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婚約破棄された夜、冷酷公爵は私だけを離さない〜浮気した元婚約者と偽聖女に復讐を〜

作者: 結城斎太郎
掲載日:2026/05/10

 ――その夜、全部終わった。


「リシェル・アルヴェーン。お前との婚約は破棄する」


 王城の舞踏会。


 大理石の床。煌びやかなシャンデリア。音楽。


 なのに、私の耳には何も入ってこなかった。


「……え?」


 婚約者だった第二王子、エドガルドは、隣に立つ女の腰を抱いていた。


 栗色の髪。


 潤んだ瞳。


 男が好きそうな、守ってあげたくなる顔。


 名前はミレイア。


 最近、王都で“聖女候補”と騒がれている女だった。


「リシェル様は、以前から侍女を虐げていました……っ」


 ミレイアが泣きながら言う。


 は?


「それだけではありません。複数の男性と密会していた証拠も……」


「なっ……」


 ざわっ、と会場が揺れた。


 違う。


 そんなことしてない。


 でも。


 エドガルドは、もう私を見ていなかった。


「証拠は揃っている。醜悪な女だったとはな」


 ……醜悪?


 誰のこと?


 あなた、三日前。


 ミレイアと抱き合っていたじゃない。


 私は見た。


 見てしまった。


 なのに。


 責められるのは、私?


「お前のような女は王家に不要だ」


 エドガルドが吐き捨てた瞬間。


 ――プツン。


 頭の中で、何かが切れた。


「……不要なのは、どっちですか?」


「あ?」


「浮気していたのはあなたでしょう、エドガルド殿下」


 空気が凍った。


 ミレイアの顔が強張る。


「な、何を――」


「西塔の書庫。中庭。離宮二階。全部、見ました」


「っ!?」


「キスだけじゃなかったですよね?」


 周囲の貴族たちがざわめく。


 エドガルドの額に汗が滲んだ。


「で、ですが殿下! この女は嫉妬で――」


「嫉妬?」


 笑った。


 自分でも驚くくらい冷たい声だった。


「寝取った側が、よく言いますね」


 ミレイアの顔色が変わる。


 でも。


 次の瞬間。


 エドガルドが私の頬を叩いた。


「黙れ!!」


 バチンッ!!


 衝撃。


 視界が揺れる。


「……っ」


「誰のおかげで侯爵家が生き延びられたと思っている!」


 最低。


 本当に。


 最低だ。


「リシェル」


 低い声が響いた。


 会場の空気が、一瞬で変わる。


 人々が道を開けた。


 現れた男を見て、誰もが息を呑む。


 銀灰色の髪。


 鋭い紅眼。


 軍服。


 氷のような美貌。


 北方を統べる最強の公爵。


 レオンハルト・ヴァルセイン。


 “氷血公爵”。


 戦場では悪魔より恐れられている男だった。


「……レオンハルト公爵」


 エドガルドの声が震える。


 当然だ。


 この人は、王族ですら逆らえない。


 レオンハルト様は、真っ直ぐ私を見た。


「顔を上げろ」


「……」


「そんな男のために泣くな」


 優しい声だった。


 驚くほど。


 私は、唇を噛んだ。


 泣きたくなかった。


 でも。


 悔しくて。


 惨めで。


「……っ」


 涙が落ちる。


 その瞬間。


 レオンハルト様の目が変わった。


「エドガルド殿下」


「な、なんだ」


「私の婚約者に触れるな」


 ……は?


 会場中が凍り付く。


「こ、婚約者!?」


 エドガルドが叫ぶ。


 私も叫びたかった。


 いや誰!?


 何!?


