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物語序章 第一版 111章

スペイン使節団


使節団を乗せた船が大西洋を渡り、スペイン本国――マドリードの王宮へと戻ると、報告の重さは瞬時に宮廷の空気を変えた。蒼白な顔つきの大使は、鹿児島で見聞した事実を慎重に取りまとめ、ハプスブルク朝の重臣たちの前に立った。


「陛下、閣下方……我々が見たものは、単なる奇術や奇妙な船ではありませんでした。彼らの艦は帆を用いず、長距離を高い精度で射撃する砲を備え、しかも補給と航海の体系が整っております。組織と技術、そしてそれを支える思想――『理を信じる国』です。」


枢密院の書記が書き留める紙が震える。老将軍や宰相が互いに視線を交わし、やがて一語が口をついて出た。


「それは……世界で我らに匹敵する、あるいは上回る力かもしれぬ。」


使節は首を縦に振った。鹿児島の砲撃演習、太平洋に張り巡らされた補給網、そして新大陸や南洋での先遣隊の活動。報告は一つの恐れへと収斂していく――日本が着々と領地と資源を押さえ、遠洋での覇権基盤を築きつつあるのではないか、という危機感だ。


王は深く眉を寄せ、地図を広げさせた。赤で引かれた我が王家領と、最近報告された日本側の航路や拠点。議論はすぐに核心へ飛んだ。


「もし彼らが新大陸や海の要衝を掌握すれば、我らスペインの貿易路と植民地は深刻に脅かされる。奴らに力を蓄えさせてはならぬ。先手必勝だ。」


老兵の一人が低い声で言う。

「我らが黙っている間に、彼らは海路を確保し、資源を集めて産業を育て、やがて我らを凌駕する。そうなれば我らの帝国は揺らぐ。」


冷静にしかし断固として結論を述べた。

「外交では事を成さぬ。領土の譲渡や交渉で既に我らの居場所が脅かされている。これ以上の拡張を許せば、スペインの覇権は終わる。軍備の増強、艦隊の再編成、植民地の守りを固め、必要ならば先制的に行動する準備を整える。すべて秘密裏に、急速に――」


議場には重い決意が満ちた。王は短く頷き、命じた。造船所の稼働時間を延ばすこと、補給線の強化、植民地防衛の指令、大量の兵員の動員計画、そして日本の拠点破壊を念頭に置いた作戦案の草案作成を――。


だが同時に、幾人かの老臣は慎重さを促した。

「向こうの技術の全貌は不明だ。我らが無謀に突っ込めば、海上で大損害を出す可能性もある。まずは情報の収集、スパイ網の強化、同盟国の打診を密かに始めよ。」


その夜、王宮の暖炉の火がゆらめく中で、幾つもの紙片が筆で埋められていった。軍需の優先配分、造船の増産命令、植民地守備隊の増強、秘密裏に派遣される斥候船団の準備――戦の準備は、静かに、しかし着実に整えられていく。


外では聖歌がどこからか聞こえてきた。だが王宮の内側では、新たな決意が生まれていた。かつての覇権を守るため、スペインは「日本を叩き潰す」選択肢を排さず、全力で備えることを決めたのだ。報告を上げた使節は静かに席を立ち、次の命令を待った。世界の均衡が、また一つ大きく動き始めた瞬間であった。


ポルトガル使節団


リスボンの朝靄の中、使節団を乗せた小舟がテージョ川の岸に着いた。

鹿児島で受け取った報告書と小さな定規、分銅の試作片を抱えた使節は疲弊しながらも、王宮の重臣会議へと急いだ。


会議室では、護国卿や植民地総督、宣教師団の長らが既にひざ詰めになって待っていた。使節が鹿児島で見聞したことを簡潔に報告すると、場内に重い空気が立ち込める。帆のない艦、長距離精密砲、閉鎖的な外交姿勢――特に「宗教的布教の受け入れ拒否」と「交易の門戸を閉ざす意思」は宣教師側にとって致命的だった。


