物語序章 第一版 110章
使節団帰国
イギリス使節団
港から戻った使節団は、濡れたマントをはためかせながらロンドンの石畳を急いだ。
報告書と、鹿児島で受け取った小さな金属の原器、そして見聞した「理の国・日本」についての断片を胸に、彼らはまずそれぞれの“勢力”──王党派と議会派の上層部へと駆け込んだ。
王党派の集会は王宮の密室で開かれた。燭台の光が古い地図を照らす中、重々しい声が飛ぶ。
老練な伯爵が灰色の眉を吊り上げる。
「話せ。日本とは何事か。帆もない艦、長距離を射る砲……我らの敵に渡すわけにはいかぬ!」
使節は息を整え、鹿児島で見た光景を淡々と伝える。技術の断片、彼らが示した“単位”の話、そして日本側の閉鎖性――。だが最後にこう付け加えた。
「日本は我らに対して約束を求めれば、新大陸の領土の譲渡か売却を引き換えに受け入れる可能性がある、と申しております。先に手を打てば、大いなる支援を得られるかもしれません。」
その言葉に室内がざわめく。若い将軍が鋭く前のめりになる。
「内戦の早期終結のためなら、取引を急ぐべきだ。技術提供や艦隊の支援を受ければ、戦局は変わる!」
老伯爵は唇を結び、しかし目には決意が灯った。王冠の権威を保つため、何としても有利に決着させたい――その一念が、冷静な策略を練らせる。
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一方、議会派の会合は議会の書斎で、書物と計算器具に囲まれて行われた。議長に近い急進的な議員が使節の報告書を受け取り、目を細める。
「日本が示した“理”という概念は、我々の理性主義に通じる。だがそれを軍事力に供するなら、王党派に有利になる。先に交渉をまとめねばならぬ。」
年配の商人出身の代表が高く頷く。
「新大陸の土地を引き渡すことは大きな賭けだ。だが、長期的に見れば日本と結びつくことで勝利の道が開ける。議会の名で先手を打とう。」
議会派は決断を速める。書簡を整え、送金の準備をし、代理の使節を日本へ急派する案がすぐに成立する。誰もが分かっていた――相手より先に“約束”を取り付けることが勝利の鍵だと。
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両勢力に共通していたのは焦燥と計算だ。
・内戦を一刻も早く有利に収めたい。
・日本の技術と支持は決定的な加勢になり得る。
・だが日本は閉鎖的であり、安易に信用して良い相手ではない。
・新大陸の領土は有力な交換材料であるが、渡すべき相手と条件を誤れば将来の利益を失う。
王党派は誇り高く、直接的な軍事支援と王権の保全を求める約束を用意する。
議会派は商業的利益と長期的な同盟関係を重視し、経済的な優遇や条約をちらつかせる。
両者はそれぞれの上層部を招集し、書記官を走らせ、夜を徹して条文の草案を練った。
使節たちは次の段取りを練り、どちらかが先に日本の同意を取り付けぬよう、互いの動きを警戒し始める。
王党派は密使を選び、軍艦での護衛を付けて日本へ向かわせる準備をする。議会派は商船団を偽装した使節団を整え、交易の申し出を正式文書にまとめて急派する――どちらも「先に着くこと」が唯一無二の方針だ。
港を出るその朝、王党派の長は短く呟いた。
「これで勝てるなら、国を賭けても惜しくはない。」
議会派の若き指導者は、もう一つだけ確かめるように書類に目を落とした。
「領土の扱い、国際法の解釈、先行者利益……全て計算に入れよ。だが忘れるな、我らが手に入れるのは一枚の契約書ではなく、未来への扉だ。」
そして──両派の使節団は、互いに知らぬように、同じ海へと乗り出した。
海上ではまだ見えぬ日本が、どちらの旗を受け入れるのか。内戦の行方を左右する賭けが、静かに始まった。
オランダの使節団
アムステルダムの冬の朝、霧に煙る運河を越えて、外交使節団を乗せた馬車が急ぎ議事堂へ向かっていた。
街には新たな商館が並び、絹と香辛料と金貨が飛び交う。オランダはこれから黄金期を迎えようとしていた。
そんな最中に届いた「日本国からの報告書」は、国政の中心をざわつかせた。
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共和国議会の広間。議長が椅子に腰かけ、淡々と報告を促す。
使節の長は深く一礼し、鹿児島で見聞きしたことを語り始めた。
「日本は、我らの見たどの国よりも“理”を重んじ、あらゆる測定に一貫した単位を用いております。
彼らは『メートル』なる長さを基準とし、すべての距離・重量・体積をこの単位に基づいて定義しておりました。」
その言葉に学者たちがざわめく。
「人によって異ならぬ尺度……それは交易の言語を統一するようなものだ!」
「もしそれが国際的に通用すれば、商業の混乱は激減する!」
商人議員のひとりが立ち上がる。
「諸君、これは商機だ。日本の単位を我らの貿易体系に速やかに取り入れ、やがて世界の共通単位とすれば、我が国の商取引は他国に先んずる。
取引の混乱を減らし、港ごとの換算を不要にする――これは“黄金の秤”を得るに等しい!」
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午後になると、学術評議会と経済評議会が合同で招集された。
