがない。
網を振り回すのにも飽きてきて、もう家に入ろうかと思ったとき、また兄ちゃんが話しかけてきた。
「カブトムシ捕りに行かない?」
おいで、と手招きしてくる。
純真無垢だった俺は、素直について行った。
祖父さんの庭は裏山に繋がっていた。
兄ちゃんは草を掻き分けて、獣道のような細い道に入ろうとする。
「そこ、入っちゃダメだって祖父ちゃんが言ってたよ」
俺が躊躇って立ち止まると、兄ちゃんが「いいから」と言いながら手を引いてくる。
そのとき俺は見た。兄ちゃんの背後にいるモノを。
俺は手のつけられない駄々っ子のように泣き喚きながら、手を振りほどこうと必死に身をよじった。
小学生が高校生相手に力で敵うわけがない。
だがしばらくして、急に手が離れた。
「もういいよ」
兄ちゃんはボソッと吐き捨てるようにそう言うと、逃げるように去っていった。
それ以来、その兄ちゃんを見かけた事はない。
今から思えば、あの少年はあれが初犯だったのだろう。
随分手際が悪く、行動に迷いがあった。
今頃は社会人になっているだろうあの少年は、ヤツから逃れて真っ当な人生を歩んでいるだろうか。
とくに心配するわけではないが、ときどき思い出す。




