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「ごきげんよう、ルーシェ姫」
突然声をかけてきた少年は、優雅に礼をして見せた。
「ご、ごきげんよう」
私もつられて挨拶を返す。
(こんな人、この会場にいたかしら?)
こんな綺麗な容姿ならば、噂好きな貴族たちが何も言わないわけがないのに。
「どうしました?」
「いいえ、あの、お名前を教えてもらってもよいですか」
「ああ、そういえば・・・・・・。私の名前はジェレミアと言います。今日は父に連れてきてもらったんです」
「まあ、そうでしたの」
「ルーシェ姫のお披露目ですから、ぜひお目にかかりたくて」
来なくていいとは言えず、とりあえず頷いておく。
「せっかくなので、私と踊ってもらえますか?」
「ええと・・・・・・」
(できればもう踊りたくない)
私は困った顔をして、差し出された手を見た。
「大丈夫、この場所で構いません。少しだけ・・・・・・」
そこまで言われてしまうと、これ以上断ることは難しい。
「す、少しだけなら」
そう言って差し出された掌に手を重ねた時だ。
「きゃ!」
ぐいっと引っ張られて、抱きしめられる形になった。
「ちょっと」
「ああ、失礼」
「放して下さ・・・・・・え・・・・・・」
私は目を疑った。彼の髪は、金髪だったはず。なのにどうして・・・・・・、銀色なの・・・・・・?
「・・・・・・求婚は受け入れてくださいますか? 姪御殿」
「え・・・・・・」
耳元でささやかれた言葉に、体が固まった。
(どういうこと・・・・・・)
「ふふ」
彼は動けない私を引っ張ると、そのまま踊り始めた。
私はされるがままになりながら、目の前の少年の顔を見つめる。
「あなたは・・・・・・」
彼の髪は完全に銀髪になり、瞳は紫に変化していた。
「・・・・・・この姿では、はじめまして。私がガルディア帝国皇帝です」
「本物な、の?」
「もちろん」
前に相まみえたときは、ヨシュアの姿を通してだった。ガルディア皇帝の顔を、私は知らなかった。あのときから、どこか化け物のような印象を持っていたが、彼は普通の人だった。背中まである銀の髪を一つに束ねて、切れ長の目を細めて薄く微笑む姿は、どこからどう見ても綺麗な少年、だった。あの時に感じた寒気のようなものは、今はない。
いろいろと言いたいことがあった。あなたのせいで、ヨシュアはアイヒの傍にいられなくなったし、アイヒは死にかけた。
あの時のことを考えると体が震えそうになる。
「ここに、何をしに来たの」
「やはり求婚するなら本人が来ないとダメかなあと。遅くなってごめんね。ちょっと前の昼間に意識を飛ばして見ていたんだけど、弟君に気が付かれてねえ・・・・・・」
ここは敵国だというのに、全く緊張感が感じられない。殺されると思わないのか。それとも、囲まれても抜け出せる自信があるのか。
(前にグレンが泣いていたのはそういう理由か・・・・・・)
「私に婚姻を申し入れた親書は、本気なの?」
「もちろんだよ」
「どうしてそんなことを・・・・・・」
「お姫様に惚れたから、じゃ、信じないよね。そんな顔しないでよ」
「私は本気で聞いています」
私が真剣に聞いているにもかかわらず、一切の本気さが見つからない。
「君の力が必要だから」
「私の力・・・・・・」
「そうだよ」
そういえばあの時、国王陛下はこう言っていた。
「『空間』を操れる力、そして、ケガを治癒できる『神の力』、心当たりはあるよね」
「はい」
「お母様の出身の話はもう聞いたかい?」
「聞きました」
「あの王家は、かつて神と契約したと言われている」
「神・・・・・・」
「特殊能力を持つ人『発現者』が多くいたらしい。近年はその数を減らしているらしいけど。マリア殿は力を持たない『無能』だったからね。その因子とやらを持っていないのだと思い込んでいたそうだ」
