婚約破棄された夜、冷酷公爵は私だけを離さない〜浮気した元婚約者と偽聖女に復讐を〜
――その夜、全部終わった。
「リシェル・アルヴェーン。お前との婚約は破棄する」
王城の舞踏会。
大理石の床。煌びやかなシャンデリア。音楽。
なのに、私の耳には何も入ってこなかった。
「……え?」
婚約者だった第二王子、エドガルドは、隣に立つ女の腰を抱いていた。
栗色の髪。
潤んだ瞳。
男が好きそうな、守ってあげたくなる顔。
名前はミレイア。
最近、王都で“聖女候補”と騒がれている女だった。
「リシェル様は、以前から侍女を虐げていました……っ」
ミレイアが泣きながら言う。
は?
「それだけではありません。複数の男性と密会していた証拠も……」
「なっ……」
ざわっ、と会場が揺れた。
違う。
そんなことしてない。
でも。
エドガルドは、もう私を見ていなかった。
「証拠は揃っている。醜悪な女だったとはな」
……醜悪?
誰のこと?
あなた、三日前。
ミレイアと抱き合っていたじゃない。
私は見た。
見てしまった。
なのに。
責められるのは、私?
「お前のような女は王家に不要だ」
エドガルドが吐き捨てた瞬間。
――プツン。
頭の中で、何かが切れた。
「……不要なのは、どっちですか?」
「あ?」
「浮気していたのはあなたでしょう、エドガルド殿下」
空気が凍った。
ミレイアの顔が強張る。
「な、何を――」
「西塔の書庫。中庭。離宮二階。全部、見ました」
「っ!?」
「キスだけじゃなかったですよね?」
周囲の貴族たちがざわめく。
エドガルドの額に汗が滲んだ。
「で、ですが殿下! この女は嫉妬で――」
「嫉妬?」
笑った。
自分でも驚くくらい冷たい声だった。
「寝取った側が、よく言いますね」
ミレイアの顔色が変わる。
でも。
次の瞬間。
エドガルドが私の頬を叩いた。
「黙れ!!」
バチンッ!!
衝撃。
視界が揺れる。
「……っ」
「誰のおかげで侯爵家が生き延びられたと思っている!」
最低。
本当に。
最低だ。
「リシェル」
低い声が響いた。
会場の空気が、一瞬で変わる。
人々が道を開けた。
現れた男を見て、誰もが息を呑む。
銀灰色の髪。
鋭い紅眼。
軍服。
氷のような美貌。
北方を統べる最強の公爵。
レオンハルト・ヴァルセイン。
“氷血公爵”。
戦場では悪魔より恐れられている男だった。
「……レオンハルト公爵」
エドガルドの声が震える。
当然だ。
この人は、王族ですら逆らえない。
レオンハルト様は、真っ直ぐ私を見た。
「顔を上げろ」
「……」
「そんな男のために泣くな」
優しい声だった。
驚くほど。
私は、唇を噛んだ。
泣きたくなかった。
でも。
悔しくて。
惨めで。
「……っ」
涙が落ちる。
その瞬間。
レオンハルト様の目が変わった。
「エドガルド殿下」
「な、なんだ」
「私の婚約者に触れるな」
……は?
会場中が凍り付く。
「こ、婚約者!?」
エドガルドが叫ぶ。
私も叫びたかった。
いや誰!?
何!?
「リシェル。来い」
レオンハルト様が手を差し出す。
「え、いや、あの」
「嫌か?」
紅い瞳が細められる。
怖い。
怖いけど。
エドガルドの隣にいるより、ずっとマシだった。
私は震える手を伸ばした。
その瞬間。
彼は私を引き寄せた。
「――っ!?」
腰を抱かれる。
近い。
顔が近い。
香水じゃない。
雪みたいな匂い。
「今日から、お前は俺のものだ」
ざわめきが爆発した。
ミレイアが青ざめる。
「そ、そんな……!」
「何か問題でも?」
レオンハルト様が睨んだ瞬間、ミレイアは黙った。
圧が違う。
格が違う。
「帰るぞ」
「え、ちょ、待っ――」
そのまま抱き上げられた。
「きゃっ!?」
「黙って掴まっていろ」
いや待って!?
展開が早い!!
でも。
彼の胸に顔を埋めた瞬間。
涙が止まらなかった。
ああ。
終わったんだ。
私の初恋は。
◇◇◇
「復讐したいか?」
公爵邸。
暖炉の火が揺れる部屋で、レオンハルト様はワインを飲みながら言った。
「……したくないと言ったら嘘になります」
「なら協力してやる」
「どうして私なんかに」
彼は黙った。
少しだけ目を伏せる。
「十年前。雪崩に巻き込まれた俺を助けた少女がいた」
「……」
「覚えていないか?」
え。
まさか。
「白いマフラーの……」
「ああ」
記憶が蘇る。
雪山で倒れていた少年。
傷だらけで。
でも綺麗な子だった。
「……レオン、くん?」
「やっと思い出したか」
彼が笑った。
初めて見る顔だった。
氷血公爵なんて呼ばれる人間とは思えない。
優しい笑顔。
「ずっと探していた」
「……」
「今度は俺がお前を守る」
胸が痛かった。
こんなの。
反則だ。
◇◇◇
それから数週間。
私は知った。
ミレイアが“偽聖女”であることを。
彼女は男を操り、情報を盗み、貴族を破滅させていた。
エドガルドも利用されていたに過ぎない。
でも。
許さない。
私を陥れたことも。
父を病に追い込んだことも。
全部。
「潰します」
「いい顔だ」
レオンハルト様が笑う。
「復讐の時のお前は美しい」
「褒めてます?」
「ああ。かなり」
この人。
普段は冷たいのに。
私には甘すぎる。
◇◇◇
断罪の日。
王城の謁見室。
「ミレイア。貴様を国家反逆罪で拘束する」
レオンハルト様の声が響く。
「なっ!?」
「証拠はこちらにある」
机に並べられた密書。
隣国との繋がり。
賄賂。
偽装。
全部暴かれた。
「ち、違う!! 私は聖女よ!!」
「偽物だ」
私が言った。
ミレイアが睨む。
「……あんたのせいで」
「違うわ」
一歩近付く。
「あなたが、自分で壊したの」
ミレイアは崩れ落ちた。
一方。
エドガルドは顔面蒼白だった。
「リシェル……私は……」
「今さら何ですか?」
「愛していたんだ」
笑ってしまった。
「浮気しておいて?」
「っ……!」
「あなたが愛していたのは、自分だけです」
それで終わりだった。
王子は廃嫡。
ミレイアは投獄。
全部終わった。
◇◇◇
夜。
バルコニー。
星空の下。
「終わったな」
「はい」
風が気持ちいい。
やっと自由になれた。
「リシェル」
「?」
「結婚しろ」
「ぶっ!?」
突然すぎる!!
「いやいやいや!!」
「嫌か?」
紅い目が細くなる。
危険信号。
「い、嫌じゃないですけど!」
「なら問題ない」
ぐい、と抱き寄せられる。
「ちょ、近いです!」
「足りない」
「は!?」
「十年待った」
耳元で低く囁かれ、心臓が爆発しそうになる。
「だから覚悟しろ」
「……」
「お前を一生甘やかす」
その瞬間。
私はようやく理解した。
復讐の先に待っていたのは。
冷酷公爵の、底なしの溺愛だったのだと。




