第8話 二人で生き延びた一日
矢尻さんが倒れていた場所から、少し離れた岩陰。
彼女はまだ完全とは言えないものの、座れる程度には回復していた。
俺は少し距離を取ったまま、水筒を手に持つ。
「……さっきは、すみません」
矢尻さんが、俯いたまま言った。
「倒れてて、助けてもらって……それなのに、何もできなくて」
「気にしないでください。俺も一人だったので」
そう答えると、彼女は小さく首を振った。
「でも……怖かったんです」
ぽつりと零れた声。
「誰かに会うのも、支給品を取りに行くのも。
ずっと、走って逃げていました」
無理もない。
俺だって、運が良かっただけだ。
携帯端末を確認する。
《残り時間:05:22:38:55》
「少し、ここで待っていてください」
「え……なんで……?」
「そろそろ、支給品の場所に行ってきます」
そう言った瞬間だった。
「ま、待って……待ってください!」
思った以上に、強い声だった。
「……一人で、行くんですか」
「そのつもりです」
今は、二人分の物資はない。
下手に一緒に動けば、危険は倍になる。
「危ないです」
即答だった。
「昨日……都市で、支給品の場所で……」
言葉が、途中で途切れる。
矢尻さんの声から伝わってくる光景を、俺は想像してしまった。
それ以上、聞かなかった。
「だからこそ、一人で行ってきます」
「それが、もっと危ないじゃないですか!」
矢尻さんが立ち上がろうとして、ふらつく。
俺は反射的に、腕を掴んだ。
「無理しないでください」
「……もし」
その手を、ぎゅっと掴み返される。
「もし、谷口さんに何かあったら……」
視線が揺れる。
「私……どうしたらいいか、分からないです」
胸の奥が、詰まった。
合理的じゃない。
正解でもない。
それでも――
「……分かりました」
俺は、短く息を吐いた。
「一緒に行きましょう。ただし、無理だと思ったら、すぐ引き返します」
矢尻さんの表情が、ほんの少しだけ明るくなる。
「はい……!」
支給品の地点は、草原のさらに奥。
視界は開けているが、隠れる場所は少ない。
二人で、慎重に進む。
何度も周囲を確認し、足音を殺す。
――だが。
誰もいなかった。
金属ケースが、ぽつんと置かれているだけだ。
「……誰も、いない?」
「まだ、誰も来てないだけかもしれません」
周囲に物音はない。
風に揺れる草の音だけが、耳に届く。
ケースの中身は、水と簡易食料、それに最低限の医療品。
数は、明らかに少なかった。
「……前より、減ってますね」
「え?」
「人数が減るほど、支給も減っていく……そんな気がします」
沈黙が落ちる。
持てる分だけ回収しようとしたとき、ケースの奥に小さな木箱が三つ並んでいるのが目に入った。
「谷口さん、それは?」
「……木箱、ですね」
持ち上げた拍子に、紙切れが落ちる。
拾い上げて目を通した。
《こちらは爆音箱です》
《下部のボタンを押すと、3秒後に爆音が鳴ります》
《一度使用したものは再使用できません。慎重にご使用ください》
「……爆音、ですか」
「何に使うんでしょう」
「多分、どんな相手でも音には怯むはずです」
そう言って、木箱の一つを矢尻さんに渡す。
「これは、持っていてください」
「え……?」
「身の危険を感じたら使ってください。
ただし、ボタンを押したら、すぐ耳を塞いで。鼓膜が無事かは保証できません」
「……わかりました。ありがとうございます」
「谷口さんは、いいんですか?」
「大丈夫です。俺は……なんとかします」
これは、かなり当たりの支給品だ。
「誰か来る前に、戻りましょうか」
「はい」
拠点へ戻る道すがら、矢尻さんがぽつりと呟いた。
「……一緒に来て、よかったです」
「何も起きなかったからですね」
「それが、一番です」
本当に、その通りだった。
拠点に戻り、物資を並べる。
多くはない。
それでも――二人で今日を越える分はある。
携帯端末が、静かに時間を刻んでいた。
何も起きなかった一日。
けれど――
それは確かに、
「二人で生き延びた一日」だった。




