物語序章 第一版 215章
1号原子力潜水輸送艦計画
原子力潜水艦くろしお型の運用データが蓄積されるにつれ、
日本海軍内部では次の課題が明確になっていった。
それは――
「気づかれないように、いかに戦力を届けるか」
という問題である。
未開の島嶼、
敵国の沿岸奥深く。
水上艦では発見され、
航空機では痕跡が残る。
そこで構想されたのが、
潜水艦による“輸送”という発想だった。
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極秘艦種の誕生
この艦は、
戦闘を主目的としない。
だが、
戦争の趨勢を左右する。
公式艦種名は与えられず、
内部ではただこう呼ばれた。
「1号原子力潜水輸送艦」
全3隻のみ。
存在そのものが、
極秘とされた。
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設計思想
設計にあたって求められた条件は苛烈だった。
•世界中どこへでも到達できること
•数か月単位で潜航し続けられること
•大規模な人員と物資を一度に送り込めること
•上陸の瞬間まで、存在を悟らせないこと
その結果、
艦は従来の潜水艦とは一線を画す巨大さを持つことになる。
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基本諸元
•全長:160m
•全幅:24m
•動力:原子炉2基
•推進:電気式スクリュー推進
•最大速力:45km
双胴に近い内部構造を持ち、
耐圧殻内には複数の区画が設けられていた。
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武装と防御
この艦は「輸送艦」だが、
無力ではない。
•魚雷発射管:6門
•搭載魚雷数:20発
主な役割は防御と離脱。
敵に発見された場合でも、
最低限の戦闘を行い、
輸送任務を完遂するための装備である。
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輸送能力
艦の最大の特徴は、
その内部容積にあった。
艦内には広大な貨物積載スペースがあり、
•水陸両用車
•特殊作戦用小型艇
•海兵隊部隊
•特殊部隊
•弾薬・燃料・通信装備
•簡易指揮所ユニット
などを搭載可能だった。
兵員は数百名規模で収容でき、
長期間の作戦支援を前提に
生活区画や医療区画も充実している。
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運用構想
この艦は、
決して単独で歴史の表舞台に立たない。
だが、
•反乱地域への秘密展開
•島嶼部への先行展開
あらゆる影の作戦に投入されることが想定されていた。
海兵隊と特殊部隊は、
この艦をこう呼んだ。
「海の中を走る前線基地」
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明賢は、この艦の設計図を前にして
短くこう言ったという。
「これは兵器ではない」
「選択肢だ」
最小限の戦力で勝つための選択肢。
戦う前に布石を打つための艦。
この潜水輸送艦は、
日本の潜水艦戦略思想どある
先制発見、先制攻撃の象徴でもあった。
1番艦「きい」就役
1654年
原子力潜水輸送艦一番艦は静かに就役した。
艦名――
きい
それは山脈の名であり、
「屋根となり、人を支える存在」であることを願って付けられた名だった。
就役式は簡素だった。
この艦は英雄になるための艦ではない。
歴史の裏側で、人を生かすための艦だからだ。
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緊急命令
就役から一年も経たぬ 1655年。
新大陸、アンティル諸島一帯に
記録的規模のハリケーン が襲来した。
開拓途中の島々は、
•十分な住宅を持たず
•防潮設備も未整備
•医療体制も脆弱
結果、集落は壊滅的な被害を受けた。
海上保安庁から、
ただちに司令部へ緊急要請が入る。
「大規模人員・物資輸送が必要」
「港湾機能は部分的に麻痺」
そこで白羽の矢が立ったのが、
就役したばかりの きい だった。
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出動
当時、きいは
新大陸東岸・ノーフォーク に寄港していた。
命令は簡潔だった。
災害派遣任務に移行せよ
艦内の空気が一変する。
人命を救う任務。
即座に積み込みが始まった。
•海兵隊支援部隊
•医療班
•水陸両用車
•大量の食料
•医薬品
•淡水化プラント
•簡易住宅ユニット
きいは、
「潜水艦」という皮を被った
巨大な救援拠点へと姿を変えた。
出航。
モーターは静かに唸り、
きいは大西洋へと消えた。
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到着
2日後
きいはアンティル諸島沖に到達する。
港は破壊され、
桟橋は流され、
水上艦艇の接岸は困難だった。
だが、きいには問題にならない。
沿岸へ近づき、浮上。
ハッチが開き、
次々と水陸両用車により人員と物資が送り出された。
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海兵隊の展開
海兵隊は即座に行動した。
•倒壊家屋からの救出
•臨時医療所の設置
•治安の維持
•物資配給拠点の確保
きいは沖合に留まり、
移動司令部兼補給拠点として機能する。
艦内の通信室は休むことなく稼働し、
各島の状況が逐次集約された。
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真水の価値
最大の問題は、
水 だった。
ハリケーンによって
井戸は汚染され、
貯水槽は破壊されていた。
そこで投入されたのが、
出航時にきいに搭載された 緊急用淡水化プラントである。
原子炉から供給される膨大な電力を使い、
海水は絶え間なく真水へと変えられた。
昼も夜も関係なく。
数週間にわたり、
きいは 海の上の水源 となった。
真水は、
•ドラム缶
•タンク
•仮設パイプライン
を通じて各島へ送られた。
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島々を巡る
小型艇や輸送ヘリが使えない場所には、
水陸両用車が投入された。
きいが運んできた車両が、
瓦礫の中を進み、
人々のもとへ物資を届ける。
子供たちが
巨大な潜水艦を遠くから指差し、
大人たちは静かに頭を下げた。
艦の名を知る者はほとんどいない。
だが、
助けが来た
という事実だけは、確かだった。
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任務完了
数週間後。
•救援本隊の到着
•臨時住宅の設置完了
•医療体制確立
きいは静かに任務を終える。
帰投命令が下り、
最後の真水が配られた後、
きいは再び潜航した。
誰にも見送られず、
記録にもほとんど残らず。
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この任務によって、
•原子力潜水輸送艦の災害対応能力
•長期間電力供給能力
•大規模人員展開の実証
が現実のものとして証明された。
海軍内部の報告書には、
こう記されている。
「きいは戦わずして能力を示した」




