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第5章 無視された祈り

『ねぇ、その赤いリボンを頂戴。その青いリボンも欲しいわ』

『本当は白のリボンが欲しいのに、なぜ他の色にするの?』

『そんなの決まってるじゃない? 全部、ほしいからよ』

 雲一つない美しい海辺が広がり、透明な桜色の小さな貝殻があちこちに落ちている。海の水平線が綺麗に見え、海は外国の海のようなエメラルドグリーンだっだ。

 浜辺には人が倒れていた。

 波は金髪をさらっていこうとする。

 波がマリの顔にかかったとき、マリはその冷たさにビクリと起き上がる。瞼を開けると、久しぶりの太陽の眩さが目に飛び込んできた。

「あれ……、天国?」

 マリは掠れた声をあげ、濡れた髪を絞る。

「確か、エリスと一緒に井戸の中に落ちて……」

 エリスが煉獄の使者に連れていかれたところまでは、覚えている。エリスに何度も、肩を刺された記憶が甦る。マリが反射で顔を顰め、肩を見るも、傷口は無かった。

 不思議に思いつつ、そのあと、ヤモンが真っ暗な闇から手を引っ張ってくれたことを思い出し、飛び跳ねた。

「ヤモン!?」

 マリは辺りを見渡した。波際に1枚だけ、ワカメっぽくみえるものがある。マリはワカメに向かって、駆け出した。近づいていくにつれて、ヤモンということを確信して、思いきり抱きしめた。

