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主人公の思い。
いつも読んでくださりありがとうございます。
ついに弟が生まれてしまった。
私はメイドたちに自室に連れ戻されたが、眠気もなくベッドに座り込んだ。弟に触れた瞬間見えたものはきっとあの子の魔力だ。あの子は水、火、土、風、四つすべての魔法を使える天才だ。間違いない。あの子は私を超える。私よりすごい当主になれるだろう。このままでは私の先視の力が示した通り、後継者問題が起こる。間違いなくあの未来がやってくるのだ。
「ああ・・・・・・」
ため息が出てくる。ここでの生活は本当に楽しい。やさしい家族、メイドたち、師匠。
離れたくない。
心に占めているのはそればっかりだ。ぐるぐるとずっと頭の中を回る。弟ができたことはとっても嬉しいのに。あの子がいなければ・・・・・・、そんな恐ろしいことを考えてしまいそうで嫌になる。
認めなければ。
このままここにいても未来はないのだと。
覚悟を決めなくてはならない。ここを出ていく覚悟を。
今のところ逃亡先の第一候補は隣国アテネ王国が一番いいと考えている。
かなり治安が良く、前世で危機管理能力の薄い日本人だった私にはうってつけだ。しかもどうやらこの国と大して気候が変わらず、食事も口に合わないということはないらしい。(by師匠)
次なる問題は、というか一番の問題なのだか、どうやってアテネ王国内に入るかだ。馬車もあるし、旅人ならば商人隊に入れてもらうこともできる。目を付けたのは商人たちを守る護衛兵だ。
しかし、仮にも王族に次ぐ公爵家の長子がいなくなれば大騒ぎになるに決まっている。各街道の関所を締められてしまえば検問で捕まるに決まっているのだ。しかも、身分証だって必要。
「ここが、一番やっかいなのよね・・・・・・」
アテネ王国に行くまでにはどうやっても二週間かかるのだ。馬を飛ばして強行軍で駆け抜けてもおそらく風魔法で情報が伝わってしまう方が早い。そもそも子どもの体力で馬を飛ばし続けるのは無理だ。占術師まで使われて、居場所占われても厄介だし、それを防ぐため占術返しを習得しないといけないかもしれない。
「うう、いろいろ問題があるな~。・・・・・・いっそ死んだことにする手もあり・・・・・・?」
その方が楽かもしれない。追われるということがないのだ。しかし死体の問題が出てくるしな。崖から落ちて行方不明。死体上がらず・・・・・・、とか。
「うーん。上手くいくのかな?」
***
「お嬢様。弟君誕生おめでとうございます!え、どうされたのですか。目の下にクマができていますよ」
いやー、とメイドたちが騒ぐ。そんなに騒がなくてもいいのに・・・・・・。
「えーとね、なんだか眠れなくて」
結局朝までぐるぐると考え込んでしまった。覚悟を決めても、揺らぎそうになるし。
「確かに、弟君ができたのですから当然ですね。今日は祝日ですのでおけいこ事もありませんし、少しだけお眠りになられますか?」
その提案はありがたかった。お父様たちも弟やお母様に付きっきりで今日は私にかまっている暇はなさそうだしね。
「そうするわ・・・・・・。お休み」
ポスっと布団に寝転ぶと、確かにちょっと眠くなってきた。
「おやすみなさい、お嬢様」
メイドの声が聞こえた後、私の意識はなくなった。
***
ルーシェの冒険
「家出をしてみようかしら」
お母様に愛していると言われても、ラスミア殿下に認められても、問題解決にはならない。弟が生まれて、結局、夢の通りになってしまった。
家出する、これは決定事項だ。
そう考えていたら、ふと家出をしてみようかと思った。思い立ったが吉日とばかりに、稽古で使用する剣とこの身一つで家出を試みようとする私は、少しやけくそだ。
リスティル公爵邸の自分の部屋を抜け出して、外に通じる道を歩いていく。屋敷を振り返ると、静まり返っていた。草木が風に揺れる音と虫の音しか聞こえない。
「・・・・・・」
私は目の前の大きな門を見上げた。
リスティル公爵家と外との境界線。
「結局、どこにも行けないわね・・・・・・」
ここまで出てきたものの、本気で外に出る気はまだない。ただ、体が動かないと落ち着かなかった、それだけだ。家出計画は全然進んでいないし、そもそも、どこに行ったらよいのやら。
「はあ」
ガシャッと門の鉄柵をつかんだ。
硬くて、冷たくて、無機質。
「・・・・・・帰ろう」
はやく戻った方がよい。私は少し落ち着こう。予知夢が現実になるのはまだ先なんだから。
そう思ったが、体が動かない。
しばらくそのままでいた。
「ルーシェ」
その静寂は突然破られた。
私は声の方向に振り向いた。
