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第2章 夕霧の街

 『夕暮れに 迎えに行くから』

 男は照れくさそうにキキョウの花を差し出した

 女はえくぼを作って 受け取った

 朝日が昇り 沈んだ 

 赤い赤い夕焼けがやってきた 

 お月さまが のぼった

 女はキキョウの花を咲かせに 川へ向かった

 夕焼けの空に お月さまが のぼった

 

マリが階段の頂上に辿り着く頃には、すっかり息が上がっていた。

 周りのルナの珍妙な住人はそんなマリを不思議そうに見て、通りすぎていく。

 門の手前には、脚が細長い木で出来た灯篭(とうろう)が2本立っている。その光りは白色の炎が燃え、その先に朱色の立派な鳥居がそびえ立っている。

 マリが門の真下まで来ると、朱色の桔梗ききょうが左右合わせて、4つ付いているのを見つけた。

 門の中は、白い靄に包まれていて、街の様子はよく見えない。

「なんで、靄がかかってるの?」

「街を守る魔法が掛かっているんだよ。閻魔様からの呼び出しを無視している亡霊や亡霊殺しをした悪霊が入れないようになってるんだよ」

「もし、入ったらどうなるの?」

 マリはわずかな好奇心で尋ねた。

「向こう側に行くと、閻魔様の裁判所か煉獄に繋がっているらしいよ」

「煉獄って?」

「まぁ、炎のシャワーみたいなところらしいよ」

 それって、地獄じゃんと、マリは思った。

「じゃあ、森をうろついている亡霊は危ないんだ」

 ヤモンは必ずしも、そうじゃないけどと前置きを入れる。

「街に入れないから、煉獄の使者に見つからないように隠れていることが多いよ。だから、危ない亡霊も多いから、森のほうには近づかないんだよ」

「なるほどね。だから、ベラは森の中にご丁寧に、置いていってくれたんだね」

 マリは皮肉げに呟く。

 ヤモンはぴょんぴょんと跳ねて、門に立ち込める靄の中に入っていった。

 ヤモンはあっという間にみえなくなった。

 門の前に立ち込める靄もやは深く、全く向こう側がみえない。手で触れると、ひんやり冷たい感触がある。

「あぁ、どうか、街に繋がっていますように」

 マリは、生まれて初めて、神様に祈りを捧げた。

 深い息を吐いて、門の向こう側へ一歩踏み出す。一瞬、ジェットコースターで起こる胃が浮遊するような感覚のあと、酩酊感を覚え、マリは上体を曲げた。

 カタカタと、テンポのいい音が聞こえた。愉しそうに話しをする活気づいた声も聞こえてくる。

 マリは顔を挙げた。

 街の真ん中の道は赤褐色の煉瓦で舗装ほそうされ、二本の車道が走っている。その端には、ガス灯が規則的に立ち並び、道の両脇には立派な白亜の建物が整然と立ち並んでいる。

 二本足で立つ蛙が人力車を引っ張り、ドレスを着飾った婦人たちを乗せている。

 赤いスーツに黒いジャケットの軍服を着たガタイのいい青白い顔の男性が華やかなヒマワリが描かれた着物の女性を口説いている。

 傘を被った一つ目小僧とおかっぱの一つ目の女の子たちは掛けっこし、河童にぶつかった。偏屈な河童がそれに怒って、一つ目の子供たちを追いかけまわしている。

「わぁ……」

 あの世の街とは思えないくらい、活気がある。

「街だー!!!」

 ヤモンも、一つ目の子供たちとともに、河童に追いかけられる遊びに参加した。

「た、助けてくれっ!」

 遠くで声が聞こえるも、人が多く、どこからなのか、わからない。

 街の人たちは急に口を閉ざし、ある方向を見つめた。マリが視線の先を見ると、首のない黒い馬が馬車を牽き、馬の顔を持つ御者が乗っている。

 御者は騎士の鎧を着ている。荷台は黒塗りの檻のようで、中の様子は全くみえない。

 他の亡霊とは、明らかに雰囲気の違う異質な存在だった。

 御者がマリをじろりと見つめた。

 真っ赤な瞳には、苛烈な炎が宿っている。マリは何もかも見抜くようなその瞳に息ができなくなった。

「チガウナ」

 馬の御者がふいに目を逸らすと、心臓がゆっくりと動き始めた。

「マリ、大丈夫?」

「……何あれ?」

 心臓が酸素を求めるように早く動き始めた。

「あれは、煉獄の騎士さ」

 落ち着いた声が聞こえる。

 マリが辺りを見渡すも、誰もいない。

「ここさ、ここ」

 後ろに、身長70㎝ほどの2本足の猫がいた。普通の猫の2倍ほど、大きい。赤い羽根付き帽子に、茶色の光沢があるシャツに白いタイツを履いた猫が立ち、ブリティッシュショートヘアの毛並みの頬を手で撫でている。

