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刃と鞘と

作者: 人形使い

初出:01/07/02  オリジナルキャラ・狭間勇真の両親の話を考えて書いたものです。

「そういえば……」

 ここは狭間家の食卓。

 オムレツをつついていた勇真が、ふと箸を止める。

「む? どうした息子。……たくあんなら分けてやらんぞ」

 狭間父こと狭間勇が息子の挙動に目を光らせる。

 どうあってもたくあんを譲る気はないらしい。

「ごはんおかわり~?」

 狭間母こと狭間泰子がのほほ~んとその様子を窺っている。

「いやそうじゃなくて」

「……まさかオムレツを半分分けてくれなどと言うのではないだろうな。

 ならばそれ相応の代償を払ってもらうぞ……」

「あら~、いきなり勝負~? でも食べ終わってからにしてね~」

「だからそうじゃなくて」

「む? 違うのか。ではトマトなら分けてやろう」

「緑黄色野菜もとらないとダメよ~」

「……」

「どうした息子。なにを部屋の隅で体育座りになっているのだ」

「壁とお話するのはあんまりいい傾向じゃないわね~」

「……えーと、なんだったっけ……。あ、そうそう、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

 落ち込みから何とか立ち直った勇真が、ようやく本題を切り出す。

「聞きたいこと? ……美味しいたくあんのつけ方か?」

 あくまでたくあんにこだわる勇。日本人の基本か。

「聞きたいこと~? 美味しいオムレツの作り方かしら~?」

 あくまでオムレツにこだわる泰子。主婦の血か。

「もォいやァァァッ!!実家に帰らせていただきます!!」

 あくまでイビられる勇真。一人っ子の悲しい運命さだめか。

「フハハハハ馬鹿め!ここがお前の家だろうが!!」

「はぁぁッ、基本的かつ根本的ボケを!! 僕がァ! この僕がァァァァァ!! あうあう」

 悪ノリを始める勇。普段押さえている分、こういうときに一気に噴出するのだ。

「で、聞きたい事と言うのは何だ?」

「……これだけ盛り上げといてさも何事もなかったかのように……。この大火の如く燃え上がったテンションは一体どこに持っていけばいいんだー!!」

 そして、すぐ収まる。巻き込んだ相手の都合など微塵も考えない、

 徹底したンンンンマ~イペェェェス振りだ。

 ハイテンションのはけ口を失って悶え捻れる勇真とあくまでマイペェスで

 漬物をむさぼり続ける勇の間に、それまでなりゆきをのほほ~んと見守っていた泰子が口をはさむ。

「は~い二人とも、タバコのやにを混ぜた水に入れたイトミミズみたいにのた打ち回ったり三日三晩飲まず食わずの旅人がオアシスの雑草を食べるみたいにがっついてないでお茶でも飲まない~?」

