午後の午睡
午後一の授業に、一太は体育を選んでいた。
授業選択単位制では、毎日の授業の組み合わせを自分で選ぶことになる。やりようによっては午前から午後までびっしりと授業づけにすることもできるし、ある曜日だけを完全な空白にする――つまり、自分だけの休日に――することだって不可能ではなかった。
とはいえ、少なくない数で必修科目というものが振り分けられているし、そういった授業同士は原則としてかぶらないように仕組まれてもいるから、適当にやるだけではそうはならない。高校にあがったばかりで慣れていない一年生が、そうしたテクニックを覚えるのは後期になってからのことだ。
体育は必修科目ではないけれど、昼休みをはさんだ前後に年次の必修科目が並んでいるせいで、暇にならないようたいていの生徒がなにかの授業をそこにいれていた。
だから、授業に対する関心は誰もが低い。昼ごはんを食べてすぐに運動というのはどうだろう、というのもある――光量子世界での食事は、脳をそう錯覚させるだけの代物ではあるけれど。
運動しやすい服装に着替えて、一太はぼんやりと木蔭に腰掛けていた。その隣にはやはり同じように魂のぬけた顔の勇樹がぼーっとしている。
「ねみぃ」
「だなー」
やる気のなさそうな生徒たちがのろのろとボールを投げあっているのを見ながら、言葉をかわす。春先の陽気が眠気をさそっていた。
芝生の地面に寝転がれば、それはそれは気持ちがよさそうに思えるのだが、さすがにそんなことをしては先生に見つかってしまう。
いっそ身体を動かしてしまえば意識もはっきりするとは思うのだが、一太たちのチームは今、試合の順番待ちをしているところだった。
「こんなんなら、いっそ、この時間空けといたほうがよかったかもなー。そしたら、怒られずに昼寝だってできたわけだし」
「二年にあがってから楽できるように、なるべく効率的に穴を埋めてこうって言ったのはどこのどいつだよ」
「俺のせいってのかよ。体育と美術で悩んだとき、女子の運動着が見たいからって体育をおしたのはお前だろーが」
「絵心が破滅的なお前だって、美術は嫌だってさんざんゴネてたじゃないか」
覇気のない声で責任をおしつけあっていると、二人の前にふと影ができる。
腰に手をあてた女子生徒が腰に手をあてて見おろしていた。
「なーにゾンビみたいな顔して呆けてんのよ、あんたたち」
肩くらいまでの髪を邪魔にならないようアップにまとめた女子生徒は、同級生の桜井薫子という、基礎クラスが一緒の同級生だった。
「眠いんだよ。だるいんだよ。女子達が脱いでくれないとやる気がでねえ。おっぱい」
「なんでそう堂々とセクハラが言えるんだよ、お前は」
眠いとはいえ、さすがに看過できずに一太は顔をひきつらせる。
長袖の運動着を着込んだ薫子が半眼で言った。
「なに言ってんだか。あんた達に見せるものなんて上着一枚だってありゃしないわよ。分不相応なこと言ってないで大人しくエロ本でも漁ってなさい、発情猿ども」
一太と勇樹は嫌そうに顔をゆがめた。
「相変わらず口が悪いなあ」
「そうだそうだ。そんなんじゃ男にモテねーぞ」
「おあいにくさま。言葉遣いなら、ちゃんと相手を選んでるわよーだ」
べー、と舌を出す。後ろの試合の様子をたしかめてから、薫子は二人の前に腰をおろした。
「そういえばさ。周藤、なんか先輩達と一緒にしてるとこを見たって知り合いの子が言ってたけど」
「え? あー、うん。まあ。ちょっといろいろあって」
なんと説明するべきかわからないで、一太はあいまいに答えた。それににやりと笑って、勇樹が口をはさむ。
「聞いて驚くなよ。一太はな、ハーレム計画中なんだぜ」
