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時をかける童貞

せっかくなのでたまには真面目な話を書きました

 時間という概念を人類が手中に収めてから、もう一世紀が経過した。時間跳躍の実現は、多くの恩恵と同時に大きな問題を世界にもたらした。私利私欲のために歴史を変える、〝時間犯罪〟の発生だ。


 確定した歴史は決して変えてはならない。織田信長は本能寺で燃えるべきだし、ケネディーは頭を撃たれて暗殺されるべきなんだ。


 歴史を変えようとする時間犯罪者を政府が野放しにしておくわけがない。各国政府は一致団結し、対時間犯罪のための組織を設立。〝チームチェイサー〟と呼ばれる彼らは歴史を変えようとする時間犯罪者達と戦った。


 彼らがいるからこそ、今の平和な世界がある。彼らは英雄で、そして皆にとっての憧れだ。もちろん、この僕にとっても。


 僕は子どもの頃からずっと、チームCに入るための努力を積んできた。血の滲む思いで士官学校を首席で卒業し、いくつもの紛争地帯へ赴きあらゆる経験を積んだ。ただひとつの目標のため、ひたむきに走ってきた。


 努力が報われるチャンスがついに巡ってきたのは、ある6月のことだった。





「――エンドー、エンドーマサミ」


 試験官が部屋の扉を少し開け、外から僕の名前を呼んだ。力強く「はい!」と答えてパイプ椅子から立ち上がった僕は、力いっぱい敬礼する。


 そんな僕を見た試験官は、「そう硬くなるな」と言って苦笑した。


「実技、筆記共に合格者はお前ひとり。つまりなエンドー、お前が〝チームC〟で研修するのは既に決定事項だ。この面接は形式的なものなんだから楽にやれ」


 そう言われたって緊張するに決まっている。何せ、子どもの頃から夢見ていた英雄達の一員に加わることのできるチャンスを掴んだのだ。「お心遣いありがとうございます」と答えて敬礼を止めた僕は、気を付けの姿勢を取った。


「お前を担当してくれる男は……いわゆる〝至福の時〟の最中でな。もう間もなく来るだろうから、もう少しだけ待ってくれ」

「……その、至福の時とは?」

「決まってるだろ。任務のことだよ」と言って試験官はニヤリと笑った。


 それから数分待っていると、ひとりの男性が部屋へと入ってきた。トレンチコートを羽織っていてもわかる分厚い胸板と、大樹のような腕を持った中年の男性。ぎらりと光る瞳は凶暴さを秘めている。右手にはくしゃくしゃになった煙草の箱、左手に持っているアレはポルノ雑誌だろうか。鬼だとか獣だとか、そういう表現がまさに当てはまる野生的な人物だ。彼がチームCのメンバーだということは一目でわかった。


 ここでは、上司にあたる人間が喋るまで部下は口を開いてはならないのが暗黙のルールだという。黙って敬礼した僕は、彼が喋り始めるまでじっと待った。


 やがて彼は僕の前にパイプ椅子を持ってきてそこへ座ると、開口一番で「お坊ちゃんだな」と吐き捨てた。その声色からは乱暴な印象を受けた。


「エンドーマサミといったな。お前はなんで〝チームC〟に入りたい?」


「はいッ! 自分は、幼少の頃から時間犯罪者の魔の手から世界を救いたく――」


「次だ。俺達チームのメンバーは全てを捨てている。その覚悟がお前にはあるのか?」


「もちろんです! 全てを捨てます!」


「口だけなら何とでも言える。そういう奴らはゴマンと見てきた」


 彼は床につばを吐き捨てた。


「面接は以上。まあ、上からの命令だ。研修中は俺がお前の面倒を見る。それで、俺がお前に見込みが無いと思ったらそれまでだ。その時はお前にここを去って貰う。わかったな?」


「はいッ! 精一杯精進致しますッ!」


 僕が敬礼すると、彼は「もう話すことはない」と言わんばかりにパイプ椅子から立ち上がり、部屋の出口へと向かって歩いていった。彼は扉に手を掛けた折、ふと思い出したように「そうだ」と言ってこちらを振り向いた。


「ムラカミハルキ。俺の名前だ。小説家と同じ」





 翌日からチームCでの研修が始まった。朝は五時に起きて、朝食をとった後にマラソンを10キロ。基礎筋トレを3時間ぶっ通しで行って、それから戦闘訓練。それが終わればまた休憩を挟んでマラソン。そして再び戦闘訓練。つまりは、ひたすら身体を鍛えることばかり。任務へ同行するだとか、そういった類の僕が期待していたことは一切なかった。