 今ひとつよく分からない喩えで息子と夫にお茶を勧める泰子。

 んで。

 ずず~……。

「ぷはー……」←一家三人

 すっかり和みきっている狭間家三人。

「……ところで父さん母さん」

「なんだ、息子よ」

「何かしら~」

「何だかさっきから話が1ミリも進んでない気がするんだけど。ずず~」

「そんな気もするわね~。ぽりぽり」

「ではちゃっちゃと話を進めようではないか」

「了解了解。で、聞きたい事って言うのは父さんと母さんの馴れ初めの事なんだけど」

「フ……良くぞ聞いてくれた!!」

「うふふ~、実を言うとね~、この人結婚したときから自分の子供に

 馴れ初めを話すのを楽しみにしてたのよ~。脚本まで書いたんだから~。あ、見てみる~?」

「……やめてください。いやマジで」

「あら~、残念。徹夜で書いたときのよだれの跡とかついててなかなか面白いのに~」

「なんだか、見たいような見たくないような……」

「私が直接語ってやる。それで満足しろ」

「じゃあそれで手を打とうかな」

「うふふ~、いろいろ思い出すわね~」

「ふむ……どこから話そうか……。そう、あれは確か……」






 始まりは一通の手紙だった。

 当時勇は山小屋に必要最低限の調度品だけを持ち込み、狭間流抜刀居合のより一層の研鑚に励んでいた。

 勇がいつものように早朝の素振りを終え、汲み置きの水で顔を洗おうと桶をしまってある小屋の裏に行くと、桶の傍に紙切れのようなものが置いてある。

 それは半紙をそのまま二つに折ったものだった。勇は一目見て果たし状だと悟った。

 彼がこの手の手紙を受け取るのは初めてではない。

 狭間流抜刀居合を継ぐ以上、否、武道家という道にある以上、他流からの挑戦を受けることは珍しくはない。

「ふむ、今度はどこからだ?」

 折りたたまれていた半紙を開く。

『本日正午 高天原高原にて御手合わせ願います  甲斐流薙刀術  甲斐泰子』

 それだけが記してある。簡潔極まりない内容に、勇は思わず苦笑を漏らす。

「しかし、女性からの挑戦とは初めてだな。だからといって手を抜くわけにはいかないが……」

 勇は半紙を懐にしまい、朝食を取ろうと踵を返す。

 と、その歩みが止まる。

 この手紙、一体いつ置いていった?

 半紙には、「本日正午」と記してあった。

 ということは、この手紙は今日のうちに置かれていたことになる。

 私に勘づかれずに……か!

「ふ……」

 自然に笑みが込み上げてくる。心が躍る。まるで新しいおもちゃを手にした子供のように、だ。

 勝負は既に始まっていたのだ。

「ははは!一本目は私の負けか!これはやられた!」

 ひとしきり笑うと、勇は唐突に表情を消しどこにいるのかも分からない挑戦者に向かって呟きを漏らす。

「――次は負けん」






 正午まであと15分程度。

 勇は指定された場所へと歩を進めていた。

 黒の袴と道着に身を包み、腕を組んで悠然と歩くその姿はあたかも戦国時代から抜け出てきた歴戦の侍のようだ。

 事実、彼は狭間流抜刀居合を継ぐものとして幾度も修羅場をくぐり抜けてきた。

 恐らくは今回の相手もそうだろう。容易に想像がつく。

 手を合わせるまでもなく相手の力量を見る事が出来た。否、一方的に見せ付けられてしまった。

「ふふ……」

 苦笑する。

 この私が、狭間勇が一方的に……か。

 屈辱感を数倍する期待が、血流と共に彼の全身を駆け巡る。

 自ずと、足取りが速くなる。

「こちら高天原高原」の朽ちかけた看板を一息に飛び越して、勇は目的地に到着。

 隙の無い目つきで周囲を睥睨、挑戦者の姿を探す。

「あ!こんにちは。早かったですね~」

 と、妙に間延びした女性の声が勇の背中にかかる。

 振り向いた勇の目に映った光景は、彼の全く予想していなかった、否、予想できなかったものだった。

 青草のそよぐ以外は数個の大岩しかない高天原高原、その一角が別世界と化している。

 パステルピンクのレジャーシートの上に所狭しと並べられているのは、色とりどり、種々様々の料理をぎっしりと詰め込んだ重箱、重箱、また重箱。

 そしてそれらに囲まれて座っているのは、白い道着と朱袴に身を包んだ黒髪の女性だ。

 長い髪は邪魔にならないように紐で縛っており、その整った顔には穏やかな……というよりむしろ気の抜けたような笑みを浮かべている。

 そのいでたち、この場所にいるという事から彼女が挑戦者である事は間違いないのだが

 その表情からはとても武道に通じているものの雰囲気は感じ取れない。

 しばし硬直していた勇が、ようやく口を開く。

「あー……貴女が、甲斐泰子……か?」

「ええ、そうですよ~」

「で、では、この大量の料理はいったい……」

「うふふ~、一緒に食べましょ~」

 頭痛を覚え始める勇。まったく状況が把握できない。

 しかし勇の混乱をよそに、朱袴の女性――甲斐泰子はすでに勇の分の料理を取り分けている。

 そしてもう一度、

「一緒に、食べましょ?」

 と言った。






……私は一体何をやっているのだ?

サトイモの煮っ転がしをほおばっている勇の脳裏に、至極当然の疑問が浮かぶ。

――そもそもここへは手合わせをするために来た。

 なのになぜ私はサトイモの煮っ転がしを食しているのだ?

