表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編集(四千字~一万二千字)

子供銀行

作者: 汁茶

 わたしに子供ができた。

 一昔前なら出産するかどうかためらっただろう。子育てにはいろいろお金と時間がかかるもの。お金が必要なのに仕事を辞めなくてはならない。仕事を辞めないためにはよりお金がかかる。お金に余裕ができる頃には出産の時期を逃しており、自分の身体を危険にさらす。

 子供が可愛いからといって、自分の人生を子供に捧げたくはない。子供は他人の子で無責任でいられるから可愛いのよ。

 けれどもうそんな心配はいらない。

 子育ては専門のプロに任せる法律『子供銀行法』ができたのだから。

 わたしは何も悩むことなく産んで、満期――成人になるまで預けてしまえばいいの。

 毎月いくらかの費用を要するが、自分で育てるよりは安上がりだし時間の節約になる。自分の時間を失わずに済むのがいい。

 銀行は単一ではなく、いくつかの銀行から選べるのも魅力だ。たとえば税金の補助を受けた公的銀行。費用が安く済むけれど、子供にとっては健康で文化的な最低限の生活が保障されるだけといったところかしら。

 民間の銀行は差が大きく、徹底した教育至上主義のところとか、よく遊ばせる方針とか、スポーツに力を入れているところとか、いろいろある。どこもそれなりの費用がかかるのが欠点かしら。税金の補助額は公的銀行に比べると少ないから仕方がないのだけれど。

 いずれにしても子供は専用の宿舎に暮らすことになるけれど会えなくなるわけじゃない。自宅で育てるとなると場所や騒音の問題も起きるからやっぱり銀行に預ける方がいい。

 わたしは両親に育てられたけれど鬱陶しいと思うこともあった。それに子供に四六時中付きまとわれたくない。だから時々プレゼントを持って行く程度の付き合いの方が親にも子にもいいのよ、きっと。

 それはさておきどこに預けようかしら。

 実は今回で三人目なのだけれど、思い切って民間にしようかしら。この子の父親はわりとお金持ちだし、彼にとっては初めての子らしいから奮発してくれるかも。

 前の二人は公的銀行で、あまり利回りが期待できないのよね。

 そう利回り。満期になって子供が成人すると、二十歳から六十歳まで毎年一年間の稼ぎの内、何パーセントかを親が受け取ることができる。まあ微々たるものだし、父と母で折半だだ。けれど国が強制的にお金を親に払わせるものだから、親としてはありがたい。一昔前のニート対策の名残らしい。

 三、四人いれば少しは期待できるかしら。一人くらい当たりが出て欲しいもの。

 やっぱり思い切ってエリート育成型の銀行に預けよう。彼の親兄弟には教育者が多いし、彼もなかなか頭がいい。まあ、わたしはそれほどでもないけれど、子供にはきっと秘められた才能があるでしょうから。