 こんな日々を送るばかりでは軍にいた時となんら変わりない。興ざめ――とまではいかないものの、少し拍子抜けしたことは事実だ。


 それでも僕が文句を言わずに研修を続けることが出来たのは、初日に聞いたムラカミさんの言葉のおかげだった。


「いいか。訓練の日々が俺達を作る。腐らずにやれ」


 この言葉を胸に僕はひたすら自分の身体を苛め抜いた。「朝から晩まで同じ場所に立っていろ」と命令されればそれに従ったし、「いいと言うまで走り続けろ」と言われればそうした。


 初めのうちは僕のことを「お坊ちゃん」などと呼んでいたムラカミさんも、少しは根性があるところを見せたおかげか、一週間ほど経つと「エンドー」と名前で呼んでくれるようになった。さらに一週間が経つと必要最低限以上の会話をしてくれるようになり……やがて日差しがきつくなる頃には、僕達はすっかり打ち解けていた。これは付き合いを続けるうちにわかったことだが、彼は思っていた以上によく笑う人で、そして人間的に温かみのある人物だった。


 ある日の夜。ムラカミさんが部屋にやって来て僕を飲みに誘ってくれた。世界の英雄であるチームCのメンバーと飲める機会なんてそうあるものではない。おまけに明日は非番で、時間を気にせずに済む。当然、断る理由なんてあるはずもなく、僕はその誘いを受けた。


 宿舎を少し離れたところにある居酒屋で、僕はムラカミさんと共に酒を酌み交わした。彼は「これが俺のガソリンだ」と言って、大きなジョッキでビールを何杯も呑んだ。


〝ガソリン満タン〟になったおかげか、いつもよりも一層陽気になったムラカミさんは僕にこう訊ねた。


「エンドー、本音で語れよ。俺の目から見るとだな、お前はこのすばらしき訓練の日々に満足していないように見えるぞ。そこらへんのところはどうなんだ?」


「いえ。そのようなことは決してありません」


「もう一回だけ言ってやる。エンドー、本音で語れ」と言ってムラカミさんはビールジョッキを傾ける。


「……素人考えですが、身体を鍛えるだけでは不十分だとは思っています」


「ほう、なら俺はお前に何をしてやるべきだと思う?」


「例えば、タイムマシンの使い方について学ばせてみるのはどうでしょう? 仮にいま時間犯罪が起きて、ムラカミさんの任務について行くようなことがあれば、タイムマシンを見たことはおろか触れたことすらない僕は、その場で使い方を教えられてもきっと戸惑うことでしょう。ご迷惑は掛けたくありません」


「いい心がけだ」とムラカミさんは笑う。この人は、笑う時にライオンのように歯を剥き出しにするのが特徴的だ。


「だけど安心しろ。お前は知らず知らずのうちにタイムマシンの使い方を心得ている。見たことも、触れたこともなくても、それを渡して〝やれ〟と言われればやれる。必ずな」


 正直に言えばあまり納得は出来なかったが、ムラカミさんがそこまで言い切るということは、きっとそういうことなんだろう。となれば、自分で気が付けないだけで、あの訓練の日々がすなわちタイムマシンの使用方法の学習に繋がっているに違いない。


「出過ぎたことを言ってしまい申し訳ございません。何もわかっていないクセに――」


「いや、いい。俺が〝本音で〟と言ったんだ。エンドー、よく言ってくれた」


 そう言って嬉しそうに笑ったムラカミさんに、僕はしばらく会っていない父の面影を見た。だからなのかもしれない。僕が、彼にあのようなことを訊ねてしまったのは。


「僭越ながら、お訊ねしたいことがあります。ムラカミさんのご家族は今どうなさっているのでしょう」


「父も母も生きてるよ。歳の割に元気だ。うるさいくらいにな」


「僕の両親もそうです。たまに実家へ顔を見せると、〝彼女を連れてこい〟と口うるさく言われます」


「でも、一度も連れて行ったことはない。そうだろ?」


「そうなんです。……お恥ずかしいことに」


「恥ずかしいことなんかじゃない。それはお前にとって、夢中になれるものがあった証拠だ。胸を張れ」


「そう言って頂けると……その、救われます」


「いいんだ。気にするな」


「……あの、やはり、ムラカミさんも同じようなことをご両親に――」


 僕の言葉を遮るように、ムラカミさんは持っていたビールジョッキを卓に思い切り叩きつけた。ガラスの割れる音が店内に響き、ムラカミさんの手の平は血で汚れた。


 あまりに突然のことに唖然としていると、ムラカミさんはバツが悪そうに手のひらの血をおしぼりで拭った。


「……驚かせて悪かった。でも、家族についてはこれまでだ。もう話すことは無い」


 険しい顔でそう呟いた時の彼の顔は、僕に恐怖を与えるというよりむしろ、ある種の寂しさのようなものを芽生えさせた。僕は彼に謝ることも、何かあったのかと訊ねることも出来なかった。


