30
「クラウス師匠、ごきげんよう」
授業を終えた私は、庭で待ってたクラウス師匠に駆け寄った。
「ルーシェ姫、今日は大変でしたなあ」
どうやら今日のことは師匠の耳も届いていたらしい。
恥ずかしい限りだ。
「お父様がお母様大好きなのはうれしいけれど、ちょっぴり恥ずかしいですわ」
貴族たちの中には妻子を持ちながら、たくさんの愛人を持っている人間もいる。前世では両親とも仲が良く、不倫なんてよろしくないという感じの国だったから、お父様がお母様一筋なのはもちろんうれしい。おじい様もおばあ様だけだし、私の一族は貴族にしては信じられないくらい奥さんを大切にする家系らしい。
「そもそも、この家に嫁ごうとする女自体が最強ですからな・・・・・・。入り婿も相当の覚悟の上・・・・・・。エイダ相手に不倫なんぞしたら生きてられんだろうしな・・・・・・」
と何故か遠い目をして、大量の冷や汗を流していた。
何かがあったのだろうか。
しかし尋ねたいが、答えたくない、そう背中が語っている。
「お母様もお強いのかしら?」
「・・・・・・今度聞いてみてください」
もう何も答えてくれなかった。
「そういえば、師匠はガルディア帝国に行ったことはありますか?」
今日の授業で習ったので聞いてみようと思ったのだ。
「・・・・・・授業で習ったのですかな?」
「はい、師匠は戦ったこともあるのでしょう?」
「そうですなあ。・・・・・・どのように習いましたか?」
「仮想敵国で、今は和平を結んでいる。でも、約束を破る国だから、また喧嘩を仕掛けてくるのでしょう?」
私は教えられたままを言ってみた。
すると苦笑された。
「ルーシェ様。そのことを聞いて帝国に関してどんな感情をお持ちですか?」
「そうですね・・・・・・。約束を守らない国は嫌いですわ。戦争も嫌い。たくさんの命が亡くなるでしょう?」
私は正直言って歴史の話は全てを信じていない。歴史の真実なんてそれぞれの国によって違う。きっとあの帝国がこの国に何かをしたのは確かだ。でもこちらからも何かしたことはあるだろう、教えはしないだろうが。
ともかく戦は絶対無理。私は平和な国からきたから。
「帝国は嫌いですか」
「あんまりよろしくない国ではあるようですね。でもすべての人間は、嘘をつきますから何とも。この国もきっと色んな嘘をついてはいるでしょうし」
私はあたりさわりがないように言った。
「そうですなあ。私が若いころあの帝国の首都に行ったことがあります。たくさんの露店が並んでおりました。また、海沿いの市ではたくさんの海産物が並んでいて、とても活気づいていました」
師匠は話し始めた。
「露店の店主は大きな声で客を呼び込み、女将たちは値切りの交渉をする。我が国と何も変わりがありませんでした。ルーシェ様、あの国が戦を仕掛けてこないとは言うことができません」
師匠が言いたいことはなんとなくわかる。
「ただ、あなたが将来戦場で出会う兵士たちにも家族がいます。我々と同じように大切なものたちがいるのです」
戦争をすると決めるのは上の人間だ。でも死んで行くのは徴兵された民たち。彼らは別にこの国に恨みがあるわけではないだろう。ただ、命令されただけ。きっと、師匠は敵兵も私たちと同じなのだということを言いたいのだろう。だからと言って手を抜いたら、こちらの民が死ぬのだが。まったく、戦争はこれだから嫌なのだ。何も生み出さない。
前世で自分のいた国がちょっとはすごい国だったと思った。なんと言われようと70年間は戦争を起こさなかったのだから。
「上の人間は椅子にふんぞり返るだけですものね。少しならわかりますわ。・・・・私、守らなければならないものがたくさんあるし、壊すものもたくさん出てくるのね」
リタイヤする気満々だけど。だって、私がいたらが余計な波風が立つのだ。これだけは変わらない未来だった。
「グレンは大丈夫かしら」
私はそう呟いた。私がいなくなればその役目を担うのは弟だ。あの子は強くなる、それこそ最強の魔法使いになるだろう。命は安全だ。でも、心はどうだろうか。
「弟君の心配ですか?」
クラウス師匠は苦笑していた。私のブラコン具合にあきれたようだ。
「だって、泣き虫なんですもの。心配ですわ。わたくしがいつまでも守れるわけではありませんし」
そう、あの子がいずれ守る側になるのだ。王も、民も。
私は、あの子を捨てていく。ここにある全てのものを置いていく。
今日はすさんだ考え方をしちゃうなー、と思った。絶対にあの帝国の外交史のせいだ。
***
ルーシェ様は賢い御子だ。年齢にしてはありえないほどの視野の広さと、聡明さを併せ持つ。歴代の戦公爵の中でも最強と言われるかもしれない。
今日の昼間も、自分のことより、弟君のことを心配していた。
自分は平気だけれど、弟はどうだろうか、と。
「ガルディア帝国か・・・・・・」
あそこは自分にとってもエイダやアデルにとっても、忘れたくても忘れられない国だ。守るべき主をみすみす殺された。憎むべき国。そしてルーシェ姫にとっても・・・・・・。
「あの子たちにまで、この負の歴史を背負わせたくはないな・・・・・・」
「同感ですね」
突然上から声が降ってきた。
「坊・・・・・・、気配を消すのがうまくなったな」
そこにいたのはリスティル公爵アドルフだった。
「あなたにそう言われるなんてうれしいですよ」
クラウスが今いるのは最上階のベランダだ。
つまりアドルフは屋根にいるのだ。
「おいおい、仮にも公爵がそんなところに上るんじゃない。落ちたらどうするんだ。戦公爵の死因が転落死など笑えんぞ」
クラウスは苦笑した。そういえば国王に巻き込まれていたものの、こいつもいたずら小僧だった。いつもいつも国王とともにあちらこちらを駆けずり回っていた。
屋根に上ってチャンバラをし始めたときは肝が冷えた。
「たまには子供時代に戻りたいですよ。あいつのせいでいつもクタクタなんです」
わかるでしょう。
「今日はお前が困らせたらしいが?」
ルーシェ姫が疲れていたぞ。そう言うと、目線をそらした。
「なんの話ですか。しかし・・・・・・ガルディア帝国ですか・・・・・・? 何かありましたか?」
話し換えやがった。
「いや、今日、姫に聞かれてな。・・・・・・ルーシェ姫にとっては縁が深い国だ・・・・・・」
そう呟いた瞬間、一気に空気が凍りついた。
「そんな縁はありません。あの子はリスティル以外の何物でもない。あの子に余計なことは言わないでくださいよ?」
アドルフは強く言葉を紡いだ。
「言わないさ。だが、気を付けろ。・・・・・・いやな予感がする」