「ヤモン!!! 会えてよかった!!」

 マリが力強くヤモンを抱きしめると、ヤモンからお日様のような香りが漂うのをマリは安心した。ヤモンのホウレンソウみたいな葉の部分に、つぶらな瞳が2つ浮かぶ。

 マリは今までよく見えていなかったが、瞳には透明な膜が張っており、異常にキラキラしていた。

「マリ、頭の上にお星さま乗ってる」

 うぎゃとマリが叫ぶと、ヒトデがぴょんと海の中に潜り込む。

「何、あれ?」

 ヤモンはそんなマリの様子よりも、空に浮かぶ真っ白な光をポカンと見つめていた。

「ヤモン、太陽を知らないの!?」

 マリはヤモンに驚いて、凝視する。

「だって、みたことないもん!」

 ヤモンは、瞳をキラキラさせて、魅入っている。

「いや、まぁ、太陽を知らない人もいるかも……?」

 マリは、ヤモンの生態が改めてなんなのか、混乱に陥っていたが、ヤモンは気にした様子もなく、白い砂を小さな手で(すく)って、宙にばらまいたり、波を蹴って遊び始めた。

「初めて遊ぶ子どもみたい。太陽を知らない人なんて、信じられないわ」

 あまりにも、マリが同じことを繰り返すので、ヤモンはむぅっと頬を膨らませ始めた。

 マリがふと、視線を反らしたとき、奥のほうで、あるものを見つけ、目を凝らした。

「何あれ……?」

 先ほどのヤモンと全く同じ言葉だったが、マリは気づく余裕も無かった。

 なんと、海の上に人が立っている。その人物は、青い布を太陽に翳して、青い半円形の家の中へ入っていく。

 マリは目を擦った。よくみると、宙では太陽の輝きに反射して、キラキラと光っている。

「ヤモン、あれは?」

「もう、僕のことからかいたいなら、もういいから!」

「そうじゃなくて、海の上に家が建ってる!」

「ウミ……」

 ヤモンの小さな呟きはマリの耳には届かなかった。マリは慌ててヤモンの手をとって、そちらの方へ小走りした。

 青い半円形家の近くの砂浜に近づく。ポカン海辺に浮かんでいるようだが、足元をよく見てみてると太陽の光に反射しているガラスの道があった。

「みて! ヤモン!」

 マリが指差して、足をのせると、そこには確かに堅い感覚がある。

「な、なんだこれ!!」

 ヤモンは不思議そうに何度もぴょんぴょんと跳び跳ねると、パキンッという僅かな音が聞こえた。

 マリがもしかしてと思う間もなく、叫ぶ。

「走って!!」

 ヤモンが仰天して走る。後ろを振り返ると、ヤモンがいたところは、パキパキッという音ともに、ガラスが砕けている。

 そのガラスの亀裂はだんだんと広がっていく。二人は大騒ぎしながら、海の上に建つ家に辿り着いた。

 分厚いガラスの上までくると、割れなかったが、ヤモンも飛び跳ねようとはしなかった。

『お客人、ベルを鳴らすべからず』

 古びた看板が立っている。

「ベルを鳴らすべからずってことは、鳴らさないってこと?」

 マリは不思議に想いつつ、ヤモンに聞くと、ポカンとしつつ、コクりと頷く。

 マリはベルを鳴らさず、ゆっくりと扉を開く。

 マリは辺りを見渡して、驚く。家のなかに入ったのに、海のなかに入っていた。

 ザーッ、ザーッと波の音が聞こえ、マリの足に冷たい感覚と、砂利の心地よく纏わりつく。壁は、ガラスで出来ていて、青く見えたのは、カーテンが閉まっているせいだった。

 上の方はカーテンが開いていて、日差しが降り注いでいる。

「どうしてお家の中に海があるんだろう?」

 ヤモンは海の水をパシャシャさせながら、好奇心のままに、近くにある石やヤドカリをつついたりしている。その中には、ふわふわと漂うクラゲもいて、マリが慌ててヤモンを抱きこむ。

「万物の全てが始まる場所と言えば海でしょ?」

 厳しくも、柔らかい、高いようで、低い不思議な声が響いた。

「よく、来れたわね。私のお庭に」

 浅草緑と海色線が組合わさったヘアキャップのなかからポニーテールが結ばれ、ゆったりしたワンピースには、インド特有の曼荼羅や太陽のような花の幾何学模様が描かれている女性が、ガラスのロッキングチェアに腰かけて、何やら縫物をしている。

 その女性が、一度中断して、右手を宙に上げた。爪の色が妙に艶やかな赤だった。

「マリちゃんかしら?」

 妙に自信がある声で女性は話す。マリはなぜ、この女性が自分の名前を知っているのか、疑問に感じ、首を傾げた。

「えと、どなたですか……?」

 女性が顔をあげる。20歳と思われるほど、真っ白な肌の女性が顔を上げた。その姿は今にも消えてしまいそうはほど、儚げで、瞳は目の黒い部分が白く濁り、虚ろげだった。

 しかし、マリの方向を正確に見た瞬間、ほんの少し血色がよくなったようにみえた。だんだんと、眼球に強さが宿る。マリはその目じりの鋭さや、どこかで見たような気がした。幼い頃、実家の叔母の部屋の写真立てでみた女性……。

「朝美おばさん……?」

 よくみると、マリの母と切れ長の目や頑固そうな輪郭が似ていると思った。肖像画でみたときよりははるかに若く、おねぇちゃんと言われてもおかしくない程だ。眼光は柔らかく、頬は丸みを帯びていて、あたたかな雰囲気を纏っている。

