物語序章 第一版 106章
― イギリス代表との対話 ―
鹿児島の外交施設。
朝の光が障子越しに差し込む中、各国の代表が静かに着席していた。
海を渡ってきた英国代表団の席には、内戦の疲労が隠しきれない初老の外交官――サー・ヘンリー・ウィンゲートの姿があった。
しかしその瞳だけは、あの黒鉄の艦を見た興奮を未だ宿している。
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ヘンリー卿:
「陛下の名において、まずは昨日のご厚意に感謝を。
我々が見たものは……まさしく未知の船でした。
ですが、どうか一つだけ。――あの艦は、風も帆もなく、なぜ進めるのですか?
いったい何の力で、あれほどの速度を得ているのです?」
日本側代表:
「その件につきましては……恐れながら、軍事機密に属します。
推進の原理は国家防衛上の根幹に関わるため、詳細はお伝えできません。」
(イギリス側が少しざわめく。通訳がヘンリー卿に囁く。
彼は軽く頷き、深呼吸してから、少し口調を変えた。)
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ヘンリー卿:
「なるほど……。では、次の質問を。
あの船体は鉄――いや、それに近い金属でできているように見えました。
普通ならあの重さでは沈みます。浮かぶ理屈をお教え願えませんか?」
日本側:
「それはお答えできます。
――こちらをご覧ください。」
(随行の技術将校が、木箱から小さな船体模型を取り出す。
黒く艶めく金属の模型を、水槽にそっと浮かべると、静かに水面に浮かび上がった。)
日本側:
「浮力は、排水量と船体の容積によって生じます。
金属であっても、内部の構造を工夫すれば水に浮く。
これが我が国で確立された浮体理論に基づく設計です。」
(イギリス代表団から小さなどよめき。通訳を聞きながら、彼らは水槽を覗き込み、興味と困惑を隠せない。)
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ヘンリー卿:
「……驚嘆しました。
では次に――あの砲塔と呼ばれた構造。あれはどのように旋回しているのです? 人力ではないように見えました。」
日本側:
「お察しのとおり、人力ではありません。
ただし、どのような力を使っているかは――軍事機密ゆえ、正確な答弁はできません。
機械仕掛けの力、とだけ申し上げておきましょう。」
(ヘンリー卿は口元を緩めた。まるで将棋の駒の一手を読んだような笑みである。)
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ヘンリー卿:
「ふむ、機械仕掛けの力……。
ではあの砲弾の威力はいかなる火薬によるのです?
我らの黒色火薬では、あのような速度も、あのような閃光も出せません。」
日本側:
「それも国家の軍事上の秘密に属しますが――
我が国独自の研究により、黒色火薬を発展させたもの、とお考えください。」
(ヘンリー卿は少し肩をすくめ、そして笑う。)
ヘンリー卿:
「どこまで発展させれば、あれほどの爆音が出るのか……。
まるで雷神が砲を放つかのようでした。」
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(しばし沈黙ののち、彼の顔に政治家としての色が戻る。)
ヘンリー卿:
「さて――我が国は今、内戦の只中にあります。
そのため北米の支配地域は揺らいでおり、貴国の進出がどの勢力と関係しているのか、非常に気になるところです。
日本はどちらに肩入れなさるおつもりですか?」
日本側:
「我が国は、北米における正当な領土の確立を目的としております。
英国の内政に干渉する意思はありません。
ただし、双方の勢力に対し交渉を行い――
譲渡または売却に対して友好的な意志を示した側に、資源・食料・金銭の支援を行う考えです。」
ヘンリー卿:
「……なるほど。つまり、支援は取引条件ということですな。」
日本側:
「ええ。あくまで互恵の関係です。
我が国は北米の秩序を確立し、そこに住む民の安寧を守ることを望んでおります。」
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(ヘンリー卿は顎に手を当て、沈黙する。
だがその表情には、少しの皮肉と、抑えきれない興味が混ざっていた。)
ヘンリー卿:
「最後にひとつ。
もし我が国のどちらかの勢力が、貴国の支援を受けた場合……
それは英国への敵対行為とは見なされぬ、ということでよろしいか?」
日本側:
「繰り返しになりますが、我が国の目的は交渉による領土の明確化のみです。
いずれの勢力とも、国家として対立する意思はございません。」
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(会場に微かな緊張が漂ったが、やがてヘンリー卿は席を立ち、帽子を軽く取って一礼した。)
ヘンリー卿:
「……誠に見事な答弁でした。
ただ一つ言わせていただきたい――
貴国のような沈黙は、時に大砲よりも恐ろしいものですな。」
日本側:
「沈黙の中にこそ、平和の道がございます。」
(その言葉に、会場が静まり返った。
ヘンリー卿は口の端を吊り上げ、ゆっくりと自席に戻った。)
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その瞬間、他国の代表たちは――
「この国は、言葉よりも行動で世界を動かす国だ」と理解した。
日本の外交は、砲火よりも冷静で、そして冷徹だった。
― オランダ代表との対話 ―
英国代表の返答が終わると、会議室の空気が少し和らいだ。
次に立ち上がったのは、オランダ東インド会社を代表するヘンドリク・ファン・デル・ホーフ。
理知的な顔立ちの男で、手元の帳簿には緻密なメモが書き込まれている。
彼は軍事よりも、学問と測量、そして交易の整然さに関心を持つ男だった。