科学者たちは、報告書に添えられていた分銅原器と定規の試作品を手に取り、慎重に観察する。
刻まれた数字の整然さ、金属の均質な加工精度――まるで芸術品のようだった。
「日本では科学そのものを信仰しているという。」
「神を信じる代わりに“再現性”を信じているのか。」
「それは…信仰の形として興味深い。科学と宗教の融合だ。」
議論は白熱し、ついに議長が槌を打った。
「共和国としての決定を下す。――本日より、オランダは“日本式国際単位系”を採用する。
この単位を我らの交易書・契約・測量基準に正式記載せよ!」
その瞬間、会場に拍手が広がった。
そして議長は続けた。
「これをもって、我が国は理性と秩序の商業国家として進む。
また、日本に対して正式に要請を送る――彼らの計測官を我が国に派遣し、港湾・運河・海図の再測定を共に行ってほしい。」
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アムステルダム港では早速、新しい測定器を基にした改修が始まった。
造船所の職人たちはメートル単位の刻みを持つ新しい定規を受け取り、木製の船梁を測る。
「おい、前よりも正確に合うぞ。」
「ほら見ろ、二隻の船の部材がまるで同じ寸法だ!」
笑いが広がる。統一の力は、技術と商売の両方に秩序をもたらしていた。
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数日後、国家会議の結論が布告として出される。
「オランダ共和国は、日本国の採用する新単位を国家標準とする。
以後、すべての公的計測・商取引・学術研究は“si単位法”に基づくものとする。
また、日本国に対し、測量・航海技術の共同研究を提案する。」
この布告はすぐに各国の商館に伝わり、商人たちは驚愕した。
「オランダが、東洋の国の基準を採用しただと?」
「狂気か、いや、先見の明かもしれぬ。」
だがオランダの上層部は確信していた。
彼らが選んだのは単なる単位ではなく――
未来を測るための“物差し”そのものだった。
フランス使節団
ヴェルサイユ宮殿の白い回廊を、旅の埃をまとった外交使節団が歩いていた。
フランス王国の高官たちはすでに彼らの帰還を知っており、広間の扉が開かれると同時に、科学者や学者、技術者たちがまるで獲物を求める学徒のように詰め寄った。
「――それで? 本当に帆もなく進む船が存在するというのか?」
「ええ、陛下。彼らの艦は風を待たずに進みます。しかもあの巨体で。」
「馬鹿な! 風以外に海を進む力があるものか!」
「それが……どうやら“科学の理”によるものだと。神の奇跡ではなく。」
使節の報告に、宮廷の空気が一変した。笑いを浮かべていた者たちが次々と口を閉ざし、代わりにアカデミーの科学者たちが前に出てきた。
彼らは持ち帰られた資料と分銅原器、そして金属製の細い定規を手に取り、光にかざした。
「これは……実に見事だ。均一な加工精度、寸分の狂いもない。」
「彼らは“メートル”なる単位を使っているそうだな?」
「そうです。地球の一周を四千万分割し、その一つを一メートルと定めたとか。すべての測定がその単位を基準に行われております。」
「理に適う……まるで神の創造を数式で解いたようだ。」
学者たちは互いに頷き合い、口々に叫んだ。
「これこそ人類の共通言語だ!」
「フランスこそ、この単位を採用し科学の中心とならねばならぬ!」
「陛下、どうか我らにお許しを――この単位を我が国の基準に!」
報告は続く。
使節の長が懐からもう一枚の書簡を取り出した。
「さらに、日本側は我が国の科学者を高く評価しており――アカデミーへ彼ら自身の研究者を派遣し、発表してくれるとの約束を取り付けました。」
「なに? 彼らが我がパリで発表を?」
「はい。そして彼らの造船所――軍用ではない商船の建造現場――を二名のみ視察できるとの許可を得ております。」
広間がざわついた。数人の貴族が息を呑み、学者たちは目を輝かせた。
「実際に、彼らの“科学教”という思想を確かめられるのか。」
「宗教として科学を信仰する……これほど純粋な理性の国があるとは!」
「日本とはただの東洋の島国ではなく、“理”を信じる文明国家だ。」
国王ルイ十三世は静かに立ち上がり、議場のざわめきを鎮めた。
「フランスは、芸術と理性の国である。――であれば、科学を信仰する国と手を結ぶのは当然のことだ。
外交を続けよ。アカデミーを通じて学術の交流を深め、日本の研究者を正式に迎える。」
その言葉に、会場の誰もが深く頭を下げた。
科学者たちは胸を高鳴らせ、学術顧問たちは早くも受け入れ準備を始める。
やがて王は側近に向かい、静かに言葉を継いだ。
「この日本という国……もし本当に理を信じて国を築くのならば、我らが未来の“兄弟”となるかもしれぬ。」
その夜、ヴェルサイユではささやかに祝宴が開かれた。
燭台の明かりの下で、科学者たちは新しい“単位”の計算式を紙に走らせ、若き詩人が呟いた。
「神が世界を作り、
人がそれを“測る”時代が来たのだ。」
フランス宮廷は確信していた――
この新たな文明の潮流の中心には、必ず自分たちが立っている、と。