『長靴を履いた猫』と、マリは心の中でつぶやいた。

 その猫の下には、人間の亡霊が一人、尻にひかれている。

「あぁ、お疲れ様」

 二本足の猫は、御者に手を振る。

 御者がマリのほうに近づく。マリは、御者から一刻も早く離れたかったが、動けない。

 御者はマリのほうをみて、馬の顔で歪に笑う。

 マリが背筋を凍らせるも、御者はプスの下にひかれている人間をムンズと捕まえて、馬の首の中に放った。

 亡霊は、首のない馬にゆっくり体が飲み込まれた。

 暫くして、荷馬車の中から、お願いだから出してくれという声が聞こえた。

 御者はプスに一礼すると、馬車に乗って街の外に出ていった。

「やば……」

 現実には起こりえない事象にマリは、固まった。

「煉獄の使者は簡単にいえば、地獄の使者だね。地獄から街に逃げた亡霊を捕まえに来るんだよ」

「でも、門の外からしか、入れないって……」

「そうなんだよ。けど、門以外のどこかと街と煉獄が繋がっているんだよ。皆、どこから湧くかわからないけど」

 そういって、プスはマリを見つめた。

「マリ! こっちは、ケット・シー族の、プス兄さん! 長靴を履いて、男の人をお金持ちにしたんだって!」

 ヤモンは嬉しそうに報告している。

「お初目にかかります、麗しいお嬢さん、プスと申します」

 プスは恭しく英国風のお辞儀をして、背伸びをして、マリの手に自然とキスをした。

 マリは、初めての淑女扱いに戸惑いつつ、しどろもどろに自己紹介する。

「マリはさまよい人で、ルナに迷っちゃったんだ」

 プスはお気の毒にという、視線をこちらに向ける。

「それなら、大使館に行くといい。きっと、ギルバートが助けてくれる」

 あっ、その手があったかと、ヤモンは小さな手を叩く。

「お嬢さん。この街は非常にへんてこで、常識がない。ヤモン君、お嬢さんの案内、頑張ってね」

 マリとヤモンが同時にがありがとうというと、年長らしい笑みと共にプスは去っていった。

「凄い紳士ね…、プスさん」

 ヤモンは頬頬らしき部分を更に桃色にさせ、心底嬉しそうに笑う。

「プスさんは、めちゃかっこいいんだよ! 英雄なんだ」

「英雄?」

 あの世に英雄の定義なんて、あるのだろうかと、マリは一瞬、疑問に思った。

「そうだよ! 夕霧様の考えに賛成して、街を造るのに、悪霊たちを森へ遠ざけたんだ」

 マリは一見、細いプスの背を見つめた。

 小さな背にそんな力があるようには見えなかった。プスは人混みに紛れて、あっという間に見えなくなった。

「じゃ! マリ!! 大使館に行こう!」

 ヤモンは張り切って、マリの左手をひぱっていく。大人に頼られ、頑張っている姿がマリにとっては、微笑ましい。

 ヤモンは街の住人に次々と声をかけられながら、道を進んでいった。

 緩やかな坂を登ると、どの建物よりも、豪華な建物が立っていた。虎やインコが彫られた、3mはある白い石の門の端には、石の目を光らせる門番のガーゴイルが入門する者を、じぃっと見つめている。

 学校の運動場3個分ほどの芝生が広がっていた。しばらくひたすら広い庭を歩いて行くと、小さな噴水が、美しい水飛沫を上げている。

「大使館! ついた!!」

「広すぎでしょ」

 マリが半ば呆れつつ、道端に規則的に咲いている赤やら紫のバーベナの花を眺めた。

 花には、人差し指ほどの小さな可愛らしい妖精が小さなじょうろで水をあげている。

「ここの伯爵のギルバートさまは夕霧さまの支援者で、生者の国との連絡もとっている人なんだって」

 街の支配者である夕霧の支援者って、相当権利を持っている人じゃないだろうか。

 マリは急に、相談しに行くことが怖くなってきた。

「でも、大丈夫だよ! 伯爵は優しくって、みんなから頼りにされてるんだ!」

 へぇと、マリは現実逃避して、答えた。

 失礼なことしたら…と思って、何度も嫌な想像がぐるぐると回る。

「雨が降った! 雨が降った!」

 突然、マリ達の横をウサギが駆け抜けていく。マリが見上げると、雨は降っていない。

「どういうこと?」

 変人慣れしているヤモンさえ、首を傾げていた。ウサギは、雨が降ったと、言って、館のほうへ走っていった。

「変なウサギ……」

 マリは、変な住人ばかりを相手にしているなら、伯爵も多少のことは目を瞑ってくれるだろうと、開き直った。

 ヤモンが官邸のベルを紐で引っ張ると、給仕のホブゴブリンが無愛想に中庭に招待してくれた。

 軽やかなクラシック音楽と共に、陽気な笑い声が聞こえてくる。

 ヤモンが扉を開けようとすると、扉が先に開き、執事服を着た茶色い肌で、耳が尖ったゴブリンが現れた。

「どうぞ、お客様」

 そういうと、ゴブリンは中へ促す。

 真っ白なテーブルクロスをかけられた1つの長い机が真ん中に堂々と置いてある。

 お茶会のホストである席主には、落ち着いた茶色のフロックコートを着た紳士が座っている。参加者が三十人ほどだろうか。

 紳士の顔が梟でなければ、何の変哲もない。

「来てくれて、嬉しいよ、ヤモン」

 フロックコートを優雅に着こなした紳士が立ち上がると、2mほどの背丈もあった。

 思わず、マリはのけ反る。

 伯爵は、その長い足を、こちらにノスノスと歩み寄る。

「こんばんは、お嬢さん。私は、お茶会の主催のギルバート。ルナでは、生者の世界との輸入兼、コンサルタントを務めている。お嬢さまの名前を伺っても?」

 梟はきょとんと首を傾げた。黄色の目が不気味に光っている。

 プスとはまた異なる、落ち着いた年齢の紳士だった。

「えと、マリです」

 梟は流れるようにして、マリの手を取るとキスをした。堅い嘴くちばしの感覚と思いきや、柔らかな肌の感覚で驚いた。

「マリ嬢、以後、お見知りおきを」

 にっかりと嘴が横に平がる。鳥が笑みを浮かべた姿に、少し不気味と感じつつも、にっこり、微笑み返す。

 礼儀を尽くした相手に、無礼を働くわけにもいかないが、顔が引き攣つってしまうのは許してほしい。

 ギルバート伯爵は、それとなく距離を取って、席に進めてくれる。上座の席だった。

 対面の席には、先ほどのウサギが座っていた。しかし、そのウサギの様子はおかしい。紅茶に7杯も塩を入れ続け、溢れた紅茶を混ぜ続けている。それを勢いよく、ズーッと音を立たせ、飲み干す。

