物語序章 第一版 76章
大陸間通信計画
海底通信線――それは文明の神経であり、
日本と大陸を結ぶ“見えぬ道”であった。
鹿児島の港では、巨大なケーブルリールを備えた4隻の中型輸送船が静かに波に揺れていた。
それぞれの艦首には、金属光沢を放つ銅線ケーブルが延び、
作業員たちはその表面を磨きながら慎重に巻取り具合を確かめていた。
「ケーブル張力計、異常なし!」
「リール回転、始動準備よし!」
監督官の声が響く。
エンジンが唸り、船体が微かに振動を始めた。
ゆっくりと、ケーブルが海面に沈んでいく。
最初の目的は鹿児島から琉球、そして台湾への海底通信線。
浅瀬の岩礁を避け、潮流を読み、
一昼夜をかけて少しずつ延ばしていった。
波に濡れた甲板の上、作業員たちは息を合わせて重いリールを回す。
寝不足も寒さも、もはや誰の口からも出なかった。
そして――通信試験の日。
鹿児島通信局の端末から、台湾基地へ信号を送る。
最初はノイズ混じりの微かな音。
だが次第に――。
「……こちら台湾局。鹿児島局、通信確認。成功だ!」
その声が響いた瞬間、
全員の頬が緩み、歓声が港にこだました。
しかし、本番はこれからだった。
次の計画――千葉から羽合、
さらに**羽合から山番市**への
大陸横断通信線の敷設。
4隻の通信敷設船がそれぞれの港を出航した。
1隻は千葉から羽合へ、もう1隻は羽合から千葉へ。
3隻目と4隻目は羽合と山番市を繋ぐ。
彼らはそれぞれが“見えぬ相手”と同じ計算をしながら、
太平洋のど真ん中――海図上の“出会い点”を目指した。
航行から十日目。
波は穏やかだった。
張力も安定し、順調に進んでいた。
――その時、低い音が鳴った。
「……ケーブルテンションが急降下!」
「何だと!? 停止! エンジン停止だ!」
リール室に緊張が走る。
モニターの針が震え、次の瞬間、
船体後方の海面で“バチン”という音とともに水柱が上がった。
「切れた……!」
ケーブルが、途中で断線した。
波に揉まれた銅線は海中で漂い、深く沈み込んでいく。
全員が言葉を失った。
何キロも延ばしてきた線が、たった一度の振動で無に帰したのだ。
嵐の予兆が空を覆う。
風が強まり、波が高くなる。
それでも作業は止められなかった。
「海が荒れる前に、もう一度繋ぐ!」
監督官の叫びが甲板に響いた。
船員たちは防水スーツを着込み、波をかぶりながら作業を再開した。
新しいケーブルを引き出し、断線した端を探す。
濁った海の中に潜り、光の届かぬ深さで作業を行う潜水士たち。
冷たい海流が彼らの体温を奪っていく。
「……見つけた! ここだ!」
潜水士が叫ぶ。
切断面を引き上げ、銅線を磨き、絶縁材を丁寧に巻き直す。
接続作業は夜を徹して行われた。
明け方、ようやく補修が完了。
再びリールが回転を始め、船はゆっくりと前進を始める。
海上では風が止み、朝焼けが波間を照らした。
「……ここが中間地点だ。もうすぐだぞ。」
数日後、遠く水平線にもう一隻の通信船が見えた。
互いに信号弾を上げ、接近する。
海上で、二隻の船が静かに並んだ。
作業員たちは息を止めながら、
それぞれのケーブル端をゆっくりと持ち上げ、
金属の留め具で一つに繋ぎ合わせる。
「……固定完了。絶縁、よし。」
「送信試験、開始。」
千葉通信局の端末が、音を拾った。
ノイズ、そして――
「……こちら山番市通信局、聞こえますか?」
「こちら千葉局、通信良好!」
船上では大歓声が上がり、帽子が宙を舞った。
嵐も、断線も、全ての苦難を越えたその瞬間。
技師の一人が、海に沈む夕陽を見つめながら静かに呟いた。
「この海の底には、俺たちの手で繋いだ言葉が流れている……」
こうして、太平洋の深淵を貫く通信線が完成した。
日本と新大陸が初めて一本の線で結ばれた日。
誰もが胸に誇りを抱き、夜の海に星がまたたいた。