『空間だけでも発現したらラッキーと思っていた』
残酷なガルディア皇帝はそう言った。
「・・・・・・」
「考え込んでいるね。別に悪くないことだよ?」
彼はそう言うと、私の耳元に顔を近づけた。
「え?」
「君が嫁いでくれたら、戦争を仕掛けることをやめてあげる」
ドクン、心臓が大きく鳴ったのが分かった。
「戦争、仕掛ける気だったの?」
「それもいいかなと思っているよ。いい位置にあるよね、アステリア王国って。知っている? 僕の帝国の冬はとても厳しい。港町は氷で閉ざされる。陸路も、何とか雪を溶かしながら物資を運んでいるよ」
「北の大国が、随分と弱音を吐くわね」
「それだけ大変なんだよ。アステリア王国は土地も海も魅力的だからね。欲しいよ」
(思ったよりまともなことを考えているわ)
あの時は少しばかりおかしな感じが際立っていたが、今はまともに思えた。自分の国が少しでも裕福になるために、他国の領土を奪う。よくある話だ。
私は自身を落ち着かせるように息を吐いた。
(私が言えることは、今は一つしかない)
「・・・・・・私が結婚に関して、言えることは何もありませんわ」
あの後、屋敷の書物庫に案内してもらい、系図を出してもらった。物凄く分厚かったけど、ここ二百年のものを確認した。
(リスティル公爵家一族は親族に至るまで外に嫁がせていない)
どういうことかというと、旦那や嫁をもらうときは、全部姓をリスティルに変更させているのだ。
(そしてまあ、なんというか・・・・・・、自由恋愛の多いこと多いこと。入ってきた人の出身が名前の下に書かれていたが、『死刑囚』、『処刑人』、『異民族』とか、なんなんだよ。一番多いのは『貴族』だったけど、そういえば『滅びた国の王族子孫』とかもあったわね)
だから、私が結婚するかどうかは私の一存で決めることができない。一瞬考えないわけじゃなかった。私がこの国を出て行くつもりなのだから、それは結婚と言う形でもありなのではないのかと。
(ただ、ガルディア帝国に嫁いでも、私の命の保障はできないし、そもそも戦争をしないなんて保証もどこにもないわ。どうなるかわからないのに、嫁ぐのは勘弁だわ)
「・・・・・・ここで嫁ぐって言ってくれたら、今すぐにでも攫っていけるのにねえ」
攫わないなんて言ったって、相手は敵だ、信じられるか。私は自分が置かれている状況に、危機感を覚えていた。じりじりと距離を取ろうとする。
その場を緊張感が支配した。
「私があなたの国に行ったとして、アステリア王国の肥沃な土地と海をあきらめられるのかしら? あなたが戦争を仕掛けるかどうかが不確定なのに、求婚の返事なんか余計にできないわ」
「じじいどもはあきらめないかもね。でもどうでもいいよ、そんなこと。君が傍にいてくれるならそれでいい。君の願いは叶えてあげる」
前言撤回。やはり少しおかしい。
「あなた、私のこと随分買ってくれているのね」
「まあね。君の力が欲しいと言ったのは対外的な理由だよ。本当に欲しいのは君だ」
「私? どういうことよ」
「僕と同じ感覚を持てる人は多くないんだもの」
「わからないわね。私、他人と違う感覚を持ったことはありませんわ」
「そうなの?」
物凄く不思議そうな顔をされた。あまりにも驚いた表情に、彼は素で言っているのが分かった。
「ええ・・・・・・。あなたこそ何を言っていますの」
「人が虫けらに思えたりしないの?」
本当にきょとんとした表情で聞かれた。
「思うわけありませんわ!」
虫けらだなんて思ったことはない。なんてことを言うのだ。
「じゃあ、この世界にいる自分に、力に違和感を覚えたことはないの?」
「え?」
そう言われたとき、私はまじまじとガルディア皇帝を見てしまった。
(違和感? そんなもの・・・・・・)
「・・・・・・」
沈黙が二人の間を流れたと思ったら、ふいに前に引き寄せられた。
ちゅ。
一瞬時が止まった。
(ちゅ?)
