物語序章 第一版 80章
汎名運河、初の大航海
汎名運河の開通から数日後。
雨季が終わりきらぬ湿った風が吹く中、
太平洋側の水門前に整然と並ぶ数十隻の艦隊が姿を現した。
それは、明賢が数ヶ月も前から周到に計画していた
「北米大陸東海岸先遣隊」である。
開通の報を待って動き出すのではなく、
まるで時間を読み切っていたかのように、
彼らは運河が開かれるその瞬間に合わせて出航していた。
「予定通りだ……水門の開放を確認。通過準備に入れ!」
旗艦〈白鳳丸〉の甲板上で、艦長が双眼鏡を掲げる。
運河のゲートがゆっくりと開き、
太平洋の光が鋼鉄の壁を反射して眩しく輝いた。
後方には輸送船団が続き、
その中には燃料船、補給船、工兵用の艦艇、
そして陸軍の先遣部隊を乗せた大型輸送艦が続々と列をなしていた。
船体には〈東海岸第一調査団〉の文字が描かれ、
甲板の上には建設用のトラックや重機、資材の山が積まれている。
「運河を通る最初の大艦隊だな……」
と、若い航海士が息を呑む。
横に立つ老練な技師が静かに答えた。
「これが、海の道を制するということだ。
今日を境に、世界の距離は変わる。」
ゆっくりと、艦隊が水門を抜ける。
狭い水路を慎重に進み、
左右の岸に並ぶ労働者や現地の民が手を振って見送った。
鋼鉄の船体が運河の壁を擦るほどに接近し、
見上げるほどの高さの壁が次々と流れていく。
やがて、先頭の〈白鳳丸〉が最後の水門を抜けた。
眼前に広がるのは、遥か大西洋。
今まで太平洋をぐるりと南回りで越えねばならなかった航路が、
今や一筋の道としてまっすぐに彼らの前に伸びていた。
「全艦、進路東北! 目標、北米東海岸!」
指令が飛ぶと、各艦のエンジンが唸りを上げた。
ディーゼルの低い振動が海面を震わせ、
艦隊は大西洋のうねりへと滑り出していく。
船団の中では通信士たちが忙しく
銅線の通信機やトランシーバーを操作し、
汎名運河管理局との有線報告を続けていた。
『こちら白鳳丸、全艦通過完了。水門機構異常なし。』
『了解。北米航路第一船、成功を祈る。』
通信が終わると、艦橋の窓の外に
広がる青い海を見つめた明賢が静かに言った。
「これで、本当に世界がひとつに繋がったな。
汎名は道であり、そして未来だ。」
その言葉に副官が頷き、日章旗が風にたなびく。
艦隊はゆっくりと東へ、朝日を背に進み続けた。
こうして、汎名運河を通過した最初の日本艦隊は、
新たな時代の幕開けを象徴する存在となった。
彼らの目的地は、まだ見ぬ北米大陸の東の地――
新天地を切り開くための航路の、その第一歩であった。
太平洋から大西洋への壮大な航路を越え、
日本艦隊はついに北米大陸の東岸へとたどり着いた。
汎名運河を通過してから幾日、
季節はゆるやかに夏の終わりを迎えていた。
大西洋を北上する艦隊は三手に分かれた。
明賢の命令は明確だった。
「この大陸を西から押さえ、東を封じる。
北部は他国の手が早い。ゆえに我らは南東部から根を張る。」
こうして――
第一先遣隊はノーフォークへ、
第二先遣隊はジャクソンビルへ、
第三先遣隊はニューオリンズへ向けて、
それぞれの航路を取った。
この三拠点を結ぶことで、
日本国は大西洋側の戦略的な防壁を築こうとしていた。
東岸北部――いわゆるニューヨークのあたりには、
既にイギリスやオランダの影がちらつき始めており、
直接の衝突を避けるためにも、
まずは内陸部を押さえる必要があったのだ。
上陸
ノーフォークに到着した第一先遣隊は、
三隊の中でも最大規模を誇っていた。
港に近づくにつれ、
濃い緑の樹海が連なる海岸線がゆっくりと姿を現す。
上陸命令が出されると、
複数の上陸用舟艇が浜へと滑り出した。
「陸地確認! 潮は引いている、上陸可能です!」
「よし、第一波、前進!」
浜辺に足を踏み入れた兵士たちは、
そのまま工兵と共に測量機を担ぎ、
線路敷設予定地を定めていった。
彼らの後ろでは、輸送艦から重機とトラックが次々と降ろされる。
「この地を拠点にするぞ! 最初にやるべきは港だ!」
現場監督が叫ぶと、
すぐに杭打機とクレーンが動き始めた。
鉄骨を打ち込み、木材で仮設桟橋を伸ばしていく。
工兵たちは潮の流れを見極めながら、
防波堤と倉庫群の建設を急いだ。
港の整備と同時に、
背後の森林では伐採班が斧を振るい、