 僕ももう四十歳。そろそろ老後を考える時期に来ている。

『子供銀行法』施行に伴い段階的に年金制度が廃止される。五年後くらいには年金はほぼゼロになる。

 代わりとなるのが『子供投資法』だ。

 簡単に言えば六歳から十八歳までの子供に投資するのだ。投資金は税金以外で子供を育てるための原資となる。

 投資金額に応じて、その子が成人後、六十歳になるまで一年の収入から配当金のように何パーセントか受け取ることができる。かけた金額によっては親以上にもらえる。

 何人までなどの投資制限は無いから資力と自己責任だ。老後の安心は次世代の育成にかかっている。子供債権なんて呼ばれている。

 一人目はやはり堅実に稼いでくれそうな子にしようかな。となるとサラリーマンや公務員の育成が得意そうな銀行から選ぶとしよう。まずは十五歳世代、と。

 この子の成績は中の上……この子は下位……この子は、おおトップだ。ああ、だけどこの子の枠はすでに埋まっている。新たに募集をかけてくれないと僕には買えない。

 やはり将来性がありそうな子は人気だな。それにこの世代になると能力的な差が出てきて人気と不人気がはっきり分かれる。

 下位の子に期待するには先が不安だ。もちろん勉強の成績が全てではないが、そこには意欲の差が表れるものだ。その子がちゃんと将来を見据えているのかどうかがわかる。

 中には成績が悪くても社会に出たとたん大成した子もいた。ベンチャーを立ち上げて大成功したそうだ。その子に投資した人はさぞかし大儲けしているに違いない。

 しかし僕はそんな一発逆転の大儲けは狙っていない。最初に選びたいのは堅実派だ。

 もう少し世代を下げて十二歳と九歳から選ぼう。僕の資金が許す範囲で分散投資。まずは手を付けておいて、十五歳になる頃にものにならなさそうな子の権利は売りに出す。

 ああ、そうそう。子供債権は市場に売りに出すことも可能だ。暴落した子供債権を買い漁るファンドもできたらしい。ネット上で流れている黒い噂だと、買い取った債権の子をマグロ漁船に乗せているとかいないとか。債権者が子供の人生をどうこうするのは違法だから、たぶん噂だ。

 しかし説得や提案は普通に行われている。自分が面倒をみた子供の将来を心配するのは当然のことだろう。たとえ金銭的見返りを期待するものだとしても。

 さて、どうするかな。

 手始めに九歳のこの子はどうだろう。父親の親兄弟には教育者が多い。母親の方はパッとしないが、親の投資金額はなかなか多い。親としても期待しているのだろう。成績も比較的良好だ。

 僕も一口乗っからせてもらおうか。

 さっそくこの子を管理している銀行に電話をしよう。





 フウ、と私はため息をついた。

 机の上のパソコン画面に映っているのは今季の業績を表す数字の群れ。

 どの観点から見ても前年度を下回る。

 ウチは堅実な人材育成に定評がある子供銀行だ。そのおかげで安定した投資の呼び込みに成功している。それがどうだ。前任の担当者が子供に投資金の使い道を任せてしまったせいで、多くの子供が遊びに使い、学力テストの成績が少し下がった。

 そのせいで投資が冷え込む。投資家からしたら勉強せずに遊んでいると見られてしまったのだろう。さらに下の世代にも影響している。ウチの育成の信用に傷が付いた。

 取り返すには次の学力テストを待たねばならないだろう。

 子供たちにも強く行って聞かせなければならない。投資金を集めたければ勉強しなさいと。

 ここは昔のバカな親が育てるような甘いところではない。

 親は冷静な目で子供を見ることができない。全ての親は親バカなのだ。

 親が子育てをするべきだと憤る人もいるが、歴史的、生物的観点からすると、子育ては親がするものでは必ずしもない。

 アリやハチは子育て担当の専門がいる。人間以上の社会的分業が確立している。女王が産んだからといって女王が育てるわけではない。

 昔の王侯貴族は自分で子育てなどしなかった。子育てを専門の家臣に任せて優雅に暮らし、または激務に明け暮れていたものだ。

 それからすれば今やっと普通の庶民が王侯貴族の生活を手に入れることができるようになったのだ。子供という足かせから解放されたのだ。

 もちろん自分で育てたい人はそうすればいい。

 しかし彼らは専門家ではない。子供を育てた経験はなく、授乳の仕方から反抗期の接し方まで何もわかっていない。

 我々はプロだ。優秀なスタッフと蓄積されたノウハウがあり、実績をあげることでそれを証明してきた。

 ところが子供の自主性を重んじるなどと愚かなことを考えたヤツのせいで台無しだ。確かに前の職場ではそうして実績をあげたのだろう。それがあちらの育成方針だったというのはわかる。彼が育成したベンチャーを立ち上げて大成した子も遊びをすることで感性が培われたのだと聞いている。

