物語序章 第一版 25章
道を走る新たな獣 ― トラック開発計画
しかし、輸送の最大の課題は、
その“道”であった。
鉄道は確かに国を繋いでいたが、
細かな農村への配送には向かない。
馬車では距離も積載も限られる。
「国を豊かにするのは、
蒸気ではなく“車輪の自由”だ。」
明賢はそう言い、
東京郊外の工業団地に日本自動車研究所を設立。
同時に、機械工学部と燃料研究課の学生たちが動員された。
彼らは造船や機関製作で培った知識を応用し、
試作車の設計を開始。
そしてついに、ディーゼルエンジンの試作が完成した。
黒煙を吐きながらも力強く唸るエンジンを前に、
清助が言った。
「馬ではなく、鉄が畑を越える日が来るのですね。」
「ああ。」明賢は答えた。
「この鉄の獣が、民を飢えから解き放つ。」
数ヶ月後、
“日本農用輸送車一号(T-1)”が完成。
鋼板製の車体に2トンの積載能力を持ち、
主要道を安定して走行できた。
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道の整備 ― 走れる国土の建設
だが、車があっても走る道がなければ意味がない。
政府はすぐに主要道整備計画を発令。
五街道と主要県道の舗装を段階的に進めた。
まずは砕石と砂利を敷き詰め、
セメントで表面を固める“簡易舗装”が採用された。
道路建設には地方工業高校や土木部隊が動員され、
測量、傾斜調整、水はけ設計が徹底された。
列車が鉄の道を走り、
トラックが土の道を走る――
こうして日本の“二重輸送網”が形を成していった。
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運転という責務 ― 免許制度の導入
トラック運用が広がるにつれ、
明賢は新たな危険を感じた。
「力あるものには資格を。
理を知らぬ者に鉄を握らせるな。」
この理念のもと、
**運転免許制度**が制定された。
国土交通省の監督下で、
全国各地に自動車教習所が設置され、
受講者は交通法規・整備学・機械原理・緊急時対応を学んだ。
試験は筆記と実技の二部構成。
合格者には運転免許証が発行され、
個人番号と顔写真が刻印された。
こうして「運転する者」は、
国家が認めた責任者として扱われるようになった。
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理が動かす大地
やがて、トラックが主要街道を行き交い、
倉庫と市場、農地と工場を繋ぐ。
鉄道は骨格、道路は血管、
そして車はその中を流れる赤血球のように動いた。
東京湾の港に並ぶ積荷の上で、
明賢は静かに呟いた。
「この国の鼓動は、
もはや蒸気でも風でもない。
理と車輪が動かしている。」
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こうして日本国は、
農業と輸送が一体化した経済循環構造を完成させた。
食は生まれ、動き、届く――
そのすべてを“理”が制御していた。
大地の理 ― 日本農地再編計画と地主制度の確立
日本国の鉄道が山を貫き、
トラックが街道を走り出した頃、
明賢の視線は再び“土”へと戻っていた。
「機械が走っても、
大地が眠っていては国は動かぬ。」
教育も産業も整ったいま、
国家の礎たる“農”を再び鍛え直すときが来た。
日本農地再編計画 ― 形のある理想
まず、明賢が命じたのは農地の整形であった。
土地の所有境界や入り組んだ水路は、
封建の名残そのもの。
彼はそれを“理の線”で切り直した。
測量班が現地を回り、
碁盤の目のように区画整理された農地が広がり始める。
•道路は正確な直線で互いに交差し、
•その間を水路が等間隔で流れる。
•農路は車両の通行を想定し、一定の幅を確保。
•水門には清助製の鉄製手動小水門が試験導入された。
上空から見れば、まるで精密な機械の内部構造のように、
大地そのものが“計算”で組み上げられていた。
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治水の理 ― 小型ダム1号の建設
農地の効率を保つためには、
水の支配が欠かせない。
明賢はまず秩父山系に近い河川を選び、
試験的に**小型ダム1号(明賢式治水構造体)**を建設させた。
•直径40m、高さ10mほどの重力式コンクリートダム。
•自動開閉式の水門を備え、流量を一定に保つ。
•発電機能も併設され、周囲の村落に電力を供給。
この“治水試験体”は、
やがて全国の主要河川で展開される治水・灌漑統合システムの原型となる。
清助はダムの開通式で、
その轟音を聞きながら呟いた。
「大地が息をしているようだ……」
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地主制度 ― 経済合理と倫理の融合
土地は国家の所有としつつ、
明賢は地主(地方管理者)制度を採用した。
「民の手に土地を委ねよ。
だが、支配ではなく“管理”として。」
地主は国に税を納め、
配下の農民へ土地を貸し与える。
その際、利益の分配率が中央政府により定められた。
•農民の労働分:7割
•地主の取り分:3割(税・維持費含む)
地主は“税金の支払い係”としての責務を負う代わりに、
一定の利得を保証された。
この仕組みは、
地主の間に厚生意識(福利と維持への理解)を芽生えさせ、
農民には努力が利益に直結する仕組みを与えた。
「汗が報われぬ国は滅ぶ。
だが、富が偏る国もまた滅ぶ。」
明賢のこの言葉は、
農政庁の壁に刻まれ、
後世「日本農政憲章第一条」として伝えられる。
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農協の監査制度 ― 数字で測る豊穣
日本農業協同組合(農協)は、
定期的に各地の農地を巡回し、
作物の成長率・収穫量・肥料使用量を数値化。
農民・地主の双方へ評価を出し、
高い成果を上げた地域は補助金と技術支援を受けた。
これにより、
農地の生産効率は年ごとに上昇。
かつて雨に左右されていた収穫が、
いまや理と制度によって安定的に支えられていた。
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大地の理、民の心
季節が巡り、
整然と並ぶ水田が朝日に光る。
そこに立つ一人の農民が、
手にした鍬を見つめながら言った。
「この鍬の一振りが、国を動かしているんだな。」
その言葉を清助が後に報告すると、
明賢は微笑んで答えた。
「理の国とは、そういうことだ。」
こうして日本国は、
“制度によって耕される大地”を手に入れた。
それはただの農業改革ではなく、
思想としての農業革命であった。




