89.
私は真っ黒い空間に立っていた。ただし、今回は目の前に彼が立っていた。
相変わらずの人外の美しさ。
「久しぶりだな・・・・・・」
「イリシャ・・・・・・。お久しぶりですわ」
王宮で会った不思議な青年イリシャが立っていた。
「ああ」
「もしかして、また、狭間に来てしまいましたの?」
「いや違う」
間髪入れずに否定された。イリシャが現れるのだから、やらかしたのかと思ったが、そうではなかったらしい。
「私が勝手にお前の中に入っていっただけだ」
「あらま・・・・・・」
「今回もいろいろ大変だったようだな」
憐みのこもった眼を向けられた。
「そうですわね」
色々とひどい目にあったのは事実だ。どうしてこんなにひどい目に遭わなきゃいけないのかしら。
(ちょっと待って?)
「え、あなた、見ていましたの?」
「少しな」
「少しって・・・・・・」
ちょっとは助けてくれても、と思ったが・・・・・・。
「われは立場上、手助けができないのだ。すべてが終わった後に、こうして現れることしかできない」
私の考えていることが読まれたのか、意見は封じられた。
「そういえばそうだったわね。ねえ、ガルディア皇帝は何者なの? 彼、色々と感覚が人とずれているみたいだけど」
「少し・・・・・・お前と似ているのかもしれん」
「似ている?」
それはどういう意味なのだろうか。
「彼もまた、断片的だが、前世の記憶とやらがある」
「何ですって!?」
「落ち着け。ただ、お前と違って、この世界の前世だ」
「この世界での前世? そんなことが・・・・・・」
「しかもお前のように生きた記憶ではない。感情だ」
「感情?」
「怒り、悲しみ、憎しみ・・・・・・。負の感情を覚えている。だからこそ、不安定でしょうがない。それに加えて、他人より優れた力の持ち主。おかしくならないわけがない・・・・・・」
ガルディア皇帝の言葉が思い出される。
『お姫様といたら、きっと僕も普通になれる気がするんだ』
(だからあんなことを・・・・・・)
彼がしたことは許されることではないが、ああなってしまったのは仕方のないことだと思った。
「・・・・・・そう。彼は前世では何だったの?」
そのとき、彼はゆっくりと人差し指を唇に持っていき、しーっというポーズをとった。
「それは言えない」
「・・・・・・理とやらに抵触するのね」
「そうだ。・・・・・・俺の助けは、まだいらないか?」
「・・・・・・まだ、いりません」
「ガルディア帝国は戦争を仕掛けてくるかもしれないんだぞ」
「・・・・・・そうですわね」
私の目的は、アステリア王国が滅びないようにグレンに家を継がせて、家出をすることだった。それが、戦争が思ったより早く引き起こされる。
「あなたの手を取ったら、うまくいくかしら・・・・・・」
「・・・・・・さあな」
「きっと今、あなたの手を取ったら、楽なんだわ」
「・・・・・・望むなら、俗世のすべてを遮断してやれる」
イリシャはきっと、私が苦しまないようにしてくれるのだろう。
「だから、行けない」
私のせいで早まった戦争の危機から逃げ出すなんてできない。
(それに・・・・・・)
『あんなふうに、あっさりと『戦争をおこす』と口に出せるのは恐ろしいな・・・・・・。俺がああならないようにちゃんと見ていてくれ』
そう言ってくれるラスミア殿下を置いていけない。まだ、幼いグレンを置いていけない。
「そうか・・・・・・」
イリシャは私の頭をゆっくり撫でた。
「お前がそれを選ぶのならば、それを尊重しよう」
「ありがとう、心配してくれて・・・・・・」
「・・・・・・お前に特別ケガがなさそうだから、これで戻る」
照れくさそうにそう言うと、彼の姿はその瞬間、空間から掻き消えた。
私自身も、意識が薄れて行った。