 しかしここの方針は違うのだからここの方針に従ってほしかった。あえて厳しい言い方をすればここは社会の歯車を育てるところだ。目指すものは堅実なエリートだ。

 優秀だから理事長が引き抜いてきたとはいえ、彼はここのやり方を理解しなかった。

 自主性を重んじるのは結構だが、よくも投資家を裏切るような真似をしてくれたものだ。

 理事長の説得になんとか成功したからよかったようなものの、あのまま居続けたらもっと悪化していただろう。

 さて、当面は地道に投資家の信用を取り戻すことに専念するしかない。

 ウチの経営は良くも悪くも子どもたち次第。

 さしあたっては遊びに金を使わなかった子を前面に押し出して宣伝することにしよう。中でもできる子にはどんどん高等教育を身につけさせることにしよう。大学も飛び級するくらいならば社会人デビューも早まる。すぐ資金回収に結びつくとあらば投資家も戻ってくるだろう。

 次の企画会議ではより堅実な人材育成を目指して道徳教育に力を入れることをあげてみようか。





 俺たちの世代は子供銀行世代と言われる。

 制度が施行されてかれこれ二十五年。

 俺たちは徹頭徹尾見返りを期待されて育てられ、二十歳となった今、これまでの恩を返せとばかりに支払い要求が束になって押し寄せてきた。

 債権者はまず俺を産んだ親。製造者だな。

 俺たちは親の愛情というものを知らない。

 言葉だけは昔の映画や記録で知っている。親子関係を美化する時の修飾語として。

 実際に俺が接した親というものは、時たま面会しに来て「がんばれ」との言葉に集約されるつまらない一方的なお喋りをして、いくらかの小遣いと差し入れを置いていくだけの存在だった。

 年寄りの中には可哀想だと言う者もいるが、俺は俺たちが可哀想だとは思わない。比較対象が実感として湧かないのだから。

 俺たちにとって親とは子供銀行の育成部担当。複数の親がいるのは当たり前。産みの親は隠語で『膿み』だ。

 膿みの債権順位は俺の場合では二番目。債権順位は俺につぎ込んだ投資金額で決まる。

 次に投資家。

 こいつらが一番金を出す。金持ちで子煩悩な膿みを持っていない場合、こいつらの歓心を買うのは俺たちの世代にとって重要な問題だ。

 俺の場合はとにかく真面目な子供を演じた。

 俺が育った銀行は堅実な社会の歯車を育てるのが特色で投資する方もそういう人間を期待していた。

 だからそういう風に振舞った。金が多く集まれば美味い飯が食えるし勉強道具や教師も自分で選べる。一度自由に金を使わせてくれる担当がついた時も、仲間たちがゲームやマンガを買い込んでいてもグッとこらえて学習用具に金をつぎ込んだ。まあ、いくつかは後で勉強を教える見返りとして読ませてもらったが。

 良い子を演じ続けた結果、結構な金が集まった。しかし惜しいことにそれらを遊びには使えなかった。別の銀行では散々遊べるところもあるから俺もそういうところに預けられたかった。もっともそっちは金が集まらないという悩みを抱えているからままならない。

 そんなありがたくも厄介な投資家は俺たちの隠語で『粘菌』。年金目当てに俺たちに執着してくる。債権順位は一番目。

 俺の就職先は国家公務員で、粘菌どものアドバイスというか口利きのおかげだ。

 実利が絡んだ年寄りの圧力のおかげで俺たちの世代の就職や給料は子供銀行法前の世代よりも格段にいいらしい。俺たちの給料が上がれば奴らが受け取る金額も上がる。俺たちが働けなければ奴らに配当がつかない。実に明快だ。

 奴らは感謝されて当然と思っているようだが、俺たちの方こそ感謝してもらいたいところだ。ヤツらの年金は俺たちが稼いでやるんだからな。

 さて、最後の債権主は子供銀行。育ての親ってやつだ。

 一番身近に接するだけあって、俺たちも複雑な感情を抱いている。何しろどこの銀行に預けられたかで大きく違ってしまうからだ。

 俺たちは銀行を自分で選べない。

 俺が預けられたところは堅実なエリート人材育成型だった。規律にうるさく、投資された金も自由には使わせてもらえない。担当のスタッフもだいたい厳しい人ばかりだった。ただ、プライベートな時間をちゃんと用意してもらえただけマシと言えた。別の銀行ではプライベートも何もなくロボット製造か何かのようなところもあったと聞いている。よく遊ばせるところとか、大自然の中で育てるところとか、親身になってくれるところ、金儲けの道具としか見ていないところ、いろいろある。

