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第4章 地獄

なんどもなんども 死んでもさまよい続けよう

『憎しみの炎が消えるまで』


「エリスから、守の魔法を破ったと連絡が来た」

 おいと、凶悪な瞳をした、日本刀を持った悪霊が下っ端の亡霊に話しかける。

「お前、街に踏み出してみろ」

 下っ端の亡霊の体が強張った。もし、魔法が掛かっていたら、自分は一瞬で、閻魔の裁判所へ飛んでいくのだ。

 下っ端の亡霊は辺りを見渡した。一緒に行動していた亡霊はすっと、視線を逸らす。

 下っ端の亡霊は睨むも、上級悪霊が背中を蹴りつけて、門の手間まで、足を踏み出した。

 亡霊は目を瞑った。下っ端の幽霊は、霧のかかってない門の先の石畳に、ちょこんと足を踏み出す。

 前列にいた亡霊たちはその様子をじぃと見つめていた。

 下っ端の亡霊は目を開く。

 何ともなっていない。

 亡霊が喜びの奇声をあげようとした瞬間、後ろから雪れ込んできた悪霊たちに踏みつぶされた。

 幅広い煉瓦通りには、シンと静まり返り、人っこ一人いない。悪魔たちは、首を傾げた。

「奇襲の筈だよな」

 亡霊たちが囁き始めた。エリスからそう聞いている。亡霊たちの囁きは広まり、筋肉が異様に付いた悪霊が小さい亡霊を道の真ん中に投げる。

 次々に亡霊は投げられる。投げられる前にと、亡霊たちは顔を見合わせ、駆け出した。

「ルールを守らない悪霊たちよ!! 立ち去れ!!!」

 亡霊たちが、見上げると、正面の白亜の時計台から、グレーテルが顔を出していた。

「子供はお家に帰って、ママの乳を吸って、おねんねしなさい」

 亡霊たちはあざけ笑った。グレーテルは、顔を真っ赤にさせて、怒鳴った。

「この、こん畜生の下品で礼儀知らずな亡霊ども! とっとと、地獄に堕ちろ!!!」

 グレーテルの罵詈雑言も、亡霊に負けないくらい、口が悪くなっていく。

 亡霊と悪霊たちが、街の中にズカズカと入り始めた。

「今だっ!!」

 ヘンゼルが拡声器を使った声がどこからか、街中に響いた。

 グレーテルが、素早くしゃがむと、我先にと先端に輪っかがついた細長い棒を取り出し、小さな水の入った透明な袋を輪っかの部分と一緒に引っ張り、投げた。

 小さな袋は時計台のすぐ近くで落ち、ぴしゃと、水が弾けた。が、亡霊たちの爪先にすら届かない。

「なんだ、届いてもないじゃないか」

 亡霊たちの間でどっと、笑いが起きた。

 グレーテルが舌打ちをする。

 次の瞬間、白亜の建物の窓から、弓を構えたエルフが次々に現れ、透明な袋を正確に亡霊たちの足元に打つ。

 ぴしゃんと水が弾け、亡霊たちの足元にかかる。ぞわりとした悪寒を感じ、亡霊は足をすくめた。亡霊の全身の神経が、ジクジク、ザワザワと震える。だんだんと、足の震えが止まらなくなり、生きた人間のように痙攣(けいれん)し始めた。

「ヤバい、塩水だー!」

 何人かの亡霊が引きずるようにして、逃げる。突然、逃げ道の先頭を走っていた一人の亡霊は頭を鷲掴みにされた。

 刀の悪霊が大きな口を開けて、そいつを喰らい、ゴクリと亡霊を丸のみにする。悪霊の体が盛り上がり、一層体が黒くなる。

「こりゃ、ただの塩じゃないな」

 日本刀を構えた悪霊が床に広がる水を見つめる。水溜まりに足先をそっと伸ばすと厭な感覚と共に、若干の痺れが走る。

「あらぁ、奇襲、失敗してるじゃない」

 ねっとりした声と共に、5mほど宙の上で、14歳ほどの女の子が箒に乗って、座っている。黒い髪を髪の少しを白色の野太い簪でお団子にして、背に流れるように、波打っている。帽子と同じ色のはだけた着物を着て、下駄をブラブラと箒の上で揺らしている。