護国卿は短く言った。

「まずは現実を認めよ。宣教師の派遣は、当面不可能だ。彼らは宗教より“理”を信じる国であり、我らの布教は受け入れられない。貿易も今は望めぬ。門は閉ざされている。」


商船長出身の老臣が不満を滲ませる。

「しかし我らは交易で生きている。東洋の香辛料と銀は我が国の血だ。門が閉ざされるとは、商人として看過できぬ。」


護国卿は冷静に首を振る。

「だが安全と国益が最優先だ。日本と直接対峙しているのは、あの大国――スペインでもある。我らはまず情報を集め、次に行動するべきだ。単独で突っ走れば、我らの海外植民地が危うくなる。」


結論は急を要したため、ポルトガル王室は直ちにマドリードへ使者を送った。数日後、返答の使節が到着すると、彼の顔は険しかった。スペインは既に日本を脅威と断じ、大規模な軍事準備を進めているという。マドリードはポルトガルへ「連携して備えよ」との指示を出したのだ。


ポルトガル側の反応は複雑だった。祖国の安全とスペインとの同盟関係は無視できない。だが、国力は限られ、海峡の向こうで大戦が起きれば植民地網に悪影響が出るのは明らかだ。最終的に王は渋々命じる。


「宣教と商業の拡大は望ましいが、今は時機に非ず。スペインの方針に沿い、防備体制を整えよ。海軍を増強し、植民地の守備を固め、秘密裏に情報網を張るのだ。だが全面的な参戦は最後の手段とする。なるべくしてならぬ事態に備えよ。」


すぐさま命令書が下された。

・植民地防備のための増派命令

・造船所での軍艦優先稼働指示(商船の徴用も含む)

・宣教師団の撤収準備と布教活動の凍結命令

・情報局(密偵網)の拡張とスペインとの情報共有ルートの確立


商人たちの嘆き、宣教師たちの憤懣――だが国王の判断は揺がない。リスボンの港には、軍旗を掲げた艦が急ぎ修繕され、既存の商船には武装が追加された。宣教師団は書簡を残して各地の教会へ撤収の道具立てを連絡し、密かに次の指示を待つことになった。


その夜、王宮の書斎で護国卿は窓の外の月を見やりながら呟いた。

「我らの商いも信仰も、今は退く術を学ばんとならぬ。だが目は離さぬ。時機が来れば、必ず取り戻す。」


こうしてポルトガルは、スペインとの同盟の重みから渋々ではあるが軍の準備を始めた。だが内部では、平和的解決と情報戦による優位獲得を望む穏健派と、いち早く手を打つべきだと主張する強硬派が対立を深めていた。世界はじりじりと熱を帯び、リスボンの石畳もまた、その先の嵐を予感していた。


