物語序章 第一版 96章
電子産業の立ち上げ
時代は、鉄と油の国から“電子の国”へと変わりつつあった。
明賢はついに、国家として電子工業を正式に立ち上げる決断を下した。
帝国大学の招集
帝国大学電気工学科の研究員たちは、これまで手の届く範囲で実験を続けてきた。
インターネットの取引を介して取り寄せたチップ抵抗、コンデンサ、ハンダ、トランジスタ──
それらは学術研究や教育用としてわずかに使用された品だった。
だが、明賢は言った。
「これからは、買うのではなく創るのだ。電子の基礎を自国で築け。」
その一言をきっかけに、帝国大学の研究棟には再び熱が戻った。
電気炉が唸り、作業机の上では若き研究員たちが手作りの測定器を組み立てる。
チップ抵抗を焼結し、酸化皮膜を制御するための実験が繰り返される。
ハンダ合金は錫と鉛の配合比を調整し、酸化を防ぐためのフラックスも国産化された。
コンデンサの誘電体も研究が進み、マイカやセラミックを用いた試作品が並ぶ。
やがて、明賢の掲げた「電子産業自立」の最初の灯が点った。
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試作ラインの始動
研究の中心となったのは、大学構内に新設された小さな工房群だった。
そこでは、教育用の電子部品を模した試作設備が次々に自作されていった。
•CMOS実験キット
ネットで入手していた教育用モデルを基に、完全国産化。
ゲート構造を解析し、手作業で回路基板を作成した。
•クリーンブース
ネットにある既製品の代わりに、枠とフィルターで陰圧構造を再現。
静かな送風音の中で、研究員たちは埃一つ許されぬ空間に立ち続けた。
•マスク設計と光描画
ソフトで設計したパターンをレーザープリンタでOHPフィルムに焼き付け、
自作の露光装置で基板を現像していく。
•パッケージ製造
樹脂モールドとPCB実装によって、手作業ながらも機能するICパッケージが完成。
レジンの中で小さな金線がきらりと光る瞬間、誰もが息を呑んだ。
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最初の論理回路
数週間後──
大学の地下実験棟で、初めての国産TTLレベル論理回路が点灯した。
「ANDゲート確認!」
「ORゲート、正常確認!」
「NOTゲート、反転確認!」
歓声が上がる。
机上の配線の上で、赤と緑のLEDがリズムを刻み、
単純な論理式が光として世界に初めて可視化された瞬間だった。
その小さな光は、かつての真空管の灯りにも似ていた。
だが意味は違う。
あの光は“電力”の象徴だったが、今ここに灯った光は“知恵”そのものだった。
明賢は報告を受けると、静かに頷いた。
「この光こそ、次の文明の炎だ。これを絶やすな。」
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電子産業の始動
やがて、帝国大学を中心に新しい組織が設立された。
その名も「電子産業推進局(EIA:Electronics Industry Agency)」。
各地の工業団地では、真空管・抵抗・トランジスタ・整流器などの試験生産が始まることになる。
生産ラインでは女性技術者や若者たちが白衣に袖を通して作業を行った。
機械の動作音が響き、ハンダの金属臭が漂う。
彼らの指先から生まれる小さな部品が、やがて国家全体をつなぐ神経網となっていく。
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この日から日本国の工業史は、
「鉄と蒸気の時代」から「電子と情報の時代」へと静かに歩み始めた。
電子産業の躍動 ― 熊本電子産業区の誕生 ―
大地は穏やかで、水は澄み、空は広い。
熊本の地に、明賢は新しい電子の国の「心臓」を築こうとしていた。
鉄や石炭の時代を駆け抜けた日本は、今や次の文明段階――
電子の時代へと歩み出そうとしている。
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清らかな地を選ぶ
帝国大学の研究員たちは、まず候補地の選定から始めた。
電子部品製造に最も必要なのは、清潔な水と安定した電力。
半導体の洗浄や薬液の調整には、水質が生命線となる。