「こちらは、三月ウサギのアーウィンだ」

 アーウィンは、指でコップの塩を混ぜ続けている。

「アーウィン。こっちは、マリさんだ」

 アーウィンはコップに回した手でマリに握手を求めた。

 マリが口をひきつらせつつも、手を出そうとすると、

「こんばんは! ボクは、ヤモン」

 ヤモンが握手をした。アーウィンはぶんぶん手を振る。アーヴィンは握手という行為に満足したのか、丸テーブルで飲んでいるほうへぴょんぴょん飛んで行った。

「ありがとう」

  ヤモンの指先はわずかに湿っている。

「どういたしまして」

 ヤモンもうれしそうに、ぴょんぴょんとはねた。

「ところで、小さき迷い人よ、どうして、ここに来たんだい?」

 ギルバートはお茶の支度を始める。

「えと、あたし、間違えてルナに来てしまって……」

 ギルバートは促すように、頷く。

「それで、ベラに夕霧様にお土産を渡せば、元の世界に帰れるっていうことを聞いて……」

 あぁ、と漸くギルバートは声を出した。ギルバートは、お茶の準備を済ませたのか、いい香りが漂ってくる。

 どうぞと、ギルバートは勧めてくれる。マリは心底、残念そうに話す。

「すみません。あたし、生きているんで、ここで飲み食いできないんです」

 マリは机の上に並ぶ食べ物を羨ましげに見つめた。

 実は腹ペコだ。

 死者の世界で、この空腹感が残っているなんてと最悪だと思う。

「あぁ、大丈夫さ。ここの食べ物が輸入されている」

「輸入?」

 梟紳士は白手袋を付けた手を人間のように身振り手ぶり、動かして、説明し始めた。指は5本あり、人の掌である。

「ここにある食べ物は、生者の食べ物なんだ」

 ギルバートは紅茶の缶の裏に描かれた梟マークを指差した。白の切り絵風の梟の正面の身体の周りには、赤い円で囲まれている。

「これが、輸入品のマーク」

 ギルバートはクッキーを摘まみ、嘴の中に放り込む。

「だから、さまよい人が食べようが、死者が食べようが、害はない」

 マリは驚いて、美味しそうな目の前の食べ物を凝視してしまった。

「ここの食べ物を食べても、元の世界に帰れるってことですか?」

 雨汰に騙されたこともあって、マリは用心深く訊く。

 あぁと、ギルバートは軽く相槌を打ち、ここのお茶会の食べ物はね、と付け加えた。

 マリはホッとして、コップの中身を一口つけ、強烈な香が鼻に抜け、独特な味に噴き出した。

「こ、これ、お酒!?」

 強烈なアルコールの匂いが、口のなかに広がり、マリはむせた。

「あぁ、ウィスキーだよ。お気に召さなかったかい?」 

 しれっと、ギルバートは返す。

 おっと、すまない。私としたことがとギルバートは首を振り、別のポットから、にカップに注ぎ始める。

 マリはギルバートに対し、若干の不信感を覚えた。

 ギルバート伯爵は意味深な笑みを浮かべた。

 やっぱり、こちらの世界は信用ならないと警戒した。

 コプコプと注がれたカップを手に取り、香りを嗅ぐ。芳香で甘やかだ。

「万能薬に乾杯!!」

 アーヴィンは声高々に叫び、奇妙な参加者たちと、乾杯の音頭を取った。中身はウィスキーであり、強烈な薫りがに漂っている。

 ギルバートがはこちらに、カップを差し出す。

 マリは今度こそは騙されまいと、少しだけ、味わう。

 甘い……。

 マリは安心して飲んだ。あたたかい、じんわりと優しい味が沁みわたった。

「どうして、あなたたちは生者の食べ物を食べても平気なの?」

 マリは率直な疑問を問いかける。

 ギルバートはゆっくり、くわしく答えた。

「わたしたちがここにいるのは、いわば精神体だ。だから、精神をどれだけ変質させようとも、物理の体に戻ることはないから、平気なのさ」

 ギルバートはうまそうにカップをすする。妖精は、別だがねと付け加える。ヤモンは大丈夫なのかと、マリは振り返る。

「ヤモンは妖精じゃないから、大丈夫」

 ギルバートは察して、先にいう。じゃあ、ヤモンはなんなんだと、思わず、心の中で呟つぶやく。

「輸入って、どこからするんですか?」

「いろいろなルートがあるが、お参りで供えられたものとかだね」

 ギルバートは笑みを浮かべた。マリは、お参りのものが、どこで来るのか、疑問に思った。父の供え物は届いているのか……。

 マリは、そこではっとした。

 父と、もしかしたら、会えるかもしれない。

 マリは希望を瞳に宿し、尋ねた。

「あの、どうやったら、探している人を見つけられますか?」

 ギルバートは、真意を探るように、首を傾げ、あぁと声を上げた。

「君の父親なら、既に極楽浄土に行っているよ」

「え? なんでわかるんですか」

 ギルバートは、笑みを深めた。

「君のような質問を抱く亡霊が多いから」

 ギルバートは対応慣れした口調で、笑った。

 父は、もういない。寂しさと安堵がこみ上げ、マリは、苦い感情を無視した。とにかく、自分のことをなんとかしなければ。

 ヤモンは、クッキーを頬張るのを一旦止めて、こちらに向かって、にっこり笑った。

「マリ! 相談しなきゃ!」

 マリは感傷を振り払いつつ、本来の目的を尋ねた。

「それで、生者への扉の鍵を手に入れるための、夕霧サマが欲しいお土産とはなんでしょうか?」

 疑い深く、尋ねる。

 この街では『嘘をつけない』が、隠したり、抜け穴を通れると、伯爵から、たったいま学んだばかりだ。

 ギルバートはマリの様子に笑みを深めた。

「私は知らないが、夕霧の親友のベラは知ってるんじゃないかな?」

 マリはキレるのをなんとか、堪えた。

 あの狐女は、よっぽど、マリのことが嫌いなのか、わざとお土産の詳細を話さなかった。

 マリは瞳孔どうこうを開いて、ギルバートにほうへ身を乗り出した。

「ベラはどこにいますか?」

「あぁ。それなら、答えるのは簡単だ」

 ギルバートがゆっくり指さした。

「そこさ」

 え、とギルバートが指した方向にマリは振り返った。

 そこには、お茶会の人々が集っている。そのとき、スルー出来ない独特な笑い声が聞こえてきた。

「オヨヨヨヨ。アンディーも呑むちゃりんよ!」

「ベラお嬢さんの美しさにカンパーイ!」

 木のカップを掲げた陽気なおじさんとベラが乾杯しているところだった。

 アンディと呼ばれたおじさんは、頬を真っ赤にさせ、どうみても酔っているようにみえる。

 マリは思わず、ベラに向かって、怒鳴る。

「ベラ!!」