「リシェル。来い」


 レオンハルト様が手を差し出す。


「え、いや、あの」


「嫌か?」


 紅い瞳が細められる。


 怖い。


 怖いけど。


 エドガルドの隣にいるより、ずっとマシだった。


 私は震える手を伸ばした。


 その瞬間。


 彼は私を引き寄せた。


「――っ!?」


 腰を抱かれる。


 近い。


 顔が近い。


 香水じゃない。


 雪みたいな匂い。


「今日から、お前は俺のものだ」


 ざわめきが爆発した。


 ミレイアが青ざめる。


「そ、そんな……!」


「何か問題でも?」


 レオンハルト様が睨んだ瞬間、ミレイアは黙った。


 圧が違う。


 格が違う。


「帰るぞ」


「え、ちょ、待っ――」


 そのまま抱き上げられた。


「きゃっ!?」


「黙って掴まっていろ」


 いや待って!?


 展開が早い!!


 でも。


 彼の胸に顔を埋めた瞬間。


 涙が止まらなかった。


 ああ。


 終わったんだ。


 私の初恋は。


◇◇◇


「復讐したいか?」


 公爵邸。


 暖炉の火が揺れる部屋で、レオンハルト様はワインを飲みながら言った。


「……したくないと言ったら嘘になります」


「なら協力してやる」


「どうして私なんかに」


 彼は黙った。


 少しだけ目を伏せる。


「十年前。雪崩に巻き込まれた俺を助けた少女がいた」


「……」


「覚えていないか?」


 え。


 まさか。


「白いマフラーの……」


「ああ」


 記憶が蘇る。


 雪山で倒れていた少年。


 傷だらけで。


 でも綺麗な子だった。


「……レオン、くん?」


「やっと思い出したか」


 彼が笑った。


 初めて見る顔だった。


 氷血公爵なんて呼ばれる人間とは思えない。


 優しい笑顔。


「ずっと探していた」


「……」


「今度は俺がお前を守る」


 胸が痛かった。


 こんなの。


 反則だ。


◇◇◇


 それから数週間。


 私は知った。


 ミレイアが“偽聖女”であることを。


 彼女は男を操り、情報を盗み、貴族を破滅させていた。


 エドガルドも利用されていたに過ぎない。


 でも。


 許さない。


 私を陥れたことも。


 父を病に追い込んだことも。


 全部。


「潰します」


「いい顔だ」


 レオンハルト様が笑う。


「復讐の時のお前は美しい」


「褒めてます?」


「ああ。かなり」


 この人。


 普段は冷たいのに。


 私には甘すぎる。


◇◇◇


 断罪の日。


 王城の謁見室。


「ミレイア。貴様を国家反逆罪で拘束する」


 レオンハルト様の声が響く。


「なっ!?」


「証拠はこちらにある」


 机に並べられた密書。


 隣国との繋がり。


 賄賂。


 偽装。


 全部暴かれた。


「ち、違う!! 私は聖女よ!!」


「偽物だ」


 私が言った。


 ミレイアが睨む。


「……あんたのせいで」


「違うわ」


 一歩近付く。


「あなたが、自分で壊したの」


 ミレイアは崩れ落ちた。


 一方。


 エドガルドは顔面蒼白だった。


「リシェル……私は……」


「今さら何ですか?」


「愛していたんだ」


 笑ってしまった。


「浮気しておいて?」


「っ……!」


「あなたが愛していたのは、自分だけです」


 それで終わりだった。


 王子は廃嫡。


 ミレイアは投獄。


 全部終わった。


◇◇◇


 夜。


 バルコニー。


 星空の下。


「終わったな」


「はい」


 風が気持ちいい。


 やっと自由になれた。


「リシェル」


「?」


「結婚しろ」


「ぶっ!?」


 突然すぎる!!


「いやいやいや!!」


「嫌か?」


 紅い目が細くなる。


 危険信号。


「い、嫌じゃないですけど!」


「なら問題ない」


 ぐい、と抱き寄せられる。


「ちょ、近いです!」


「足りない」


「は!?」


「十年待った」


 耳元で低く囁かれ、心臓が爆発しそうになる。


「だから覚悟しろ」


「……」


「お前を一生甘やかす」


 その瞬間。


 私はようやく理解した。


 復讐の先に待っていたのは。


 冷酷公爵の、底なしの溺愛だったのだと。


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