物語序章 第一版 214章
原子力潜水艦の建造
思想としての潜水艦
この時代まで、
日本海軍における潜水艦は
あくまで「研究対象」であり、
主戦力ではなかった。
理由は単純である。
中途半端な潜水艦を持つ意味がなかった。
航続距離が短く、
補給を必要とし、
行動範囲が限定される潜水艦は、
日本が想定する「地球規模の海」においては
足枷にしかならない。
だからこそ――
日本海軍は決断していた。
最初から、原子力で行く。
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原子力潜水艦に求められた条件は明確だった。
•全世界の海域に展開可能
•補給に依存しない長期作戦能力
•高速で静粛
•単艦で完結する打撃力
見えない艦隊
それが原子力潜水艦の本質だった。
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戦略型を造らない理由
当初から、
戦略型原子力潜水艦――
すなわち「あの兵器」を搭載する艦の構想は存在していた。
だが、明賢はそれを退けた。
この時代、
世界はまだその規模の破壊力を
受け止める段階に達していなかった。
抑止は必要だが、
絶滅を前提とする均衡は不要。
だから日本海軍は、
あえて 攻撃型原子力潜水艦のみ を選択する。
それは、
「戦争を起こさせない力」ではなく、
「戦争を成立させない力」だった。
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第一世代原子力潜水艦
設計は、
二号炉と宗谷で培われた小型加圧水型原子炉を基礎とする。
•長期間燃料交換不要
•振動源を極力排した構造
•自然対流冷却を重視
•電気推進による静音化
潜水艦という存在において、
速力や武装以上に重要なのは
存在を悟られないこと だった。
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艦型の思想
この潜水艦は、
「待ち伏せる艦」ではない。
•常に移動し
•常に情報を集め
•必要とあらば即座に打撃を与え
•そして、消える
海中における
自由な攻撃点
それが彼らの役割だった。
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潜水艦隊の創設
潜水艦は単艦では完結するが、
運用は単独では行わない。
原子力潜水艦は、
•空母機動艦隊の斥候
•極地航路の要所
•敵国軍港の近海
あらゆる場所に展開し、
艦隊の「目」と「牙」 となる。
こうして、
水上に見える艦隊の下で、
もう一つの艦隊が形成されていった。
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誰にも見えない再編
海図には記されない航路。
通信にも残らない航行。
だが確実に――
世界の海は変わり始めていた。
明賢はそれを理解していた。
海を支配するとは、
海の上に立つことではない。
海の下を支配することだ。
1650年攻撃型原子力潜水艦 くろしお型
一番艦「くろしお」就役
1650年、
ついに日本海軍は
史上初の実用原子力潜水艦 を保有するに至った。
艦名――
攻撃型原子力潜水艦 くろしお
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主要諸元
•全長:110m
•全幅:10m
•排水量:7,500t
•原子炉:加圧水型原子炉 1基(出力 20,000kW)
•推進方式:電磁スクリュー推進
•最大速力:50km/h
武装:
•600mm魚雷発射管 ×4基
•搭載魚雷:30本
外観は葉巻型で、
艦橋構造物も低く抑えられていた。
見つからないことが最大の武装
という思想が、艦体の隅々まで貫かれていた。
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設計思想
くろしお型は、
速力・航続距離・静音性の
いずれかを犠牲にする設計ではない。
すべてを満たすことを前提としていた。
•原子炉は自然対流を最大限活用し
•主循環ポンプは巡航時ほぼ停止
•駆動系は完全電動化
•艦内機器は浮動支持構造
結果として、
一定速力以下では
海洋雑音に紛れて完全に消える艦 となった。
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就役式
横須賀軍港。
雨の中、簡素な就役式が行われた。
大々的には行われず、最小限で行われた。
この艦は、
存在を誇示するための艦ではなかったからだ。
艦長は短く宣誓した。
「本艦は、人々の見えぬところで
日本の海を守る。」
それだけだった。
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公試運転
出港後、
くろしおは静かに潜航した。
潜航深度、
通信、
原子炉出力、
すべてが予定通りに推移する。
やがて艦は、
完全に水中へと姿を消した。
その瞬間、
日本海軍は
新しい次元の戦力を手に入れた。
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量産計画
くろしお型は実験艦ではない。
•同型艦 建造予定数:70隻
これは、
特定の敵国を想定した数ではない。
地球全体の海を、常時監視するための数
であった。
海は広い。
だが、
潜水艦はどこにでもいる。
常に動き、
常に潜み、
常にそこにいる。
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1650年の時点で、
世界のどの国も気付いていなかった。
•海の下に
•原子力で動き
•数十隻単位で展開可能な
•攻撃型潜水艦が存在することを
だが、
海は確実に変わり始めていた。
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くろしおは、
何も告げず、
何も残さず、
ただ海に溶けていった。
1652年攻撃型原子力潜水艦 くろしお
北極海極地運用試験
特別任務発令
1652年初頭、
第1潜水艦艦隊司令部に
一通の命令書が届いた。
内容は簡潔だった。
•北極海における極地運用試験の実施
•第1次北極観測隊の極秘護衛
実施艦――
くろしお
世界で唯一、