「お味のほうはいかがです?自信作なんですけど~」

「うむ、なかなかだな。この砂糖ひとつまみの絶妙のバランスが……いやそうではなくて」

「はい?」

「なぜ私はここでのんきに食事をしているのだ」

「お昼時ですから~」

「いや、私は手合わせをしにここへ来たのだが」

「わたしもそうですよ?」

「……」

微妙にかみ合わない会話に、勇のこめかみがキリキリと痛み始める。

そんな勇の苦悩もどこ吹く風、泰子は至極のんびりした仕草で箸を運んでいる。

勇の方もなんだかんだ言いながら箸を進める。

状況はどうあれ、美味い物を食べないのは損と言うものだ。

「うふふ~」

 勇が卵焼きを食べているのを見て、泰子が不意に笑う。

「……何か?」

「いいえ~、何でも」

「……?」

――どうにも調子が狂ってしまう……。

 今や二人のいる高天原高原の一角は、手合わせとは程遠い和やかな雰囲気が漂っている。

 重箱も一つ、また一つと空になり、やがてすべての重箱の中身はすっかり二人に胃の腑に納まった。

「ふぅ、ご馳走様でした~」

「……」

 泰子は幼い子供がそうするようにきちんと両手を合わせ、勇は無言で黙礼をする。

 礼が済むと泰子は重箱をてきぱきと片付け始めた。

 その様子を見て、今度は勇が思わず笑みを浮かべてしまう。

「……ふ」

「? 何ですか?」

「いや失礼。……何だかとても今から手合わせをするという雰囲気には見えないな、と思って、つい」

「うふふ~。手合わせをするといっても別に親の敵って訳じゃありませんし、相手をして下さるんですからそれなりのおもてなしもした方がいいと思って~」

 どうやらのんびりしているのは口調だけではないらしい。

 闘争心と言うものが根こそぎ欠如しているのではないかと思うほど、穏やかな気性を生まれ持っているのだ。

 ただ、それは勇にとって別段不快な事ではない。むしろ――。

「ふ~んふふ~んふふふ~ん……」

 楽しげにハミングしながら慣れた手つきで重箱を片付けている泰子の姿に、勇はいつしか郷愁に似た感覚を覚えていた。

「さ、片付け終了~」

「ッ!」

 泰子の声で、勇は我に帰る。あろうことか、見とれてしまっていたのだ。

――二度目の不覚、か。

 胸中でそう自分を戒めると、勇は表情を引き締める。

 が、引き締めた表情も泰子の後ろ姿を見ているとどうしても崩れてしまう。

 勇が必死に顔輪筋と格闘しているうちに、泰子の方はマイペースに手合わせの準備を始めていた。

 きちんと整理されて置かれた重箱に立てかけてある細長い包みをするすると開ける。

 そこから顔を出したのは彼女の小柄な体には不釣合いな長大な長刀。

 それをまるで主婦が布団たたきを持つような気軽さで携えている。

「? どうかしましたか?」

「んむ、あ、いや、何でも……」

「うふふ、おかしな方。貴方も早く準備してくださいね~」

くすくすと笑うその様子は、長刀を構えていてもなお武道に身を置いている者とは思えない。

泰子に促された勇も、刀袋に入れてあった自分の愛刀を取り出す。

しかし、二人がそれぞれの武器を構えても、未だそこには闘争の空気は無い。

「じゃ、始めましょうか~」

「始め方はどのように?」

「そうですね~……そちらにお任せします」

「では、そうさせて頂く。10間隔ててそこから始めよう。よろしいか?」

「は~い」

やはり気の抜けたような声で返事をすると、泰子は遠足に行く子供のような足取りで勇と背中合わせに歩いていく。

 勇も怪訝な顔をしながら歩を進める。

――分からん……。どうにも解せない。

 勇はその脳裏で、今までの泰子の行動を反芻していた。

 そのどれもが、「武道家」や「手合わせ」と言った言葉とは縁遠いものだった。

 その相手と自分は今まさに試合おうとしている。

 油断ではない。相手の力量が見えないのだ。

――ふん、考えても仕方ないな。試合えばよい事だ。