倒木をレール材や建設用材として切り分けていた。
切り出された木材はすぐに製材所に運ばれ、
その日のうちに線路の土台が組み上がっていく。
「こんなに早く線路を敷くのか……まるで戦のようだな」
若い技師が呆然と呟くと、
横で測量機を覗いていた老兵が笑った。
「戦だよ。だが、相手は人ではない。時代そのものだ。」
その言葉に誰もが黙り、再び手を動かした。
⸻
やがてノーフォークの港湾部には、
仮設ながらも整然と並んだ倉庫、宿舎、通信局が立ち並び、
背後には線路が真っ直ぐに内陸へと伸びていた。
同時に、内陸調査隊が次々と派遣される。
北へ――未だ海外勢力が進出していない広大な森林地帯へ。
西へ――山脈の向こうの未知の大地へ。
彼らは馬とトラックを使い、銅線通信で本部と連絡を取り合いながら、
「北米大陸の中枢をいち早く押さえる」ための地形調査を進めていった。
ノーフォークの拠点は、
単なる港ではなく――
北米開拓の「心臓」として機能し始めていた。
ノーフォークの開発が急速に進む一方、
南の海岸線では第二・第三先遣隊の艦影がゆっくりと姿を現していた。
潮の香りが濃く、空気は湿り気を帯びている。
そこが――ジャクソンビル。
温暖な気候と平野の続く地形は、開拓拠点に理想的だった。
上陸した第二隊の司令官・中佐は、測量図を砂浜に広げた。
「目標は三つ――ノーフォークへ、マイアミへ、そしてニューオリンズへ。
この三つを繋ぐ幹線道路と鉄路を築き、南東部を一体化させる。」
「了解しました!」
工兵たちは早速、方位磁石を取り出し、測量杭を打ち込んでいく。
ノーフォークから伸びる北方鉄路、
そして南下していくマイアミ方面鉄路――
その両方を結び、最終的にメキシコ湾沿いのニューオリンズと繋げる。
この三都市が結ばれれば、
南東部全体が一つの巨大な輸送網として機能するのだ。
沿岸部にはすでに港湾建設が始まり、
トラックが木材と鋼鉄を運び込み、
杭打ち機の音が絶え間なく響いていた。
地元の人々――まだ国家を持たぬ原住民たちは遠くからその光景を見つめていた。
日本人たちは彼らを追い払うことなく、
交易の場を設けて物資と食料を交換した。
互いの言葉は通じなくとも、
穏やかな笑顔と身振りで意志が伝わっていく。
「彼らは我らを恐れていない……これは幸先が良い」
指揮官はそう呟き、地図に新たな線を引いた。
ノーフォークとニューオリンズを結ぶ最短経路――
やがてそれは“南東幹線”と呼ばれる日本国初の北米縦断路線の骨格となる。
そしてさらに西――
メキシコ湾を望む湿地の向こうに、
第三先遣隊、ニューオリンズ隊が上陸した。
この地は川と沼、そして入り組んだ湾によって囲まれ、
防衛上も交易上も極めて重要な位置にある。
「ここを抑えれば、メキシコ湾の全てが見渡せる」
隊長・鷹村は上陸直後にそう言い放ち、
地図上の一点に指を落とした。
そこには――“湾岸防衛拠点予定地”と書かれていた。
港湾建設班はすぐに活動を開始した。
泥地を固めるため、トラックで大量の石材と砂を運び入れ、
基礎を打ち込み、干潮のたびに杭を増やしていく。
潮の香りと湿った風の中、
木槌の音が一日中響いていた。
「湿地の底は柔らかい、杭の長さを倍にせねば」
「了解! 明日の朝いちで補給船に連絡します!」
通信は銅線を通じて本部へと繋がり、
数日のうちに追加の資材が海を越えて届いた。
⸻
ニューオリンズ隊の任務は明確だった。
――メキシコ湾を制し、東と西を繋ぐ。
そのため、沿岸部を東西に走る道路と線路の建設が同時進行で進められた。
東はジャクソンビルへ、
西はテキサスの平野部へ――。
「いつかこの線路が太平洋の港まで続く日が来る」
ある夜、測量士の青年が星空を見上げて呟いた。
隣にいた整備兵が笑いながら答える。
「そしたらさ、ノーフォークから山番市まで貨物が繋がる。
そうなりゃ、大西洋も太平洋も同じ海になるな。」
焚き火の火花が夜空に舞い、
それを見上げた者たちは皆、
自分たちがいま“新しい大陸の骨格”を築いているのだと感じた。
⸻
やがて北米東南部には、
三つの都市――ノーフォーク、ジャクソンビル、ニューオリンズ――を結ぶ
鉄と道の巨大な三角が浮かび上がることになる。
その中心では、夜ごと無線塔の光が瞬き、
銅線を伝って日本語の通信が絶え間なく流れていた。