「サクラ、さっさと何とかしろ」

 刀の悪霊は、痺れを切らしたようにこちらをみる。

「あら、慌ただしい男はモテないよ」

 蕩けそうな笑みを浮かべて、魔女、サクラは道の真ん中まで箒を進める。そして、関節が4つある人指し指を立てる。魔女の回りの空気が僅かに震えた。

「魔女よ!!!」

 目を開いて、グレーテルが叫ぶ。エルフたちは、すかさず火の矢を担ぎ上げ、標準を魔女に変える。

「わぁ、怖い」

 サクラは怯えるふりをして、肩を震わせると同時に、一斉に火の矢が飛ぶ。

「あぶないねぇ」

 指を曲げると、魔女を中心に突風が吹き、弓はいなされるようにして、放たれた弓矢の方向にいるエルフたちのほうに飛んでいく。

 反応のすばやいエルフは素早く柱に隠れる。魔女付近にいたエルフは、避けることができず、肩や胸に弓が刺さり、断末魔の叫び声と共に、緑色の血が吹き出す。

 そうこうしているうちに、悪霊や亡霊たちは街の深部に一気に入り込む。

「ぐわぁ!!」

 断末魔のような叫び声が上がり、侵入者たちがそちらを見ると、悪霊の一人の喉元に、2mほどある槍が刺さっている。

 東の路地の暗がりから、アンドリューを先頭に、数十体のケンタウロスが現れる。立派な筋肉をつけ、通常の倍はある槍を持った彼らは、エルフの血の香りに、興奮して、獲物はどこかと瞳を血ばらせている。

 亡霊たちは、ケンタウロスと悪霊の戦いに巻き込まれないように、エリスを支持した亡霊たちが北の大使館の方角へ逃げ込んだ。だんだんと道幅は狭くなっていく。亡霊たちは、不安げに街の窓を見つめた。

「おい、なんか聞こえてこねが?」

 生前木こりだった男の亡霊が首を傾げた。呑気な性格で、閻魔の呼び出しに気づかず、指名手配となってしまった男だった。

 そのままずるずると逃げ続け、なんとなく、生者の世界に戻りたいと思い、参加したのだ。

「いや、なんも聞こえねぇっぺ」

 亡霊たちはそういいつつも、耳を澄ませる。

 ゴロッ、ズルズルッ、ガタゴタ、ガタゴト……。

 亡霊たちは確かに聞こえると頷きあった。

「なんか、重いものだら?」

「おらぁ、山んなかでしか聞いたことがない音だが」

「なんの音だら?」

 数名の亡霊たちは、木こりの亡霊を見つめた。

「切った木が落ちる音だら」

 そんな馬鹿なと亡霊たちはいいながらも、音はすごい速さで近づいていく。

「あらぁー!!!!!」

 先に北に逃げていた亡霊たちが、こちらに、向かって走ってくる。その後ろには、数メートルの幅の丸太がゴロゴロと、落ちてきている。木こりたちも回れ右をして、元きた道へ逃げ込む。

「あっちに入るさ」

 一人がいうと、不思議なもので皆、右の路地へと入り込んでいく。大きな丸太はゴロゴロと転がっていった。

「ケンタウロスとは、ちぃと相性が悪いねぇ」

 サクラは、街の門の上に座って、悪霊たちとケンタウロスの交戦を見物し始める。

「怠け者っ!」

 サクラの後ろで、高い脅しのようは声が響く。

「アマリリ、じゃなぁい?遅かったわねぇ」

 サクラの後ろには、建物と同じくらいの体長の3つの蛇の頭を持った怪獣が、地獄の炎を宿した瞳で街を見つめている。固い黒い鱗は鉄を弾き、幽霊に痛みを与える冥府の守り人、ヒュドラが立っている。

「アマリリって、呼ぶな! ブス!!!」

 怪獣の肩に、無造作に灰色のローブに着せられているような細い肢体の少女が立っていた。その目は細長く、鼻は歪み、そばかすが散っている。印象に残るのは、顔半部が焼けただれ、瞳には剣呑な光の奥に怯えが宿っている。

「ごめーん」

 全く気にしてない素振りで、サクラは街を見つめた。アマリリスは舌打ちした。

「冥府のヒュドラなんて、よく閻魔から許しを得たのねぇ」

 サクラはそよ風を送り、からかうようにアマリリスの髪を揺らす。アマリリスはゾッとしたように、首を振る。

「お前はバカか。閻魔から許しなんて、得られるわけないだろ。エリスが、盗んできたんだよ」

 サクラはくすりと笑う。そうねそうね、献上ねと歌うような声で、独りでに笑う。

「その白い肌を破いてやる!」

 あら、こわぁ~いと言って、サクラは思い出したかのように、ポケットから白いものを取り出して、バリバリと噛み砕く。

「あんたたち。ボサッとしてると、夕霧が逃げてしまうよ」

 ボールのようにでっぷりした低い声の女、アンジェが門の下でポツンと立っていた。高級そうな紺色のガウンを羽織り、カラスの羽のような帽子を被っている。睫毛をたて、ドギツイ真っ赤なリップを塗っている。漆黒の扇子には、眠った白いライオンが描かれ、息をしているように腹が動いている。