 ベラは口元からカップをそっと放し、切れ長の視線をこちらに向ける。

「オヨ。どちらの汚い小娘かと思ったら、マリだったちゃりんね」

 上品にカップを啜る。ベラは牡丹がアクセントの軽装の赤色の軽装のドレス上に、ガウンを羽織っていた。艶やかな長い髪は白の桜をモチーフにした簪で結ってある。

 馬子にも衣装だろうか。

 佇まいは凛としていて、おちゃらけた口調と全く違う。

「なんで最初のとき、お土産について教えてくれなかったの!?」

 ズンズンベラに迫る。

「閉店時間だったからおよ?」

 しれっと答えると、美味しそうにマシュマロをハムスターのように詰め込む。

 この狐目は……とマリは、ギリっとベラを睨む。

 まぁまぁとウィスキーをゴクゴク呑み、隣で顔を真っ赤にさせたアンディが仲介に入る。

 ふぅとマリを呼吸を整えた。

 ここの住人たちは一筋縄にはいかない。いちいち、怒っていたら、キリがない。

「マリ。アンディーに感謝するべきチャリン」

 衵扇から目だけを覗かせ、ベラは話す。

 その様子にマリはいらだちつつも、なんで? と問うた。

「おまえを三途の川から引き上げて、ベラのおうちまで連れてきたのはアンディーちゃりんよ」

 ベラにとっては、とんだ災難だったちゃりんとブツブツ呟いている。

 マリは慌てて、アンディのほうを向いて、しっかり頭を下げて、御礼を言った。

 その仰々しさにアンディはハンチング帽を取って、剥げかけた頭を搔いている。

「運よく釣れてよかったよ」

 言われるも、マリは理解できなかった。しかし、命の恩人らしいアンディーに深い詮索せんさくはせず、曖昧に微笑むにとどめた。

 ヤモンが頭の炎の部分と手を波のようにくゆらせ、こちらに千鳥足でやってきた。

「ヒック! マリ、楽しいねぇ」

 パタリと倒れて、すうすうと息を立て始めた。

 マリは呆れつつ、ベラにダメ元で聞いてみた。

「ベラ、夕霧様のお土産って何がいいと思う?」

 ベラがとても素直に答えるとは、思えない。

「おぉ、哀れな小娘ちゃりん。オヨヨヨヨ」

 マリを満悦そうに、衵扇をパタパタ扇ぐだけで答えようとしない。

「まぁ、ベラ。教えてあげなよ」

 ヤモンに毛布をかけたアンディーが、再び、木製ジョッキを傾ける。

 それまで静観していたギルバートがカップを上品にもち、とんでもない発言をした。

「そうだよ。マリは、あと数日しか時間がないからね」

「どういうこと!?」 

 マリは口をはさむ。

「おや、ベラも言っていたと思うが……」

 マリは、そういっていたのを思い出したが、あのときは、新しい情報で一杯一杯になっていた。

「君の肉体が魂なしで生きられるのがあと数日ってところなのさ」

 マリは、顔を強張らせた。

「肉体と精神が離れ続けることは不可能だからさ」

 梟はあざ笑うように、目を細めた。

「ギルバート、あまり意地悪しないでくれ」

 アンディーは固まってしまったマリの背中をポンポンとあたたかく叩く。

 ベラは暫く、その様子をニヤニヤとしていると、ゆっくりと答えた。

「夕霧様とこの前、お会いしたときは、『うな重』を召し上がりたいおっしゃっていたちゃりん」

 『うな重』と、マリは心の中で反芻した。生きて帰りたいという感情が腹の底から湧き上がる。

 同時にこのまま帰れず、死んでしまったらどうしようという強烈な不安が沸き上がってきた。

 地面をじぃっと見つめたまま、マリは固まった。

 いつのまにか目を覚ましたヤモンがマリを心配そうに眺めている。

「今日は、この館に泊っていくといい」

 ギルバートの深い声が響く。

 マリはそんな暇はないと、反発しようとした。すかさずギルバートは、

「ヤモン君の酔いを覚ましてあげなくては」

 マリは1人で行けるとは思えず、不服そうに黙り込んだ。

「どうぞ、こちらへ」

 慇懃いんぎんなホブゴブリンは素早くこちらに歩み寄り、寝室の案内を申し出る。

 隣にきたヤモンの細く柔らかな感覚がマリの手を握る。葉っぱのようにみえたが、しっかり肉のような感覚にあたたかさを感じ、なぜか複雑な気持ちになった。

 婦人の叫び声が響く。見ると、スカートの中から飛び出したアーウィンが、

「シュークリームが食べたい、シュークリームが食べたい」

 アーウィンがジャンプしている。

 婦人は叫び声を上げて、扇でアーウィンを叩こうとするも、ぴょんぴょんと扉のほうへ逃げていった。

「アーヴィンは、自由だね」

 マリは溜息を付いた。

 そして、ボブゴブリンの後に部屋へ向かうことにした。

 ギルバートはマリの背中で声をかける。

「ここでは嘘をついてはいけない。ルナの街のルールだから、よく覚えておきなさい」

 にこやかにギルバートは手を振った。まるで、父親みたいになんども、念を押すのねと、笑った。

「わかってます」

 マリは強めに答え、ヤモンを連れて、速足で中庭から出ていく。

「いやぁ。楽しみだね、アンディ」

 紅茶をアンディに注いだ。

 アンディはそれを取らず、酒の入ったコップを手に取った。

「彼女は死んだほうがよかったかもしれない……」

 アンディは、普段は陽気な瞳を曇らせた。

「生きていることが、彼女の運命なのさ」

 ギルバートは悠然ゆうぜんと微笑む。

「伯爵は性格が悪いチャリン」

 いつの間にか、伯爵の隣にベラが椅子の上にちょこんと座っている。

 砂糖をコポリと入れ、コップの中身をスプーンで揺らす。

「ベラ、私はキミと同じくらい優しいよ」

 伯爵はとベラはお互いに微笑む。アンディはカップのウィスキーを飲み干した。

 目を覚ますと、マリの頬には涙の跡が残っていた。

 新しい環境で、不安になったのだろうか。

 辺りを見渡すと、昨日案内された部屋のベッドの上に寝転がっている。

 おーい、おーいという幼子のような声がドアの向こう側から聞こえ、頬についた涙をぬぐった。

「おはよー!」

 扉を開けたヤモンがぴょんと跳ね、マリの腹の上に飛び乗った。見た目通り、軽いようで、うっと呻うめくことはなかった。

「おはよ、ヤモン」

 ヤモンはえへへと微笑む。

「うな重、買いに行こう!」

 元気な声でマリのお腹の上で揺れた。

 マリは飛び起きた。

 ヤモンがベッドにずり落ちた。

「そんなに、慌てなくても……」

 そんなわけにはいかないでしょと、マリはヤモンを一睨みして、黙らせた。

 