 そう結論付けると勇は十分な距離をとたのを確認して踵を返す。

 振り向いた瞬間、勇の爪先がびくりと引きつった。

 勇の眼前、申し合わせた通り10件の距離を置いた所に泰子は立っている。

 これは当然の事だ。

 そして、泰子は自分の武器である長刀を構えている。

 これも当然の事だ。

 ただ、当然でないのは――。

「甲斐流長刀術、甲斐泰子……」

 自分の流派と姓名を名乗るこの声が既に斬撃に等しい鋭さを放っていた事である。

 細めた目も、自然に笑みを浮かべた口元も変わらない。

 ただ、雰囲気だけが入れ替わったかのようにまったく別のものになっている。

 先程までのあの穏やかな仕草、物腰は擬態だったのではないかと思う程の変貌振りだ。

 否、最早これは変質といても過言ではないだろう。

「……お手柔らかに、お願いしますね」

――それはこちらのセリフだ。

 内心で勇は苦笑する。

 今まで数多くの武道家と剣を交えてきたが、今目の前にいる相手は、

 そのいずれにも類似しない、全く初めてのタイプだ。

 なにより、向かい合っただけで一瞬でも身が竦んだ事など今までに無かった事だ。

 だが、それで彼が恐れをなしたかと言うともちろんそうではない。

「狭間流抜刀居合、狭間勇」

 そう名乗る勇の口元に、笑みが浮かぶ。

 当然だ。

 武道を生業に生きる人間にとって、より強い相手と試合う事は何よりの悦びなのだから。

 それが今までに無い相手と言うのだから、心を躍らせるなと言う方が無理だ。

 その高揚感の所為か、勇は奇妙な問いを泰子に投げかける。

「試合う前に、不躾な質問を一つ許して欲しい」

「? 何でしょう?」

「貴方は母親か?」

「??」

 今度は泰子が不可解な質問に小首を傾げる番だ。

 戦いを前にしての、あまりといえばあまりにも場違いな質問だ。

「いえ……?まだ未婚ですけど……」

「そうか。それならば私にも勝ちの目はあると言う事か」

「??? 何だか話が見えてこないんですけど~」

「貴方がもし母親だったら、万が一つにも私の価値は無かったと言う事だ」

「それはどうして?」

「決まっている」

 そう言うと勇は笑みの一回り強くして、

「母親は地上で最も強い生き物だからだ」

 と、恥ずかしげも無く言った。

 思ってもいなかった答えに、泰子は思わず吹き出してしまう。

「うふ、あはは!おかしな人~」

「ふ……」

 これから互いに刃を交えようと言うのに、この和やかさはどうだろう。

 けれどさすがに談笑しているばかりではいけない。

 二人がここにきた理由は別にある。

「さて、そろそろ始めねば。時間を無為に過ごす訳には行かない」

「うふ、そうでしたね。すっかり忘れる所でした~」

「して、合図は?」

「次に雲が太陽に差し掛かったときでいかが?」

「異存ない」

 雑談も終わり、合図も決まり、後は始めるだけだ。

 二人は相対したまま、微動だにしない。

 風が青草をそよがせる音だけが空間を満たしている。

 時間が刻々と流れ、雲が風に吹かれその形を変えていく。

 そして――。

 中天に雲の端が被さったその瞬間。

「いェああッ!!」

 先に動いたのは勇だ。膝と足首のばねだけで一気に距離を詰め、抜く手も見せぬ一刀を放つ。

 が、その切っ先は泰子には届かない。

 つい今しがたまで泰子が立っていた場所には長刀が突き刺さっているだけ。

「!?」

 どこだ、という間も与えずに、勇の後頭部に打撃。

 頭部に攻撃を受けた為バランスを崩すも何とか踏みとどまる。

「うふふ……やっぱり小手先の技では倒れてはいただけませんよね」

「!!」

 声は背後からだ。

 まず目に入ったのは、風にはためく朱袴。

 だがなぜそんなものが目の高さより上に?

 疑問の答えは単純だ。

 それは泰子が地面に立っていないからだ。


ボッ!