「アンジェ、お前が一番、遅れてるだろ!」

 アマリリスは悪態をつきながら、ヒュドラを前に進める。爪からは炎が吹き出し、鳥井はミシミシと炎に包まれる。ヒュドラがそれをなぎ倒していった。

「確かにねぇ」

 アマリリスがヒュドラに炎を吐き出すよう指示をする。赤い炎の玉が、次々に街中に放たれ、レンガ通りはたちまみ、火の海となる。

「綺麗ねぇ」

 ほぉとため息をついたサクラは、指をくるくる回し、風を吹かせ、街中に踊るように、更に炎が広がっていく。

「行くわよ」

 アンジェがなにやら呪文を唱えると、扇子からもくもくと黒い煙が吹き出る。煙が消えると、ライオンの頭にヤギの胴体、尻尾は鋭い鉄のようで、長い金髪の女性の頭だけが刺さった、伝説の生き物、キマイラが現れる。しかし、その獰猛 な生き物は、怠惰そうにあくびをする。魔女があくびをするキマイラの背中に乗ると、キマイラは、グェという情けない声を出して、体制を低くして跳躍しようとする。

「おや?」

 アンジェが意外なに夕霧のいる遊郭のほうを見つめた。

 その瞬間、ルナは真っ暗闇に包まれた。

 町中を照らしていたガス灯が一斉に消灯し、目の前にいる幽霊たちの姿も、煉瓦も地面も何も見えない、深い闇となった。

 住人たちは見えるのは、月の光のみとなった。幽霊たちは互いの姿が見えなかったが、皆、月の光を仰いだ。




 一方、エリスとそのお供の亡霊たちは、ルナの西の城壁に沿って、苛立たし気に歩いていた。道は石で凸凹としていて、非常に歩きづらい。

 エリスはいつ怒りが爆発してもおかしくないくらい、剣吞な表情を浮かべて、雨汰を睨みつけていた。周りの亡霊たちは、怒りの矛先がこちらに向かないように、身を縮めている。