「アハハハ! おばさんね……」

 朝美はさぞ愉快そうに笑っている。マリがごめんなさいと、謝ろうとすると、

「朝美ねぇさんと呼びなさい」

 朝美は堂々とした態度で、はっきりと告げた。

 ヤモンとマリは、背筋が伸びる勢いで、朝美ねぇさん!と元気よく返事をする。

「この場所は普通の幽霊は入ってこれないのに、よく来れたわね」

「あの、ここはどこですか?」

「ここは地獄よ」

 マリはそんなわけないでしょと思った。

 朝美が悪戯っぽく、笑った。

「嘘よ。ここは、あたしの隠れ家」

 マリは朝美に翻弄されたことより、朝美が嘘を付いたことのほうが焦った。しかし、嘘をついたが、夕霧は一向にやってこない。

 ヤモンも不思議そうだ。

「ここはルナでは、無いんですね」

「あら、ルナからやってきたのね。ここは、ルナ同様、地獄と生者の世界の狭間の街の1つよ。あたしだけしか、いないけど」

 朝美はクスクス笑っている。

「でも、閻魔様から赦しを得ないと、造れないんじゃないの?」

 ヤモンはマリにぬいぐるみのように抱えられながら、きょとんとしている。

「えぇ、ここは閻魔、御用達の服専門店だから」

 向こう側には、ガラスのように透明な美しい糸車が置いてある。その歯車は一人で動き、紡がれた糸は太陽に反射して、美しく虹色に輝いている。

「素敵な場所ですね」

「姪っ子なんだから、敬語じゃなくていいのよ」

 朝美はコポコポと紅茶を注ぐ。

「導いてくれたのね、その針が」

 針? とマリが首を傾げる。

「マリ、光ってる!」

 ヤモンが指さし、促されるように見ると、マリの制服の胸ポケットは金色の光がぼんやりと輝いている。

「あ、えと、これは、盗んだんじゃなくって……」

「なら、ジョンがあげたのね」

 朝美は、ジョンのことを思い浮かべたのか、本当に幸せそうに微笑んでいる。その笑みに徐々にマリは体から力が抜けていく。

「由紀子は相変わらず?」

「まぁ」

 マリは、苦い思いで言葉を濁す。ヤモンは、話についていけず、マリの腕の中から抜け出した。

 駆けていくと、泳いでいる小さな白い魚と一緒に、海色のカーテンの裏に隠れたりして、遊び始めた。

 朝美は、その様子を微笑まし気に見つめながら、応える。

「その口ぶりじゃ、マリはあたしと似たみたいね」

 本当に愉快そうに、大声で朝美は笑った。

「朝美ねえさんは母さんと仲が悪かったの?」

 朝美は考え込む。

「由紀子は長女だったし、あたしは見ての通り、言うことを聞かなかったから。父さんたちの期待が全部由紀子に向いたのは否めないわね」

「ふーん」

 質問の答えが返って来なく、マリは複雑な心境で頷いた。

「じゃあ、朝美ねえさんは母さんが嫌いじゃなかったんだ」

 まぁと、朝美は、さらりと答えた。

「あたしが長女だとしても、由紀子は由紀子だと思うし」

 またもや、質問の答えは返ってこなかった。マリは言葉にせずとも、そうかもと内心で思った。マリは心の中で(くすぶ)り続けた疑問を投げた。

「じゃ、あたしが服作りをするのを母さんが止めるのはおかしいと思う?」

 朝美は束の間、思案する。

「あたしはね、母親として、正しい感覚を持ってると思うし、まぁ、普通のことだと思うわ。何百人の人が服を作っているから、デザイナーは簡単には服が売れないし」

「じゃ、マリが間違ってるてこと?」

 マリが身を乗り出す。朝美は紅茶を啜った。

「間違う、間違わないは、無いわ。1つ言えることはね、最高の服を作ることができるっていう確信と、耐えられる心と体があることね。もしなければ、運が無いってこと」

「けど、間違った道を歩みたくないし……」

 マリは、うじうじした自分が情けないなと感じる。

「あたしたち人間は、間違う生き物よ。間違わない人間は、天才と呼ばれた人物、××くらいだけど、倫理として欠如してる部分もあるわ」

 何をいっているのか、わからず、マリはヤモンがカーテンと遊んでいるを方角を見て、一瞬、現実逃避する。

「だけど、貴女はそこが問題じゃないのよ」

 朝美は蒼い布を体に巻き付ける。 

「貴女、頑固にみえるけど、意外と押しが弱いタイプね。母親の存在は影響力が強いから、その期待する方向に応えようとするし。だけど、それじゃ、貴女の幸せじゃないわよ。母親の幸せか、それが幸せって感じるね」

