物語序章 第一版 24章
日本農業協同組合 ― 食を制する者たち
明賢が特に重視したのは、食糧の安定であった。
どれほど科学が進歩し、鉄が溢れようとも、
民が飢えれば国は滅ぶ。
そこで、中央政府の指令により、
全国の郡・村ごとに**日本農業協同組合(JA)**が設立された。
農協は国家と農民を結ぶ唯一の経済窓口であり、
その主な役割は以下の通りである。
生産物の一括買収
米・麦・野菜・果樹などを定額で政府が購入。
価格は地域・収量・品質ごとに統計的に決定。
農資源の供給と技術支援
肥料・農具・水利・苗種の管理を中央配給制で行う。
農民への報酬・分配
労働報酬は帝国紙幣で支払われ、
生産量に応じて貯蓄口座へ自動振込される仕組みとした。
教育と技術普及
農協には教育課が併設され、
農業高校卒業者や大学農学部生が講師として派遣された。
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経済の静寂
農民たちは、もはや土地を売り買いすることも、
飢えに怯えることもなかった。
生産は安定し、全国の倉庫は飽和し、
輸送列車は休むことなく走り続けた。
明賢は報告書を手に取り、
安定した統計曲線を見つめながら呟いた。
「市場はまだ眠っている。
だが、民が理を知れば、
いつかその眠りを自ら破るだろう。」
家康は微笑み、短く答えた。
「欲を封じて、理を育てる――それがそなたの教えか。」
「はい。殿。
飢えぬ民は、理を学ぶ時間を得ます。」
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こうして帝国は、
部分的自由と完全統制の狭間で、
静かに経済の安定を手にした。
国は呼吸を整え、
その先に待つ“自律経済国家”への道を歩み始めたのである。
大地を化す理 ― 農業革命とハーバー=ボッシュの導入
日本経済が安定を見せ始めた頃、
明賢の関心は再び“土”へと戻った。
「この国の力は鉄でも金でもない。
地を耕す者が、それを支えている。」
飢えの恐怖を完全に取り除き、
理に基づく生産を全国に浸透させるため――
明賢は農業に化学の力を注ぎ込む決断を下した。
地を肥やす技 ― ハーバー=ボッシュ法の再現
化学工業地帯の一角に、
新たな施設が建設された。
その名は窒素工業第一プラント。
ここに導入されたのが、
現代技術でも象徴的とされるハーバー=ボッシュ法(Haber-Bosch Process)である。
空気中の窒素を水素と反応させ、
高温・高圧の炉内でアンモニアを合成する。
明賢はかつての知識を思い出しながら、
帝国大学化学部に詳細な反応式と圧力設計図を送り、
ネットで購入した試薬と試作触媒をプラント主任に託した。
やがて、反応炉の中で金属触媒が光を帯び、
空気がわずかに震えた。
生成管の先から透明な液体が滴る。
「……成功だ。アンモニア生成、安定しています!」
白衣の研究員が叫んだ。
その瞬間、帝国は“空を肥やす力”を手に入れた。
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農協の進化 ― 科学農法の普及
肥料の量産が始まると同時に、
明賢は農業政策を一段階引き上げた。
全国の日本農業協同組合に、
新たに“化学農法指導課”が設置された。
指導課の職員は、
帝国大学農学部や農業高校を卒業した若き技師たち。
彼らは各地を巡回し、農民に次のように教えた。
•作物ごとの窒素・リン酸・カリの適正配合比
•土壌pH測定と中和法
•連作障害の防止と作物の輪作計画
•水管理と灌漑効率の向上
•病害防除
農家は驚きながらも、その知識を吸収していった。
肥料を使った田畑は明らかに収量を伸ばし、
穂は金色に輝いた。
海外への備え ― “移民農業”の萌芽
明賢は農協の中枢にもう一つの部署を設けた。
それが海外農業開発準備課である。
「いずれ、我らの民は外の地にも種を蒔く。
だがその時、土も気候も違う。
それを恐れぬための知を、今から植えるのだ。」
この部署では、
海外の気候データや土壌特性をシミュレーションし、
作物の適応実験や農法の研究を行った。
農民の中でも特に優秀な者は選抜され、
“農業技師”として教育を受ける。
彼らは将来、海外開拓地で指導者となることを期待されていた。
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科学が芽吹く大地
やがて、肥料を散布した田畑は全国に広がり、
作物の実りは安定し、
飢えという言葉が徐々に過去のものとなっていった。
清助は収穫の報告書を読み上げながら言った。
「先生、土が息をしているようです。」
「そうだ。」明賢は静かに微笑む。
「これは化学ではない。
理が地に根を下ろした証だ。」
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こうして日本国は、
科学農業国家としての基盤を完成させた。
空気を肥料に変え、
大地を理で満たす――
それが、明賢の描いた“豊穣の方程式”であった。
鉄と土の道 ― 輸送革命と自動車時代の胎動
化学肥料が大地を満たし、
農地が豊穣に変わったとき、
明賢は次の課題を見据えていた。
「食は生まれるだけでは足りぬ。
民の口へ届いて初めて“力”となる。」
農産物の安定供給――
それは日本経済の“最後の循環”であった。
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農産物流通計画 ― 収穫から倉庫へ
明賢の指令により、
全国の**日本農業協同組合(農協)**では
収穫物を迅速に集約する新体制が取られた。
各村・町単位で集められた穀物や野菜は、
まず郡の集積所へ、
そこから県中央倉庫へと運ばれる。
中央倉庫は鉄筋コンクリート製の大型建物で、
温湿度が自動制御され、
品種ごとに仕分けされた木箱と鉄製容器が並んでいた。
倉庫群の屋根には太陽光パネル、
床下にはコンベア式搬送機――
すべてが「理」で設計された近代の穀倉であった。