「本当にルナに入る抜け道なんて、あるんだろうね。嘘を吐いたら、その舌をかき切って ヤル」

 エリスはこれまで、何人もの亡霊たちを実験に、実際にかききっても、痛みは生じず、身体的な機能のみを失うことを知っていた。

 エリスにとっては、絶叫を聞けないのは、残念で仕方がなかったが…。

「ちゃんとあるから、安心してよ!」

 薄い金髪に、蒼い瞳の天使のよう少年が誰もが魅了される笑みを浮かべた。

 エリスは、ぶつくさ文句を言いながら、白い杖を懸命に付きながら、歩きづらい道に足を進める。

 今日のルナは空だけではなく、月まで異様に赤い。

 雨汰が急に立ち止まった。辺りをきょろきょろと見渡している。

「どうかしたのかい?」

 エリスはこっそり雨汰の背後に付いた。いつ裏切られても、生気を奪える位置だ。『ルナ侵略』の話をエリスに持ちかけたのは、雨汰だった。

『ねぇ、魔女さん。ボクと一緒に生者の世界に行かない?』

 幼い顔の雨汰がニッコリ微笑む。

『あたしをバカにするんじゃあ、ないよぅ。ルナにぁ、そう簡単に踏み込めないさ』

 エリスは、鷹が獲物を狙うような瞳で、雨汰の生気を奪おうと身をかがめた。雨汰は一歩も下がらず、エリスを見つめた。

『でも、その準備をしているでしょ』

『そんなっ、恐ろしい考え、もってないよぉ』

 エリスは一度、情けない表情をしつつ、目を細めて一歩下がった。嘘だった。これまで、そのためだけに、着実に亡霊を喰らい、侵入する亡霊を勧誘してきたのだから…。

 森の中は、不気味なくらい静かだった。

 エリスの目から蛙が奥へ飛んでいき、蛇が中から顔を出す。

『実は、ボク、いい考えがあるんだ』

 エリスの目の中にいる蛇は警戒するようにシューッと唸る。

『もし、そんな突拍子のなぁい、考えがあったら、あたしたち森の亡霊は嬉しいかもねぇ』

 雨汰は、宙にリンゴを投げながら、微笑む。

『じゃあ、いいこと教えてあげる』

 雨汰は、その驚くほど、華奢な白い手の小さな紙きれをエリスに手渡した。

 エリスがくしゃくしゃとした紙を開くと、美しい文字でこう書かれていた。

 『もうすぐ、さまよい人がやってくる。長い金髪の女の子』

 エリスは黄色の目をぎらつかせて、にやりと歪な笑みを浮かべた。

『交渉成立だね』

 それ以来、雨汰はエリスのところにやってきては、ルナの情報を渡していった。どの情報も正確で、エリスはどんどん亡霊の力を伸ばしていった。

 エリスは目の前の雨汰の動向に目を光らせた。役に立つが、目ざとすぎる。いつか、排除しなくてはと、常々考えていた。

 雨汰はエリスのことなんか、気にした様子もなく、無邪気にあったと叫び、駆けていく。

 その方向には、周りの木と比べて、一段とひょろりとした、艶やかな灰色の木が立っていた。

 その木の枝の根本に、3本の傷が刻まれている。

 雨汰は石段の上を歩く幼子のように、両手を地面と水平にしながら、まっすぐ10歩、城壁に歩いていく。

 そして、何の異変のない石壁を5回軽くコンコンコンと叩くと、付近の石壁がガラリと崩れた。

「なんで、こんなところに、穴があるんだ?」

 大柄で、阿呆面をした亡霊がポカン口を開く。

「ボクが掘ったから」

 雨汰は亡霊たちににっこり微笑む。

 エリスはよくやったぁねぇと、よしよしと、雨汰の頭を撫でようとする。雨汰はその手をひょいと避けて、さらりと前に進み出る。魔女は雨汰を気にしもせず、抜け穴があったことを喜んでいる。

「危ないから、正確についてきてね」

「どうして、危ないんだ?」

 いかめしい表情の亡霊が不思議そうに尋ねる。

「なんでか知らないけど、城壁の中に魔法が掛かっているみたいでね」

「お菓子の家の魔法は破壊したのにかい?」

「別の人の魔法じゃないかな」

 エリスは心のなかで舌打ちした。出るまでは、雨汰を喰えないということだ。

「じゃ、ついてきてね」

 雨汰は軽やかな足取りで進んでいく。亡霊立ちは、正確に雨汰の足取りをなぞった。

 エリスと亡霊たちが石壁の中を抜ける頃、生きた人間のように神経がすり減っていた。阿呆面の亡霊の一人が過って、石に躓き、道を大きく踏み外した。

 あ、というなんとも情けない声とともに、体が蒸気のように一瞬で消えてしまったのだ。エリスがあの間抜けがどこに行ったのかと雨汰に問いかけても、知らないと首を振った。 

 それ以降、魔女と亡霊たちは神経をスリ減らして、歩いた。

「ヤァット、城壁の中にツイタ」

 木々が点々と立つ空き地に出た。

 亡霊たちは、神経を使い、薬の中毒者のようにお腹が減っていた。

 喰いたい、喰いたい……。

 エリスは目を血ばらせた。

 見渡すと、小さな石の前でもたれる女の亡霊たちが、こちらを驚いたような瞳で見つめている。

「辛気クサァイ貌、してるじゃナァイカ」

 エリスは白い杖をつき、ニヤニヤと笑いながら、女たちのほうへ歩み進める。女たちは不気味だと言わんばかりの表情でエリスを見つめるだけで、動きもしなかった。

 エリスは微動だにしない線の細い女の目の前に立った。

「御馳走御馳走!!!! イタダキマス」

 それから俊敏な動きで、ムンズと掴み、大穴のように口を開けた。

 恐怖に目を見開いた女はあぁぁと、僅かな叫び声と共に、口の中にゆっくりと飲み込まれていった。

 魔女はゴクリと喉を鳴らす。

「ショッパァ……、マズイネェ」

 泣いていた女たちはポカンとその光景を見つめ、そのうちの一人が叫んだ。

 それを機に、波紋するように、次々に女たちは叫び声を上げた。足を引きずるようにして、逃げていこうとするのを、魔女と亡霊たちは、女の髪を容赦なく捕まえて、躰を飲み込んでいく。喰うごとに、亡霊たちの体が大きく、体が厚みを増していく。