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ヘンドリク代表:
「昨日、貴国の艦を見学し、その規律と精密さに心から感服いたしました。
そして本日のお話の中で最も我々が驚いたのは――“単位”の統一であります。
我が国でも港や都市によって寸法が異なり、交易のたびに換算表を作らねばならぬのです。
もし貴国の単位が世界共通になれば、それは商業にも学問にも大いに利益をもたらすでしょう。
つかぬことを伺いますが……その『メートル』とは、いかにして定められたものなのですか?」
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日本代表:
「よくぞ聞いてくださいました。
我々の“メートル”は――地球そのものを基準にしております。
地球一周の長さを約四千万等分したものを一メートルと定め、
その千倍を一キロメートルといたしました。」
(ヘンドリクは通訳の声を聞いた瞬間、眉を上げた。
室内の他の外交官たちもざわめく。
「地球を測る」という発想は、当時の彼らにとってまさに神の領域の概念だった。)
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日本代表:
「人によって、あるいは土地によって長さが変わらない――
この普遍性こそが、人と国をつなぐものになると信じております。」
(その言葉に、オランダ代表は深く頷いた。
彼らの合理的精神は、この発想に強く共鳴した。)
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ヘンドリク代表:
「……すばらしい。
我々オランダも海図と測量において精度を追い求めてまいりましたが、
もし貴国の計測法を学べるなら、世界の海図は一変するでしょう。
そこでお願いがございます。
――日本の技師を我が国に派遣し、海図の計測を共に行っていただけませんか?」
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日本代表:
「それは我が国としても喜ばしい申し出です。
では、近海の測量から始めましょう。
後日、計測員と観測官を派遣いたします。
精密な海図の作成は、貴国と我が国の双方に利益をもたらすでしょう。」
(ヘンドリクは微笑み、深く一礼した。
しかし次の質問には、もう少し好奇心がにじんでいた。)
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ヘンドリク代表:
「では、航海の際に貴国の船乗りが使用していた“測定器”について。
我々のよる推測航法(航走距離と磁気コンパスによる針路によって船の位置を推測する)よりもずっと小さく、しかも正確に星の高さを測っておられたようですが……
あれは、どのような仕組みのものなのですか?」
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日本代表:
「“八分儀”という器具でございます。
これにより、従来のものよりさらに細かく角度を測ることができ、
天測航法の誤差を大幅に減らすことができるのです。
航海者にとって、空を読むことは命を守る術――
この八分儀が、それを助けてくれるのです。」
(オランダ代表団の中には航海士の者もおり、ざわめきが起こる。
彼らは日本が理論航法を独自に発展させていることに驚きを隠せなかった。)
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ヘンドリク代表:
「なるほど……。それにしても、艦の大砲の照準が、あまりにも正確すぎました。
まるで目で見るよりも先に、何かが“狙い”を決めているような……。
いったい、どうやってあの精度を?」
日本代表:
「その件については――軍事機密に属しますので、お答えできません。」
(短く、しかし穏やかな声。外交官の表情には微笑が浮かんでいる。
質問が核心に迫ると、まるで霧が立ちこめるように話を逸らす――それが日本式の沈黙外交だった。)
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ヘンドリク代表:
「では、その航法――
あの正確な座標を導く方法は、星の観測だけでは説明がつかぬように見えました。
何か他の方法……?」
日本代表:
「ふふ、これも少しの工夫にすぎません。
三角測量の応用によって位置を割り出しているのです。
ただ、詳しい原理は軍の研究に関わりますので……申し訳ありませんが。」
(「三角測量」という言葉に、オランダの地理学者たちはざわついた。
すでにヨーロッパでは理論が芽生えていたが、
それを航海と実測に落とし込んでいる国は、まだ存在しなかった。)
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ヘンドリク代表:
「最後にもう一つ。
もしよろしければ――貴国で使用している観測機器や、学問に関する書物を拝見したいのですが。」
日本代表:
「観測機器の実物をお渡しすることはできませんが、
長さや体積を正確に測るための定規や計量ビーカーなどをお渡しすることは可能です。
また、書物につきましては――
日本国の最高顧問である明賢が内容を確認し、
公開が許されるものについては複写を作成し、提供いたします。」
(外交官の語り口はあくまで穏やかだったが、
その裏には「核心技術は決して出さない」という鉄の線が通っていた。)
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ヘンドリク代表:
「……なるほど。学ぶことはできるが、真似はできぬ――というわけですな。
貴国はまるで、海の上を行く図書館のようだ。」
日本代表:
「知識とは、世界を照らす灯です。
ですが、炎を持つにはそれを扱う心がなければなりません。」
(ヘンドリクは深く一礼した。
彼はこの瞬間、戦ではなく学問で交わる国があることを悟った。
その瞳には尊敬が宿っていた。)




