誰も言わない
知り合いの葬式でのことだった。
坊さんの読経中に、棺から唸り声がした。心なしか棺も揺れている。
だが誰も動じていなかった。
真ん前に座ってる坊さんは知らん顔で読経を続けてるし、親族も参列者も神妙な面持ちでうつむいている。
気のせいか?
でも聞こえる。それに揺れてる。
思いきって声をあげるか?
だがもしそれで何もなかったら気まずい。
俺が葛藤してたら、隣のおっさんが話しかけてきた。
「心配しなくていいよ、よくあることだから」
よくあることって何だよ。
「いやでも唸ってますよ?」
「大丈夫大丈夫、昔じゃないんだから。医者が診断したのに実は生きてましたなんて今じゃあり得ないよ」
死体が唸る方があり得ないと思うが。
それとも俺がおかしいのか。
少なくとも今この場で少数派は俺のようだ。
まぁいい、出棺前に「最後のお別れ」があるはずだ。何かあるのならそのときに分かるだろう。
俺はそう無理矢理納得した。
途中で唸り声がピタッと止んだ。
あっ、と思ったが黙っていた。
そして「最後のお別れ」のとき。
俺は葬儀屋が配った花を持って棺に近づいた。
花で見えにくいが、ちゃんと胸の上で手を組んでいる。着衣に乱れがあったかどうかはもう分からない。
仏さんの顔を見てみたが、死化粧をされていて、生きてるのか死んでるのかよく分からない。
綺麗な死に顔と言われればそう見えるし、仮死状態と言われればそう見えてしまう。
結局、生きてるとも死んでるとも確信を持てないまま、棺の側を離れた。
やはり誰も仏さんが生きているのではないかとは言わなかった。
棺の蓋に釘が打たれ、男たちの手によって霊柩車に運ばれていく。
それに続いて親族が車に乗り込んだ。
これから火葬場に行くのだ。
どうか成仏してくれ。
動き出した霊柩車を見送りながら拝む。
もはや俺にできるのはこれだけだ。
帰りに清めの塩をきっちり貰い、電車の中で正しい使い方を調べた。
そういえば、唸り声に気をとられて故人に世話になった礼を言うのを忘れていた。
その事をちょっと後悔した。
H30年9月13日 一部改稿