阿蘇の伏流水が地中を流れる熊本は、まさに理想の地であった。
豊富な地下水、穏やかな気候、そして周囲に大きな重工業が少ない静謐な環境。
こうして、**熊本電子産業地区**が正式に指定された。
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第一段階:インフラと基盤整備
工事の第一段階は、工場というよりも「研究都市」のようだった。
明賢の指示はこうだ。
「汚れのない空気、安定した温度、そして働く者が誇れる場所を作れ。」
工場の床には帯電防止のゴム床が敷かれ、
壁面には防塵フィルターを組み込んだ換気システムが組まれる。
中心棟の一角には、簡易的なクリーンエリアが設けられた。
透明なビニールカーテンに囲まれたその空間は、
のちに“熊本第1クリーンルーム”と呼ばれ、
日本電子産業の原点として語り継がれることになる。
工作機械工場では、高速鋼(HSS)や工具鋼を使った切削工具が製作され、
ベアリングやボールねじ、ステッパーモータなども国内工場からの調達が始まった。
金属の音が絶えず響き、夜遅くまで灯が消えることはなかった。
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第二段階:基板製造とパッシブ部品の自給化
次に始まったのは、電子の土台とも言える**PCB(プリント基板)**の国産化であった。
A. PCB(基板)製造ラインの確立
初期は研究員が手作業でトナー転写を行い、
写真露光、エッチング、メッキ処理の工程を再現した。
やがて、それらは小規模ラインとして自動化されていく。
平行プレス式のラミネーター、多軸ドリル、温度制御されたエッチング槽、
化学薬品用のメッキ浴槽が並び、薬液の匂いが工場を包んだ。
素材の銅箔は、最初は輸入されたが、やがて国内の金属工場で薄銅板を生産。
感光フィルムやレジストも国産試作され、完全自給の道が開かれた。
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B. 部品の生産
電子の“血管”とも言うべき抵抗・コンデンサ・インダクタもまた、
工場のもう一つの柱となった。
•抵抗器:巻線型から始まり、後にカーボン皮膜・金属皮膜へ。
•コンデンサ:アルミ電解式を採用。
•インダクタ:ワインディング機でコイルを巻き、鉄粉コアを自作。
部品検査室には、学生上がりの若い女性検査官たちが列をなし、
手作業で抵抗値を測りながら小さなパッケージを並べていった。
「これが未来の血管ですよ」と彼らは誇らしげに語った。
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第三段階:組立ラインと試験設備の構築
次に必要なのは、部品を電子機器へと命を吹き込む工程。
工場内には、以下の設備が順に設置された:
1.ハンダ付け作業台と精密ハンドステーション
2.ハンダペーストとフラックス供給ライン
3.手動式ピック&プレース機(後の自動化の原型)
4.はんだ槽とリフローオーブン
5.試験ベンチ群――電源、発振器、オシロスコープ、負荷抵抗群
6.環境試験用の恒温槽と焼き付け試験室
最初の製品は、帝国大学の研究設備で使われる電源制御装置と信号発生器だった。
外観は無骨だが、国産の電子部品だけで構成された「初の完全電子機器」である。
技術者たちは夜を徹して電圧の安定度を測定し、
わずかな波形の揺らぎを抑えるため、何度も設計し直した。
明賢が訪れた際、責任者の一人が報告した。
「これが、我が国初の純国産電子装置です。」
明賢は、試験台の上で青く点滅するLEDを静かに見つめ、
「ここからだ。文明が、また一段上へ登る。」と呟いた。
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熊本電子産業区、稼働開始
完成した熊本電子産業区には、千人を優に超える研究員・技術者・工員が集まった。
電気炉の熱、化学薬品の匂い、そして金属音――
それはまるで、新しい文明の誕生を告げる鼓動のようであった。
ここから日本は、電子技術国家としての第一歩を踏み出す。
未来の計算機、通信装置、レーダー、医療機器──
そのすべての原点が、この熊本の地にあった。




