2、王女エルティーナと白銀の騎士アレン
「…エルティーナ様。何を怒っていらっしゃるのですか?」
アレンは、真綿で包み込むような甘く痺れる声で、エルティーナに話しかけてくる。
「………」
何を怒っているだと!! 自分の胸に聞いてほしい! 毎回毎回、とびっきり美人な未亡人といちゃいちゃいちゃいちゃ。
腹立つ。人の気持ちも知らないで!!知らないのは当たり前だけど。
「………エル様…?…」
アレンは、本当に困った顔でエルティーナの家族以外は口にしない名前を呼ぶ。
「うっ」そんな神がかった超絶美しい顔で、極上の甘い声で、エル様って呼ばないで!!
「…お…怒ってはいないわ。…少し…気分がすぐれないだけ…それだ…け…」
「えっ!? 座っていて大丈夫ですか!? すぐ横になってください。侍女を呼びにいきます! あと医者もです!!」
(うぎやぁぁぁ)内心でエルティーナは叫ぶ。
「ま、まって。アレン、まって。大丈夫よ!! もうすぐ舞踏会も始まりますし」
(何よ!もうやめて!お父様もお母様もお兄様も私には甘々だけどアレンほどではないわ。本当に……。
って顔を近づけないで!!
麗しく端正に磨き上げられた彫像のような綺麗な顔を!! もの凄く心臓に悪いから!!)
普通の顔。普通の顔。とエルティーナはまたも脳内で言霊を唱えた。
「…エル様。本当に大丈夫ですか? 身体を壊してまで舞踏会に出る必要はございません」
甘く響くバリトンの低い声。エルティーナの顔を見る為に腰を曲げた、その時。アレンのたっぷりとしたさらさらの銀糸の髪が肩をすべり落ちる。
仕草の一つ一つが絵画の中の世界のようで、見惚れてしまう。
エルティーナはどれほど長く同じ時を過ごしていてもアレンと話すと、すぐに意識が飛んでしまう。
「ふふふ。アレンは、本当にいつも大袈裟ね。私の旦那様を見つけるための舞踏会ですもの。行かない…なんて言えないわ。
それにね、早く見つけなくては。私はだいぶ行き遅れていますしね!!」
できるだけ明るく冗談ぽく演技で話す、
王女として培われた技術。
これはエルティーナの武器だった。
父にも母にも兄にだって、ばれた事のない演技!! 何でも普通以上にこなせるエルティーナ。でも特別は何一つない。普通以上止まりだ。
これが私だ。
アレンが何か話しだす前に話しを変える。いつも気になっている事を、さらっと世間話のように聞く。私って本当にすごいわ。この演技! この技術!!自画自賛しながら口を開く。
「アレン」
「はい」
「アレンは、なぜ結婚しないの? だって貴方、二十八歳よね?
お兄様と同じ歳だったわよね。お兄様はもう結婚して、子供もいるわ。王太子だから跡継ぎの問題とか…。かなりうるさく言われていた。
その…お兄様も…遅いくらい? …だと私だって思ったのよ。
…アレンも跡継ぎとか…必要なんじゃないの?」
言った…言ってしまった。かなりディープな話しを…。でも明るく言ったので大丈夫だろう。
気持ちは恐々。でも表面は、さらっと今気付いたように振る舞う。ドキドキと脈打つ心臓を知らないふりをしながら、エルティーナは答えを待つ。
「私は、エル様が嫁がれるまで結婚は致しません。エル様もご存知のように、私は病持ちです。
我が侯爵家は弟が継ぎますので、心配ございません」
淡々と。まるで当たり前のように。
あまりの言葉にエルティーナは、息を呑み言葉につまる。
病持ち。今のアレンを見て、病持ちだと誰が思う?
アレンの見た目が他の人と違うのは、アレンの幼少時代の薬づけの毎日から。
白皙の肌も銀色の髪も、近くによると甘い香りのする匂いも。神々しく美しい姿の裏には、長くは生きる事はできないと言われていた理由があったから……。
(アレンの言う…知ってるは、私とは大きく違う……。
アレンは病持ちの事を、私はお父様から聞いたと思っている。
でも、違う! 違うの!! 貴方は忘れているけど、覚えてないけど、私は十一年前に貴方に会ってるの!!
言わないけど。…絶対に言えないけど)
それは、…まぁ……いい。それよりも引っかかる言葉が他にあった。
「アレン。私が、嫁ぐまでって。本気だったの?」
子供の頃に聞いた事を忘れていたわけではない。でも、あれはエルティーナが兄レオンの結婚が決まって、大好きな兄がとられる気がして。
泣いてたから…慰めただけなのでは? エルティーナは…そう思っていた…。
「はい。私は嘘は申しませんが」と柔らかくうっとりする笑顔で言う。
「……もう、そんな事を言って。私が一生結婚できなかったら、アレンはずっーと私の御守りをする事になるのよ!」
バッカじゃないの。と気持ちをこめてエルティーナは言う。バカバカしい気持ちたっぷりの投げやりな言葉に返ってきたのは、ひどく真剣な声だった。
「もちろん、そのつもりです」
「えっ!?」
迷わず、即答するアレンが全く分からない。
何を考えているか、意味がわからない。エルティーナがアレンの言葉に絶句してると。
「失礼いたします」
とナシルが部屋に入ってきた。舞踏会が始まる時間である。
最後の用意をするべく、ナシルが数人の侍女を連れてきたのだ。
王女付きの侍女は、侍女の中でも教養のトップクラス。のはずだが…、アレンの姿が視界に少し入るだけで顔、耳どころではなく、首あたりまで真っ赤。
「分かるわ〜」とエルティーナが思っていると。アレンは、何も言わず、軍記の冊子に載っている手本のような礼をし、去って行く。
本当に何も言わず。
特別大事にされているのは…わかる。主君である父の命令を文句なくこなす、聖人君子のアレン。
(…アレン……私では、駄目?? 遊ぶのも嫌?? 私は貴方に遊ばれ…たい……のに……。
こんな…特別はいらない…
貴方の沢山の恋人の内の一人になりたい……。
絶対、お父様にも、お母様にも、お兄様にも言わないから。
絶対言わないから。一度だけでいいから…。貴方と一夜を過ごしてみたい……)
エルティーナはそんなことを思う自分が、ひどく汚く思い、消化しきれない想いは、もうはち切れる寸前まで膨れ上がっていた。