***
「・・・・・・」
私は目を覚ました時、窓から入る光に目を細めた。
「ルカ」
その細めた目の先にいるのは、ルカだった。
「お嬢様」
ルカは、私を静かに見つめていた。
「ルカ・・・・・・」
ルカはそのまま私の額に手を置いた。
「熱が下がりましたね。腕のケガのせいで熱を出されて、三日ほど目を覚まさなかったのですよ」
「そんなに・・・・・・」
自分がそれほどまでに意識を失っていたのに驚いた。
「そう言えば、ルカ!! ゴウエンは!? ラルムは!?」
私はベットからガバッと起き上がった。
あの二人はどうなったのか。ゴウエンがラルムを殺すことは阻止できたが、結局どうなったのか知りたかった。
「二人とも、取り調べの真っ最中です。詳しくは知りませんが」
「生きているのね!?」
「お嬢様がそう望まれたと聞きましたので」
「そう、良かった・・・・・・」
私は心の底からほっとした。しかし、次の瞬間発せられたルカの声があまりにも怖く、私は身震いした。
「お嬢様」
「ルカ、ごめんなさいね。心配かけたわ。あと、ルカがお父様たちを呼んでくれたのね」
「・・・・・・」
ルカは無言のままだ。それが怖い。
じっと見つめあう。
ルカは「はあ」、とため息をついた。
「お嬢様は、あの時『また後で』とおっしゃったでしょう」
「言ったわね」
「ちゃんと約束を守ってくれました。・・・・・・だから、怒れません」
「ルカ・・・・・・」
ルカは悲しそうに、顔を歪めた。どこか、泣きそうにも見えた。
「今回の件、お嬢様が私たちのことを思って、いろいろと考えた結果だと思っています。旦那様も、自分がはっきりしなかったから、お嬢様がこんな行動をとったと反省しておられます。だから、怒ることができません。でも・・・・・・、これだけは言わせてください。私達はお嬢様を大事に思っているのです。もっと、ご自分を大切にしてください。帰ってくるというのは、ケガをして、意識を失って帰ってくることではありません」
最後は懇願のようだった。
「・・・・・・ごめんなさい、ルカ」
『自分を大切にする』、この簡単なようで難しい言葉に、簡単に頷くことができなかった。
「お嬢様は、正直ですね・・・・・・」
「え?」
「そこは、嘘でも『わかった』と言うところです」
「あ・・・・・・」
「まあ、我々が頼りないから、こんなことになったのでしょう。わかりました、お嬢様」
「いや、頼りないとかでは・・・・・・。はい?」
(どうしたの、ルカ。何を理解したの・・・・・・)
「私が頼りないから、お嬢様は頼ってくれないのでしょう? なら、私がもっと強くなります」
「・・・・・・」
私はルカの顔をまじまじと見た。ルカの表情は何かを決意したそんな表情だった。
「・・・・・・ルカ」
(頼りないとか、そんなことを思ったことはないのだけど・・・・・・)
その時だ。
「あねうえ様!!」
「ルーシェ! 無事かな? 腕のケガは痛まない?」
「ルーシェ姉様!」
「目が覚めたか!」
グレン、ユーリ君、ユアンお兄様、ラスミア殿下がそれぞれ入ってきた。ルカは瞬時に壁際まで下がった。
「みんな・・・・・・」
特にグレンは私の腰にギューッと抱き着いた。
「心配したよ?」
グレンに見つめられると、罪悪感がすごい。
「ごめん」
「本当だよ、グレンはしばらく元気がなかったんだよ? 泣かなかったけどね」
ユーリ君がグレンの頭を撫でた。
「全く、三日も起きないなんて。さすがにお寝坊だよ、ルーシェ」
ユアンお兄様に軽く頬を突かれた。
「ごめんなさい、ユアンお兄様」
心配をかけたので、素直に謝っておく。
「あのケガだから仕方ないが、目が覚めて良かった」
ラスミア殿下が心底ほっとした顔で言った。