 マリは、屋敷を飛び出そうとした瞬間、ギルバートから引き留められた。

「これを持っていきなさい」

 桜色の風呂敷を渡された。

 中を開くと、黍団子をの箱が入っている。

「黍団子?」

 マリは疑問を抱きつつも、あわただしく、御礼をし、駆けだしていったのだった。

 月の光が燦燦(さんさん)と輝く夕暮れだった。

 マリがルナに到着したときよりも、多くの西洋の妖精と日本の妖怪で溢れていた。

 街は、異様な雰囲気だが、死の世界とは思えないほど、活気づいている。

 街の中心部には公民館がある。

 そこで、妖精や妖怪たちが、生者の世界の記録を読むことが出来る。

 彼らは、生きている人間に興味津々で、現代の様子を子供のように目をきらきらさせながら、書物を読み漁っている。

 最近の話題は、パソコンやスマホなどの電子製品で、生きづらくなったことだ。

 生者の世界にいる家に住まう妖精や妖怪たちが苦情を吐いている。

 そのせいか、最近は妖怪や妖精が、電子製品や森林伐採で生者の世界の居心地が悪くなり、ルナへ移住する者が多い。

 電子の流れに乗っかってくる大量の悪感情が、特に自然の無垢さで形成された妖精たちにとっては、害のあるモノだった

 大使館の目の前には、石畳みの広場が広がっていた。その真ん中には、『絶望井戸』と呼ばれる古くからある深い深い井戸がある。

 この井戸は『三柱(みはしら)鳥居』が付いている。『三柱鳥居』は、井戸を囲むように、三本の柱が建てられ、上からみると三角形になってみえる珍しい鳥居のことである。

 『絶望井戸』の中を覗き込むと、まるで、世界が止まったかのような暗闇を亡霊は感じる。

 未来の停滞、壁、不安を乗り越えられない気持ちにさせられるのだ。

 しかし、たまに中を覗いてみると、きらりと一瞬、まっしろな光が見えることがある。

 その光がなんなのか、ルナの住人たちはわからなかった。しかし、それをみることができると、皆は歓喜して「輝石」と呼んだ。

 その井戸の前に、おしゃれ好きな3体のカラフルな衣装を着た埴輪たちがおしゃべりをしている。

 30㎝程の小柄な陶器でできた体型で、のっぺりした顔には、桃色のチークが彩る。赤、青、黄色の花がデザインされた着物を着て、かわいらしい印象を放っている。

 彼女たちは、菊、梅、菫と呼ばれていた。

 今は、最近のファッションやら、だんなさんの愚痴やらで、口をせわしなく、動かしている。  

 マリたちが目の前を通っていった。

 噂好きの彼女たちは、めざとくそれを見つける。

「あら、新人さん?」

 おしゃべりなハニワたちが隙なく話しかけようと、こんにちはーと叫びながら、こちらにやってくる。

「私は梅」

「私は菊」

「私は菫」

 3人が次々に自己紹介をする。ハニワがしゃべるという光景にマリは戸惑う。目と口のぽっかり空いた穴が妙に不気味なのだ。

「えと、マリ」

「マリちゃん!」

 一番、人懐っこい菫は口もとに手を当てた。

「まぁ。可愛らしいお恰好」

 興味津々に制服のスカートを触り始める。

 マリは自由気ままな3体のハニワの勢いに、気遅れてしまった。

「やぁ! 梅ちゃん、菊ちゃん、菫ちゃん!」

 マリの後ろからひょっこり顔を出し、ヤモンが手を振る。

「ヤモン! 元気?」

 ちょっぴり頬を染めた菫が聞くのと同時に、会話の(ほこ)先が今度はヤモンに移り、怒涛どとうの勢いでヤモンに話しかけた。

 会話の輪から外れたマリはハニワたちの服がそれぞれ、微妙にサイズが合っていないことに気づく。

「服のサイズ、ズレてる」

 マリが思わず、独り言を漏らすと、ハニワたちは一斉に振り返って、溜息をついた。

「そうなの」

 菊が残念そうに話し、

「私たちの手じゃ、お裁縫できないし」

 梅が指先のない手を挙げ、

「ベラにやってもらったけど、彼女じゃ限度があるのよねぇ」

 菫が不満そうに袖の不器用な縫い目がほどけないよう、慎重にこちらに見せている。

「へぇ、ベラがやったんだ」

 いかにも、他人に興味の無さそうなベラが誰かのために、裁縫をしてあげるなんて、珍しいこともあるものだと、マリは思わず感心してしまう。

 ヤモンはファッションにはあまり興味が無いようで、街中の汽車を見始めていた。

「けど、ベラじゃ、限度があるわよ」

 菊がちょっと不満そうに呟く。

「服をくれるのは、ありがたいんだけどね」

 現金な梅が追随した。確かに一番最初に目覚めた場所は、服だらけだったなと、マリは思い出した。なんとなく、その服のズレにイライラを感じ、言葉が滑り出た。

「じゃ、私が直そっか」

 言ってしまった。

 ハニワたち3体が、いいの!? とマリに迫る。

「マリ、時間が無いのに、いいの?」

 ヤモンが心配そうにこちらを見つめる。

 マリは、ハニワ3体の期待の目を拒む勇気はなかった。

「うん」

 押しくらまんじゅうのように、3体のハニワが順番で喧嘩している中、マリが針と糸をどうしようかと悩んだ。

 無意識のうちに、右手がスカートの左ポッケに伸びる。そこにわずかに細長い感覚があった。まさかと思って、中に手を入れると、サテンの緑色の裁縫セットであった。

「スマホはないのに……」

 ハニワたちの喧嘩は、押し合いから、小喧嘩に変わっていた。

 マリは疑問を抱くよりも、縫うことにした。近くにいた菫を掴む。

 あっと菫が小さな声を上げ、ハニワたちの喧嘩が止まった。

 マリは、上から下まで、全体をじっくりと眺める。

 それから針を手に、目にも留まらない速度で、縫っていく。

 菫はマリの剣幕に体を動かせない。少しでも動くと、針が体の部分に刺さりそうだからだ。

 梅と菊とヤモンがその早業に見惚れているうちに、あっという間に調整が終わる。 

 皆のほおっという感嘆の息が漏れると同時に、ムンズと、マリの手は菊の首を鷲づかみにした。

 菊のあれぇという悲鳴と共に、再びマリの早業で服が縫われていく。

 3人の服の調整は10分を待たずに終わった。

 おぉぅという歓声が聞こえ、辺りを見渡すと、周りには通行人が数十人、集まっていた。

「凄いね! マリ!」

 ヤモンがぴょんぴょんと跳ね、目をキラキラさせる。

 3姉妹も、お互いの衣装を見せ合い、フリルを靡なびかせる。

「マリは、お針子だったの?」

 梅が尋ねると、2人も興味深々に見つめた。観客たちの視線も相まって、マリは居心地の悪さを感じ、曖昧あいまいにまぁと答える。

 マリは、その場から早く抜け出したくて、ヤモンの手を引っ張り、逃げるように広間を出た。

「ありがとう」

 ハニワたちの声が聞こえてきたが、マリは照れたような笑みを浮かべて、足早に去った。

 何よりもマリは時間がないのに、余計なことをしたと思うも、後悔はなかった。

 