頬に温かい感触。
(え? ええええええ!!??)
目の前にはお綺麗な顔!
「な、何をって、きゃ!」
何をするの! と言おうとしたら、今度は腕を後ろに強い力で引かれた。
「お嬢様!」
普段のルカからは到底考えられないくらい、怒った顔。
「貴様、お嬢様に何をした! 殺すぞ・・・・・・」
普段のルカからは考えられないくらい冷え切った、どすの利いた声だ。
さらに、私とガルディア皇帝の間に二人の大人が立ちはだかった。
「お、お父様!? ゴウエン!?」
後ろ姿からではわからないが、お父様もまた、怒ってらっしゃるように見えた。
「ガルディア皇族を招待した覚えはないぞ・・・・・・」
そう言うと、お父様は腰の剣を抜き、切っ先をガルディア皇帝に向けた。
「こんばんは、リスティル公爵。いや、義兄上様?」
ガルディア皇帝は不敵に笑った。
「・・・・・・なんだと? 貴様、皇帝か?」
義兄上様と呼ばれたお父様が、信じられないといった声で呟いた。
「その通り。この髪色、そして目の色を見ればお判りでしょう? あなたの奥方と大事なお姫様と同じなのだから」
「・・・・・・何をしにここに来た」
「それは分かり切ったことでしょう。やはり求婚するなら本人が来るべきだろうと思いましてねえ」
「やかましい。この地に踏み入るとは殺されても文句が言えないぞ」
ゴウエンが剣を持ったまま一歩踏み出す。
「はいはい。殺されるのはごめんだよ。もう帰るからさあ。お姫様、今度、さっきの答を聞かせてね」
ガルディア皇帝は私に向かって微笑んだ。
「黙れ、小僧!」
ゴウエンが吠えた。
「うるさいなあ。言われなくても帰るよ」
そう言って手をかざすと、突然私たちに向かって、無数の氷の刃が飛んできた。
「え!?」
「ちっ!」
お父様が手を振りかざすと、あたりを炎が包み込み、氷の刃を溶かした。
氷の蒸発によってできた水蒸気で、あたりが見えなくなる。
「待て!!」
ゴウエンが追いかけるが、そこにはすでにガルディア皇帝の姿はなかった。
「ちっ、逃げたか。ゴウエン!」
「捜します!」
ゴウエンはそう言うと建物の方へ走っていった。
それを見届けたお父様は私と目線を合わせた。
「ルーシェ」
「は、はい、お父様」
お父様のあまりにも冷たい声に背筋が伸びた。しかし次の瞬間には抱きしめられた。
「無事でよかった。何もされなかったかい?」
「ええ、大丈夫」
私を抱きしめて満足したのか、顔を合わせると、お父様は忌々し気に顔をしかめた。そして、白い手袋でゴシゴシと私の頬を拭う。いつの間にかにこにこ顔になっていて、少し怖い。そして、あまりに強く拭われるので痛い。
「アドルフ様、あまり強く拭われると、お嬢様の頬に傷が・・・・・・」
「ああ、そうだね。ごめんね、ルーシェ」
「い、いえ」
ルカ、よくぞ言ってくれた。
「・・・・・・何を言われたの?」
分かっているでしょ、と思ったが、私は素直に答えた。
「お父様、ガルディア皇帝と私の縁談話が出ているのでしょう。そのことを言われましたわ」
私がそう言うと、お父様は目線を反らした。
ルカはなんともいえない表情をしていた。
「そうか・・・・・・」
「ええ。まだ、返事はしていらっしゃらないでしょう? どうするおつもりですか?」
「ルーシェが考える必要はないよ」
お父様は私を抱き上げる。
「ですが!!」
「それは私の一存でも決めることができない。さあ、帰ろう。」
それ以上、お父様は何も言わせてはくれなかった。