太平洋を越える一本の線――。
その奇跡が成し遂げられた後、日本国の通信技師たちは静かに新たな挑戦へと歩み出していた。
羽合と山番市を結んだ世界初の大陸間通信線の成功は、日本中を駆け回った。
だが、彼らにとってそれは「始まり」に過ぎなかった。
山番市では、港のそばに新たな通信局が設けられた。
潮風に晒された鉄骨の塔が立ち並び、巨大なリールがいくつも設置されている。
朝から夜まで響く巻き取り機の音。
作業員たちは油で黒ずんだ手で、ケーブルの絶縁層を慎重に巻きつけていく。
「今度は山番市から東へ――内陸の開拓村まで、だ。」
現地指揮官の佐々木技監が地図を広げた。
紙の上には、細かい赤い線が描かれている。
サクラメント、ソルトレイク、そしてさらに奥地――。
すでに調査隊や開拓村が点在する場所と港を結ぶための、
**“大陸内通信線”**の構想だった。
「銅線の量、足りるか?」
「羽合から補給艦が来る。心配するな。」
線を引く隊は、線路工事隊と並んで進んだ。
険しい山を越え、砂漠を横切り、湿地を渡る。
通信線は鉄道と共に“文明の道”となって内陸へ伸びていった。
途中、砂嵐で柱が倒れることもあったが、
若い作業員たちはその度に笑いながら立て直した。
「電信が届くたびに、村の子どもたちが拍手するんだ。」
「この線が通れば、もう孤立することはない。」
人々の暮らしが繋がる。
その実感が、技師たちの疲れを忘れさせた。
だが、本当の大事業は――まだ海の向こうにあった。
次の目標は、羽合から汎名、そして汎名山番市を結ぶ海底通信線。
日本本国と中南米を繋ぐ“第二の大陸間線”である。
「太平洋を南へ横断する……今度は赤道を越えるぞ。」
山番市通信局の地下制御室で、明賢の親書を受け取った責任者・藤原参事は深く頷いた。
設計会議では何度も議論が繰り返された。
潮流、深海の地形、熱帯性の嵐――。
北の航路よりも遥かに過酷な環境が待ち構えていた。
船団の準備は念入りに進められた。
千葉〜羽合間で使われたものよりさらに改良された通信敷設船が建造され、
船体には新開発の張力自動調整機構が取り付けられた。
これは、波による引っ張りの強弱を自動で調整し、
ケーブルが切れることを防ぐ仕組みだった。
出航の日。
山番市の港には数千人が見送りに集まった。
旗が振られ、汽笛が鳴る。
船団は南へ――大洋を滑るように進んでいった。
途中、羽合を経由して補給と休息を取る。
灼熱の陽光、真っ青な空、そして潮風。
船員たちは海図を広げ、
「このあたりがちょうど真ん中だな」と笑い合う。
赤道を越えたのは三週間後。
海は穏やかだった。
だが夜半――稲妻が走り、嵐が襲う。
「波高、三丈! リール固定急げ!」
「ケーブルのテンションが限界です!」
風が唸り、海が唸る。
ケーブルはまるで生き物のように暴れ、
作業員たちは命綱を握り締めて立ち向かった。
波しぶきの中、リーダーの久我中佐が叫ぶ。
「諦めるな! ここで切らせたら、全部が水の泡だ!」
夜明け。
嵐は去り、
朝日が濡れた甲板を照らした。
彼らは生きていた。
ケーブルも――切れてはいなかった。
安堵の息とともに作業が再開され、
ついに、汎名の海岸線が見えた。
上陸後、通信局の職員が機器を接続し、
山番市局へ試験信号を送る。
――雑音、そして微かな音。
「……こちら汎名通信局、聞こえますか?」
「こちら山番市、通信良好!」
その瞬間、甲板が歓声に包まれた。
喜びの声が空へと響き、銅線の中を電流が駆け抜ける。
こうして、
日本・羽合・山番市・汎名を結ぶ世界初の南北大陸間通信環が完成した。
通信線は海底を走り、各地の街を結び、人と人を繋げた。
それは、海の底に沈んだ“第二の道”。
鉄でも石でもない――
見えぬ線が、世界を一つに結び始めていた。