 広場から離れて、集まっていた住人たちが疎まばらになったころ、引きずられるようにしていたヤモンが漸く口を開いた。

「マリ、そっちじゃなくて、あっちの路地で曲がって」

 マリは、それを早く言ってよと言いたげに、無言で進行方向を変えた。

 ヤモンはマリを、何か言いたげに見つめたが、マリはヤモンの様子に気を配る余裕が無く、早々と足を進めた。

「ねぇ、マリ?」

 ヤモンが恐る恐る話しかけた。マリは、何?と苛立たし気に振り返る。しばらく、何か言いたそうに、ヤモンは口をへの字にして、立ち止まった。

「何?」

 マリは、跳ね上げたアイラインでヤモンを軽く睨む。

 ヤモンは、頭を下げたまま、視線を上にそっと上げるだけだった。

 暫しばらく、その視線を横に止まらせる。何でもないと口を閉じて、重い足取りで、歩き始めた。

 マリは、生死にかかわる問題で急いでいることを知っているのに、なぜ引き留めるのか、腹がたった。

 ふと、どこかで、そのような経験があったような感覚にマリは陥った。

 ヤモンが肩を落として、ちらちらとそちらに視線を送っている。

 自信無げに、そわそわとさせている姿が、否定されると思って、言いたいことを言えない過去の自分に似ている。

 マリはその行動がデジャブというのを愛梨が言っていたことを思い出した。

「ぐぅ」

 小さなお腹の虫が鳴く声が辺りに響く。

 ヤモンが緑色の頬をピンク色に染め上げ、手をお腹に添えた。

 あたたかな甘いべっ甲飴のかぐわしい香りが漂っていることに、今更に気づいた。

 そして、マリは自己嫌悪に溜息をついた。

「別に、大丈夫だから! 気にしないで」

 ヤモンが慌てたように、手を振る。

 マリは、自分の子どもっぽさに呆れた。自分よりも小さい子に気を遣わせていることに、自己嫌悪を覚える。

「ごめん、ヤモン。そうじゃなくて、マリの自分勝手さに呆れていたの」

 マリは、そういって、ヤモンの手をそっと離した。

「ごめん、ヤモンがマリの我儘に付き合う理由は無いのに。助けてもらうことが当たり前って思ってた。気づかなくて、ごめん」

 ここで待ってるからと、マリは道の角に立った。

 ヤモンは、一瞬申し訳なさそうに顔をしかめて、嬉しそうに、べっ甲飴やに駆けこんだ。

「そんなに我慢してたのか……」

 マリは伯爵からもらった風呂敷を開き、黍団子を頬張る。

 甘いのに、少ししょっぱい感覚が懐かしい。

「おいしい」

 マリが空を見上げると、赤い空が優しく見えた。

 

 二人が食べ歩きをしていると、一際ひときわ、人が集まっている店の前で、ヤモンは立ち止まった。 硬派な墨で、『蒲焼かばやき』と書かれている。

 一つ目の傘や提灯など、人形だけでない妖怪たちがズラリと並び、異様な光景だった。

 マリとヤモンも最後尾のその列に並ぶ。

「ここの蒲焼は、絶品なんだ」

 ヤモンが口を開く。

「醤油の芳ばしい香りに、ホロッと鰻の身が崩れて、ほっかほっかのごはんがのってて……」

 食べられないマリにとっては、聞いてるだけで恨めしい気持ちになる。

 月が南に少し傾くころには、うな重を漸く買えた。

 うなじゅうの上のとろりとしたタレの香ばしさに、思わず鼻を近づけると、ヤモンにぺシッと頬を叩かれた。

「ダメだよ!」

 マリは思わず、ヤモンを睨んでしまう。

「ごめん! あまりにも、おいしそうな匂いだから、マリがうな重を食べちゃうと、思って……」

 ヤモンはだんだんと語尾を窄しぼませる。マリは、若干、苛立ちつつも、息を吐く。

「大丈夫、ありがと」

 2人はお土産をもって、ルナの支配者『夕霧』の館へと向かった。

 館に向かうにつれ、レンガ通りも、近代的な建物も徐徐に無くなっていく。江戸特有の、草葺きの屋根の土蔵造りが多い。

 薄い霧に包まれた街は、妖怪や妖精たちの会話は無くなっていき、陰鬱いんうつな雰囲気を漂わせていた。

 ヤモンはその町の中を、ズンズン歩いていく。

 ふと、マリが横を見ると、墓の横で女が泣いている。服装は、上半身裸体で、かろうじて、下にボロイ衣をまとわせている。

 女は、背を向けるように静かに声を殺すように泣いていた。背中の白さが異常なほど、白かった。黒の艶やかな長い髪を垂らした美しい姿なのに、辺りにどんよりした空気を纏まとわせている。

「あの」

 マリは黙っていられず、思わず、声をかけた。

 女は、こちらを向く。思っている以上に若い顔だったが、マリが想像するような血だらけの姿でないことに、マリは安堵した。

 30ほどだろうか。釣り目で、顔面蒼白。目元は窪み、目瞳に光が無かった。口紅の鮮やかな紅色がやけに目についた。両手には、何か大切なモノを抱えているようだが、何もみえない。

 マリは不気味に思いつつも、女の哀しみに、良心をくすぶられ、声をかけた。

「大丈夫ですか?」

 勇気を振り絞って問いかけた。

 女は、涙に濡れた瞳を墨色に染め上げられながらも、はっとこちらを見た。

 ヤモンとマリを交互に眺め、眉をくしゃりとゆがめ、責めるような視線を向ける。

「うるさいっ!」

 そして、尖ったつめ先で、マリの顔をひっかこうとする。

「キャッ!」

 マリは寸前のところで、その爪を間一髪のところでよけた。

 マリは、折角、声を掛けてあげたのに、なんなのよ、と不満を覚えた。

 女の霊はこちらを憎々し気に見つめながらも、その場から動かない。

「ほっといて」

 か細く、泥を飲みこんだような声を吐き出した。

 更に、周りの空気は湿ったように感じる。

 女はそれ以上こちらに関心を向けず、石に体を寄り添わせるように、全身を項垂れさせる。 

 周りの土や草も、女の悲壮感を吸ったように、湿っている。

 ヤモンがマリの制服の袖を引っ張った。

「行こう」

 こしょっと呟き、マリの袖を掴み、歩を進めた。

 マリは、せっかく、勇気を振り絞って声をかけたのに、なんだあの態度はという恩着せがましい気持ちと、女性のためにどうすることもできない無力さに、悶々とした気持ちを抱えた。

 ヤモンが気を遣うように、

「ここは、よく、泣いてる女の人が多いんだ」

 確かに、数十の女性が眠るように、躰を横たわらせている。

 ヤモンは女の霊と目を合わせないよう、マリの手を引いて、とぼとぼと歩く。

 進んでいくと、華やかな髪型や着物やドレスを着崩した女性が石の隣で寝ている。

 時折、小さな白い光が漂い、眠っている女性を照らしているときは、女の頬に涙が伝っている。

 それをみたマリは、居たたまれない気持ちになり、マリとヤモンは黙々と、足早に去った。

 『夕霧』のいる館は、その路地の一番奥にあった。

 二階づくりの大きな屋敷で、至るところから、オレンジ色の明るい灯りが二階の窓から漏れている。門の部分には、ヤモンの背の半分ほどの小柄な力士がいた。仁王立ちで立ちふさがる。