 死者の世界における、禁忌を犯した惨劇だった。

「ふわぁ、お腹一杯だ」

 亡霊たちの体は、一回りほど大きくなっているが、一層青白くなり、目の下の隈ができていた。

 エリスの顔も能面のように白くなり、皺が少し減り、10歳ほど若返った容貌になった。

 魔女と亡霊たちは以前のような目にみえる凶器さよりも、得体の知れない不気味さを纏っている。

「あのナマイキなコドモはどこに行ったんだぁぁい?」

「どうやら、拙者らが亡霊を喰っているうちに、どこかへ行ったようでござる」

 エリスは舌打ちをした。それから、ニヤリとする。

「マァ、いなくても、イイサ」

 それからエリスは白い杖をそのへんに放って、煌びやかな光のある遊郭のほうへ、軽い足取りで歩いていく。

 夕霧の館の中は異様に静かだった。

 いつも門を守っている力士は居らず、魔女と亡霊たちは、すんなり館に入ることができた。

 1階の薄暗い廊下を照らす行灯の微かな光を頼りに、魔女と亡霊たちは手分けして、夕霧を探していく。20室以上はある部屋を、押し入れまで、探し終わりの頃に、亡霊たちは訝しげにお互いの白くなった顔を見合わせた。

「誰も人がいないぞ?」

「夕霧が寝てるからかもしれねぇぞ」

「馬鹿。夕霧が寝たら、ルナは暗闇に包まれる筈だ」

「じゃあ、ここにいないのか……」

 そんなコショコショ話を亡霊たちがしながら、エリスは背をピンと伸ばし、二階に上がっていく。

「夕霧がここにいないわけがないサァ。夕霧はここから、出られないんだからネェ」

 魔女は愉悦を覚えて、独り言を呟きながら、2階へと続く階段をゆっくりと上がっていく。それに、亡霊たちはおとなしく付いていった。

 階段を上がって、すぐの2番目の部屋だけ、障子から白い光が漏れている。エリスは懐にナイフがあることを確認して、ガラリと躊躇いもなく障子を開けた。

「久しぶりでありんすね」

 夕霧はエリスが来たことに驚きもせず、窓辺に足を崩して座っている。流し目でこちらをみた瞬間、亡霊たちはその色気に惑い、目を逸らすも、ちらちらと夕霧見つめている。

「ウフフフフフフ……。この街から追放されて以来ダネェ。会えてとってもウレシイヨ、夕霧」

 エリスは、その瞳を嬉しそうにさせ、次の瞬間、憎々し気な表情に豹変した。

「殺したくてタマラナカッタヨォ」

「そうでありんすね」

 夕霧は飄々と応えた。

「憎いよぉ、夕霧。ダケド、マァダ殺せない」

 夕霧は、様変わりした昔の友人、××を静かに見つめた。昔は夕霧に負けず劣らずの美貌を持っていたのだが、今はその面影はない。

 夕霧は懐ふところから煙管を取り出して、ふかした。

「けど、今、そんなことはドウデモイイ!!! あの世の門のカギをヨコセェ」

 エリスの目の中から、蛇がシューッと舌を出す。

「持ってないでありンス」

「嘘をツクンジャナァイ。お前は用心深い女サァ。自分で持っているに違いない」

 エリスは瞳を細める。

「わっちが嘘を付けないことは、そなたも知ってるでありんす」

「ジャア、誰がモッテルンダイ?」

「そなたに言う義務はないでありんす」

 夕霧は、煙管をふぅと吐く。

「お前をイマここで、噛み砕いてもイインだよ」

「わっちを殺したら、永遠にあの世の扉から出られないでありんすね」

 夕霧は愉悦そうに目を細めた。

「お前のそういうところがキライだ」

 エリスは、憎々し気にそう吐くと、夕霧の口を八つ裂きにしようと、迫った。そのとき、、ソプラノの澄んだ声がエリスの背後で聞こえた。

「えー、じゃあ、おばさん。この子を恐ろしい亡霊に喰わせてもいいってこと?」

 金髪の雨汰が障子からひょっこり顔を出した。亡霊がサヨの首を絞めている。夕霧は僅かに驚きを表わすように、目を開いた。

「雨汰、ドォコに行ってたんだい?」

 エリスは雨汰を、睨む。

「えと、この子を捕まえに散歩に行ってた」

 エリスは疑わしげに、雨汰を睨むも、雨汰はにっこり微笑むだけだ。エリスはマァイイサと、夕霧を見つめた。

「どうする? 可愛い可愛い(わらわ)が亡霊に喰われるのは見たくないだろう?」