長期間潜航可能な艦。
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二重の任務
表向きの任務は、
あくまで極地運用試験である。
•流氷下での航行性能
•極低温下での機関・原子炉の安定性
•音響環境が特殊な海域での探知能力
•氷下からの浮上・通信手順
だが、
命令書の最後に添えられていた一文が、
この任務の本質を示していた。
「観測船しらせの航行を、
可能な限り秘匿された状態で援護せよ」
水上艦艇では、
流氷海域での護衛は不可能。
氷に阻まれ、
速度も自由も奪われる。
護衛できるのは、海の下だけだった。
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知らされない護衛
この護衛任務は、
観測船しらせの艦長にも知らされない。
理由は二つ。
ひとつは、
本物の観測任務環境を再現するため。
もうひとつは、
潜水艦が「誰にも気づかれず目標に接近できるのか。」
という能力を試すためだった。
皮肉なことに、
しらせの艦長は
くろしお艦長の士官学校時代の先輩である。
だが、
その事実すら作戦には関係ない。
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出港前夜
くろしおは、
護衛より先に出港した。
観測船しらせより
数日早く北へ向かい、
すでに氷縁付近で待機する。
艦内では、
北極海特有の音響データが
次々と記録されていく。
•氷が擦れ合う低周波音
•氷下空洞で反射する異常反響
•通常海域とは全く異なるノイズ
ソーナー員は言った。
「……海が、鳴いています」
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氷の下の護衛
しらせが流氷帯に突入する頃、
くろしおはすでにその真下にいた。
深度を抑え、
氷下面との距離を一定に保ちながら
並走する。
時折、
氷の割れ目から落ちてくる
無数の氷片が
艦体を叩く。
金属音は、
水中では鈍く、
しかし確かに響いた。
それでも艦は沈黙を守る。
くろしおは、
護衛であることを悟らせてはならない。
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潜水艦戦術の実地検証
この航行は、
単なる護衛ではなかった。
•水上艦の真下を追従する航法
•氷下での待機・急加速
•敵艦船を想定した仮想接触演習
すべてが、
実戦に限りなく近い形で試された。
艦内では
戦術士官が小声で言った。
「もし敵がいるとしたら、
ここは天国です」
氷と氷の反響で、
水上も水中も視界は悪い。
だが――
慣れた者にとっては、最高の狩場でもある。
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気づかれぬ存在
しらせの艦内では、
誰一人として
護衛に気づいていなかった。
ただ、
•氷下で原因不明の反響が消える
•進路前方で氷の割れ方が不自然に変わる
•氷下の海流が局所的に乱れる
そんな「違和感」だけが、
記録として残されていった。
それらの正体が
潜水艦による事前処理
であると知る者は、いない。
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極地での沈黙
北極海の中央部で、
しらせが観測を行っている間も、
くろしおは沈黙したまま待ち続けた。
原子炉は安定。
艦内温度も問題なし。
極地は、
この艦にとって
「十分に作戦可能である」ことが証明されつつあった。
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海の下で、
誰にも見えず、
誰にも知られず、
任務は果たされていく。
北極海極秘護衛任務
極地での航行データ収集は、
すでにすべて完了していた。
•極低温下での原子炉挙動
•音響特性の統計
あとは、
この任務の最後の儀式だけである。
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“証明”の準備
くろしおは、
しらせの航路を完全にトレースした。
速度、
針路、
微細な揺れ。
すべてを合わせ、
影のように後方につく。
艦内は静まり返っていた。
•不要な機器は停止
•ポンプは最低回転
•乗員の移動も制限
無音浮上。
それが、この艦の誇りだった。
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浮上開始
バラスト調整完了。
くろしおは、
ゆっくりと、
氷と水の境界へ向かって上昇を始めた。
――50メートル。
その瞬間だった。
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異変
しらせの推進音が、
唐突に消えた。
同時に、
甲高い探信音が
艦内を包み込む。
ピン……ピン……ピン……
海底探査用――
しらせ搭載の
音響反射装置。
意図的だった。
完全に、
この違和感を感じている。
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艦長の沈黙
艦橋でモニターを見つめる
くろしお艦長は、
思わず微笑んだ。
「……さすがです、先輩」
音響環境、
氷下の反射、
ノイズの海。
その中で、
違和感を見逃さなかった。
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くろしおは、
浮上を止めなかった。
「浮上続行」
「通信準備」
「浮上と同時に回線を開け」
命令は静かに、
しかし確信に満ちていた。
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浮上
艦体が、
水面を破る。
氷片が、
黒い艦体を滑り落ちる。
ハッチが開き、
冷気が艦内へ流れ込んだ。
くろしお艦長は
ゆっくりと梯子を上り、
艦橋へ出た。
目の前には――
停止したままの
観測船しらせ。
その甲板には、
すでに人影が見える。
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通信開始
「回線、開け」
無線が繋がる。
一瞬の沈黙。
そして、
くろしお艦長は
はっきりと告げた。