「心配をおかけしましたわ。ああ、そうだ。お礼を言っていませんでしたわ。ラスミア殿下。助けに来てくれてありがとうございます」
私は頭を下げた。
「ル、ルーシェ、顔を上げろ。今回のことは・・・・・・、別に気にするな。俺も隣国の皇帝の顔を見ることができてよかったよ」
「いいなあ。二人とも。せっかくだから、ガルディア皇帝を見てみたかったよ」
ユアンお兄様がうらやましそうに返した。それに対して、私とラスミア殿下は顔を見合わせて、ビミョーな顔をした。
「見ない方が幸せかもしれんぞ」
「そうですね。いくら綺麗でも・・・・・・」
(あれは少しね・・・・・・)
「何それ、そんなに怖い顔なの?」
「怖いというか・・・・・・なあ」
「顔は怖くない、いやむしろ、綺麗だけど、やっぱり雰囲気は怖いわね。性格が難ありですよね?」
「難あり」で片付けられるほど実際は簡単ではないが、うまい言葉が見つからないのだ。ただ、未来永劫、会わないことをお勧めする。
いったん微妙な空気になったが、ラスミア殿下の一言で変わった。
「そうだ。俺は今日、王都に戻るからな」
「あら、帰ってしまいますの?」
随分と急ぎの帰還だと思ったが、よく考えたら第一王子だから仕方ないのかもしれない。
「帰りも時間が掛かるからな。もともと長居はするつもりがなかった。・・・・・・また、王都で会おう」
また、王都で会うことは分かり切っていたので、ラスミア殿下も挨拶はあっさりしていた。
「そうですわね。あ、そうだ。ラスミア殿下」
「どうした?」
「アイヒに、青い髪のカツラは手に入りませんでしたってお伝えくださいます? こんなことがあったのですもの、きっと街には出られませんわ」
それを聞いたラスミア殿下は顔をひきつらせた。
「そんなことは気にしなくてもいい。だいたい、あいつなら一言言えば作らせることができるからな。・・・・・・まあ気にするな。今回は青い髪の部下を手に入れたけどな」
それはラルムのことを指しているのだろう。
「そうですわね・・・・・・。さすがにアイヒに差し上げられませんけど」
「じゃあな、ルーシェ。見送りはいいから、ゆっくり休めよ」
「はい、ありがとうございました」
その日の午後、ラスミア殿下はリスティル公爵家を後にした。
***
ラスミア殿下が去ってから、一時間後。
部屋の外から、ドドドドドッと荒々しい音が聞こえた。
バン!!と扉が音を立てて開かれた。壊れてないだろうか。
「ルーシェ!!」
「ルーシェ、目が覚めたって!?」
「お父様!? 叔父様も!」
お父様は私の傍までやってくると、私を抱きしめた。
「無事でよかった」
「・・・・・・うん」
「ごめんな、ルーシェを不安にさせた・・・・・・」
「・・・・・・いいえ、お父様。お父様はいろいろなことを考えなければなりませんもの。仕方ありませんわ」
「ルーシェ・・・・・・」
「お父様は、私の無茶な願いを叶えてくださいました・・・・・・。感謝いたしますわ」
私もお父様を抱きしめ返した。
「勝手に屋敷を飛び出して、心配をおかけしてごめんなさい」
「いや、いいんだよ・・・・・・。無事ならそれでね」
「ラルムとゴウエンは・・・・・・?」
それに答えたのは、叔父様だった。
「とりあえず、二人ともこってり絞ったし、怒ったよ。まったく、ルーシェはとんでもないね」
叔父様は私の頭を撫でた。
「悪いけど、ラルムを素直にルーシェの部下にすることはまだできないからね」
「はい、わかっております」
しかし、私のことを主人だなんて言って、私も認めたようなことになっているけど、どうなるのかわからないのに、無責任なこと言ってしまった。未来を変えるためとはいえ、どうすべきか・・・・・・。
(ま、グレンと仲良くなってくれたら万々歳ね)
これからにこうご期待だわ。




