第6話 人が集まる場所
気づいたときには、もうどれくらい同じ場所にいたのか分からなくなっていた。
崩れかけたビルの非常階段、その踊り場。
コンクリートの壁に背を預け、私は膝を抱えたまま、身動きが取れずにいた。
都市部。
高層ビルが密集し、道路はあるのに車は一台もない。
人がいそうで、どこにもいない場所。
最初は、ここなら誰かがいると思った。
建物も多く、隠れる場所もある。
だが――誰もいなかった。
拠点にできそうな場所も見つからない。
鍵のかかった部屋、崩落したフロア、見通しの悪い通路。
安心できる場所なんて、どこにもなかった。
(……怖い)
最初に支給された水と食料を、少しずつ、少しずつ消費して、ここまで粘った。
けれど、もう限界だった。
携帯端末を開く。
《残り時間:06:06:00:00》
支給品のタイマーが、ゼロを刻んでいる。
(……行かなきゃ)
行きたくない。
誰かに会うのが、怖い。
それでも、行かなければ確実に終わる。
マップアプリを開くと、都市の一角に青く点滅するマークが表示されていた。
支給品の出現地点。
私は息を殺し、物陰から物陰へと移動した。
――そのとき。
「ふざけんな、俺達が先に見つけたんだろ!」
「後からのこのこ来て全部渡せ? 冗談じゃねぇ」
「いや、だからさ。わかりやすく言ってるでしょ?」
足が、止まる。
「全部、渡せって言ってんの」
支給品の場所。
金属ケースの前に、三人の人影があった。
全員、男。
私は壊れた車の陰に身を潜め、様子をうかがう。
言い争いは、あっという間に激しくなった。
「おい! 近づくな! 俺たちが先に中を確認する」
「そこで大人しく待ってろよ」
「はあ〜〜〜……もういいや〜〜〜!」
次の瞬間、鈍い音がした。
――殴った?
そう思った直後、一人の男が腹を押さえて崩れ落ちた。
「お前……嘘だろ……」
……刺された。
理解するまで、ほんの一瞬の遅れがあった。
だが、赤いものが地面に広がっていくのを見て、全身が凍りついた。
「……っ」
声が、出ない。
刺した男は、倒れた相手を見下ろしていた。
迷いはない。
ためらいもない。
残った一人が悲鳴を上げ、逃げ出す。
だが、刺した男は追わなかった。
まるで、最初から興味がなかったかのように。
そのとき。
男が、ふと顔を上げた。
――こちらを、見た。
目が、合う。
(……あ)
無表情。
冷え切った目。
そして、口元だけが、ほんのわずかに歪んだ気がした。
どこかで見たことがある。
連れて来られる前、テレビのニュースで。
《連続殺人事件》
(……まさか)
心臓が、耳障りな音を立てて跳ねる。
考えたくない。
でも、否定できなかった。
私は音を立てないよう、ゆっくりと後ずさる。
足が震え、転びそうになるのを必死でこらえ、その場を離れた。
支給品なんて、もうどうでもよかった。
(無理……こんなところ)
都市部には、人が集まる。
だからこそ、危険も集まる。
私は走った。
ビルの間を抜け、道路を越え、都市地帯の外へ。
息が切れても、止まれなかった。
建物の数が減り、景色が変わり始めたところで、ようやく足を止める。
喉が焼けるように痛く、視界が揺れた。
その場にしゃがみ込み、膝に手をつく。
息を整えようとしても、心臓の鼓動がうるさすぎて、何も考えられない。
(……追ってきてない)
何度も背後を確認する。
建物の影にも、草むらにも、人影はなかった。
助かった。
そう思った瞬間、全身から力が抜ける。
携帯端末が、かすかに震えた。
《残り時間:06:05:37:08》
《生存人数:98》
……減っている。
さっき刺された男か、逃げた男か。
あるいは、別の場所で誰かが。
数字が減っただけなのに、胸が締め付けられた。
「……当たり前、だよね」
ここは、そういう場所だ。
画面を閉じようとした、そのとき。
ふと、音が聞こえた気がした。
――風?
いや、違う。
耳の奥で、あの男の声が、はっきりと蘇る。
『ああ……やっぱり、こうなると楽しいんだよ』
思わず、肩を抱く。
『抵抗しないと、つまらないんだよ。
すぐ死なれるのも、困るしさ』
勝手に作り出した声のはずなのに、妙にリアルだった。
『だからさ……』
――見つけたら、ちゃんと逃げてよ?
背中を、何かが這い上がる。
「……っ」
私は歯を食いしばり、立ち上がった。
あの男は、きっとまた支給品の場所に現れる。
人が集まる場所を、選んで。
都市地帯は、もう安全じゃない。
だが、それは逆に言えば――
危険が、あそこに集中するということでもある。
(……近づかない)
二度と。
そう心に刻み込み、私は森の方へと進路を変えた。
建物のない場所。
人が集まりにくい場所。
孤独でもいい。
不安でもいい。
あの歪んだ笑顔を見るくらいなら、
一人の方が、ずっとましだ。
背後で、都市の輪郭が遠ざかっていく。
その中心で今もきっと、
誰かの悲鳴と、誰かの笑い声が交差している。
それを想像してしまい、
私は歩く速度を、さらに速めた。