「お、お父様・・・・・・」
お父様は私の数メートル後ろに静かに立っていた。
「どうして・・・・・・」
私は呟いた。
「知らせてくれた子がいてね。ルーシェ、何をしているの?」
いつも通りの、やさしいお父様の声。
「・・・・・・」
すこしやけくそになって家出しようとしていました、なんて言えない。
「どこに行こうとしていたの?」
私は俯いた。特にどこに行こうとか考えていなかったし。
「わからない・・・・・・」
「ルーシェ」
いつの間にかお父様は私の目の前にいて、片膝をついて私と目線を合わせた。
「部屋にいないと聞いて、本当に心臓に悪かったよ」
「・・・・・・ごめんなさい」
私がそう言うと、お父様は私を抱きしめた。
「こんなに体が冷えているじゃないか・・・・・・」
お父様はとても温かくて、自分はとても冷え切っていたんだと理解した。
「お母様からルーシェは最近元気がないと聞いたよ?」
「・・・・・・」
私は何の反応も返さなかった。
「弟や妹ができるのは嫌かい?」
「違うわ!!!」
そう言われた瞬間、お母様や、ラスミア殿下の言葉が思い出され、体の芯が冷え切った感じがして、自分でもびっくりするくらい、お父様の腕の中で暴れた。
「いっ!」
体をひねった衝撃で、手が鉄の門に当たり、指に激痛が走った。
「ルーシェ!」
「別に嫌じゃない!! そうじゃない!」
「ルーシェ、落ち着いて」
お父様は私を抱き上げると背中を叩いた。
「別に、姉になることは嫌じゃない・・・・・・」
別に、弟が生まれるのは構わないのだ。生まれなければいいとか、そんなことは思ってない。先視が外れたらよいな、と思っていても。
「そうかそうか。ほら、手を見せてごらん。ああ、爪がはがれているじゃないか」
「い、痛い」
認識したら、余計に痛くなった。
「ああ、痛いね。ほら、痛いの痛いの飛んでいけ」
いや、痛いから、お父様。
私は左手で右手を包み込んだ。
次の瞬間
ぱちっ
何かがはじける音がした。
そして、痛みが消えた。
「え?」
「ルーシェ?傷は?」
お父様は驚愕の顔で私の指を見た。
「なくなりましたわ」
「・・・・・・」
「お父様?」
お父様の顔は今まで見たことがないくらいこわばっていた。
「神の・・・・・・力」
「お父様・・・・・・?」
神の力って、何?しかし、私はその言葉を口に出せなかった。
「よかった。傷がなくなって。ルーシェは大事な大事な宝だから、痛い思いをしてほしくないよ」
「お父様、今のは・・・・・・」
「ルーシェ」
お父様は私の手を握った。
「今のことは忘れなさい。そして、誰にも言ってはいけない」
「どうして?今のは何?」
「今日のことは誰にも秘密だ。ルーシェ、約束してくれるね」
「は・・・・・・い」
お父様のあまりにも真剣な言葉に、私はそれ以上何も言えなかった。
その後お父様に抱えられて屋敷に連れ戻された私は、涙目のお母様に迎えられた。それからしばらく、お父様とお母様の間に寝かせられる羽目になった。どうやら、弟に居場所を取られ、拗ねてしまった子だと思われたようだ。
「・・・・・・・」
少し精神的に荒れていた私だが、しばらくすると少し落ち着いた。準備もできていない状態で、家出をするなど短絡的だったと反省した。
しかしあの事件以来、どうもお父様が護衛を増やした気がするのだ。本当にやってしまった。
***
「・・・・・・」
アドルフは隣で眠る愛娘の頭をそっと撫でた。
「あなた・・・・・・」
妻は心配そうにルーシェを見ている。
「大丈夫だ。ルーシェはまだまだ子供で、精神的に不安定なだけだ。そのうち慣れるよ」
家出をするのは困ったものだが、ラスミア殿下も弟妹たちが生まれる時に同じような状態になったのを見たことがあるし、子どもの順応性を知っているので、特に気にしていない。むしろ、同年代に比べて聡明すぎるルーシェにも、きちんと子どもらしい面があると安心したくらいだった。
気がかりなのはむしろ、ルーシェの傷がなくなったことだ。
「・・・・・・」
あれは、「神の力」と呼ばれるものだ。
アドルフは実際の使い手を見たことはない。ただ、この世に存在する魔術とは一線を画するものであり、神の気まぐれで生まれた治癒の力を指す。その原理は一切不明。ただ、ケガや病にかかる前の状態にすべてが戻る。
まさか、愛娘に発現するとは思っていなかった。
「神の力」の使い手はあまりよい人生を送れない。その希少性から、時の権力者たちや宗教家たちの思惑にいつでもさらされる。
「くそっ」
この家に生まれ、血なまぐさいこととは一生無縁でいられないのに、こんな業を背負うことになるとは。
ルーシェの警護を増やす必要があるかもしれない。