 グサリとくるほど、マリの中に言葉が響く。

「けど、なるべく、期待に応えたいし、歯向かいたくない」

「それで、従順に生きてもあたしは悪くないと思うわ。考えなくて、楽だし」

 朝美はきっぱり返した。

「けど、あたしは死ぬまで、服を作りたかった。服作り出来なくなったから、死んだのよ」

「死んだって……」

 マリは、驚いて朝美を見つめた。病気で死んだのではなかったのか。

「あたしの考えは極端だから、あまり参考にしないでね。病気になって、生きた屍になるくらいならって、思ったの。だけど、死んでも服作りが出来て、ラッキーだったわ」

 朝美はカラカラ笑う。

 マリは、朝美が清々しいほど、服作りに命を費やす人だと思った。マリにそんな生き方ができるのか、揺らぐ。

「だから、反対されるなら、本当にやりたいことは、誰にもバレないように、勝手に動くことがコツよ」

 あとはあなた次第だけど、と喰えない笑みで朝美は笑った。

「誰かに生き方の主導権を握られているようじゃ、デザイナーじゃなくても、失敗するわ。それが、たとえ、母親であろうともよ。決めるのは、貴女」

 朝美はついでにと、言葉を綴る。

「もし、マリにその気があるなら、受け取って頂戴」

 朝美は、胸元から、ボロボロの本のようなものを取り出した。

「え、でも、いいの?」

「うん、わかった」

「その代わりっちゃなんだけど、あたしの本懐を叶えて頂戴」

「本懐って?」

 ヤモンが首を傾げる。

「最後のページに書いてあるわ」

 朝美は、少しだけ、視線を下げる。

「マリ、あたしの願い事叶えてくれるって、約束してくれる?」

「願い事によるけど……」

「貴女の願いと一緒よ」

 朝美はウィンクした。マリは小さい頃にみた、ジョンのウィンクと重なった。

「迷いの結末はね。結局、意志と運命で決まるわ」

 朝美は、マリにボロボロになったスケッチブックを押し付けるように、渡した。マリは、紅い爪と白いほっそりした指が妙に目についた。眉を潜めて、考える。そしてまさかという表情で、朝美を見た。

 朝美は、コテンと可愛らしく首を傾げた。

「まさか……」

 マリは驚きの表情で、朝美を見た。

 朝美は穏やかな表情で、見返す。

「あたしを引きずり込んだのって」

「え……」

 ヤモンも朝美を見た。

「あら、なんのこと?」

 朝美は何もわからないという、わざとらしいくらい、白々しい表情をしている。

「違うの?」

「確かに、マリがこっちに来てくれれば、って思って、ちょっこっと手を伸ばしたりしたわよ」

「そういうこと……。けど、直接ここに呼んでくれればよかったのに……」

 たくさん怖い思いをした。暗闇の中、亡霊にいつ襲われるかわからない恐怖、魔女にナイフを刺された痛み、そして、帰れるかもわからない絶望にマリは夜中ずっと苛まれた。

「うっかり、手を放しちゃった」

 貴女が暴れるからと、朝美はしれっと付け足す。

 ルナの苦労を一言でまとめられ、マリは苦笑した。

 波は静かになり、太陽もキラキラと輝き始めた。

「マリ、ヤモン」

 朝美は二人を手で呼び寄せ、少し遠慮気味に二人を抱き寄せた。ヤモンはピクンとして、おとなしくしている。

「ここに辿り着いてくれて、ありがとう」

 マリは涙目になった。ルナのことなのか、エリスに襲われたことなのか、朝美に逢えたことなのか、さまざまな思考が、意識できないほどに頭の中を駆け巡り、熱いものが胸に溢れた。

「マリなら、いいファッションデザイナーになれるわよ」

 朝美はとてもあたたかい声で笑った。それからと付け加える。

「由紀子姉さんは、頑固だけど、責任感があって、誰よりも貴女のことを想ってる。嫌われてるって思っても、愛の裏返しだから」

「それって、妹だから言えること?」

 マリは、茶化すように言うと、そうねと朝美は微笑んだ。

「あと、ジョンにね、あたしは死んでも、彼方の服を作ってたって伝えて」

 マリは、くすりとして笑った。本当に二人は愛し合っていたのだという想いが素敵だと思った。

 朝美はふふふと笑った。

「ねぇ、朝美ねぇさん、いくの?」

 ヤモンは不安そうに、涙目で朝美を見た。朝美は、白く濁った瞳を虚ろげに、優し気な光を宿した。

「マリ、ヤモン。あたしはね、好き勝手生きたから、辛かったけど、後悔はない」

 だけど、と朝美は涙声で呟く。

「あたしのこと、忘れないでね」

 その瞬間、朝美が消滅を恐れる人間にように見えた。

 マリはギュウと朝美を抱きしめる。

「ちゃんと、願い叶えるから。私、朝美ねぇさんに逢えて本当によかった」

 マリは、涙が零れる。

「ヤモン……、いつまでも弱き者の味方でいてね」

 朝美は力無げに呟くと、そのままその濁った瞳を閉じた。マリの腕の中で、朝美の体が白い粒に変わり、上へと飛んでいく。

 それと同時に、朝美の世界がポロポロと崩れていき、世界は真っ暗闇に包まれた。

「朝美ねぇさん!!!」

 マリとヤモンは抱き合いながら、果てしない暗闇の中で叫ぶ。そのときふと、胸の中で、知らない男性の声が響く。

『意志の力を信じること。どこに行きたいのか、何をしたいのか、考え抜くこと』

 マリは呟く。

「あたしは、生者の世界に帰りたい」

 暗闇の中、マリの意識は急速に遠のいていった。 


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