物語序章 第一版 19章
鉄路は山へ ― 日本本土資源開発計画
スチームエンジンが鼓動を始め、
鋼が国を動かし始めた頃、
明賢は次の指令書を手にしていた。
「我が国の鉄は自立した。
だが、鉄を支える石と銅が足りぬ。」
電力、機械、製鉄、建設――
すべての基礎に“鉱物”がある。
そしてその鉱物を動脈のように運ぶ“鉄路”が必要だった。
こうして、研究局と鉄道庁による
**資源開発計画**が動き出す。
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第一段階 ― 秩父への鉄路
明賢はまず、地図上に一筋の線を引いた。
それは、東京から西へ延び、山を貫いて秩父へ至る新たな鉄路。
「秩父はこの国の骨格の一部である。
あの山を掘り、削り、石灰の命を得ねばならぬ。」
秩父には良質な石灰石が豊富に眠っていた。
製鋼・建築・化学工業すべてに欠かせないこの資源を確保するため、
明賢は新線「秩父資源鉄道」の建設を命じた。
建設には、前回生産した構造用鋼と線路用鋼が使用され、
レールはすべて「JIS-E501」規格で統一された。
山を削り、谷を越えるための橋梁やトンネルも、
新たな鋼構造技術で建設される。
多くの若い技師が初めて実地で設計に携わり、
それはまさに“現場での帝国大学”であった。
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第二段階 ― 石灰石採掘の開始
鉄路が完成すると、
秩父山中には帝国鉱山局の職員が入り、
石灰石採掘場の建設が始まった。
明賢の命令で採掘場には、
初期型のスチームショベルと搬送用小型機関車が配備された。
切り出された石灰石はベルトコンベアで積載所まで運ばれ、
貨車に積まれて東京湾沿岸の製鉄所へと送られる。
石灰は鉄の精錬に不可欠であり、
炉内で不純物を取り除き、鋼を清く保つ“白き守護者”だった。
「鉄の純度は、国の純度である。」
採掘所の夜、炎のように光る焚火の中で、
作業員たちは白い粉にまみれながら笑っていた。
それは苦労の中にも、未来を掘り出す者の笑みだった。
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第三段階 ― 銅山の拡張
石灰石に続いて、帝国は銅の確保に乗り出した。
電線・通信・発電機・機械のすべてに必要な金属であり、
電化国家を支える第二の命脈であった。
明賢は地質マップを精査し、
秩父からさらに西へ――
甲斐と信濃の境、古来より鉱脈が報告されていた地域を指差した。
「この地に、理を通わせる赤き血を得よ。」
研究局の地質班が調査に入り、
古い銅山を拡張・再構築する計画を開始。
坑道には照明と換気設備が整備され、
採掘効率は旧時代の十倍にまで上昇した。
精錬所では、
火力発電の余剰電力を用いた電解精錬法の研究が進み、
高純度銅が得られるようになる。
この銅は、やがて通信線・発電機コイル・電気鉄道のケーブルへと姿を変え、
日本の神経系となって張り巡らされた。
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第四段階 ― 鉱山都市と動脈の完成
石灰と銅の両鉱山は、
次第に“鉱山都市”へと発展していった。
鉄路沿線には宿舎・医療所・購買所・学校が整備され、
多くの若者が職と夢を求めて移住した。
坑夫の子は学舎で理科を学び、
やがて鉱山技師や鉄道整備士となって戻ってきた。
それは単なる資源開発ではなく、
教育と産業が循環する新しい社会構造の始まりであった。
「この国の山々が眠りから目覚めた。
いずれ全ての山が理の声を響かせるだろう。」
山を貫く線路は、
光と煙の帯となって夜空を横切っていた。
それはまるで、
文明そのものが大地に刻んだ“脈動”のようだった。
白き石の革命 ― 帝国セメント事業始動
石灰石の山が動き出し、
秩父の谷に鉄の列車が響き渡る頃、
明賢は次の段階に移行していた。
「鉄を支えるのは石。
だが、国を築くのは土と石灰が混ざり合った“地の骨”だ。」
文明の城壁も、学校も、港も、
その根底に“結束する石”――セメントが必要であった。
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第一工程 ― 原材料の確立
秩父で切り出された石灰石は、
鉄道によって東京湾沿岸の建設資材局前線基地へと運ばれた。
ここではすでに明賢の指示により、
粘土採掘場・ばら積み倉庫・輸送用コンベアラインの整備が進められていた。
さらに、河川管理庁の監督のもと、
多摩川下流域での川砂採取が許可され、
セメント用の細粒質砂の採取が始まる。
「山の石は硬く、川の砂は柔らかい。
二つが交わって初めて国は形を持つ。」
砂は船で輸送され、
沿岸倉庫の巨大なばら積み施設へと吸い込まれていく。
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第二工程 ― セメント製造の開始
明賢は、火力発電所の余剰蒸気を利用し、
ロータリーキルン式セメント炉を設計。
ネット上の図面と原理を参考に、
清助工房出身の技師たちが製造機を組み上げた。
石灰石と粘土は細かく砕かれ、
混練・乾燥・焼成を経てクリンカーが生成される。
それを粉砕機に通して得られた白灰色の粉――
それがこの国初の**日本セメント(Japan Portland Cement)**であった。
粉は風に乗り、
陽の光の中で雪のように舞った。
清助がその光景を見てつぶやいた。
「この粉が、未来の街を固めるのですね。」
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第三工程 ― 生産体制の整備
明賢は製造設備を“日本第一セメント工場”と命名し、
その傘下に各種附属施設を整備した。
•原料採掘課:秩父・多摩の鉱山・河川を管理。
•輸送課:鉄道・船舶・馬車による物流ルートを監督。
•製造課:窯炉・粉砕・包装の全工程を担当。
•品質検査室:強度・硬化時間・純度の試験を実施。
これらの部署の運営には、
帝国大学工学部・地学部・化学部の卒業生が順次配属され、
産学一体の運営体制が整えられていった。
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第四工程 ― 国家建設への応用
セメントの生産が安定すると、
まずは港湾・鉄道橋脚・公共庁舎の建設に使用された。
従来の土壁や木組みでは不可能だった高層建築が現れ、
東京の街並みはゆっくりと“石の時代”へと変貌していく。
家康もこの新しい建材を視察し、
その硬さと水への耐久性に驚嘆したという。
「木の国が、石の国へと変わるのか。」
「いえ、石と木と鉄の国です。」と明賢は応えた。
こうして、日本国の大地は
理と技術の“骨格”を手に入れたのであった。