「夕霧さま!! ごめんなさい!!! サヨはどうでもいいです!!! ルナのことだけ考えくださいまし……」

 亡霊がサヨの首をさらに締め上げる。エリスは打って変わって、ニヤニヤとする。

 夕霧は静かに雨汰を見つめた。雨汰は知らんぷりして、ニコニコ笑っている。

 行灯の火がゆらゆらと、揺れる。

 夕霧は、重々しく口を開いた。

「カギは、マリが持って行ったでありんす」

 エリスは顔色を一変させた。

「アアァァ!??? マリのお土産は違ったはずだよ!!! 雨汰、嘘を付いたのかい!?」

 エリスは、雨汰の頭を鷲掴みにして、今にも喰おうとしている。

「うそ、ついてないよ」

 雨汰は苦しげに言うも、エリスは指を喰い込ませる。

「二度目の土産で、許可が出たでありんす」

 夕霧がさらっと答えると、エリスは雨汰を壁に投げた。

「どっちにしても、ルナはもう終しまいじゃ。異変を感じた煉獄の騎士と閻魔の遣いが、そろそろ来るでありんすね」

 エリスは歯ぎしりした。炎で、追ってを拡散しようとしたことが裏目に出た。

「マリはぁ、ドコ行った?」

「生者が行く場所は1つ。あの世の門でありんす」

 エリスは、夕霧の部屋から飛び出た。亡霊たちは、呆然とそれを見つめていた。

「そなたたちも、わっちと共に、煉獄の騎士と会うでありんすか?」

 亡霊たちも弾けるように、飛び出た。

 早く、あの世の門の向こう側に行かなければ、煉獄の騎士に捕まってしまう恐怖からだった。

 エリスは既に鈴をチャリチャリンと鳴らすと、どこからともなく、獰猛な目をしたヤギが現れ、エリスは慌てて跨った。

 亡霊たちは、それに必死についていく。

「夕霧様、そろそろでありんす」

 サヨが押し入れから、布団を取り出した。ルナの主にしては、あまりにも質素な布団だったが、夕霧はコクリと頷くと、空に浮かぶ月を見つめた。

「あとは、マリに任せるでありんす」

「大丈夫でありんす。マリにはヤモンがついているでありんす!」

 夕霧が布団にゆっくりと入る。着物からはだけた艶めかしい足は、死んでなお、白い。

 サヨは強張った表情で、夕霧に紫色の液体が入った湯飲み茶碗を差し出した。 

「ありがとう」

 西の訛りで応える。

 夕霧はそれ受け取ると、一気に飲み込み、布団に横たわった。

「彷徨い子に幸運を」

 夕霧が瞳をゆっくり閉ざすと、朱い月がギラりと輝いた。そして、急速に生者の世界の日が沈むように、ルナの街は闇に包まれていく。街の灯りはすべて消え、建物も、炎も消え、何もかもが漆黒に包まれる。

 良心的な妖精たちは深い闇の中で眠りにつき、妖怪たちは闇の中で息を潜めた。亡霊たちの多くが、暗闇の恐怖に固まり、お互いに身を寄せ合った。

 街の物が全て消失し、夕霧が街を生み出す前の世界、ルナが生まれる前の状態、広い荒地と三途の川、閻魔のあの世の門、そして絶望の井戸のみの世界へと戻る。

 エリスは舌打ちした。漆黒に包まれ、何も見えない。ヤギがメエーと鳴いて居なかったら、乗っていることすら忘れそうな闇の中だ。

 亡霊たちとは、大分前にとっくに離れている。エリスは目を赤赤とぎらつかせた。煉獄の騎士は、闇の中であろうと無かろうと、関係なく煉獄へ引きずっていく。闇など関係ないのだ。エリスは何回か、捕まってもいたが、執念と運で逃げ延びた。

 しかし、今回起こした騒動は大きすぎた。おそらく、騎士たちはこれまで以上に、街に侵入した亡霊たちを煉獄へと引きずっていくだろう。エリスもまた、そのうちの一人になりうることを十分に理解していた。

 絶対に、煉獄になんか、行くもんか。

 エリスの視界の端に、ぼんやりと紅い光が見え、目を瞬いた。ヤギも鳴く。エリスはシィと短く、制すと、そちらに向かって歩いてく。目を凝らした。人の輪郭をしたものがしゃがみこんでいる。だんだんと近づいていくと、金髪のカールさせた長い髪と制服が見えてきた。

「マァリ、ミィーッケ」

 マリは息を殺して、暗闇のなか、しゃがんていた。もうすぐ、魔女がやってくる。いつ来るのかすら、わからない。ただ、このアンディから貰った厄よけのお守りだけがマリにとっての命綱だった。