プロイセン使節団


神聖ローマ帝国諸邦とプロイセン諸国の間では、使節団が持ち帰った日本の報告書が広まるや否や、大きな波紋を呼んだ。

「帆もなく進む艦」「砲弾が雷鳴のごとく飛ぶ」「すべてを数値と理で測る国」――外交官たちの報告は半ば伝説のように語られ、学者や職人たちの心を掴んで離さなかった。


ウィーンの皇帝宮廷では、重臣と学術顧問たちが集まり議論を交わしていた。

「日本という国は、理を信仰の根幹としておるらしい。」

「つまり神の意志ではなく、人の知恵によって秩序を築いているというのか?」

「その通りです、陛下。報告書によれば、彼らの宗教は“科学教”と呼ばれ、計算と実験を以て真理を求めるとか。」


皇帝はしばし黙考し、やがて静かに言葉を発した。

「……それは、我らの精神と似ているな。理性による統治、知による発展――。日本とは互いに理解し合える国であるかもしれぬ。」


その頃、プロイセンではすでに学術院と軍学校で「日本式単位系」についての講義が開かれ始めていた。

メートル原器の複製を模して真鍮製の棒が作られ、若い技師たちがこぞって測定法を研究する。

「この単位を用いれば、国ごとに異なる尺度を廃せる。精密工業にとって革命的だ!」

「鉄砲の砲身も、建築の柱も、すべて共通の寸法で設計できるぞ!」


実験室では、帝国全土から集まった職人や化学者たちが、使節団が持ち帰ったガラス製のビーカーや分銅原器を前に興奮していた。

「これが日本製の器具か! なんと均一で歪みがない……!」

「この精度で量を測れるなら、薬品も、火薬も、まったく新しい水準で扱える!」


一方、ベルリンではフリードリヒ派の軍務卿たちが冷静に議論した。

「我らが進むべきは模倣ではなく吸収だ。彼らの技術を学び、独自に進化させる。」

「軍事的な均衡を崩すことなく、友好を装いながら技術交流を進めるべきだ。」


結論は明確だった。

「日本とは敵対せず、むしろ友好的な文化・学術関係を築くこと。」


やがて帝国内では日本由来の単位が学術院で正式に採用され、都市の工房でも自然と「メートル」「リットル」「グラム」が使われ始める。

それは宗教でもなく、条約でもなく――“知への憧れ”による浸透だった。


こうして神聖ローマ帝国・プロイセン諸邦は、日本を「理性の友」として迎え入れ、以後、長きにわたって技術・学術を軸とした交流を続けていくことになる。


ローマ使節団


ローマの朝は薄曇りだった。サン・ピエトロ大聖堂の影が静かに広がる中、教皇の前には重々しい赤衣の枢機卿たちが並び、鹿児島からの使節の報告書が開かれていた。報告の余韻は会衆の胸に重くのしかかる。


「彼らは――神を捨てたわけではないが、我々とは別の『信仰』を持っているらしい」

使節の声は震えてはいなかったが、その言葉には困惑がにじんでいた。報告書には、分銅や定規、精緻に刻まれた数値、そして『科学を崇める』という日本の思想が記されている。ガリレオの名を使節が口にした時、会議室の空気が凍りついた。


老枢機卿が低く呻くように言った。

「ガリレオの名を知っている……それは偶然か、それとも我々の学問が彼らにも伝わっているというのか。だが我らの懸念は単純だ。キリストの教えが届かぬ民が、独自の理を以て国家を築く――それは異端の萌芽を意味する。」


若き神学者が前に出て、翻開された書簡を指差す。

「彼らは布教を受け入れない。科学を宗教としているという。教義を変えよと迫るつもりはありませんが、このまま放置すれば、我らの信徒拡大の機会を永久に失うかもしれません。」


しかし、慎重な古参の枢機卿は戦の愚を諭す。

「武力衝突は避けるべきだ。我らは刃で異端を裁くのではなく、言葉と信仰で導く。日本が争いを好まぬとすれば、宣教と説得を粘り強く行うべきだ。だが同時に警戒を強めよ。情報は必須だ。」


教皇は長く沈黙した後、静かに瞳を閉じて語った。

「彼らは、我らの神学とは違う“理”を崇める。だからといって即座に断罪すべきではない。だが教会の使命は変わらぬ――人々をキリストへ導くことだ。我々は柔和に、しかし確実に手を打たねばなるまい。」


会議は結論をまとめた。要点は短く、しかし重かった。


・日本は異なる宗教的形態(科学信仰)を持つ存在として認識する。

・即時の軍事介入は否定し、対話と宣教を第一とする方針を採る。

・しかし「警戒」を高め、情報収集網(宣教団に加え密偵的要素の導入)を拡充する。

・宣教師団の動きは秘密裡に、慎重に再調整する。表面上は礼を尽くしつつ、接触の機会を探る。

・ガリレオや教会の学者を通じた学術的対話の窓口を設け、教義を説くための理性的接点を模索する。


枢機卿たちは祈りを捧げ、教皇は小さな十字架を指で撫でた。決して怒りに駆られた判断ではない――むしろ「警戒と忍耐」の結合だった。日本が好戦的でないという報告は安堵の種であるが、未知と理への傾倒は教会にとって看過できぬ問題であった。


夜、教皇は使節に静かに言葉をかけた。

「帰国後、我らは諸国に呼びかけ、我々の信仰と学問の橋を用意しよう。だが覚えておくがよい――我らは教えを押し付けるのではない。救いを差し出すのだ。」


報告は書類に署名され、封印され、次なる行動指針として宮廷内に回覧されていった。ローマは戦を望まず、しかし布教と監視を強める道を選んだ。静かな決意が、教皇庁の石造りの回廊に染み渡っていった。

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