物語序章 第一版 29章
都市の中枢 ― 官庁街と知の塔 ―
江戸の街が形を整え、道と橋と港が備わったころ、
明賢は最後に都市の頭脳を築くことを決めた。
それが――**江戸城近郊の官公庁社街**である。
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一、城の麓に集う理の殿堂
江戸城を中心に、北西の丘陵地帯に広がる一帯が選ばれた。
かつて武家屋敷が並んでいた地は整地され、
堅牢な鉄筋コンクリートの建物群が立ち並ぶ。
通りには国旗がはためき、
中央には整然と並ぶアスファルト舗装のの大通り――
そこに集うのは、国の中枢を担う官庁であった。
建物は白と灰の落ち着いた色調で統一され、
外壁には銘板が掲げられている。
「防衛省」「内閣府」「内務省」「財務省」「厚生労働省」
「外務省」「農林水産省」「経済産業省」「国土交通省」――
それぞれの入口には衛兵が立ち、
役人たちが書類と端末を手に往来する。
時に馬車、時に輸送車が通りを行き交い、
官庁街は常に静かな活気に包まれていた。
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二、理の中心 ― 帝国大学
官庁街の中央には、ひときわ大きな建物群があった。
それが帝国大学である。
煉瓦と石の荘厳な門を抜けると、
広大な中庭と、四方に延びる講堂・研究棟が並んでいた。
建物の窓からは灯りが漏れ、
夜遅くまで研究者と学生の影が見える。
「ここから、すべての知が生まれ、
やがて国を動かす理となる。」
明賢は、帝国大学を単なる教育機関ではなく、
国家の研究と技術開発の中心と位置づけた。
医療・工業・化学・農学・防衛・行政――
各分野の研究棟がそれぞれ省庁と連携し、
学問が直接、政策に反映される仕組みが整えられた。
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三、国防の要 ― 国防省と総軍本部
江戸城の南側には、
厳重な防壁に囲まれた巨大な建物群がある。
それが国防省と総軍本部である。
内部では通信線が張り巡らされ、
各地の軍施設や港湾、空軍基地と連絡を取り合っていた。
建物の地下には情報分析室と作戦会議室があり、
地図と統計が投影され、静寂の中で指令が飛ぶ。
「戦を恐れず、戦を呼ばず。
備えこそ、平和の礎なり。」
この思想のもと、
明賢は軍を“攻めの組織”ではなく“護りの体系”として設計した。
国防省の背後には訓練場と小規模な工廠があり、
陸・海・空の連携演習が日常的に行われていた。
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四、民を守る庁舎 ― 厚生労働省と医療局
官庁街の東側には、
白壁に青い屋根を持つ穏やかな建物が立っていた。
それが厚生省であり、
隣接して医療局・公衆衛生庁が設置されていた。
医師・薬師・統計官が常駐し、
病の発生を監視し、ワクチンと薬品の配給を管理する。
全国の病院や衛生局がこの庁舎を中心に報告を上げ、
それを帝国大学の医療学部が解析する仕組みが確立された。
庁舎の中庭には白衣の若者たちが行き交い、
建物の中では実験器具の音と声が絶えなかった。
「病を制することは、国を制することと同義である。」
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五、学問と政の交差点
帝国大学の北側には、中央議事堂が建設された。
円形の議場と尖塔のあるその姿は、
“理の塔”と呼ばれ、国の意思決定の象徴であった。
議員たちは、帝国大学の教授陣や各省の高官から意見を聴取し、
科学と法の双方から政策を練り上げた。
宗教や情ではなく、理と統計と倫理による議論――
それがこの時代の政治を支える根幹であった。
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六、城下の静けさ
日が暮れるころ、
江戸城の天守から明賢と家康が街を見下ろす。
夕焼けに照らされる庁舎群、
灯がともる大学の窓、
帰路につく官吏たちの列。
彼の胸には、静かな満足感と次なる使命が同居していた。
「頭脳はできた。
次は、この都市に“心”を通わせよう。」
その言葉とともに、
江戸はついに理性の都として息づき始めた。
地方の息吹 ― 産業と都市の拡張 ―
江戸(東京)が理想都市として形を整えたのち、