 ふと、波が揺らぐように、空気が揺れた。次の瞬間、闇のなかで、エリスとヤギが恐ろしい形相でこちらをみているのをマリは見つけた。

「エリス!!!」

 マリは隣にいたアーヴィンの背中に跳び乗った。

 エリスという言葉に反応して、アーヴィンは跳び跳ねる。マリは必死にアーヴィンの背中にしがみついた。

「マテェ!!」

 エリスがヤギを全速力で走らせた。

「アーヴィン、もっと、早く!!!」

 マリは、半分泣きそうになりながらも、必死に意識を保つ。

「ムリ! マリ! オモイ!!」

「はぁ? 43kgだし!!! 全然重くないし!」

 マリはボカボカとアーヴィンの頭を叩く。アーヴィンは可哀相にポコポコと叩かれながら、必死に駆け抜けていく。

 後ろを見ると、ヤギもエリスに容赦なく尻を叩かれている。

「メェ〜!!!」 

 急加速したヤギが、マリとエリスの距離はだんだんと近づき、腕を伸ばせば届くという距離まで近づく。

「アーヴィン、走る走る!!!」

 急なジャンプをしたアーヴィンは、軽く2m近く、宙を高く飛び跳ねる。

「キャァー!!!」

 地面に到着するのと同時に、マリは到着した衝撃で、アーヴィンの首から、手を離してしまう。地面に打ち付けられ、うっと唸る。そして、そのままコロコロと転がっていった。 

 アーヴィンは、そのまま気づかずにぴょんぴょん飛び跳ねていく。

「いたぁい」

 マリが顔をあげると、魔女が恐ろしい形相でこちらに向かってくる。マリは、エリスに刺された記憶が甦り、恐ろしさに腰が抜けてしまった。

「マリー!!!……」

 幼い子供の、純粋な声がする。魔女は、マリを捕まえようと手を伸ばした、そのとき、ガツンと魔女の顎に石が当った。

 マリはあれは痛いと、思わず顔を顰めた。

「ナイスコントロール」

 ヤモンが漆黒の向こう側で緑色にぼんやりと光りながら、こっちこっちと手を振っている。マリは全速力で、ヤモンのほうへ駆けて行く。

「クソガキぃ……、コロシテヤル」

 エリスは殺意のこもった瞳で、マリとヤモンを睨みつける。一層加速して、わき目もふらず、マリたちを追いかける。マリは、背後にいる魔女を振り向かないようにして、足をもたれさせつつ、懸命に動かす。

 ヤモンの近くには、いくつかの青い小さな花はぼんやりと光っている。マリはヤモンに追いつき、手を握って二人で走る。マリは、ヤモンの手を握った瞬間、大きな安堵を覚えた。

「マテェ!!!」

 エリスの喉から振り絞るような甲高い声が響き、青い花のところを通過した瞬間、エリスは宙を待っていた。

「エッ……」

 エリスが3m近く宙に舞うと、全てがスローモーションのように見えた。

 ルナは光を取り戻して、道にある提灯がひとりでに次々と点いていく。

 エリスはここが石畳の広場であることを漸く実感した。そして、地面を見ると、縄を両端に持った相撲取りと、凄い勢いで前方にふき飛ぶヤギの姿だった。

 エリスは前を見て、瞬時にマズイと感じた。

「イドッ!!!!!」

 ルナの街を造った一人であるエリスは、ルナの住人たちが知らない秘密を1つ知っていた。

「レンゴクはヤダヨォ!!!」 

 絶望の井戸の先に繋がっているのは、亡霊たちが最も恐れる場所、煉獄だった。

 エリスは井戸の1mほど手前で、体を地面に強かに打ち付けた。相撲取り2人は、落ちてきたエリスの腕を急いで掴み、井戸にヨイショと放ろうとした。

「ウァ!!!」

 相撲取りが足元を見ると、ヤギが足を噛んでいる。左の相撲取りはエリスの目玉から、出てきた蛇に首を締められている。相撲取りは、ヤギと蛇を離そうとエリスの腕を離してしまう。

 エリスはフラフラとしながら、懐からナイフを取り出し、相撲取りを太ももをざっくりと刺した。相撲取りがギャアと叫ぶと、エリスが相撲取りを喰おうとする。

「エリスッ!!!!」

 マリがエリスに体当たりをする。エリスは叫び声をあげつつ、マリの肩にナイフを突き刺した。

「あ……」

 マリの右肩に激痛が走るも、そのままナイフを刺したまま、エリスの体を井戸の前まで追いやる。エリスは何度も何度も、マリの肩を突き刺す。そして、エリスはマリのスカートのポッケットから、あの世の門のカギを取り出した。そして、懐のポケットに入れる。