「ハーレム? なによ、それ」
余計なことを、と一太は勇樹を睨みつける。
「ロープレだよ。課題、それだったんだ」
「ロールプレイ? ハーレム? なによそれ!」
薫子の声が大きかったせいで、近くで休んでいる生徒達の目が集まった。あわてて起き上がり、
「わ、大声だすなよ。恥ずかしい」
「だって、ハーレムって。……それ、ホントなの?」
うたがわしそうな眼差しに、一太は無言で端末を操作して自分の課題内容ページを開いてみせた。そこに提示された内容を黙読した薫子が、あらためて一太を見て、
「――ばっかみたい」
「なんでだよ! 俺が悪いみたいに言うなよっ」
ぎゃはは、と勇樹が笑っている。腹が立って、一太は近くの芝生をむしりとって勇樹に投げつけた。
はー、と驚いた様子で、薫子がしみじみとつぶやく。
「そんな変な課題、あるんだ……」
「『ハズレ』ってやつだろ」
物知り顔の勇樹が言った。
「前期のロープレじゃあんまりそういうの聞かなかったけどな。やっぱはじめてだったからかね? けっこうぶっとんだ課題のヤツ、いるらしいぜ」
「お前だってそうだろ。『勇者』勇樹」
「そうか? やることが厳密に決まってたりしねえから、けっこう楽だと思ってるけどな」
「ならその勇気を山本先生にだな」
「だからそれはやめろ、マジで笑えねーっての」
「ねえ」
薫子が口をはさんできた。
「それで、なんで先輩? 一緒にいた人、風凪先輩だったって言ってたけど」
なぜか怒ったような表情になっている。一太と勇気は顔をみあわせた。
「そうだよ。いや、ハーレム云々ってんじゃないけど。先輩に、手伝ってもらうことになって」
「手伝うって。なに」
「だから、どうやれば課題が達成できるかっていうのを。一緒に考えてもらってるんだ」
「なんだよ。ハーレムに入ってあげてもいいって言われたんだろ? 素直にお願いすりゃあいいじゃねえか」
下品な笑顔を浮かべた勇樹が、薫子に叩かれた。ばしんと小気味いい音が響き、勇樹が飛び上がる。
「痛っ! なにしやがる!」
「うるさい、バカ! ……それで、周藤」
じろりと視線を向けられ、一太はびくりと肩をふるわせた。
「お、おう」
「もう一人は? 一人じゃなかったって聞いたんだけど」
「えーと、それは。咲さんの知り合いの、在馬先輩かな? 後期の課題で会長になった人で、昔から友達みたい。咲さん、副会長だからさ」
咲さん、と一太が呼ぶたびに、ぴくりと眉を動かして、薫子は沈黙をたもっている。一太は無言の迫力に口を閉じた。
その不吉な気配をまるで察しない勇樹が言う。
「なんだよ。もうハーレム二人目ゲットかよー。しかも会長! マジ半端ねえな、おい――ってすげえ痛え!」
背中をおもいっきり叩かれた。ごろごろと転がりながら悶絶する。
それを虫けらを見るような目で、憤然と立ち上がった薫子が、鬼のような形相で一太をにらみつけて、
「変態! けだもの! 最っ低!」
そのまま去っていった。
ぽかんとその後ろ姿を見送りながら、はっと一太が我に返ると周囲からひそひそと冷たい目が注がれている。
このままじゃ変な噂が流れてしまうかもしれない。どうフォローするべきか考えて、すぐに一太は結論を得た。
「勇樹、お前は本当にひどいやつだなあ! 女の子にあんなこと言っちゃ駄目じゃないか! あとで僕から謝っておくから、ちゃんと反省するんだぞ、まったく!」
おおげさに、周囲に聞こえるように言う。
「この野郎……一人だけイイ子ぶる気か、最低野郎め……」
地面にはいつくばって突っ伏した勇樹がうめいたが、その台詞は小さくて、ほとんど遠くには響かなかった。