 結局は一昔前の親と同じなのだろう。

『子供の運命は、つねにその母親がつくる』とはナポレオンの言葉だ。

 どこに預けられるか、誰に出会うかで俺たちの人生の半ばは決まってしまう。

 ある時期にやたら自由にやらせてくれる担当者がついた年があったが、俺はそいつの言うことが胡散臭く思えた。友人たちは大はしゃぎだったにも関わらずだ。それまでのやり方に慣れきっていたからだろう。俺は好き勝手に金を使うことはしなかった。

 結果的にこの選択は正しかった。

 友人たちと俺の間に差が生まれ、投資が俺に集まったからだ。

 友人たちはその担当者を飛ばした銀行を恨み、俺は逆に感謝している。

 親の期待に沿うように生きた俺。ただ、この年になってみるとそれがよかったのかどうか。債権者の期待に応えて配当金を生み出していくだけの人生なんてつまらない。

 と言うか俺の稼ぎの半ば近くはすでに差し押さえられている。これに国の税金も絡んでくるのだから、まったく自分のために働いている気がしない。

 しかし期待に応えなかったらどうなっていたか。

 俺と同世代に社会人としてデビューできない、投資金を使うだけ使って金を稼げない、稼ごうとしない連中がいる。そんな連中に付けられた名は『不良債権』だ。時に世代がくっつき俺たちは『不良債権世代』と呼ばれる。不良債権問題は今や重大な社会問題となろうとしている。

 機会は増えたのに活かそうとしない連中を年寄りたちはよってたかって叩く。『落ちこぼれ』『穀つぶし』『ニート以下』

 俺もそんな年寄りたちと同じ考え方だった。

 けれど今なら連中の考え方が理解できる。やっと自分の楽しみのために金を使えると思っていたのに、毎月毎月頑張って働いても稼ぎの大半を税金と配当金で失う。他にも家賃だ光熱費だと消えていき手元には何も残らない。こんな生活がこれから何十年も続くと思うとうんざりだ。

 連中は直感的にこうなることがわかっていたのだ。

 俺たちは奴らの人生を満足させるためのただの道具として育てられていたんだって。

 こんなクソッタレな制度は正さなねばならない。

 国家公務員となった俺に新たな目標ができた。国民のために奉仕する。その国民は俺たちのような虐げられしものを優先するべきだ。いずれは政治家になって法律を変えるのだ。

 まずは支持者を集めよう。幸いというか不幸にもというか、俺たちの世代の成功者には共通点がある。それは偽善。大人たちの考えや期待を読み取り、それに沿った回答を出すこと。この特技を活かして既得権益者を欺くのだ。

 ああ、でも、別の見方もあった。悪く言えば飼い慣らされたものが多いということ。狙いに気づいた年寄りどもが本気で反対してきたら、多分俺たちは逆らえない。幼い頃から競争にさらされてきて互いに結束力が弱い俺たちはすぐにバラバラになってしまう。

 現状に満足せず、かといって上の世代には逆らえず、互いの結びつきも弱い。

 となれば、残る方法は一つ。下の世代に負担をさせること。

 実を言えば俺たちもちゃっかり制度の恩恵を受けている。充分な愛情を与えられなかったせいか、行き届いた教育のせいか、俺たちは早熟だ。二十歳になる前にすでに子供が一人か二人いるなんてよくあること。なんと言っても自分で育てなくてもいいのだから。俺にも一人子供がいる。子供銀行廃止なんて言えるわけがない。自分で育てるなんてまっぴらだ。

 俺たちの負担は子供たちに押し付けよう。それが既得権益に傷がつかない最良の方法だ。

 疲弊した年金制度に悩んだ俺たちの親がそうしたように。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] こんにちは。 いろいろ考えさせられました。 借金ばかり増えていく日本。支払額は毎年増えるのに、将来もらえる金額は減ってゆく今の年金制度。自分の人生だけ補償されていればそれでよい、あとのこと…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