「マリ!!」

 ヤモンがエリスの頭に噛みつくと、右手でヤモンは軽々と数メートル、飛ばされた。

 マリはあまりの痛さで声すら出なくなっていた。ヒューヒューという息が漏れる。鼻水と涙が止めどなく流れていく。マリの生気が光となり、傷口から零れていく。

「イタダキマァス」

 エリスが大きな口を開いて、マリを飲みこもうとした。マリはその歯の赤さと、喉の奥に埋まる喰われた亡霊たちの顔を見つめた。その瞬間だけ、マリは恐怖よりも、怒りが勝った。左手でポッケットに入っていたお守りを取り出して、エリスの口の中に押し付けた。

「イヤァ…!!!」

 ジュワァ……という焼け爛れるような音と共に、エリスがのけぞった。今と最後の力を振り絞って、左肩でエリスの背中を押し、井戸に突き落とそうとするが、力が足りない。

「堕ちるのはオマエさ!!!!」

 二人は激しく、頭を掴んだり、蹴ったりして、お互いに井戸に突き落とそうとする。

 そのとき、魔女は足を掬われた。見ると、小さな体のヤモンがエリスの重心だった左足を払うように、持ち上げた。エリスは完全にバランスを失った隙をみて、マリがエリスのローブを掴んだ。

「えいっ!!!」

 マリとヤモンがエリスの体を今度こそ、井戸に押し出す。エリスは、何か掴むように手を動かし、マリの右腕の裾を掴んだ。

「あ……」

 マリは、エリスに引きずられるようにして、エリスと一緒に墜ちていった。

「キャァー!!」

「マリー!!!」

 ヤモンが井戸の外で叫び、躊躇わずにこちらに飛び込んでくるのがみえる。

 井戸は暗く、どこまでもひろがっているような深さだった。エリスは高笑いをして、マリの右腕を掴んでいる。

「離して、離せ!!!」

 エリスはニヤリと哂うだけだった。

「かあさん……」

 そのとき、どことからともなく、幼子の声が聞こえた。エリスがビクリとして、そちらのほうを振り返った。

 一瞬、キラリと闇の向こう側で何かが光った。エリスは、マリの手を離して、そちらのほうへ、かき泳ぐようにして向かう。光を両手で優しく包み込んだ瞬間、エリスは急速に加速して落ちていった。

 マリは、エリスに構っていられず、ヤモンを掴むべく、見失わないようする。

「ヤモンッ!!!」

 マリは、急加速してきたヤモンを抱きしめる。マリとヤモンは深い闇の底に堕ちていった。

「おいでなんし」

 夕霧は布団からゆっくりと身を起こした。

「姐さんのお休みの場に現れるなんて、失礼でありんす」

 サヨがプンプンと怒りながら、紫色の羽織を丁寧に夕霧に着せる。

「おや、それは失礼。ただ、緊急だったものでね」

 目の前には、ステッキを持った紳士、ギルバートがニコニコと笑っている。

「わざわざ訪れるということは、吉報でありんすね」

 夕霧は窓を見て、遠くを見つめる。

「まぁ、半分半分というところさ」

「半分って、どういうことでありんす?」

 サヨが動転して、ギルバートを問い詰める。ギルバートは、それを気にもせずに、手を上に上げる。

「魔女は煉獄送りになったけど、マリも井戸に落ちたのさ」

 サヨがヒッと息を吞む。夕霧はあまり動揺を見せず、そうでありんすかと、一言言うのみだった。

「姐さん、それはあまりにも、冷たい反応でありんす」

 サヨがそわそわと畳の上で右往左往している。

「サヨ、外に出ておくんなし」

「姐さん……」

「大丈夫、マリはちゃんと帰ってこれるでありんす」

 夕霧はサヨを安心するように、頷く。サヨは渋々、外に出た。夕霧はサヨが廊下の足音が聞こえなくなったのを確認して、言葉を紡ぐ。

「マリはちょっと遅くなるかもしれないでありんすね」

「そうかもしれない。なにせ、あの井戸は〝願いを叶える井戸〟だからね」

「××もやっと解放されたでありんすか」

「井戸の中で、子どもに逢えただろう」

 エリスと呼ばれた魔女の本名を、夕霧は口に出した。ギルバートが唸る。

「あのまま、生前の記憶を忘れていたら、 ××も幸せだったのに」

「受けた憎しみの分を忘れられないのが、人間でありんす」

 遠くで、パァンと花火が上がった。ルナの住人たちの歓声が聞こえてくる。

「彷徨い子も帰る時間でありんすね」

 夕霧は優しく微笑んだ。

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