「ここに、なんの用だ」

 身長がかなり低いにも関わらず、威圧するような、どっしりした声で、マリたちを睨んでいる。

 マリの声は自然と、威圧されるのと同じくらい、小さくなる。威圧は身長に関係が無いのだなと、マリは考えを改めた。

「夕霧様にお土産を渡しにきました」

 マリは、うな重が包まれた赤い風呂敷を、相撲取りに攻撃されないように、弁明するように掲げた。

「開いて見せよ」

 小さな力士は、マリに風呂敷を開くよう、厚い掌をヒラヒラとさせて、急かした。

 マリは、リボンを解き、どんぶりと箸を見せた。

 小さな力士はその一挙一動に油断せず、マリとヤモンを獲物を喰うような、鋭い眼光でこちらを眺める。

「うむ。うまそうな匂いだ。通ってよし」  

 マリとヤモンは、ほっと肩の力が抜けた。

 マリは、手早く、リボンを結び、あっという間にお店でラッピングするような包みとなった。

 小さな力士は、鷹揚おうようにうんと頷き、竹に筆を滑らせた。

「むすめから ゆうぎりさまへ うな丼よ」

 記録って、俳句でいいんかいとマリは、心の中で、ツッコんだ。

 相撲取りは、どしんどしんと地面を震わせて、門の前から身体をどけた。

 中に入ると、広い池が視界の右端に広がっている。。道の端には、オレンジ意色の提灯がずらりと立ち並び、辺りは幻想的な雰囲気を漂わせていた。

 外の陰鬱な雰囲気とは、全く異なる。

 華やかさで、心なしか、空気が吸いやすい。

 赤い着物を着た5歳くらいのおかっぱの女の子が、ちょこんと立っている。

「お客様、おいでなんし」

 そして、綺麗に手を揃えて、お辞儀をした。独特なのニュアンスのある廓くるわ言葉を用いた。遊女たちが、出生を悟らぬよう、編み出した言葉である。

 しかし、マリはそれに気づかず、京都あたりかと思った。それよりも、りんごのようなほっぺなのに、大人っぽい尊大な口調のほうがマリは気になった。

「おじゃまします」

「おじゃまします!」

 マリが小さな声で言うと、ヤモンも元気に挨拶した。

 おかっぱの女の子は、それを冷静に目視する。

「こちらへきておくんなし」

 おかっぱの女の子はさっさと歩き始めた。

 おかっぱの女の子は、歩幅は小さいが、上品に速足で歩く。

 その背を、追いかけながらも、徐々に近づいてくる大きな屋敷に、マリはドキドキした。

 遊女の館だったが、客に姿をみせる見世みせの格子は無く、欄干のある屋根にズラリとぶら下がった提灯が楽しげな雰囲気を醸かもし出していた。

 ヤモンはおかっぱの女の子に何度か話しかけようとして、失敗し、おとなしく、歩いている。

 石畳の道筋には、桜の花びらが道中に舞い、玄関の中に入っていった。

 玄関の廊下には、赤いカーペットが引かれ、椿が描かれた高級そうな掛け軸や、立派な生け花が置いてある。

「なんか、緊張してきた……」

 マリがそう溢こぼすと、勇気づけるように、大丈夫だよ、とちょっと固まったヤモンが励ました。

 マリは、なんだかんだ夕霧様と会うのは、ヤモンも初めてだろうとその様子から感じた。

 マリの不安の渦は、どんどん大きくなる。

 相手は嘘をついてはいけないという、ルールを作った人物なのだ。さらに、嘘をついた人は食べられるらしい……。

 廊下の奥に入ると、一際、狭くて暗い階段が続いていた。

 ヤモンとおかっぱの女の子は、ひょいひょいと上っていく。

 マリが踏み出すと、ミシっと音が鳴り、ギクリとした。

「大丈夫でありんす。お客様」

 おかっぱの女の子がツンとした態度で、こちらを振り向く。

「お客様には、体重がござりんすので、普通のことでありんす」

 再びしずしずと歩き出す。

 マリは、思わず赤面してしまう。

「あたしは、重くないしっ!」

「なんか、ツンツンしてる子だね」

 ヤモンがこっしょっとマリの耳元にささやく。

「サヨはツンツンしてません」

 サヨはキッとヤモンを睨みつけた。

「あたしは、マリって言うの、よろしくね」

 マリはさらっと、挨拶をした。少しでも、印象をよくしたかった。

「ボクはヤモン!」

 ヤモンも慌てたように追随する。

「よろしくするかどうかは、ねぇさんの態度次第でありんす」

  サヨの尊大さは変わらず、ふてぶてしい態度をとる。

 やっと子供らしい一面を見せたサヨに、マリは安堵の笑みを浮かべた。

 サヨは気に入ら無さそうに、鼻を鳴らしたが……。

 まるで、小さなベラのようだ。衵扇を持っていないだけで。

 階段を上ると、長い廊下があり、端にはいくつかの部屋が見える。その廊下の真ん中あたりの部屋の襖の前で、サヨは立ち止まった。

 サヨは正座をした。

「サヨでありんす。お客様でありんす」

 これまでの尊大さを隠しきった、しとやかな声で話しかけた。

 猫を被りすぎだろと、マリはすかさず、心の中で突っ込んだ。

「あい。どうぞ」

 これまで聞いたことがないほど、深みのある、艶やかな女性の声がした。

 理知的な声で、とりあえず、頭ごなしに食べられることは無さそうだと、マリは安堵した。

 サヨは襖に手をかけて少し開いてから、襖を開けた。開き切ると、サヨはどうぞと、指先を揃えた手で会釈する。

 マリたちが部屋の中に入ると、サヨは静かに襖を閉めた。

 7畳ほど部屋で、ぼんやりと灯篭が光っている。部屋の中は薄暗く、紫色の光がぼんやり照らしていた。

 その奥に、女性がいる。気だるげに窓際に枝垂れかかり、ゆっくりと体を起こした。

 その一つ一つの動作が色っぽく、マリは思わず、ぼけぇっと眺めていた。

 ヤモンも、見惚れているかのように、目を丸くした。

 日を一度も日に浴びていないような真っ白な肌に、切れ長の美しい一重の瞳には知的な光が映る。鼻梁びりょうは綺麗に通り、紅く引かれた唇がかたっぽだけ、上品に上がっている。

「こけしにでもなったでありんすか」

 その人、夕霧は完璧な美しさで微笑んだ。

 独特の冗談だったが、周りの空気が少し軽くなったように、感じる。

 えと、とマリはモジモジしてしまう。本当に美しい人に逢うと、何を話せばいいのか、分からなくなるということを初めて、知った。

「可愛らしいお客さんでありんすね」

 夕霧はシルクで刺繍された、紫いろの美しい着物の胸元から、キセルを取り出す。近くの机からマッチ箱を出し、シュッという音と共に、火を付け、軽く吸う。

 その香は、爽やかな匂で不思議とマリは心が落ち着いてきた。

 マリは、夕霧の姿に見惚れたが、我に返ったかのように、マリです、と上ずった声を上げた。そうだ、怒らせてしまったら、生きている世界に帰れないかもしれない。マリは、改めて気を引き締めた。

