91.
――――その夜。
「母上、入りますよ?」
アドルフはエイダの居室に来ていた。エイダは星空を見上げていたようで、ベランダの方に出ていた。
「おや、どうした? 何か問題でも?」
エイダはその美しい顔に笑みを浮かべて聞き返した。
「聞きたいことがあります」
「聞きたいこと?」
「今回の件、母上、関わっていますね・・・・・・」
エイダは一層笑みを深めた。
「何の話じゃ?」
「ゴウエンはあなたにずっと手紙を送っていたそうではないですか。ガルディア帝国と戦争を起こしたいと・・・・・・」
「・・・・・・」
「あなたがルーシェを狙わせるようにしましたね」
「どうじゃろうなあ、あ奴は妻と娘を大切にしておったからなあ。私が何もせんでも、そのうち爆発したろう」
「でしょうね。あなたはただ、背中を押しただけだ。ゴウエンの・・・・・・」
「それで? お前の言いたいことはなんだ。ルーシェは結局無事だろう?」
「・・・・・ええ。ゴウエンのことも、ラルムのこともあの子は許してしまった」
「そうだったな」
エイダは何かを思案するように顎に指を置いた。
「それよりも、なぜそんなことを!?」
「なぜとはなんじゃ? 私は孫娘たちをよろしくと書いただけ。ルーシェは優しいとも書いたがな」
それもまた引き金となったのだろう。
「母う――――」
「アドルフ」
アドルフの背中に戦慄が走った。久しく感じていなかった、死への恐怖。幼少期から戦場に立ち、自ら先陣をきって戦場に血の雨を降らせ死体の山を積み上げた鬼姫が、そこにいた。
「リスティルに歳など関係ない・・・・・・。それはそなたもよく知っておろう。自身を振り返れ。それに、ルーシェは生きておろう?」
「わかりませんね。私は、出来損ないなので」
アドルフは母からの愛を疑ったことはない。いろいろあったけど、そりゃー、いろいろあったけど。
ただ、リスティル当主として認めてくれているかは不明だった。
「出来損なってはおらん。お前は少々卑屈すぎじゃ。誰も、私の後継がお前以外とは言うておらんじゃろうが。大体、勝手にいろいろとやらかしたのはゴウエンの方じゃ」
「まかり間違って、本当にルーシェが死んでいたら・・・・・・」
「アドルフ、これくらいのことで死ぬならば死んでしまった方が幸せじゃ。おぬしもよくわかっているはず・・・・・・」
「しかし!!」
「そのような顔をするな。あの子はちゃんと生き延びた。何の問題もない。甘すぎるのが心配だったが、もうここまで来たら、それを貫いた方がよいかもしれんなあ」
「やっぱり、母上が仕込んでたじゃないですか!? このようなやり方は反対です。ルーシェは母上とは違う」
「そうじゃの。あの子は私と同じようで、本質は全く違うな」
エイダはそんなこと、とっくに知っていた。誰に似ているかも、とっくの昔に気が付いていた。ルーシェは自分がなれなかったものになるのだろう。エイダは化け物と人の境界線の、人側の崩壊すれすれの場所に立っている。でもルーシェは化け物側に行ける。あいつと同じように。そうでなければ、命を狙ってきた相手に対して、許し続けるなんてことができるわけがない。甘さとは違う。自分の命と天秤にかけても、より良い結果を選び抜ける。
「あの方にそっくりです」
二人は同じ人物を考えていた。
本当ならば、エイダよりリスティル公爵家を継ぐにふさわしいと言われた人。
真の『神の子』、エイダの実弟ヴィンセント。
「・・・・・・」
「私はルーシェが、リスティル公爵を継ぐのには、賛成しません」
「ほお? 周りがそう望んでいるのにか? 能力に問題でも?」
国王陛下が、第一王子が、騎士たちが、それを認め、望んでいる。
「あの子は、母上とは違った意味で、歴史に名を残す戦公爵になるでしょうね」
リスティルにふさわしい聡明さと力を持ち合わせてしまった。
「いずれ、叔父上のようになるのでしょう。でも、あるとき突然おかしくなって、壊れます。あの子が積み上げてきた名声が、あの子を苦しめる」
積み上げてきた死体の分だけ、振りかえって我に返れば、きっと壊れてしまうんだ。自分が奪い去っていったもの達の怨嗟の声にとらわれるんだ。そうして叔父上は姿を消した。
「お前はルーシェに甘いのだ。あの子はそこまでやわだとは思わんがなあ」
話は終わったとばかりにエイダは部屋から出た。
***
エイダは長い廊下を止まることなく歩き続けた。
エイダも、ルーシェはヴィンセントに似ているとずっと思っていた。アデルもクラウスも気が付いていた。だから、ずっと見守ってきた。
エイダにとって、今回のことはある意味賭けに近かった。ゴウエンが動くかどうかも分からなかった。もし動くなら、ルーシェの反応を見てみたかった。前々から甘いところがあると思っていた。ラインハルト侯爵に狙われたときも、クイニーのことを許してしまうし。ただの甘ちゃんで夢見がちの馬鹿なのか、それとも何か別の意図があるのか。さすがに今度こそ罰することを止めないんだろうなあと思っていたら、なんと止めよった。それもかなりの暴論で。『ガルディア帝国のことを知っている部下って素敵だと思わない?』、部下から聞いたとき、ああ、この子はきっと目的を持って助けているんだと思った。
先ほど聞いたときも、『もったいないから、使えるから』という理由だった。少しほっとした。ただの甘ちゃんで馬鹿なら、殺してやろうと思っていたから。
その方が本人と周りのためだ。
「あの子は、お前が思っている以上に世界を見ておるよ」
あいつとは違う。
だから、大丈夫だ。




