物語序章 第一版 10章
第十章 決戦関ヶ原
夜明け前、関ヶ原の地は白い霧に包まれていた。
土は夜露を吸い、草の先が冷たく濡れている。
鳥の声はなく、遠くで旗の布が揺れる音だけが響いていた。
明賢は部屋の中で無線機を見つめていた。
木の机の上には、清助たちが作った観測小屋からの通信器が並び、
小さな灯が点いたり消えたりしている。
それがまるで心臓の鼓動のように感じられた。
「こちら観測小屋一、敵の布陣、予定通り東の丘。数、約二千。」
「風向きは?」
「午前は北東、午後から東へ変化する見込みです。」
報告を聞きながら、明賢はノートに素早く線を引いた。
赤い印は敵、青い印は味方。
兄が率いる部隊は南西の丘に展開している。
父の部隊は中央やや後方。
「父上、兄上。予定通り午前に先制攻撃を仕掛けてください。
風が変わる前に終わらせます。」
伝令が馬で走り出す。
霧の中に小石の音が遠ざかっていく。
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情報の戦
清助は観測小屋にいた。
双眼鏡で敵陣を確認しながら、通信機に短く言葉を送る。
「東側、火薬の準備を確認。煙、まだ薄い。」
「了解、こちら西の丘、火薬装備は完了。」
戦が始まった。
銃声が霧を突き破るように響く。
鉄の匂いと土の煙が混ざり、視界がわずかに赤く染まった。
清助の耳には、通信音と爆ぜる音が交互に届く。
「北西側、敵が動いた! 予備兵が南に移動中!」
「そのまま放置、あの道はぬかるんでいる。進めば足を取られる。」
明賢の冷静な指示が返る。
敵は足を取られ、進軍が遅れた。
味方の側面攻撃が予定より早く成功し、敵陣が一部崩れた。
「報告、敵の退却確認。中央陣、押し上げ開始。」
明賢は深く息をついた。
兄の部隊が前進している。父の旗が見えた。
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戦の終息
昼を過ぎ、風が東に変わった頃には、すでに戦況は決していた。
敵は陣を崩し、退却する者が多い。
味方の損害は最小限だった。
清助が通信を送り、静かに報告した。
「……勝利です。」
明賢は返事をしなかった。
ただ、机に広げた地図を見つめていた。
無数の線が戦場の動きを示し、
そこに命の流れが刻まれていた。
父と兄が無事に帰還したという報告が届く。
父は戦功を称えられ、兄は部隊を率いた功で重臣の目に留まった。
「見えぬ戦いが、見える戦を動かす。」
明賢はその言葉を胸の中で繰り返した。
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勝利の影
夜、清助が屋敷に戻った。
衣の端には泥と草の匂いが残っている。
「本当に、先生の言った通りでした……敵の動きまで。」
「理屈を積み重ねれば、偶然は減る。それだけのことだ。」
明賢は静かに答えた。
家の外では、勝利を祝う声が遠くに響いていた。
けれど屋敷の中は静まり返っていた。
勝利の先に何があるのかを、
この屋敷の誰もまだ知らなかった。
勝利の報せ
関ヶ原の戦いが終わって数日、屋敷には多くの使者が訪れた。
勝利の報告と戦功の確認、そして戦場での詳細な記録を求める者たち。
父は何も言わず、静かに書状を受け取った。
兄は傷ついた鎧を拭きながら、外の光を見ていた。
屋敷の空気は静かだったが、その静けさの底に確かな誇りがあった。
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召し出し
ある朝、徳川家康の使者が正式に訪れた。
封書には、父とその嫡男、そして「その子息、明賢」との名が記されていた。
戦の報告と功績の確認のため、江戸への召喚命令である。
使者は深く頭を下げ、言葉少なに去っていった。
家の者たちは驚き、清助は無言で立ち尽くした。
明賢は封書を見つめたまま、静かに笑った。
「……ついに、来たか。」
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作戦会議
その夜、父と兄、そして明賢は囲炉裏を囲んで話し合った。
「褒美はどうする?」と兄が言う。
「名誉より実を取ります」と明賢が答える。
父は眉をひそめた。
「実、とは?」
「江戸の屋敷です。できれば城に近い土地。
そして、いくつかの土地を教育施設として使えるようにしてほしい。
今後、学問を広めるための“場”が必要です。」
兄はうなずいた。
「確かに、戦の勝ち方を知る者が増えれば国は強くなる。」
「それともうひとつ、家の格を上げること。
人を増やすためには地位が必要です。
優秀な者を雇い、教育し、動かす。
そのために“名”を手に入れます。」
父は黙って茶をすくい、湯飲みに落とした。
「……すべて、考えているのだな。」
「はい。江戸は次の国の中心になります。
その中枢に入ること、それが最大の褒美です。」