 草履の爪先が、槍もかくやの速さで勇の顔の横を貫く。

 勇は紙一重でそれを回避。飛び退って距離を取る。

 泰子は一体何をしたのか、長刀を右手に待ったまま立っている。

「ふ……そんな使い方があったとはな……!一撃目は長刀を地面に突き刺し斬撃をかわすと同時に

 石突を支えに宙返りからの膝蹴り。ニ撃目は柄のしなりを利用した足先蹴り、か。なんとも恐ろしい」

「うふふ……ご明察です。初めてですよ、たった一撃で見抜かれたのは」

 そういうと泰子は手にした長刀を下段に構える。

「……参ります」

 そう告げると全く自然な動作で、す、と右足を一歩踏み出す。

「せぇぇッ!!」

 裂帛の気合とともに、長刀の穂先が勇の目の前に『現れる』。

 『突く』という過程が全く視認できない速度と、まっすぐ眉間を狙った正確さを持った

 銀色の閃きを、勇は抜きかけた刀の鍔元で受け止め、一気に抜刀する勢いで穂先を跳ね飛ばす。

「りぁッ!!」

 そのまま素早く左手を添え、雷電の如き袈裟切りを撃つ。

 穂先を跳ね飛ばされて上体が無防備になっていた泰子は、あろうことか仰向けに体を地面に投げる。

 切っ先は鼻先を掠めはしたが、背中が完全に地面に接地しているため、さらに無防備になってしまっている。

 が、勇は何を考えたのか、仰向けに倒れている泰子にではなく、その眼前、つまり何も無い虚空に向かって抜きつける。

「ッ!」

 泰子の体がびくりと硬直する。そうまるで、行動を封じられたかのように。

 否、実際に泰子は行動を封じられたのだ。仰向けに倒れたのも計算だったのだがそれは既に見抜かれていた。が、だからと言って易々と負けを認めるわけには行かない。

「せぁッ!!」

 泰子は仰向けのまま、上段から刃を薙ぐ。無論彼女の背後には地面があるため、十分に振りかぶる事は出来ない。

 が、それが逆に功を奏した。大きな振りかぶりがない分、隙も小さい。

 もとよりこの一撃で勝負を決めようというわけではないのだし、相手の虚を突くのには十分だ。

「く……!」

 今度は勇が一瞬だが硬直してしまう。

 その隙を突いて泰子は長刀を地面に突き立て、その反動で中空に躍り上がる。

「呼ォォォォ……ッ!!」

 落下しながら泰子は鋭く呼気。気が満ちていくのが目に見えて分かる。

――勝負に来るか……!

 そう悟った勇も、次の一撃で決する覚悟を瞬時に決める。

 今なら跳び退って距離を取るなり何なりする事も出来るが、彼はそうしない

――そんなものは無粋。無粋の極みだ。

「賦ゥゥゥゥ……!!!」

 勇もまた全身に気を漲らせる。

 激突までの間、刹那の間でも多く、長く、自らの心と身に気を行き渡らせなければならない。

 そして、その時は来た。

「せやあああッ!!!!」

「じゃああああッ!!!!」






「……で、母さんが見事勝ったっていうわけだ」

「うふふ~、懐かしいわね~」

「……昔の事だ」

 勇真は妙に満足そうに何度も頷き、泰子はのほほんと微笑み、勇は新聞の向こうに顔を隠している。

「ところで、僕はその後のことが凄く気になるんだけど」

「その後って~?」

「だから、母さんが勝負に勝った後、二人がどうなったのかっていうこと」

「結婚したのよ~。ぽ~」

「いや。ぽ~じゃなくて、結婚に至るまでの過程を知りたいんだよ、僕は」

「お前が知るにはまだ早い」

「別にいいじゃないか。自分の出生に直接関わることなぐはぅ!?」

 自分の息子の鳩尾を強打してその場を納めると、勇は早々と自室へ戻ろうとする。

 こころなしか耳が赤いように見えるのは気のせいだろうか。

 その背中を見送りながら、泰子はふと目を閉じて、回想する。






 結婚しません?

 ……はェ?

 結婚。

 ……唐突だな。

 こういうのは思ったときに言わないと。

 ……こちらには選択権と言うものが……いや、私は負けたのだからな。

 無理にとは言いませんけど……。

 なぜ、そうしようと思ったのか、聞かせていただきたいのだが。

 ま、不躾な方。

 今更……。

 うふふ。……単純な事です。刀は鞘に収まるのが自然だから……と思ったから、ですよ。

 ……くッ、ははは……。

 ま、不躾な方。……結構恥ずかしかったのに~。

 いや失礼、実に独創的な答えだったもので……。

 で?承諾して頂けますか……?

 ……承知した。

 どうして?理由をお聞かせ願えるかしら~?

 ……ッ。

 うふふ。

 ……言うよ。……ったからだ。

 え~?聞こえませんよ~?

 ……ッ。

 うふふ。

 ……敗因だよ。勝負に負けた理由と同じだ。私は貴方に……。

 わたしに?

 ……。

 続きは~?

 ……。

 耳が赤い~。

 ……貴方に……み……。

 み?

 見とれてしまったのだッ!!!!





「うふふふ~。あのひとったら、あの頃からちっとも変わってないんだから~」

 部屋に一人残された(正確には昏倒した息子がいる)泰子は、くすくすと笑いながら一人ごちる。

 そしてふと、隣で目を回している息子の顔を覗き込む。

「うふふ……。この子にも色々話してあげないといけないわね~」

 そう言ってまた微笑む泰子の左手の薬指には、銀色の輪が光っている。

「うふふ」

 もう一度微笑むと泰子は、足取りも軽く勇の書斎の方へ消えていく。

 飲みかけの麦茶の氷が、からりと鳴った。

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