物語序章 第一版 37章
公安局 ― 正義を監視する正義
設立の経緯
国家が成長し、警察や情報局が拡大するにつれ、
「力を持つ者を誰が監視するのか」という問題が生じた。
明賢はこの構造を予見していた。
「権力は腐敗する。
ならば、権力を監視する権力を置けばよい。
そして互いを睨ませ、どちらも眠らせるな。」
こうして、**公安局**が正式に創設された。
その目的は“国家の安全”ではなく、“国家機関の健全化”である。
⸻
使命と管轄
公安の使命は二重の構造を持つ。
1.外向きの監視
外交官・外国人技術者・国外との通信を常に監視し、
スパイ活動・情報漏洩・思想侵入の兆候を探知する。
2.内向きの監察
警察、情報局、地方官庁、軍内部における汚職や権力乱用を監視。
法の名を盾にした暴走を未然に防ぐ。
公安と警察は互いに監視し合う構造にあり、
どちらか一方が腐敗すれば、もう一方がそれを正す。
まるで“左右の眼”が同時に瞬きをしないように、
国家の視界を常に開かれたまま保つための仕組みである。
⸻
組織構造
公安局は内務省直轄、警察庁および情報局と独立した権限を持つ。
構成は以下の通り。
•第一局:外事監察部
外交官・外国商人・海外研究者などの行動を監視。
南島交流庁や各港湾拠点と連携し、出入国データを常時照合。
•第二局:警務監察部
警察組織の不正・汚職・暴力行為を監査。
任意捜査権を持ち、必要に応じて現場介入が許可される。
•第三局:情報倫理部
情報局の活動を監視し、監視データの不正利用や過剰な市民監視を防止。
暗号記録の複製権を持つ唯一の部署。
•第四局:思想監理部
極端な政治運動や暴動の火種を早期に察知し、教育的指導や拘束を行う。
思想そのものではなく「行動の兆候」を重視する。
•第五局:内部統制部
公安局自身の監査機構。職員の癒着・利権介入を防ぐため、完全匿名の査察制度を採用。
⸻
運用体制と監視連鎖
公安は、警察と情報局、軍、外交庁とそれぞれに**観察官**を配置する。
観察官は通常の勤務員に混じりながら、
報告を二系統で送る――表向きは所属先へ、裏では公安本庁へ。
これにより、どの部署も「自らが見られている」ことを常に意識する構造となった。
また、公安は情報局と暗号通信網を共有し、
リアルタイムで行動記録・通信記録・報告書を照合。
矛盾や虚偽を検出した場合、直ちに調査班が派遣される。
⸻
捜査と尋問
公安の尋問は、単なる取り調べではなく心理的解剖である。
尋問官は帝国大学心理学部と連携して訓練を受け、
言葉の選び方・呼吸・沈黙の長さすら記録し、
相手の心の動きを分析する。
必要に応じて法務班が同席し、
「合法的な真実抽出」の枠を超えぬよう管理される。
⸻
制服と象徴
公安職員の制服は漆黒の詰襟型。
装飾はほとんどなく、左胸に二重円に交差する目の紋章が入る。
これは「監視の均衡」を意味する――
外を見張る目と、己を見つめる目。
どちらも閉じれば、国家は闇に沈むという戒めである。
⸻
明賢の言葉
公安設立式の日、明賢は短くこう言った。
「正義が正義を疑う国は、まだ正しい。
疑いを失った時こそ、滅びの始まりだ。」
公安は恐れられた。
だが同時に、最も清廉であるべき場所として
国民からも「最後の防壁」として敬意を受けた。
公安の影、正義の眼 ― 内部摘発第一号事件
噂と報告
ある日の午後、帝都警視庁の裏手――。
小さな交番で働く下級巡査が密かに一通の封筒を投函した。
宛先は「公安局・第二局警務監察部」。
封筒には匿名でこう書かれていた。
「上層の会計に不正がある。
町民への暴力が、正義の名で隠されている。」
封書は暗号局を経て自動照合され、
翌朝には公安の端末に“重大優先”の印が点灯した。
公安は即座に動く。
内部連絡網には一切通さず、独自の監視班が帝都警視庁を**「監査対象X」**として登録した。
⸻
静かな包囲網
公安局第二局・主任監察官 有村景真。
冷静沈着で知られる彼は、五人の調査官を率いて行動を開始した。
彼らは表向きには「庶務調査員」として庁舎に出入りし、
各部署の帳簿、領収書、物資搬入の記録を洗う。
同時に、情報局との協力で、警察官たちの通信ログと通話記録を秘密裏に解析。
「不自然な金の流れ」「夜間に開かれる非公式な酒宴」「一部の上官による不正な恩給」――
次々に証拠が浮かび上がった。
さらに調査班は市井に潜り、町人たちの証言を集めた。
「武士の真似事みたいな奴らが、少しでも口答えしたら殴るんだ」
「昔の名残だと言って、税の取り立てで刀を抜いた」
報告書には、かつての封建の影がまだ国家に潜んでいることが記されていた。
⸻
三週間後、公安局本部に全証拠が集まる。
その夜、有村は静かに命じた。
「全班、零時をもって査察を開始する。
彼らの“正義”がどんな形をしているか、見せてもらおう。」
零時ちょうど、警視庁の照明がふっと落ちた。
非常回線を制御したのは情報局の協力班。
その隙に公安監察班が庁舎内に突入。
帳簿室、金庫、指令室を一斉に押さえる。
驚いた幹部たちは抗議したが、有村は淡々と告げた。
「あなた方は法を守る者ではない。
法の影に隠れた者だ。」
机の中からは、私的な金券帳簿、偽装した領収書、そして被害町民の名前が記された記録簿が発見された。
⸻
正義の名の下に
翌朝、関係者は全員拘束され、公安本庁の尋問室へ。
尋問官は表情を変えず、言葉を削るように質問を重ねた。
「なぜ暴力を使った?」
「武士の矜持を見せたかった」
「それは正義か?」
「……いや、誇りの残り火だ。」
その答えを聞いた尋問官は静かに頷いた。
そして書面に一行を記す。
“感情による正義は、最も危険な不正である。”
調査の結果、三名の幹部が職権乱用と公金横領で懲戒免職。
八名の巡査が停職処分となり、被害町民には正式な謝罪と補償が行われた。
⸻
事件は公には報道されなかった。
だが警察内部では、この一件を「帝都零時査察」と呼び、
公安の存在を軽んじる者はいなくなった。
その後、警察庁は会計を完全電子化し、
暴力行為を防ぐために「市民接遇課」を新設。
一方で公安局にも「越権抑止委員会」が設けられ、
権限の肥大化を防ぐバランスが取られることとなった。
⸻
事件の報告を受けた明賢は、書簡にこう記した。
「これは罰ではない。調律である。
音が濁れば、全ての旋律が狂う。
国家という楽器を奏でるために、
我々は常に弦を張り直さねばならぬ。」
この言葉は公安局の壁に刻まれ、
以後、全ての監察官がその下で誓いを立てて任務に就くこととなった。