明賢は視線をさらに遠くへ向けた。
国の中枢が完成した以上、
次に必要なのは――地方の覚醒である。
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一、北の大地 ― 蝦夷地開発計画
明賢がまず着目したのは、
北の果て、まだ未開の地として知られていた**蝦夷地(北海道)**であった。
「この大地は、未来の糧を生む。
寒さではなく、知で拓くのだ。」
旧松前藩の協力を得て、国土交通省・農林省・工業省が合同で蝦夷地開発局を設立。
計画の第一段階として、函館を中心に港湾と居住区の整備が始まった。
沿岸には灯台が建てられ、
鉄道が南から北へと延び、
寒冷地用の住宅設計と温室農業の実験が進められた。
さらに北部の鉱山地帯では、
鉄鉱石・石炭・ニッケルの採掘が始まり、
それらが南方の工場地帯へと送られた。
「この地を守る者は、北を制す。
北を制す者は、国を支える。」
やがて蝦夷地は、北方工業農業地帯としての基盤を築き始める。
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二、瀬戸内の息吹 ― 海を支える造船都市群
次に目を向けたのは、
穏やかな海と温暖な気候を持つ瀬戸内海沿岸であった。
明賢はこの海を、
「日本の心臓部」「東西交通の中継港」として位置づけ、
広島・呉・高松・神戸に造船都市を築かせた。
港には巨大なクレーンが立ち並び、
鉄と火の音がこだまする。
木造船は姿を消し、鋼鉄製の貨物船や艦艇が建造され始めた。
造船所周辺には工場・住宅・教育施設が整備され、
職人と技術者の街として栄えた。
「海を渡る鉄の船こそ、国の翼である。」
この造船産業の確立により、
日本の海上輸送能力は飛躍的に向上し、
海外との貿易・探査・移民の準備も進められることとなる。
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三、西の鉄 ― 八幡製鉄所の誕生
九州北部――北九州では、
かねてより鉱山と港の利便性が注目されていた。
そこに明賢が命じて設立されたのが、
八幡製鉄所である。
全国から運び込まれた鉄鉱石と石炭が
巨大な炉の中で火を噴き、
真紅の鉄が溶け出す。
溶鉱炉の煙突からは白煙が立ち上り、
夜には街全体が赤く染まる。
その光は「日本産業の灯」と呼ばれた。
「鉄は文明の血である。
これを絶やせば、国は止まる。」
八幡製鉄所では高炉・転炉・圧延設備が整い、
鉄道・造船・機械工業に必要な鋼材が大量に供給された。
工場周辺には都市計画が施され、
労働者住宅・病院・学校が整備される――
産業と生活が一体化した都市モデルの誕生であった。
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四、中央と西を繋ぐ ― 名古屋・大阪・神戸の再生
明賢は、旧来から栄えていた都市も見過ごさなかった。
京都・奈良は歴史保護地区として保存しつつ、
周囲の大阪・神戸・名古屋を工業・商業・交通の要衝として再構築した。
名古屋では機械・工具・車両製造が盛んになり、
大阪では商業と金融が集積し、
神戸は国内貿易と造船の中心として発展した。
三都市を結ぶ鉄道網は、
やがて日本経済回廊と呼ばれることになる。
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五、地方都市計画 ― 東京に倣う秩序
既に古都である京都・奈良を除き、
全国の主要都市はすべて計画的都市として再設計された。
道路は放射状・環状または格子状に整備され、
官庁・教育・医療・商業が機能ごとに区画される。
各都市の中心には市庁舎と中央広場、
そして通信塔が立てられ、
全国の行政データが中央政府に送られる仕組みが整えられた。
「都市とは、人の集まりではなく、
理の積み重ねである。」
地方都市は次々と生まれ変わり、
“地方”という言葉が“支部”や“拠点”を意味するようになった。
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六、夜明けの国
1607年――。
列島の各地に灯がともる。
北の蝦夷地から南の九州まで、
街道と鉄道と光が国を繋ぎ、
日本はまさに「夜明けの国」となっていた。
明賢は展望室の窓から地図を見下ろし、静かに微笑んだ。
「これで血は通った。
あとは、この国に“魂”を入れる番だ。」




