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物語序章 第一版 44章

空軍開発局 ― 空を測り、時を選ぶ機関


空はまだ、国家の手に完全には渡っていなかった。空軍の旗は立てられたが、正式な戦闘機部隊を編成するほどの技術優位を享受する段階にはない。明賢はそれを良しとしなかった。彼が望んだのは、焦って矢を放つことではなく、長期の視座で「空の知」を蓄えることであった。


その中心として設立されたのが、空軍開発局である。海と陸の工廠が「もの」を造る場であったとすれば、ここは「知を積む実験室」であり、地上から空を読むための眼であった。局舎は帝国大学の工学部門と隣接し、夜になると研究者たちのライトの光が窓辺に散った。彼らは明賢のインターネットで得た現代の学術論文や企業機密資料、公開データを貪るように読み、そこで得た概念をこの時代の素材と工作技術に翻訳していった。だが、重要な点は常に明瞭だった。戦闘機という高火力の機体を今造ることの必要性がない、それに加えてもし鹵獲されれば技術の差が一気に縮まり得る――だから明賢は慎重に時を保つ決断を下した。


研究の主眼は三つに分かれていた。まず一つは材料である。高温に耐える金属と合金の挙動を調べ、ボイラーや高効率燃焼器の耐久を延ばすこと。鍛冶場で培った技術に、現代の論文で得た粉末冶金や熱処理の概念を掛け合わせ、炉内の温度に耐える鋼材の試料をつくり、熱処理室で焼きを入れては冷やし、硬度と靭性のバランスを探った。これらの研究は艦のボイラーや大型機械の寿命を伸ばす実益を持つと同時に、将来の高温機器のための基礎を築くものだった。


二つ目は推進の理。ここではジェットという言葉を軽々しく国家の旗の下に掲げはしない。だが伝統的な蒸気と内燃の延長上で、効率の良い燃焼室やタービン理論の基礎研究を進めた。設計者たちは明賢の生前の知識や明賢がインターネットで得た図や公表論文を参考にしつつ、具体的な製造手順や配合には立ち入らず、熱効率や流体力学の基礎モデルを小型の回転試験機で検証した。実機の開発は段階的に、かつ慎重に行われた。最終的な狙いは、軍用の短距離輸送機や民間の旅客機を自国で設計・生産できるだけの理論と素材技術を持つことであった。


三つ目は「飛ぶこと」の実運用――偵察と輸送のための機体設計である。戦闘機は禁忌であったが、旅客・輸送機は国の物流と人員輸送を飛躍的に改良する道具として推奨された。空軍開発局はまず、頑健で修理が容易な低速・高揚力の輸送機の設計に着手した。構造はモジュール化され、損傷すれば部位ごと差し替えられることを前提にした。機体の設計図は市販パソコンで描かれ、小さな模型で風洞試験を繰り返す。風洞は大仰な電気設備を必要としない簡易なものから始め、風洞データと経験則を照らし合わせながら設計が煮詰められていった。


もうひとつ、空軍開発局が力を注いだのは「超高高度偵察」の研究である。いわゆる気球を、ただの帆布の袋で終わらせず、長時間滞空し、風を読むことで指定海域の気象や船舶の挙動を把握するための観測艦として磨き上げるのだ。高高度を往くゴンドラには精密な電子機器は載せられぬが、光学観測とアナログ記録の工夫で多くの情報を収集できる。気球は巡航速度の制約を持つが、天上から得られる視界は、陸上からの偵察の及ばぬ域を見せる。局では耐候性のある布地やガス保持技術、長時間の観測に耐える構造設計を研究した。風向きと上昇率を計算するための簡易演算は、ネットで調達したPCで事前に行い、飛行中は地上の指揮所で記録を受け取る運用を考えた。


全ての研究は秘密裡に、しかし明瞭な倫理の下で進められた。戦闘技術の独占は、国際的な摩擦を生むばかりか、日本国自身の持続的発展を危うくする。だからこそ明賢は決して早まらなかった。研究者たちは夜毎に集まり、資料の断片を積み上げ、模型の挙動を見ては議論した。彼らは知を継ぐ者であり、未来の扉を開く者であるという自覚を持っていた。


また、空軍開発局は教育と連携を忘れなかった。帝国大学と共同で小規模な教室を設け、材料学や流体力学、計測法の基礎を系統的に教えた。明賢がネットショッピングで入手した測定器を使い、若い技術者に試験方法とデータ解析の手ほどきをする。電子機器の多くは現状では計測と設計補助に限られるが、そこから得た知見は将来の航空生産にとって不可欠な種子となる。


日誌にはしばしばこう記された。「我々は戦闘の矢を早まって作らぬ。だが、空を知る眼と空を渡る技術は育てる」。そして屋上の小さな観測台に立つ者たちは、風の匂いを嗅ぎ、遠くに見える水平線をじっと見つめた。空軍開発局は、戦闘のための翼をすぐには与えない代わりに、日本国がやがて空に立つための言葉と道具を、静かに紡ぎ続けていた。

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