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第7章 誰もいない世界

いないいないばぁ

 ねぇ 笑って? 笑ってよ……



ー暗闇、最悪、暗闇だ。

 湧き上がる恐怖を肯定し、心の中に放置する。これまでの暗闇と異なり、自分が歩いてるのか、自分の体が浮いているのかすら、わからない。手足の感覚が全くないのだ。

 本能が自分が誰なのか、強く意識せねばならないと感じた。

 一歩、足のあるらしき感触で、踏み出した。

ー私は、マリ。高校2年生。タピオカが好き。最近できたミルクティーはめっちゃ美味しかった。絶対に、行こう。

 家族は母と朝美姉さんがいて、実家には厳しいおじいちゃんがいる。さっきまでは、ギルバート伯爵に送ってもらった……。おしゃれ好きなハニワたちや生意気なベラ、アンディに助けてもらったおかげで、今この暗闇にいる。そして、幼い正義のヒーローのヤモンがピンチのときに駆けつけてくれた。高校にも友だちがいる。明るくて、クラスの人気者の……。今朝もアプリの怪談噺をしたあの子は? 名前は……? マリははっと我に帰る。

ーマ、リ…?

 後ろから不信に満ちた、低い声がする。

ー思い出せないの?

 可愛くて、強気で、いつだってマリを輪に入れてくれた女の子……。誰だっけ……?

ーあたしのナマエ、忘れたの?

 マリは必死に思い出そうとした。誰だっけ? 罪悪感がじわじわと這い出てくる。気づけば、足元に黒い手のようなものが纏まとわりついているのが目に入った。

ー離して! 

 マリが強く念じると、手のようなものは消えた。

 マリは、胸元の翡翠のネックレスに目が入り、握りしめた。じんわりと、体があたたかい。安心をするも、心の中に、わずかにしこりが残る。

「 」

 言葉を発そうと、口が開いた感覚すら無かった。しかし、自分が誰なのか、思い出せた。行きたい方向も明確となる。 

 暗闇の中で、ちかちかと光が煌いているのがみえる。赤、黄、蒼、緑、金……。

 同時に、しわがれたような声も聞こえてきた。

「888888888」

ー変な常識? な、に、それ?

「a ×××=u:」

 マリが漸く口から出た言葉は、言語ではなかった。

「知能、知識が、常識が、人間に邪魔され、おかしくなるのさ」

 声の方角をみると、三人の老けた若人がなにやら、へんてこなことを話している。

「ヘンテコなのは、おまえだっ!!!!!」

 マリの心の声が漏れたように、三人の若人はしわくちゃの顔で一斉にこちらをみて、叫んでいる。

「ガキの癖にクソ生意気だ」

「牛乳の1mℓは命の水さぁ。さぁ、飲まんと、呑まんと」

 そんなことより、誰だ。あの老人は。

「私たちは、お前になれなかったゴミさ」

 ゴミ? 何を言ってんの?

「友だちのナマエすら、思い出せないオマエのほうがは何を言っているんだ!!」

 若人たちはこちらを指さし、こちらを一斉に問い詰める。そんなことない。覚えている。

 しかし、必死に思い出そうとしても、ナマエが思い出せない。首を振った。ナマエが分からなくても、いつだって、マリのデザインを褒めて、タピオカを一緒に飲んだ記憶は残っている。名称は今、重要ではない。自分の罪悪をごまかすように、言い訳をした。しかし、そう思えば、思うほど、マリは自我が溶けているような気がした。

 黒い手がマリの体の光の一部を盗んでいく。

ー○○、お皿、洗っといて

 隣のほうで母さんの声がする。ほら、大丈夫、かぁさんのナマエは由紀子。いつも、てきぱきとしていて、○○と大喧嘩する。

 ん? ○○って、誰だっけ? 

 私、我、ボク、俺、さまざまな一人称が心に渦巻くも、どれもしっくりこない。

 ソレはダレ?

 後ろから、黒い手に肩を捕まれた。マリは直接、頭の中に語り掛けてる謎の声に混乱した。三人の老人は気づけば、いなくなっていた。

「ダサい。ダサい。変えてみせる、常識を」

 パリの華やかな通りに立っていた。パリだと思ったのは、エッフェル塔があったから。凛とした黒い姿の女性がヒールの音をかきならして、目の前を歩いていく。マリはその女性の存在感に妙にひかれてツイテいった。

「泥棒ッ!!!!!」

 突然、罵声が聞こえ、嗚咽の声が上から響く。突如、胸の中に、痺れるような痛みが走る。気になって、上を向こうとしたとき、視界がまっくらになった。

「マリ、見てはいけないよ」

 すべてを寛容するかのような、深く低い声が聞こえる。マリは、目を塞がれたという事実が音ともに、認識した。

「太刀打ちできないからね」

 錘のような足が徐々に軽くなる。マリはまさかと思って、後ろを振り返ろうとすると、手で制される。

「ギルバート、なんであなたが」

 横を向くと、紳士な梟が立っている。その瞬間、肉体の感覚と遠のいた記憶が明確になる。マリはマリであることを自認し、一気にマリの輪郭を持ち始めた。マリはゾクリとした。一瞬で、底が見えない闇へ引き込まれる寸前だった。

「ありがとうございます。けど、てっきり、あそこで別れると思ってました」

「最後は1人で帰るなんて、誰が考決めたんだい? 人間は困ったときほど、他者に頼らなくては」

 ギルバートはこちらを向いた。

「人の好奇心ほど信用できるものはないことを思い出したのさ」

 クスクスと笑って、こちらをみた。

「忘れていたよ、人間は自我を保つことが難しい生き物であることを」

 あたたかい声だった。

 そうだ、あたしは、マリだ。ついさっき、ギルバートと話をした。愛梨が前髪を気にして、彼氏とのデートをすっぽかした記憶を思い出す。女の子が醜い姿を晒したくない話も。じわじわと自分が還ってくる。

「マリ、君がこの道を歩く中、迷子にならないように、私が手を引いていこう」

 ギルバートがそういって、手を差し出すと、マリは躊躇ちゅうちょなく手を握った。人ではないが、あたたかいぬくもりに安堵した。共に、暗闇を歩く。

 奇妙な唄声が聞こえる。丸い桃色のうねうねしたものが闊歩かっぽしている。

「ギルバート伯爵、あれは何?」

 マリが不思議そうに尋ねると、ギルバートも不思議そうに応える。

「不思議なことをいうんだな。君たちと一緒じゃないか?」

 マリは、眉を潜ひそめた。ギルバートは気にしないように、長い脚で歩いていく。

「ほら、あそこだよ」

 目の前には、2mほどの、桃色や紅の混ざった色の扉が浮いている。マリは直感で、あそこが帰る場所だと、直感で理解した。

「ギルバート伯爵、何度もありがとうございます」

「いや、私こそ、久方ぶりに理解してもらえて、嬉しかった」

 どのことなのか、何がなんだか、わからないまま、マリは曖昧に笑う。

「本当に見送ってくれて、ありがとう。そうでなければ、帰れませんでした」

「もう、御礼は痛いくらい分かっている。早く、魂をもどしてあげなければ、君は消滅するぞ」

 最後にギルバートは茶化すように言う。

 マリはにっこりと笑って一礼し、扉に飛び込んだ。

「さ迷い子よ、あらゆる苦痛を乗り越え、希望を育みなさい。さもなければ、君はまた、戻ってくる」 

 ギルバートは蒼い瞳で、マリの姿が消えるまで、見つめた。

 そして、その身を、深い深い闇へと、溶かせていった。





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