 ヤモンもぽけーとしていたが、マリに腹を突つかれる。

「ボクはヤモンです!」

 声を張り上げた。夕霧はゆったりと頷いた。

「わっちは夕霧でありんす」

 夕霧はマリたちのペースに合わせ、会話をする。

 元気な幼子でありんすねと、ヤモンを見て、キセルを深く吸った。

「ところで、今晩はどんな御用でありんす?」 

 夕霧はこちらを流し見る。

「えと、ありがとうございます。お土産のものを持ってきました」

 ガチガチになったマリはうな重の風呂敷を示した。

 ほぉ、よい香りと、夕霧は少し愉し気に口角を上げる。

「お、収め下さい」

 マリは、なぜか政治の偉い人に賄賂を渡すような奇妙な気持ちに陥った。

「これは、なんでありんす?」

 相変わらず、ぞっとするくらい、艶っぽい笑みを浮かべている。この人には、笑顔1つにも、色気が染みついている。

 マリは何か、夕霧の笑みに違和感を感じた。お土産を渡せば、あの世の扉の鍵を渡して貰えるという話だが、ちっともその気配を感じない。

「えと、うな重です」

 マリが夕霧を見つめると、既に夕霧はお土産の中身を知ってるかなような反応だ。勿論、マリ以外にも、ベラが夕霧のお土産を教えた人物はいるだろう。そうかもしれないが、何か引っかかるり、マリの中で違和感が膨らむ。

「ほぉ」

 夕霧は、わざとらしく溜息を付く。

「ひと昔の流行でありんすね」

 夕霧は短く答えた。

「?」

 マリとヤモンの間に疑問符が浮かぶ。

「つまり?」

 ヤモンがいうと、マリも夕霧を注視した。

「わっちの好みじゃ、ありんせん」

 うな重が入った風呂敷をこちらにそっと、丁寧な仕草で突き出した。

「え、でも、ベラが」

 ヤモンが白く細長いネギみたいな部分を小首をかしげて、呟く。

 マリは、はっと気付く。

「もしかして、うな重は、夕霧の今の流行ではない。というか、そもそも、流行なんて、無いんじゃない?」

 夕霧はマリの混乱した様子を冷静に見つめる。

「おかしいじゃない。あのベラが簡単に答えるなんて」

 マリは沸々と怒りが沸き上がるのを感じた。

「じゃ、お土産の答えは2つあるってこと!?」

「そうだよ、だって夕霧は古いって言ったんだから」

 自分が気に入らない相手であれば、容赦なく、違う答えを差し出したのだ。

「嘘つき!」

 マリは怒り心頭で、夕霧を睨みつける。

「嘘はついてないでありんす」

 夕霧は、キセルの煙をふぅと吐き、笑みを浮かべた。その狡猾さは、ベラより質が悪いと感じる。

「だまし討ちもいいところじゃん!」

 マリは夕霧の残酷な笑みに負けじと激怒する。

「さまよい人は大変でありんすね」

 あと、3日ってところでありんすかと、夕霧は、無表情で、窓のまぁるい月を見つめた。

 マリは、ビクッとしてしまう。

 帰りたいと思うがそんなに悪いことなのか。

 マリは涙が込み上げた。こんなに必死に、帰ろうとしているのに、なぜ阻むのか。

 ヤモンが心配げにこちらを見つめ、マリの制服の袖に手をかけた。

「触らないで!!!」

 その瞬間、癇癪かんしゃくを起したマリは、思わず怒鳴ってしまう。

 ヤモンはビクッとして、手を引っ込めた。

 ヤモンの傷ついた表情がマリの心の中に刻まれた。

 マリは、どうしていいのかわからず、涙をぽろぽろとこぼしながら、走り去った。

 どうして、どうして、こんなに上手くいかないんだろう。母と喧嘩したときと一緒だと、マリは思った。

 襖ふすまをバタンと閉めるマリを見送り、ヤモンは呆然と立ち尽くしていた。

 夕霧は、深い声で歌うように、囁く。

「女の涙をそのままにするでありんすか?」  

 静かな瞳をヤモンに流した。その瞬間、ヤモンは弾かれるように、駆けだした。

「若い女子は、激しいでありんすね」

 独り言をつぶやく。その声に、反応する声がした。

「夕霧様、お茶です」

 サヨが音もなく、襖の奥から現れ、急須きゅうすと湯飲み茶わんを載せた盆を持ってきた。

 夕霧は、冷たくなった手で、湯飲みに触れる。

「サヨのほうが一枚上手でありんすね」

 湯気がほわほわと浮かんでいふ。あたたかい湯呑みを持ち、夏の闇夜を思わせるような笑みを夕霧は浮かべていた。

「これ、サヨ。気持ちはうれしいが、心配は悪でありんすよ」

 サヨの僅かに変えた表情をみて、すかさず夕霧は妹を諭すように笑う。

 サヨは慌てて、面を伏せた。

「なに! あのバカにした態度!」

 信じられない、信じられない! あのクソ婆!

 マリはドシドシ歩いていく。

 目を真っ赤にさせたマリを、門前の相撲取りは、驚いたように道をあける。

「夕霧も信じられない! 詐欺まがいのことして、人の命なんて、これっぽっちも知らないんだから!」

 激怒した感情が溢れて、止まらない。

 マリは、感情を吐き出すように、ドシドシと歩いていく。

 周りの女性の亡霊たちもむせび泣くことを一瞬止め、その怒りように呆然と眺めた。

 マリは歩いていくうちに、全くわからない場所に出ていた。

 薄暗い森の中だった。相変わらず、まぁるいお化けの手先のような枝が、マリを脅かしている。

 マリは初めて、ルナに来たような気持ちになった。  

 前も後ろの道も無くなったような…世界で独りぼっちになったような気持ち。

 足の疲労を急に感じて、マリは体育座りをした。

 いつ、木の陰からいつ亡霊が出てきてもおかしくないような暗闇を見ても、恐怖よりも疲れが勝った。

 マリは肩を落とした。涙が知らず知らずにあふれてくる。感情の制御ができない。

 狡猾こうかつなルナの住人に嫌気がさして、ヤモンに心無い言葉を投げた自己嫌悪。

 何より騙された自分が情けなくて仕方がない。

 最近、泣いてっばかりだと、マリは思った。

 以前はこんなに泣くことなんて、なかった。

 あの頃以来だ。あの頃は、必死で……。

 あの頃って?

 マリは、ふいに浮かんだ言葉に疑問を覚えた。

 疲れている。これまで、いきなり見知らぬ環境に落とされ、気まぐれな住人たちの行動一つ一つに我慢がならない。

 マリは自分で疲弊しきっていると思った。

 なぜって、いきなり森の奥にお菓子の家が見えるなんて、おかしい。

 そう思って、目をこするも、お菓子の家が消えることは無かった。


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