 結局その日の飲み会は、それからすぐにお開きになった。





 翌日。非番ということで、僕は両親に顔を見せに実家へ帰ることにした。宴席で話題に上がったせいか、久しぶりに両親の顔を見たくなった。昨夜の一件のせいで、宿舎にいるムラカミさんと顔を合わせ辛いという理由もあった。


 幸いなことに、僕の実家は宿舎から二時間かからないところにあるので日帰りでも問題ない。電車に揺られてしばらくうつらうつらとしていると、あっという間に実家のある駅へ到着した。


 駅を出ると、僕が育ったころと変わらない風景が広がっていた。地元のサラリーマンが通う焼き鳥屋も、十個で三百円の激安のたこ焼き屋も、禿げたおじさんがやっている理髪店も、オムライスが名物の喫茶店も、どれもまだあるままだ。あまりにも変わらない風景に、僕は呆れると共にどこか安心した。


「――あれ、もしかしてマサミくん?」


 懐かしい空気を頬に受ける僕へ声を掛ける女性がいた。髪の長い、白いブラウスと細身のパンツが似合う美しい女性だが、あいにくながらその顔には覚えがない。僕が「えっと」とまごまごしているところへ歩み寄ってきた彼女は、「覚えてないとは薄情者め!」と僕の胸を拳で叩いた。


「ユリだよ。サイトーユリ」


 その瞬間、幼き日の僕の思い出がよみがえる。そうだ、彼女は僕の実家の近所に住む二歳上の女の子――ユリちゃんだ。


「ユリちゃん」と呟く僕へ、彼女は「そうそう!」と嬉しそうに笑う。釣られて僕も笑ってしまった。


「でも、キミももうオトナになったんだからさ、ユリちゃんはダメじゃない?」


 慌てて僕が「サイトーさん」と訂正して言ったところへ、「冗談だって!」と言って彼女はまた笑った。僕は頬が熱くなってくるのを感じた。


「それにしても、キミが小学校を卒業して以来じゃない? どうしたのさ、今日は」


「じ、実家に帰って来たんだ。久しぶりに、両親の顔を見ようと思って」


「あら、そうなんだ。でも残念。おばさんたち、出かけてるみたいだけど?」


 彼女の言葉を聞いて、僕は慌てて父の携帯へ電話を掛けた。電話はすぐに繋がって、なんでも夫婦で温泉旅行へ出かけているとのことである。昨日のうちに連絡しておくべきだったと、僕は今さらになって後悔した。


「まあ、いいじゃない。こうして美人の幼なじみに会えたんだからサ」


 肩を落とす僕へユリちゃんはそう言って、服の袖を軽く引っぱってきた。


「どう? こうしてせっかく会ったんだから、一緒にお茶でも」





 僕はユリちゃんに誘われるまま駅前の喫茶店へ入り、コーヒーを飲みながらしばらく話し込んだ。そこで聞いた話によれば、彼女はまだ実家に住んでいるらしく、地元の保育園で保育士として働いているそうだ。


「なんにも無い町だけど、なかなか離れられなくってさ」と彼女は照れ臭そうに頬をかいた。


 それから僕の近況を話すと、彼女はまるでそれを自分のことのように喜んでくれた。その昔、僕が「大きくなったらチームCに入って世界を守るんだ」と言ったことを覚えていてくれたという。嬉しくて、それ以上に恥ずかしくて、僕は耳まで真っ赤になった。


 そのまま昼食もそこで食べて、喫茶店を出た僕達はのんびりと町を回った。ふたり並んで他愛も無い話をしながら、何も無い町をただ歩いているだけだというのに、何をするより充実感が伴う時間だった。一分一秒がこれほどまでに早く感じるのは、初めての経験だった。


 交差点で信号が変わるのを待つ間、ユリちゃんはふいに訊ねてきた。


「ねえ、マサミくんさ。もしもチームCに入ったら、もうこの町には戻って来れないのかな」


「年に一度くらいなら戻ると思うよ」


「年に一回だけ? スゴイね。土曜も日曜も休み無しで働くわけ?」


「週末が関係ある仕事だとは思わないけど……。でも、特にそこまで頻繁に帰ってくる理由もないからさ」


 ユリちゃんは「そっか」と呟いて、ふと僕の顔を上目遣いでじっと覗き込んだ。その視線に一秒と持たずに耐えられなくなった僕はつい視線を空へと向ける。先ほどまで晴れていた空には、気づかないうちに暗雲が広がっていた。


 トラックの通り過ぎる音が聞こえて、それからすぐに信号が青に変わった。「行こうか」と歩き出した僕の手を彼女が掴んで引き止めた。


「……ねえ、マサミくん。キミ、わたしとの約束覚えてる?」


「ど、どんな約束だったっけ?」


「わたしがキミの夢を応援してあげるから、もし夢が叶ったら――」


 その時、僕の鼻頭に大きな雨粒が一滴落ちた。次の一滴は頬に落ちて、次は身体中に落ちてきた。雷の音が近くで鳴っているのに気づいたころには、僕達はすっかり全身濡れていた。


 幸い、実家がそれほど離れていない場所にある。ユリちゃんの手を引いた僕は家へと急ごうとしたが、ハイヒールを履いた彼女は上手く走れないようだ。僕は「ごめんね」と言いながら彼女の身体を抱きかかえて家路を急いだ。道行く人の目が猛烈に恥ずかしかったが、彼女に風邪を引かれるよりはずっと良かった。


 それから五分と走らないうちに家まで着いた。ハイヒールを玄関で脱ぎ捨て僕の家へと上がった彼女は、自分の足で真っ直ぐリビングへと向かった。


 脱衣所からバスタオルを持ってきた僕は、リビングのソファに座る彼女へそれを渡した。「ありがと」と呟き一通り髪の毛を拭いた彼女は、タオルへ顔を埋めた。濡れたブラウスとスキニーパンツが、彼女の整ったボディーラインをより強調していて、僕は必死に彼女から視線を逸らそうとした。


「……ねえ、マサミくん。さっき言った〝約束〟、本当に覚えてないの?」


「う、うん。ごめん」


「……だったら、思い出して貰おうかな」


 ユリちゃんはふいに僕の腕を掴むと、そのままソファへと引きずり込んだ。突然のことに驚いて、なすがままにされてしまった僕は、気づいた時には彼女の胸に鼻先を埋めていた。柔らかくて、甘い香りが鼻を刺激する。鼓動が早くなってくる。「どうしてこんなこと」と言おうとしているのに、喉から言葉が出てこない。息が苦しい。顔が、全身が熱い。動けない。違う、身体が動くのを拒否している。彼女の身体の柔らかさを、このまま味わいたいとすべての細胞が叫んでいる。


「わたしとの約束……わたしがキミの夢を応援してあげるから、もしキミの夢が叶ったら、わたしと結婚してっていうこと」


「そ、そんな子どもの頃の約束――」


「本気だったんだよ、わたし。あんな子どもの頃から、こんな大人になるまで、ずっと本気だった。キミはどうなの? キミは、本気じゃなかったの?」


 どう返していいのかわからず言葉に詰まっていると、ユリちゃんはその柔らかい手で僕の頬を撫でて、色っぽく微笑んだ。理性が小さく音を立てて崩れていくのが自分でもわかる。


「でも、もうどっちだっていい。本気だったっていうことにさせてあげるから」


 耳元で囁かれたその言葉が引き金となり、僕は無我夢中でズボンのベルトに手を掛けた。





 実家を出たのは五時近くになってからのことだ。玄関で靴を履く僕へ、ユリちゃんは「駅まで見送ろうか」と言ってくれたが、名残惜しくなるからやめにして貰った。家を出る間際、「本気ってことでいいんだよね?」と彼女から笑顔で訊かれれば、「うん」と答えざるを得なかった。


 駅まで歩く道中でも、カタカタと揺れる電車の中でも、宿舎のベッドに入ってからも、彼女の身体が、声が、あの時の映像が頭にリフレインし続けた。いたずらっぽく笑う汗に濡れた彼女の横顔が、目をつぶるだけですぐ近くに感じた。結局その日の夜は熱いものが込み上げてきたせいで、一睡もすることが出来なかった。


 翌日。僕はムラカミさんに今日の訓練内容を伺うため、彼の部屋に向かった。緊張しながら扉をノックすると、「入れ」という言葉はすぐに返ってきた。部屋へ入った僕の顔を見た彼が、「酷いクマだ」と言ってライオンのように笑った。


 どうやら、居酒屋での一件はムラカミさんの中で既に清算済みらしい。僕は安堵したのを顔に出さないように、彼へ敬礼した。


「申し訳ございませんッ! 非番だからといって遊びすぎましたッ!」


「正直な男だな。二日連続で飲んだのか?」


「その」と僕が答えに詰まったのをムラカミさんは怪しく思ったのだろう。途端に険しい顔になった彼は、僕に詰め寄り襟首を掴むと「何があった?」と尋問するように問い詰めてきた。


「や、やましいことはありませんッ! ただ、その……〝捨てた〟だけのことで――」


「……もしかして童貞かッ! お前ッ、童貞を捨てたのかッ!」


「そ、その通りです! エンドーマサミ、恥ずかしながら25歳で――」


「ふざけるなッ!」


 冗談みたいな話なのに、ムラカミさんの表情は決して冗談を言っているようには見えなかった。怒りの中に強い悲しみが滲むその顔は、彼が居酒屋で見せたあの表情とまったく同じだ。


「ふざけるなよ」と呟いて力なくその場に座り込んだムラカミさんは、やがて静かに語りだした。


「……俺達チームCの血中には、ナノメートル級のタイムマシンが流れている。その使用方法がわかるか?」


「わかりません」と素直に答えると、ムラカミさんは「射精だよ」と吐き捨てた。



「俺達は、射精が引き金となって時を超えるんだ」



 彼の言葉を聞いたその瞬間、僕の中にあった気高い英雄像が音もなく崩れ始めた。僕だって別に、巨大ロボットに乗って時を超えるだなんて期待していたわけじゃない。



 でも、それでも射精だなんて――嘘だ、嘘だ、嘘だ。嘘に決まっている。



 次に気づいた時には、僕は彼に詰め寄り両肩を強く掴んでいた。自分の頰に熱いものが伝っていることがわかった。


「そ、そんな馬鹿げた話は信じられませんッ! 冗談だと……いつものような冗談だと言ってください!」


「いや、真実だ」と突き放すように言って、ムラカミさんは自嘲気味に笑った。彼の目からもまた僕と同じように涙が流れていた。


「お前の言う通り、確かに馬鹿げてはいるとは思う。だが同時に合理的ではあるぞ。任務時以外の時間跳躍は禁止されているから、妻となる女を抱いてやることも出来ない。おかげで家族を作る気にもなれない。そもそも〝種無し〟じゃ振り向いてくれる女もいない。だから、過去の時間で愛する人を人質に取られることもない。護るべき者がいないからこそ、俺達は強くなれるんだ」


 ムラカミさんと初めて顔を合わせた時の言葉が脳内にフラッシュバックする。彼は言った。「俺たちは全てを捨てている」と。あれは脅し文句でも何でもなかった。彼らは本当に、全てを捨てているんだ。



 ――童貞以外の全てを。



「エンドー、お前がここに呼ばれたのは、お前が女と付き合ったこともない生粋の童貞だったからだ。女への執着が無いと認められた草食系だったからだ。だがお前は俺達の期待を裏切り、女を抱いて、そしてその女に惚れた。だからお前はもう駄目だ。非童貞のお前は、チームCチェリーの器じゃない」


 その時、ムラカミさんの着る上着のポケットからビープ音が聞こえてきた。「お役目か」と誰に言うでもなく呟いた彼は、ゆっくりと立ち上がり机の上に置いてあったくしゃくしゃのポルノ雑誌を手に取った。


「研修は終わりだ。さっさとここから出ていけ、エンドー。それで、地元に帰って惚れた女と幸せに暮らせ。お前達の未来は俺が守ってやる」


 厳しいことを諭すような口調で優しく言った彼は、ベッドの縁に腰掛けてズボンのベルトに手を掛ける。


「ほら、もう行け。俺の〝至福の時〟を見たいって言うなら話は別だけどな」


かく言う私も童貞でね

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― 新着の感想 ―
[良い点] 言葉の強さに起因するシュールさが、ほんといい味出てますね。 話自体は大真面目なんですが、映像に置き換えると……Vシネマのようです(笑) [気になる点] チームCが過去に移動したとき、ズボン…
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